いよいよ売り出されました「かきもっち」「たがねもっち」。いや実際にはかきモッチ、たがねモッチとして以前から売られていたのですが、今年度からラベルがつけられ商品アピールに力を入れております。
このラベルデザインが、霙の提案。長年、つくばーどに遊びに来ていただき遊んでくださった皆様のご指導の賜物です。
というわけでこれはEレイドに加えねばならないし、そのうち買い出しトライアルでもやっちゃおうかねとか、馬鹿親は親ばかなことしか考えておりません。
いよいよ4月から社会人の霰は新潟から帰省後、自分自身の慣熟運転や健康診断やいろいろ気ぜわしく動いているようですが、霙を伴って、自宅から会社までの通勤ルート確認と所要時間調べもやっています。
高速を使えば降りたICから5分程度の場所にある勤め先の本社ですが、高速を使ってはならぬという場合を想定し、道の状態が良くてそこそこ距離も短いルートの熟知は必須です。
この、そこそこ短い距離は曲者で、カーナビが指示する最短距離では確実に渋滞スポットを二つみっつ通過しなくてはならない。土地の人間ならではの抜け道をつなぎ、さらに曲がり角も少なく(笑)、覚えやすく時間の読みやすいルートを地図上で説明しました。
実はそのルートは、霙のお友達が独り暮らししているという街を通過するもので、霙には既に教えてある道順。だから霙が助手席に乗り込み、会社までの往復を補佐したのですが・・・
ま、本社勤務かどうかわかんねーしな。
無頓着に使っていたら初の燃料残量警告灯が点灯し、トリップカウンターを見たら650キロ。うわわ・・・エスクードじゃこの距離まで無頓着には走れないわー。
給油したらば26リットル入りました。おそらく満タンにする際給油口パイプまで使ってのこの数値でしょうから、まさか残り1リットルで警告灯ってことはないと思いますが、26リットルで満タン法計算してもリッター25キロ走ってました。
仮にタンクから給油口までの管の容量が1リットルだったとして、それで計算し直すとリッター26キロ。むむむ、なかなかカタログ燃費に届きません。いずれにしても、残量どれくらいで警告灯が付くのか調べておかないと危険ですな。
ここまでで積算走行距離は1000キロを越えました。慣らし運転は完了ということで、名義人様に正式に引き渡しです。
一昨日の晩、このブログに自分自身がアクセスしにくくなるという現象が起きて、さすがにデータ通信カードの速度も旧式化したかなあと思っていたのですが、昨日の朝になってサイト統計情報を見たらば「河鹿沢温泉」という内容的にはどうってことない過去記事に異様な数のアクセスが集中していたことがわかりました。
まあ異様とは言っても三桁台ですけど、これが昨夜も続いた。
普段だと月に一人か二人、この記事を読んでいる人は今までにもいらしたようですが、この二日間で赤丸急上昇の閲覧数。何が起きたのよ? といろいろ考え様々調べ(ひま)、一昨日の夜に衛星放送枠において「海街diary」が放送されていたことに突き当たりました。
えー・・・だって河鹿沢温泉のあづまやがどこにあるのかという話は、もうさんざん紹介されているだろうに。なんでロケ地探訪サイトに行かないのよ? というのが謎です。
しかもうちの記事では、わざとその肝心な部分を書いてませんから、読みに来た人は頭に来たんじゃないですかねえ。
ところで映画でもこのアングルで宿を見下ろすシーンが出てきて、ここに至るまでに幸田次女三女姉妹はとんでもない近道を歩かされるのですが、その山越え道はこの写真右手の、宿の前の樹木の中だったりします。実は全く逆方向に歩いている。
ちなみに、この一週間で、ここまですごいヒットではないけど「運がいいとか悪いとか・・・」という記事も結構な検索数になっていますが、これはWOWOWで「NEXTGENERATIONパトレイバー 首都決戦」がかかっていたからなのでしょうね。だけどパトレイバー映画の記事になんでこんなタイトルがついているのか、わかる人いないだろうなあ。
なにはさておき。おいたマンさんとかlooplineさんとかふっじいさんとか、出没するたびに駆けつけてくださりお世話になりました。
