Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

零下五度の日常

零下五度の日常 はコメントを受け付けていません

24日の夕方から夜に、短時間降った雪で庭への積雪はありませんでしたが、上空の寒気は居座っているらしく26日朝になっても軒のつららは健在でした。雪国北国に比べたら笑われるレベルのかぼそさですが。

積もるほどの雪でもつららになる前に落雪してしまうのがここ数十年の景色だったのです。

しかし子供の頃にはこんな景色は毎冬見ていた記憶があります。観測史上最強の寒波とはまた別の話で、半世紀前だとこれくらい寒かったんじゃないかなあと思い至るわけです。なんせ雪が降ったら基地の前面の坂道でスキーやってましたし、坂の下からはクルマは絶対に上がってこられなかった。

さすがに半世紀前の写真は残っていませんので、1998年2001年の我が家の風景を貼り付けてみます。この頃すでに温暖化の影響が出ていて、たいした積雪になっていません。2006年の記録以降は新年会の裏山しかありませんから標高差で積雪量の比較にならない。するとやはり、昔の大寒の頃って零下五度くらいは日常だったのではないかと考えてしまいます。

暗く 重く 危険

2 Comments »

火星極冠で発見された「地上絵」や木星大気圏内に埋没している謎の物体「ジュピターゴースト」の解析によって拾い上げられた「dark heavy dangerous」は、太陽系にピンポイントで接近してくるブラックホールの情報に結び付いていきますがそれは2125年の話。

2023年は記録的寒気団の接近でえらい目に遭っています。

利根川を渡る頃に、茨城県上空の雲が嫌な感じに広がっているのが見え、谷田部を過ぎたら雷、そのあと雨が霙に変わり、インターチェンジを降りたらもうデスファイト中の亜空間状態みたいに重い雪がぶつかってきました。

すると日没の時刻でどんどん周囲は暗くなり、同時にヘッドライトが利かなくなっていくのです。

給油に立ち寄ったスタンドで、ヘッドライトカバーにこびりついた雪をかき落とすも、ここから基地に戻る間に再びライトが点いていないのと変わらない状態に。ハイビームに切り替えても効果なしです。補助灯があっても危険でアクセル踏めません。

バルブをLED化すると着雪時にそうなると聞いていましたが、これは怖いわ。

どうする家迄

どうする家迄 はコメントを受け付けていません

昨日、無事に870000kmに到達したBLUEらすかるですが、実際にはクーラント漏れが出ていて次の週末にパッキンの交換予定です。

しかしもっと「無事」を示す出来事があり、土曜日に家内の誕生祝を選ぶためにひたちなか市まで走り、そこから鉾田市のcup of Joeまで移動しお茶を飲み、帰路の計算をしながら残る距離をどういうルートで戻るか算段したわけです。

これはいつものことなので、だいたい何処をどう進むかで基地までの道のりを残る距離に合わせていけるのです。それで最後の立ち寄り地点で給油しあとわずかで帰宅だぜ、というときに

「あ、今晩と明日の食材買わないとっ」

 

なななな、なんてことを言い出すんだこの局面で!

 

言わずもがな、ガソリンスタンドから基地までの道のりは、ぴったりの距離だったので、基地から遠ざかるスーパーマーケットへ寄り道すれば帰宅と同時に記録写真を撮ることができなくなるのです。スーパーマーケットで残り2km、いやこりゃムリっ。

大焦りで帰り道を再計算ですよ。まったくもーっ、と裏道近道を駆使して走ったらば、帰宅時点で200m不足し基地を通過しました(恥)

 

 

ふきのはなさく

ふきのはなさく はコメントを受け付けていません

先日の「小寒」の折に、「大寒の頃より寒いぜ」のようなことを書いたら罰が当たったのか、観測史上類を見ないほどとも十年に一度とも比喩される強力な寒気が来てしまいました。

週明けや来週半ばや来週末あたりに関東にも雪が降るかもしれないし降らないかもしれない、どっちなんだよはっきりしてよな天候を招く寒さが展開しています。

それでも本日からシーズン入りする「大寒」は、七十二候のうえでは「欵冬華」と記しています。これって「おおば(の華)」のことなんですが、それを綴って「ふきのはなさく」と呼びならわす人もいます。おおば、は「蕗」の古語なのだそうです。

「かんとう」とも呼ばれる「欵冬」は、誰が詠んだか定かでない

點著雌黄天有意
欵冬誤綻暮春風

に表現されており、冬に咲くのがふさわしいのに、晩春に咲いていことを訂正する(かなり略)ということから、大寒の頃とはいえ春の予兆も入り混じるものかもしれません。もっとも蕗は三月頃まで開花時期ですけど。

とかなんとか書きなぐりましたが、まじめな話、今日はほんとに大寒なのか? というほど暖かい北関東内陸でした。赤城にも妙義にも冠雪なかったもん。

その向こう側はご覧の通りでしたが。

 

 

きじはじめてなく

きじはじめてなく はコメントを受け付けていません

七十二候において小寒のうち1月15日からの後半戦は「雉始雊」と表すそうですが、実際には今頃の気候の方がこのあとの大寒より寒い気がします。雉はつくばーど基地にもしばしばやって来るほど、裏山全般に昔から生息地があります。

