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  ~懲りない傾向~

還暦の超人

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連載は少し前に遡りますが、なぜ今「8マンvsサイボーグ009」なんだろうと思ったら、この単行本発売が「8マン」連載から60年めの節目だったと。

原作者同士が「幻魔大戦問題」で仲たがいした時代はもう過去のことのようです。8マン自身もどちらかと言えば不遇の作品でしたから、フラストレーションをひとまとめにして回収してくれた感があります。

この漫画に関して脚本を書いた七月鏡一さんは、二十年近く前に8マンそのものの続編にあたる「8マン インフィニティ」の原作も手掛けていました。平井和正さんとの親交も厚かったそうですが、009世界との融合をうまく構成し、「8マンとしての大団円」も描いています。

なんだっけか、デビルマンとコラボさせた馬鹿アニメ企画がありましたが、それよりずっとましな009でもあります。

なんだよジブリの奴ら印刷代も無いのかよ

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などと空賊連合に云われていそうです。

製作委員会システムではなく多分ほぼ自腹で作った映画のようですから、真っ先に削るのは広報・宣伝費でしょう。そこを逆手にとっての、パンフレットもすぐには出しませんよという秘匿性の裏側にあるものは、ポルコ・ロッソ風に言わせれば「俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえよ」なのかもしれません。

遡れば『天空の城ラピュタ』のときに「人生で最高に引退したい気分」、『紅の豚』で「アニメはもうおしまい」、『もののけ姫』の際に「100年に一度の決意。これを最後に引退」、『千と千尋の神隠し』において「引退してシニアジブリを立ち上げる」、『ハウルの動く城』でも「ここ数年で最高の辞めどき」、『崖の上のポニョ』に至って「体力的にも本作が最後の長編になるだろう」と言い続け、前作『風立ちぬ』の口上が「出来は上々で申し分のない引退のチャンス」と、まあまあオオカミじじいを続けてきた監督ですが、それから10年経ちました。なんかこう、主人公に感情移入しにくさを感じたのだけれど、こういうこと(観に行く予定の人は見ない方がいいよ)だったかららしいです。

「これって、描きたいことだけ描きなぐってあとはもうこれでいいやっ。てシーンを繋いだ感がありありだなあ。その気持ちはわかるけどね」

と、霰は申しております。

なんと言いますか、エールを贈るのだとしたら、次は「なあに軽いもんよ」とか「尻の毛まで抜かれて鼻血もでねぇ」などと照れ笑いしてほしいところです。

紅の翼 の日

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7月18日は、誰もそんなこと言ってませんが「紅の翼」の日なのです。見ての通りの「マジンガーZ対デビルマン」が1973年のこの日に封切られ、元祖かどうかは定かでないですが、紅の翼と呼ばれるジェットスクランダーが登場しました。奇しくもデビルマンの飛行能力であるデビルウイングも、紅で色付けされています。映画自体、画期的な企画でした(でも12月発売の50周年超合金魂は買わないけどね←高くって買えんわ)

さてこの日から数えて19年後の1992年7月18日。大恐慌時代のアドリア海を飛び回る「ただの豚ではない豚人間」の映画が封切られました。賞金稼ぎポルコ・ロッソが操縦するサボイアS.21試作戦闘飛行艇は、まさしく紅の翼です。だって「飛行艇時代」でも修理明けのときにそう言ってるもん。そんな理屈で、同じ日付で紅の翼が三つも飛んでるんですから、この日は誰が何と言おうと「紅の翼」の日なのです。あー、異論は認めます。

あらがう術はわが手にはない

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今年に入ってから何でなのか2016年の6月に書いた「哀 生命の哀」がやたらと検索ヒットして閲覧数が日に二桁という珍現象が続いています。

記事リンクするとまた数字が上がってしまうからブログの方は貼りませんが、何を描いているかというと「クラゲの中にはまってしまった魚」のフォトグラフ紹介をリンクしたものでした。そっちはもう一度リンクしておきます。

