あおちゃん強奪して新月サンが向かった先は
京都(笑)
暫く前から、一度くらいご挨拶に伺わねば
と言っていた取引先へ。
新幹線の方がラクなんじゃ?と思ってたら
帰りに滋賀の取引先にも寄るつもりだったようなので
まあ、車の方が移動はスムーズなのか・・・
行き帰りほぼ高速道路なのでACC使いまくって身体は
とても楽だったそうです。
長く昵懇にさせていただいている大洗町の「旬彩きくち」さんもことし開業三十周年を迎えました。確か僕は開業三年目あたりから通っているのですが毎週のように顔を出すような常連でもないから、顔と名前を覚えてもらっているだけありがたいと言えばありがたいことです。クオリティを維持しながら諸々値上がりの時代、見るところを見ると結構苦労しているんだなあとも感じますが、ここ数年他府県ナンバーのクルマが増え、午前中から予約でいっぱいの繁盛ぶりです。
この時期ですから鮟鱇鍋を求めてやってくる客が絶えません。大洗の鮟鱇鍋は、味噌味付けに工夫を凝らしているので海辺でよく振舞われるどぶ汁を踏襲しながらも見た目とは別に洗練されているのが人気なのかもしれません。鮟鱇というと八戸や下関の漁獲量が国内随一ですが、なぜか茨城もトップクラスで昔から鮟鱇鍋なら茨城と銘打たれています。それにしてもきくちの大将もだんだんとお年を召してこられた。また新たな十年を頑張って過ごしていただきたいです。
森永製菓が制定したという「ホットケーキの日」が1月25日で、その由来が「1902年 1月25日に北海道の旭川気象台において日本の観測史上最低気温(-41.0℃)を記録したことから、寒い時期にこそホットケーキで温まってほしいとの願いを込めて」だと、そこら中の雑学サイトがまたぞろ異口同音なんですが、「それっていつ制定されたの?」という疑問に答えてくれるところがやっぱりありません。肝心の森永製菓も取り次いだ日本記念日協会もそれを記していないのです。
記念日申請の理由がなんとも破天荒な話です。が、森永製菓はノリが良いというか責任感がありまして、2019年に現地にて実証実験もやっています。ということは、少なくとも申請と制定はそれ以前に行われていたのでしょう。
僕は零下41℃もの寒さは経験がありません。仙台赴任時代に一関と気仙沼の境あたりで零下20℃は体験しています。その倍の寒さにあやかり、ホットケーキと同日に制定されている「中華まんの日」も、屋外で食おうなんて気にはなりませんわ。確かに何か胃袋に入れれば多少の熱量にはなると思いますが、この明治のこの日の前日、あの八甲田雪中行軍遭難事件が起きていまして、その際の外気温が零下20~25℃だったというから、やっぱり食うなら屋内にしといた方が無難です。
ATAGО FORESTHOUSEで来月の「つくばーど®in天狗の森04」について打ち合わせに出かけたら、知らぬ間にチーズケーキがメニューに加わっていました。あの狭い厨房でよくこれだけ色々な献立を作り出せるなあと感心します。1ロット2ホールで24ピースが限度だそうです。この日は柚子ジャムが使われていましたが、柚子は使い切ったとのことで、次に来るときは別のテイストになる予定だとか。このチーズケーキもなかなかの美味さです。
つくばーど®の月遅れ新年会で振舞う豚汁ですが、器が不ぞろいになります。そりゃそうですよね、一番嵩張る形状ですから、20食分同じものを置いておけない。「器持参でやりましょうか」と言ってみたんですが、そこまで気遣わないでと笑われました。
唐代の文学者であり高級官僚であった柳宗元(りゅう そうげん)が綴った「斗折蛇行」という言葉は、北斗七星のような折れ曲がる星座の配置と、蛇の進むが如くうねりを、道や川の続く様として表しています。この言葉と関わるわけではありませんが、彼もまた優秀な役人であったのに、上層部の政変で左遷の憂き目にあった男でした。
人は大なり小なり紆余曲折な暮らしを続けていますが、そのことはさておきうちのスズキエスクードTD61Wは、乗っている自分が言うのもなんですが、これほどこの言葉が似合うエスクードを他に見ない道のりを走り続けています。海外に持ち出された古い個体には、おそらくうちのエスクード並みの積算走行距離を刻んでいる物があるかもしれませんが、少なくとも日本という国内において、あと約50000キロでオドメータがリセットされるような(リセットされるかどうかスズキもわからないと言っているという)個体は無いと思います。