雉が鳴くというのは色々な云われ方をするけれど、鳴かなけりゃ撃たれないのに、とか、震動する(地震が起きる)とかなんとなく警告じみています。

コロナ禍第八波というのに規制が緩くなり、在宅仕事ができなくなったことから、雉がほろ打ちして鳴いているような時間帯には、たいていの場合不在なので、鳴いている様子を耳にすることも無くなっています。日曜日でも「ドンブラザーズ」見ないし。

でもってほんとにスーパーヒーロータイムなど見ている場合ではなく、昨年一年間祀ったお札やら飾ったごぼう締めやら正月飾りやらを外して、どんと焼きというかお炊き上げをしておりました。

これの煙を浴びると一年間風邪をひかないとか云われていますが、このあと大量の落ち葉を被せられて狼煙と化しました。

 

 

みーっけ!(られた)

みーっけ!(られた) はコメントを受け付けていません

天候も悪かったし薄暮に近づいていたからまったく気がつかなかった。言っときますけど注意散漫だったわけじゃないです。

「雷蔵さん捕捉した」

という知人からの得意げなメールに添付されていたのはまさしくBLUEらすかる。いいい・・・いつのまにっ?

いつのまにって、学園都市に出かけていた日くらい覚えているので、いつだったかはわかってますが、悪いことはしちゃならんてことですねえ(してねーぞ)

松が取れちゃいますけど昨年のアレの続き

松が取れちゃいますけど昨年のアレの続き はコメントを受け付けていません

「鳩サブレ―じゃないけど」と、焚火忘年会の折に新月さんが買ってきてくれた『天一せんべいのジャンボ煎餅』です。鳩サブレ―の一件はこんな顛末でした。

既に関東では松飾を外す頃合いですが、この時期はどうにも書くことの多さで時系列展開が遅れ気味です。

 

しかしこの煎餅を見ていて頭上に電球が灯りました。

一枚からでもオリジナルの絵柄で表面に印刷してくれるという天一のサービスに乗っかり、ESCLEV20周年記念煎餅なんか作ったら・・・

「バキバキに割られちゃうじゃないの」

「もったいなくて食べられないんじゃないの?」

「そもそも需要がありますかねー」

手渡した後のことなんかこっちの知ったことじゃないんだよ!

始まっちゃうぞ2023年

始まっちゃうぞ2023年 はコメントを受け付けていません

三が日も仕事に明け暮れた人々に比べれば、人並みに年末年始を過ごせたのはありがたいことでした。2年間上がれなかった裏山の本殿にも、喪明けの初詣ができました。

二十代の頃は仕事始めの年賀行事のために出社した後、夕方の新年会まで時間つぶしと先輩社員に連れられロードショーなんか観に行ったものでしたが、今はそういう風習は無くなってるようです。

霰は大晦日前から六連勤の中日が元旦。霙も3日の夜には赴任地に出かけて行きました。以前は俺がそうだったんだよなあと思えば、単身赴任と東日本大震災が前回の卯年でしたよ。

卯年は跳躍するウサギにあやかり景気が上向きすると云われています。ほんとかなー?という気分ですが、ひとまず本年、867000kmから走り出します。

二兎を追う者は一兎をも得ず

二兎を追う者は一兎をも得ず はコメントを受け付けていません

新年おめでとうございます。という割にはなんかこう、これ使っていいのか?の表題にしました。なぜかというお話をだらだらといたします。

本年、スズキエスクードは誕生35周年を迎えます。どこかの雑誌が昨年と勘違いして既にそんな記事を見てしまっての2023年は、まあいいや、ESCLEVの創設20周年も同時に進めれば。などと二兎を追おうとしたのがいけなかった・・・話ではありません。

1988年にエスクードがデビューした後、当時群雄割拠していた四駆雑誌はこぞってこれを取り上げてくれました。そのなかで、あまりにも専門的に評価され、乗用車然とした四駆の中途半端さも示唆されたのですが、4×4マガジンにおいては「スズキは二兎を追いかけ丸々と太ったウサギを手に入れた」と書いておりました(確か同誌だったとあやふやな記憶)

デュアルパーパス性能のどちらに重きを置くかで、ゴリゴリのクロカン四駆テイストは薄まっていかざるを得ませんが、結果的に昨今のSUVのクロスオーバー性を35年も前に提言し、記憶に残る1台を作り上げたと言えるわけです。これぞまさしく一挙両得、一石二鳥の逸話の始まりでした。あっ、そっちを表題にすればよかったのか。でもことしは卯年なのでそうもいかない。

そうは言っても、ゴリゴリでなくても往時のクロカン四駆から四代目のハイブリッドまで、世の中に翻弄され、時代の先取りを模索しなければならなかったエスクードは、三代目以降少しずつユーザー間の「言葉」も通じなくなってきました。初代なんてイメージでしか知らない人々が多数です。どことは言いませんがヒルクライムレース用のマシンをサーキットに持ち込んだからと言って、エスクード自体はあんな扱いに耐えられる四駆ではありません。だいたいがスズキのエンジン積んでいないし。

ハイブリッドへの移行時、世間では一時期廃盤などと揶揄しているけれど、あれはメーカー側の戦略ミスだと感じています。ブランド自体が35年続くという慶事は、やはり讃えるべき出来事だと思うのです。事程左様に二兎どころかあまりのマルチパーパスな舞台にわたって走っているのがエスクードのブランド力なのです。

 

 

 

hyvää uutta vuotta

hyvää uutta vuotta はコメントを受け付けていません