学士の免状やるから出て行けということで、無事に大学を卒業できた霰は本日、新潟市のアパートを引き払います。
実は新潟市って、僕の祖母方と家内の祖父方の双方にルーツがあり、僕の方はすでに縁も途切れていますが、家内の実家はまだ家内の亡父のいとこ会などでつながりがあるようです。
家内の祖父は太平洋戦争で亡くなっています。徴兵を受けるまでは単身上京して二十代のときに飯田橋から九段下あたりの(どうも今のエドモントホテルの近所らしい)で「萬代自動車」という整備工場を興して、シボレー専門、主に消防自動車等の需要があって修理整備をやっていたそうです。
この店名が、新潟の萬代橋から持ってきたもの。最盛期は20人くらいの働き手を雇っていて、態度が悪いとハンマーかスパナで殴りつけられたと、家内の祖母が生前よく話していました。
おいおい・・・なんかそれって本田宗一郎さんみたいじゃないかよ。
「そうよー。一つ世の中が違っていたら萬代自動車が本田技研工業のライバルになっていたかもしれませんのよ。あたしなんか創業者の孫で旦さんとなんか出会ってないわよー」
などと家内は大歩危をかますわけですが、家内の父親はこのような仕打ちを受け家業を継ぐのをいやがり家出までしたそうで、祖父も戦地で亡くなり店は空襲で跡形も無くなり祖母の思い出語りだけが残されています。
あー・・・話が脱線しましたが、霰がなぜか民俗学を専攻して僕や親父の郷である天狗の森の修験道行事から始まる「悪態祭り」を卒論に選んだかは、このような、一族の歴史にまつわる伝承の消えかかった様を再度記憶しておきたいという願望からだったそうです。
「お父さんが新潟で見つけた居心地の良い喫茶店ね、あれ閉店して別の店になっちゃったよ。たった4年でそれなんだから、ほっといたら家の歴史なんて誰も覚えていなくなるよ」
いやはや恐れ入りました。鳶が鷹を(俺なんか産んでないから鳶以下)というか、そういうことを考えながらの新潟暮らしだったのかと。残念ながら家内の祖母も父親も故人ですから、萬代自動車奮戦記を発掘することは叶わなかった。その分うちの親父はまだ、しかし昔語りのできる最後の体験者ですし、僕自身も祖父母かなかなりの情報量の悪態祭りと天狗の森の話を聞かされていたので、それらを霰の意志が一家総まとめしてくれた感があります。
学士課程で2500人近くいたと覚えている入学時、「これから長い4年間だねえ」などとつぶやいていた僕のお袋が夏前に亡くなり、その夏にBLUEらすかるが500000キロを越え、続いて普通免許を取得した霰でした。それが2014年の大まかな出来事。
でもって専攻する民俗学実習レポートの提出が「先週まであった」という、なんだその馬鹿みたいな真面目な大学生活。も、無事に卒業させてもらえるようです。
六華というのは雪の結晶をモチーフにした新潟大学の校章のこと。
あ・・・おれ、亀みたいだなあと思ってたけどそれは今さら言えないね。
そういやーやはり2014年の3月、霰が高校を卒業した頃(左図)って、僕TD94Wに乗ってましたね。振り返るといろいろあったんだなあ・・・
まー大学の卒業式なんて親が出ていくようなもんじゃないから、僕は明日、回収に行きますわ。4年前に南三陸で追突され3月末まで入庫していたBLUEらすかる、霰を新潟に送り込むときには復旧し、現在は680000キロまで来てます。
部屋を埋め尽くしていたお袋の趣味の洋裁用生地や実際に作られた服などに絞って、市内の清掃工場にある一般廃棄物の処分ヤードに持ち込むため、BLUEらすかるとオジロの後部座席をたたみ、収納されているプラケースごと積み込みました。
BLUEらすかるは7箱搭載でき、やろうと思えば助手席に2個重ねられたけれど安全を考慮して1個。とりあえずルームミラーから真後ろは視界確保できています。
さてオジロですが、するっと6箱積んでしまいました。しかも若干の空間が残っており、プラケースは無理でも段ボール箱なら1個(写真の左端)押し込めました。
げげっ、昔、エスクードでは冷蔵庫が載らず、奥方のフェスティバで運んだ友人に話を聞いていたけれど、箱の数でハスラーに迫られてるし。しかも袋詰めものならまだまだ載るし・・・