この写真を見て、「これはまるで『フリージーヤード』を展開したゴッグ」などと喩えたのがいけなかったようで、「フリージーヤード」を検索してうちに来る人が大勢いらっしゃることがわかりました。一応、その装備に関する解説は手短ですがだいたい正確に書いてはありますけど・・・

そうじゃないんだよっ

などと叫んでも抗う手立てがありませんよねえ。

斜陽の人とは思い難く

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時系列で言えば1935年(第2作目)から考古学者にして冒険家を続けてきたインディアナ・ジョーンズ博士は1899年の生まれで、本作「と 運命のダイヤル」でとうとう70歳にまで年を経てしまいました。それであれほど追いつ追われつ殴る蹴る殴られ蹴られるんだから、斜陽などとは言えないほどしゃきっとした爺さんです。でも、本作の1969年においてはたっぷり夕陽を背負ってしまった姿も垣間見えるのが哀しい。

第1作の「レイダース失われた聖櫃」が1981年ですから、観ているこっちだって歳くってしまいました。老いを自分と重ね合わせてしまうのも辛いけれど、あんな目に遭ったらまあ「クリスタルスカルの王国」まで俺なんか命がもたないわのスーパーマンが、ジョーンズ博士です。前作では珍しく、スズキが三代目エスクードのCМキャラクターに登用したことも思い出されます。

今回、「は?」と思ってしまったのが、「INDIANA JONES and the DIAL OF DESTINY」というタイトル。いやこれは2作目以降今まで通りの文字列を踏襲しています。が、邦題が「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」。and theをわざわざ「と」として表しているのがなんとも違和感ありありなのです。

つまりそれは、ジョーンズ博士にとって重大なエフェクトをもたらす物語ということで、これまでのように単に探求し手に入れようとした「物」とは異なる位置づけなのだろうと解釈したのです。が、もういい加減にしろやと言いたくなるほどチェイスと格闘シーンの長いこと長いこと。比重のとりかた違うんじゃないかと。あるいは「倍速で観られることを想定してのバランス」?

もうひとつ、設定のインフレだなあと感じるのは、前作で次元を超えた異種生命体なんかが出てしまったことから、それを超えようとするとインフレも強まるジレンマに陥り、それならそれで博士が弱気に陥った状態で運命と向き合う部分にもう少し尺を割いてもいいじゃないかとは思いました。

昔、5作目は日本が舞台になるらしいというニュースが流れたこともありましたが、話自体が流れてしまったようで、このへんのことを逡巡すると、やはりジョージ・ルーカスがウォルト・ディズニー社に版権諸々を売却し、スティーブン・スピルバーグも今作ではプロデュースに引いているという、別なところが作ると雰囲気も変わってしまうのだと痛感しました。

面白かったけれど、楽しくはなかった。

逃して悔しいから2度目の30年だ

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「戦闘メカザブングル」は、1982年の放送で、30年目だと取り上げるのをすっかり忘れていました。なんだかもううっかりとかすっかりとかボケが出ているんじゃないかのダメっぷりですが、これを再編集して劇場にかけてしまった「ザブングルグラフティ」は、83年7月9日の封切り。

おお、間に合ったじゃないのさ!

まあ間に合ったからどうだってんだよな話ですが、間に伝説巨神イデオンがあるとはいえ、イデオンはデザイナーが異なるので、モビルスーツとは異なる大型ヒト型ロボとしては意欲作でした。しかも途中で主役ロボが交代してしまう。数奇な運命としては、この年、メインスポンサーであったクローバーが倒産してしまったことでしょうか。アイアンギアーも含めた青・緑・赤系の機体色は、約10年後に登場するスズキエスクード11系に引き継がれます(大嘘)

あつかぜいたる

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あつかぜいたる「温風至」とは七十二候において今頃のことを示しますが、雨天気でも湿度が高くて暑いねえとつぶやいてしまいます。晴れたら晴れたで温風どころかもはや熱風ですし。

