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  ~懲りない傾向~

弔いあげ

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五十回忌。そんな経験はなかなかできないものですが僕の場合、家内の祖父の法要で参列したことがあります。この人は太平洋戦争で若くして戦死されたため、五十回忌の弔いあげが営まれました。家内曰く「存命だったらホンダとケンカできる萬代自動車工業を立ち上げていた」という、徴兵以前は都内で自ら20人ほどの社員を雇用した自動車整備会社を営んでいた人だそうです。萬代というのは出身地の新潟市、萬代橋からとられたものです。

身内の話は棚上げして。だいたい萬代自動車工業が大企業化していたらうちの家内社長の孫ってことになって、僕なんかと接点も無かったでしょうから、そういう歴史になっていたら霰も霙もこの世にいませんわ(すまぬ会ったことないけど家内の爺さん)

でもってなかなか経験機会の無い弔いあげですが、実はあのハカイダーが白骨ムササビに敗れて絶命してから本日で、50年目です。本来ならば49年目に法要を行わなければいけないのですが、ハカイダーってそのあと01のときに蘇っちゃうから、74年の3月に50年目が先延ばしされますので、まだ間に合います(ただし放送「年」準拠です。01の世界って、ダーク破壊部隊壊滅から3年後ってところと、その最終回では命日もずれてしまうことは忘れてください。間に合うことは間に合います)

弱り目に祟り目

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車の不調に呼応するかのように、あるいはその逆でクルマたちが僕に引っ張られたのか、数日前から急性胃腸炎で胃の中が空っぽになるほど嘔吐するわ、トイレに籠りたくなるほど下痢が続くわで、低血糖寸前、血圧低下という憂き目に遭っています。

幌車の幌外しの記事二本は、実際には掲載日より五日くらい前なのです。

この時点で仕事を停滞させることもできず、何も食うことができず、非常事態時には家内が運転手をやってくれました(先日の国道16号の写真、アングルが助手席からとわかりますよね←こんな時にそんなもん撮ってる場合かよ)

五日くらいしてなんとか腹具合が落ち着いてきたので、粥からおじやに切り替えたものの、二匙も食えばもういいや状態で、クルマ共々弱り目に祟り目。

 

春雨降りて百穀を生化すればなり

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穀雨の候を迎えました。今時分の雨天気を百殻春雨(ひゃくこくはるさめ)とも言いますが、「暦便覧」を編纂した太玄斎こと松平頼救は「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記しています。

「暦便覧」は、中国で生まれた二十四節気を日本版にまとめ直した解説書ですが、頼救といえば常陸国宍戸藩の第五代藩主。家督を譲り隠居してから太玄斎を名乗り便覧編纂に取り組んでいます。

宍戸藩が現在の笠間市であることは説明するまでもありませんが、昔は隣町、いまや同じ市内という位置関係のつくばーど基地としては、二十四節気や七十二候に関わる書籍とその編纂者が同郷に縁を持つことに、ちょっとばかり嬉しみを覚えます。

もっとも松平家は参勤交代をしない江戸常駐の家柄だったので、宍戸藩の管理は水戸藩が任されており、太玄斎による「暦便覧」も江戸において作られたというのが定説です。

巷では田植えの準備が進み、いよいよ春も深まっています。穀雨とはまさに恵みの雨の頃。この時期が開けると八十八夜が巡ってきます。

基地ではモッコウバラが見ごろとなってきました。もう初夏?

 

よい歯の日

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11月8日になると「いい歯の日」が巡ってくるそうですが、僕は今、良い歯(4月18日)どころか長年使ってきた前歯(10代のときに折って、差し歯でした)を抜かれる憂き目となっています。歯磨きを怠ってきたわけではないはずですが、土台と歯茎の脆弱化によってぐらつきがひどくなり、こうなるとモノをまともに食えないのでいっぺん抜いて左右の歯と連結した新しい差し歯に交換することとなりました。

実は東北住まいからこっちへ戻って歯科医にかかるのが初めてなのと、以前通っていたところはなんでもかんでも情け容赦なく抜きたがる傾向もあり、嬉々として麻酔を打とうとしやがるイメージを抱いてしまい、あそこにはやらせねーと、近所の歯科医を訪ねることにしました。

「あらー雷蔵君、なんだかとってもすごく久しぶりな気がするわー」

そりゃそうです。小学校の頃に上級生だった先生ですから。

「先生こそまだ現役で開業してるのびっくりだぜ」

「そういう悪態つく子は麻酔無しで抜歯してやるわ」 ←言ってるだけです

でもまあ近場に通院なので以前より慌てずに出かけなくて済むわと思いながら治療ののち帰宅する途中、さらに近いところに新しい歯医者ができていることに気が付いたという・・・

 

「らんまん」の真似して衝撃の事実

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鴻雁北(こうがんかえる)の季節ですが、それより前に詠われる玄鳥至(つばめきたる)の気配はまだありません。つくばーど基地近くの農業用ため池に停泊していた水鳥は、そういえばいつの間にか姿を見せなくなりましたから、北へ向かった連中がいるのかもしれません。この週末は寒の戻りで裏山の上の方は霜が降りたようですし、山全体が雨と霧で覆われ、基地もそのなかに埋没していました。僕も炬燵に埋没です。

そんな陽気だったものの、基地の八重桜は満開で花見に最適でもない土曜日にしばし雨に降られながら見上げていて、「らんまん」の槙野万太郎みたいに「樹種は何だったんだろう」と思い立って再び炬燵にもぐって調べ物をしたらば・・・

これ桜じゃないんだ!