大ナタを振り下ろして古い車雑誌をどんどん処分していく中で、
「なんでこの記事がESCLEV カテゴリーなの?」
と思った方も少なからずいらっしゃるでしょうが、そのわけはこれです。「W.A.Y」のバックナンバーが、奇跡的に一冊だけ残っていたのです。この雑誌はスポーツジャーナルが発行しながらも長野市に編集部が置かれていた信州の観光情報とツーリング情報誌という性格の、しかしタウン誌というか・・・となると茨城県で購入できたのだからそうでもなく、毎号買えたかと言えばまた手に入らないこともあった雑誌でした。
編集部が取材車両として使っていたのが表紙に出ているTA01Wです。でも時々、色違いのハードトップが記事中に登場していて、それらが社用車なのか編集者個人の所有だったのかは今となっては知るすべもありません。が、よく見ると白い方は長野ナンバーだけれど青い方は浜松ナンバー。どうやらスズキが貸与していたようです。
W.A.Yと書きますが誌名は「ふぇあ~ゆ~」。これが茨城の書店では通じなくて、見つからないとき取り寄せに難儀しました。でも観光情報どころか林道案内から抜け道まで網羅していたという、当時としては画期的でありがたい一冊でした。休刊もあっという間でしたが・・・
そんなわけで、情報誌としてはもはや何の役にも立たないけれど、
霰が帰省してくるため部屋を一つ空けなくてはならず・・・ならずってなんだよ、なんですがこれまで霰と霙は同じ部屋で育ってきたのです。数の上では、僕が使っていた部屋があるからいいのだけれど、ここがお袋が生前自分の趣味で縫った着物やら洋服やらそういうモノづくりのための生地やらが押し込められてドアを開けるのも危険な状態でした。
しかしそこを掘削するしかないのだと、娘らは突貫で作業し・・・
えっ、俺のもあるの? と突き付けられた箱がどれもこれもやたらと重い。重いということは間違いなく雑誌類です。往時の4×4マガジンだとか4WDFREAKだとかOFF-RОADSPIRITSだとかOUTRIDERだとかCARGRAPHICだとかが、まあ古本屋を開けるには至らない程度に発掘され、
との厳命。泣く泣く(笑)エスクードに関する記事掲誌載分を残して廃棄としたわけです。
で、その中から出てきたのが80年代最後の頃の4WDFREAKのこんなページ。マッハ号だの追跡戦闘車だのターボレンジャーのターボジープだのエクシードラフトのスクラムヘッドだのという夢の空想四駆を毎号一回紹介していたのですが、そんな四駆雑誌ほかには無かったわなあ。担当ライターが元アニメ雑誌編集者だったらしいので、あー、あそこから異動させられたのかこのライター。と行間も読める不思議なコーナーでしたが、
という顛末と相成りましたよ。
だからといって霰が落語をしゃべくってきたわけではありません。4年間研究し卒論にまとめた、あの悪態祭りの中から、天狗と地域村落の歴史について20分、論文要旨を発表したのであります。相手は学会員ですから民俗学の学者でつわものぞろい。あとで聴いたら、霰自身が資料として読み解いた書籍の執筆者もいらしたとか。まあそんなところへ学生が出て行ってしゃべくるのは、素人の落語並みです。
発表を聞いていて「あれっ?」と感じたのは、かなりテーマを絞って高レベルにまとめてきながら(実際、おぉそうきたか、とは思った)、そも悪態祭りの悪態とは何なのか。もっと紐解けば、あの行において悪態をつくのは民衆で、天狗は権威を持ちながらも悪態をつかれる側という構図があり、双方にとってなぜ悪態が介在するのかについて、論旨の中からその部分が欠落していたのです。
霰によると、その部分は持ち時間内に収めるためにカットしちゃえと、担当教授の指導が入っていたそうですが、案の定発表後の質疑応答でそこを突っ込まれていました。でもって持ち時間がどうだったかというと、霰はそもそも早口な方なので、2分ちょっと余っていたという・・・
その辺はもう後の祭りなんですが、2分あったらカットしなくともまとめきれたよなあ。と思いながら3人分の発表が終わり休憩時間となって会場の外へ出たら、霰はまだ参加者につかまって捕捉の説明に質問の追加で、さらなる攻防を強いられておりました。
人気者で良かったじゃん。