熱中症や熱射病には気をつけなくてはいけませんが、それでもまあ、からっとした夏は嫌いではないのです。「温風至」とは別に、しろばえ「白南風」とも呼び倣わすような、青くて白くて明るい季節です。ニッキの枝打ちをやったので、つくばーど基地の前庭も明るくなりました。

 

 

うっかりしてたんだよ50年目だったよ

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「キカイダー01」の誕生50年(1973年5月12日)をうっかり忘れていました。それで仕方なく当時7月7日の放送日に、ジローが再登場していたので今頃の記事です。しかも再登場ですから、ジロー自身も5月26日に次ぐ2度目のお話という間抜けたことになっています。でも01とキカイダーの兄弟タッグというよりも、イチローとジローによるサイドカーでの併走シーンがもう素晴らしいのです。なんで忘れてたかなあ。

有名な逸話ですが、01用のダブルマシンは、前作でジローが乗っていたサイドカーの改造でした。ジロー再登場の際には同じものを作り直すより、キカイダーとして扱っていたサイドマシンの方が絶対に価値がある。と、サイドマシンのベースになった車体のことを考えてもそういう流れがあったのだと思われます。だから左図のようなことはあり得ないんですが、僕は3台のどれが好きかと言えば、サイドカーのベース、カワサキ250SS・マッハⅠなのです。

寝た子は起こすな

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五年前に「遊星より愛をこめて」という駄文を書いて、誕生五十年目における「ウルトラセブンの欠番話数」についての持論を残しました。五十年という節目においても欠番が解放されることはなかったので、五十五年目なんて実は半端な年回りにこんな記事が書かれたところで何ほどのものかと思うのです。過去の経緯も展開もひっくるめて、円谷プロダクションが示した答えと姿勢に対して、外野がガタガタと語るなと。

制作者の良心と思いやりという角度から見ることで、欠番の物語は逆に番組そのものに深みを与え、映像ソフトにも再放送プログラムにも「加えられない」こと自体がウルトラセブンの歴史であり、メッセージとなっているのです。不謹慎を恐れずに言えば、あの話にはウルトラマンの「故郷は地球」、帰ってきたウルトラマンの「怪獣使いと少年」ほどのインパクトはない。むしろ物語に登場した宇宙人の設定と容姿を、思いやらずに二次引用した雑誌に要因があった。

今回の記事はその展開を記し、何が起きていたのかをあらためて紹介したところに評価を差し上げられるけれど、寝た子は起こさないでという思いの方が勝ります。あくまでも個人の感想ですが、封印が解かれるための議論も運動も無くていい。その日は来ないことの方が、ウルトラセブンを作った人々の品格と責任感を素直に受け止められます。

トランジスタラジオの時代

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知らずに過ごしていて驚きましたが、ラジオDJを題材とした漫画って、引用させてもらうサイトによれば27作品もある。最近手を染めた「波よ聞いてくれ」以外、まったく読んだことがありません。

で、このリストにすら無い、無いのも無理はなくドラマ自体が「放送局」でテレビもラジオもひっくるめられているからの「スタンバイOKで~す」を屋根裏から持ってきました。

「はいからさんが通る」の大和和紀さんが、それよりも前に描いた短期連載物で、単行本が出てからはや半世紀です。3人の女子大生がそろって放送局に就職し、1人は庶務、1人はテレビニュース、もう1人がラジオパーソナリティーになっていくラブコメで、僕が読んだ最初の少女漫画でした。70年代前半は、FM放送よりもAМ局の深夜放送に傾倒した頃で、地元茨城のIBSなどはローカル局でありながら人気DJを多数輩出する、聴いていないと翌日の話題についていけない(小学生がだよ)ひとつの文化でした。

そんな時代に同級生から貸してもらった少女フレンドに載っていたこの漫画が、当時妙に琴線に触れましたが、今になって強引に「波よ聞いてくれ」に結びつけようとすると、大和さんが札幌の出身だということ。「波よ~」の作者である沙村広明さんは千葉県出身で70年の生まれだから、この漫画をご存じかどうか不明ですが、札幌舞台のラジオ局というキーワードが、細い線で「スタンバイ~」と触れているような気がします。