この個体は90000キロ直前で下取りに出された1台でしたが、二人目のユーザーとの出逢いは20年前のことです。これまた自分で言うのかの話ですが「厄介な奴に見つかっちゃったよね」の始まりが、2005年の夏のこと。そこから文字通り「とせつ・だこう」の日々が繰り広げられています。走ったし壊したし壊れたしで、見てくれ以上に満身創痍です。「斗折蛇行」と言いながらも、走らせる意志と走る力が微塵もぶれていないことだけ、この個体の見どころです。
まだまだ行先は各地に折れ曲がって所在し、そこへたどり着く道のりも未踏でうねうねと曲がっているのですが、今年も淡々と走り続けるのみです。
遅くなりましたが報告しますと、12月30日夜、急な鳩尾の痛みと嘔吐で倒れまして、県立総合病院に電話をしたら救急外来が混雑しているけれど、来るだけ来てみなさいと。雫さんに運転してもらって駆け込んでみると電話のときのピークは過ぎたのかもともと混雑していなかったのか、すんなり診察に回されました。
ここら辺の経過はほとんど覚えていませんが、あとから情報を加えると、触診とか心電図とかCTスキャンでわかったのが胆石。しかも胆道と胆嚢の接点に確認されステンドを入れて胆道確保の必要アリと。しかし場所が悪く胆嚢を傷つける恐れが出ていてそれやっちゃうと最悪重篤化と脅されたようですが、朦朧としていたのでそのまま内視鏡処置へ。
この頃すでに意識はありません。内視鏡は口から入れられたようで(マウスピース咥えていた)すがあれが体内を蛇行した感覚が無い。←干支的な表現できたよ
この一連のフェイズ進行の最中、胆石は発見場所から砕けて落ちてしまったらしく、ステンド処置も必要なく内視鏡自体も短時間で抜き取られ。朦朧としたまま病室までストレッチャー搬送され点滴の管につながれておりました。
年越しのさ中にお騒がせして申し訳ありません。膵臓も弱ってるってことで診察は続いております。
暮れの挨拶まわりの一環でFORESTHOUSEに出かけたらば、新たに「豚汁」がラインナップされておりましたよ。つくばーど®的におなじみのとん汁といえば、妙高というか新井のあれですが、こちらはあっさり系で具沢山。単品550円税込みでいただきました。これに塩むすび(別売)を組み合わせる献立も注文できます。どれくらいの量を作っているのかたずねると、1日あたりおおむね25食くらいだそうで、でもそんなに注文が出るわけでもないとか(カフェだしね)
しかし、よーく考えてみると、これは天狗の森で開くつくばーど®の出し物としてはいけるんじゃないか。「来年、時期はあらためて相談てことで20食分ほど買い上げていい?」とお願いしてきました。季節商品だろうから月遅れ新年会か我慢大会の花見あたりで考えていきます。
三国峠周辺は積雪ですが、赤谷湖のあたりはドライコンディション。尾根を北に越えて谷川岳の谷間から更に北へ行けば、藤原ではこんこんと雪が降っていたそうです。こちらは途中でぼた雪に降られて今年の初雪を見ましたが積もるほどではなかった。うむむ・・・このまま苗場まで行っちゃうか?(おめー、仕事で来ているんだろうっ)とも思ったんですが、午後の予定もあるので、みなかみ町でのお仕事を堅実に片づけ月夜野まで下るのです。
「月夜野庭」は創業者の命名、これを二代目が受け継いだ店名として「銀の月」。なんと甘美な名前であることか。ここが月夜野町であった時代に住民だった知人から「少し前に帰省したら面白いレストランがあってね」と教えていただいたものの、群馬の仕事は高崎と前橋止まりで足を延ばす機会がありませんでした。今回のチャンスを逃すものかよと、埼玉への移動前に昼飯を求めて立ち寄りですが、実は店を見つけられずいっぺん通り過ぎて戻って来てました。
自分ではとんかつの胃袋だったのです。で、「とんかつ食える」という知人の談でお邪魔したのですが、確かにとんかつもあったけれど「フライ2品を選ぶコースランチ・・・ってなんだこれ?」という献立に目がとまり、つい(おい)これを注文。揚げ物がコース料理になるのか! な衝撃の出逢いです。地産ネギと地産フィレ豚の串揚げ、鮭フライでいただきましたが美味い。ユニークだったのは豚汁かとすすったら野菜の味噌汁にフィレ肉の切れ端が入っているという構造。
食後のシャーベットとコーヒーを手に取るために箸を置いたら箸置きが三日月でした。オーナーと「お月様談義」をさせていただいたのですが、なにしろ月夜野という言葉の響きに憧れている人で、そこが同じベクトル。つくばーど基地からだと200キロくらいあるんですが、これはやられました。うわー通ってしまうのか俺・・・ でも雫さんコーヒー飲めないしなあと思ったら、オーナーの奥方が茶葉を細かく吟味するほどの紅茶党。うわーこれは確定か?