暦の進行ではそろそろ春が始まるらしいですが、それは北緯三十九度より南での話なんじゃないかなあという気がします。つくばーど基地でならば梅のピークも過ぎて、ことしは裏山の一番桜もかなり早く開花していますが、仙台はまあ、まだ地中から虫たちが起きだしてくる気配はありません。こっちに来て七回目の啓蟄を迎えますが、東北住まいになってから街にいて虫(主に蚊)に刺されることがなくなりました。林道にいるとその限りではありませんが、その林道も今年はあちこち崩落しちゃってるんだろうなあ。
そりゃまあ26年も連れ添うわけですから澱むときも激流のときもあります。結婚のことについて具体的な行動を開始したのが、もう30年前になります。が、のんびり進めていたらその翌々年に祖父が鬼籍に入ってしまってこれがいきなり中断。よそのことは知りませんでしたが我が家だと少なくとも1年は喪に服すという家訓があったようなのです。それで宙に浮いた時間と預金を89年式のヘリーハンセンに使ってしまうという超ウルトラスーパー大馬鹿者だったにもかかわらず、愛想を尽かさなかった家内には感謝です。
うちの話はどうでもいいとして、ここ何年か連絡を取っていなかった友人から「そんなわけで結婚しました」というメールと共に、真っ白なタキシード姿と満面の笑顔の写真が送られてきました。てめーこのやろー何をにやけてんだーっ(おいおい)という笑顔がうなづける、これまた真っ白のウエディングドレスのお嫁さんが美しい。
川面はよほどのことが無ければ流れを逆にすることはありませんが(皆無じゃないことは縁起物の話なので棚上げね)、するっと四半世紀とちょっと、自分のことを遡らせてくれるメールでしたね。
その数日前、ずいぶん前に大阪に嫁いでいった友人と、やはり何年振りかで電話の対話をしておりました。その何年の時間、いろいろなことがあったそうですし、あれほど愛でていた嫁入り道具のクルマも手放したとのことですが、ご夫婦は仲睦まじく、彼女自身の朗らかさも変わっていないのが何よりでした。
翻って我が家。家内と最初に出逢ったときよりも、いつのまにか娘らがその頃の僕らの年齢を上回りやがりましたよ。聞かれましたよ馴れ初めについて。ちゃんと申告しましたけどね、その頃付き合っていたのは別の女の子だったのだよと。でもね、結婚記念日に寄り添うのは1人なのだよと。
大学受験やら国家試験やらなんとかとかんとかのライブコンサートやらが同日開幕という福岡市で、受験に臨む人々がちゃんと宿を確保できたのかどうか心配ですが、こちらはこちらで「月末から3月末まで土日なんか無いからね」とスケジュール表に恫喝され、福岡に出かける野望の見通しが立ちません。本日と来週末はたぶん、宮城県の川っぷちで寒風にさらされ「ばかやろぉ」と叫んでもきっと聞こえない状況でしょう。
福岡へ行くって何しに行くのかは、まあ黙っててもバレバレですから黙ってますけど、俺って以前飛行機に乗ったのがその福岡に出かけたとき以来という「いつの話だ」な出不精だったようです。しかもその間、新幹線はおろか鉄道に乗ったのが3回くらいですよ。船は・・・気仙沼でフェリーに乗っているのがもう奇跡のような出来事です。
どんだけ東北に閉じこもっているのかと思われちゃいます。これを打破せねばならない。ってことで、5月半ばから下旬くらいにどうにかしたいと思い立ち、膝までは打ちましたが先方の都合をまだ聞いていなかったよ。
大宰府へは春、いずれにしても春・・・に行きたい(5月ってまだ福岡は春でいいの?)
まあ経費では落とせないね
「南部スナック 南部煎餅 煎ベイジャー」
と、販売元は言っていますが「南部スナック 南部煎隊 煎ベイジャー」とも言っている。いやまあどっちでもかまいませんけど、コンプリートボックスで買ったら煎ベイジャーロボまで描かれているご当地スナック。
ベイジャーって・・・やっぱり煎餅者ってことなんでしょうか?
「ダー」だと悪役っぽくなっちゃうし(それ以前に訴えられるかもしれないし)、「ボイ」じゃあ語呂が決まらないし・・・
GIRLS & WASHER
勇気あるイノベーション
かつてバンダ星人は自分の星の資源を使いつくして他の星系にロボットを送り込み、その星の資源を奪取しようとしました。地球においては自動車が大量に狙われ、おそらく鉄部材を強奪されましたがそれはウルトラセブンのお話。もしも自動車に金属製品が使えなくなったら地球人が同じことを考えるのか? という喩えは「刹那」というコンセプトカーの誕生に持ち込んでよいものではありませんけど。
それでも「鉄がだめなら木を使う」という流れだけを切り取れば、地球人は少なくともバンダ星人のようにはならなくて済みそうです。もちろんこのプロジェクトはそういうところから生まれたものではありません。「単純な利益だけでなく、思いがこもった家族の車が存在し続ける」という、世代を超えて使われる、いわば箪笥にも似た家財道具としての自動車のありようを考え、そのことが設計者のものの考えにもイノベーションを与えるかもしれない可能性を論じているのだと感じます。
記事では触れられていませんが、この自動車はしかし産業として見た場合川下の産物。もしも量販化に結び付けていくなら、こうした部材の加工技術者を次世代に向けて育成し職人の層を絶やさない使命を帯びるし、万が一世界的なムーブメントでも呼び覚まそうものなら林業自体を絶やさぬ努力が必要。それを怠れば資源の枯渇と温暖化を避けられなくなり、下手をするとバンダ星人と同じ顛末が巡ってくることだって無いとは言えない。
だからポジティブに考えると、川上の産業まで循環させるという大きな流れを内包しているように感じます。それでも、自動車は内燃機関から脱していくようでいて、電気の力に頼らざるを得ない部分を、「刹那」でさえ宿題として残しているのです。一見クリーンなはずの電気自動車の電気はどこでどのようにして作られているのか。そこまで言及したらあまりにも夢がないんだけれど、トヨタがやるならいつかはそこまで踏み込んでほしいなと思います。
航続距離100キロくらいのゼンマイ仕掛けって、どうにかしてできないものですかねえ。この「刹那」だったら、最大30キロでもいいような気がするのです。