長年八重桜だと思い込んでいたのですが、実際には同じバラ科でも「リンゴ属」の海棠(カイドウ)であることを知りました。桜はそのままサクラ属です。これで合点がいったのは、祖父が「庭には桜は植えちゃならん」と言っていたのになんで「在る」んだ?の疑問でした。樹齢から考えて植えたのは親父でしょうから、彼らは彼らでやっていたであろう親子の対立を垣間見た気分です。「桜じゃねーよ」とかね。

そんなことをお茶を飲みながら家内に話したら

「お義母さんがカイドウって言ってたわよ知らなかったの?」

「知らんわそんなことーっ」

諮られた!・・・かな?

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掲載するのがだいぶ後になりましたが『天一せんべいお世話になりました煎餅』。と書く前に、お世話になりました系の煎餅ってあちこちのお店で作っているようで、縦書きだったり横書きだったり図柄入りだったり、いろいろあることをついでながら知りました。

でもって天一の塩煎餅べーすですが、これどうやって開封するか。

普通だったら、上部で結んであるラッピングタイを解いて、適当なところ左右どちらから引き裂けば開くと思うじゃないですか。

そう思っちゃったんですよ。

ところがこれがなかなか強固な袋で左右どちらからも引き裂くことができません。この時点でさっさとハサミでも使えば良かったのですが。

まさかな、認めたくないことになりそうだなと、袋の下部を見たらば、そこにちゃっかりと切り欠きがあるではありませんか。

これは製造の間違いではありません。一枚目で混乱し、開け方が判明して二枚目で撮影していますから。

ラッピングタイって、食べかけを袋にくるんで湿気除けにするアイテム?

いやいやいや。それにしたってこうする理由はないような・・・

桜多吾作さんの訃報以来このところこういう展開ばかりですが、五日ほど前に坂本龍一さんが亡くなられたと。僕はYМОのテクノポップは好きではなかったけれど、「戦場のメリークリスマス」で耳にした楽曲で、なんか教授が変わった? と思わされたものでした。「王立宇宙軍 オネアミスの翼」で再びテクノ調な旋律を聴くこととなりますが、違和感は無くなっていました。まあむしろオネアミスはドラマ以上に戦闘の画ずらが凝りすぎていて嫌いだったんですが。

昨夜あらためてオネアミスを観てみたんですけど、音楽自体は教授以外の人も携わっている中で、教授の旋律は、彼のアレでないとあの映画のシーンにマッチした楽曲は創れなかったなあと感じました。合掌。

速度制限表記の振り分け

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常磐道では28日から、桜土浦・岩間間の上下線で大型等、三輪、牽引とそれ以外の速度制限が振り分けられました。我々の場合たいていは「それ以外」に分類されると思われますが、実際に走っていると、視界に入る車両の6割くらいが時速90キロくらいで流しています。残るうちの3割くらいが100キロちょっとで、あとはまああれですね。「10キロ上乗せしてやったぜ」ということなんでしょうけど、うーん・・・

V6の2500(ATしかないモデル)でタイヤサイズを大きくしていると、エスクードはこれくらいまでなら燃費に大きな影響は出ませんが、カタログ値は出せなくなります。今後、速度制限が増えたことで120くらいで走っちゃってもいいなという流れが出てくると、それに巻き込まれていくのは迷惑な話だなあ。

兎年だったあの年あの日

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そして干支が一回りしています。

巷では少し前に「東日本大震災から10年」なんてくくりで区切りをつけていましたが、10年後にまたやってくる(かもしれない)災害という物言いと、「また兎年がやってきた」という表現にはたいした違いはないものの、なんだか後者の方が予言めいた印象があります。

渚のはいから入賞

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昨年秋に霰が夜なべして作ったオリジナル造形が、何やらコンクールの銀賞をいただいたようです。賞金が出るってんだからたいしたもんです。

ずぶぬれになった甲斐があったか。もっとも波打ち際の撮影は全部ボツになったんですけどね。

忘れた頃のわらしべ長者

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最初に配属された職場に本社転勤の挨拶と報告に、5年ぶりに出かけた霰が、「なんか持ってけって言われた」と持ち帰ってきた佐野ラーメンと仙台ラーメンのカップ麺。

たぶんお祝いなんでしょうけど、このユーモアさは斜め上から来たなあ。