あつかぜいたる「温風至」とは七十二候において今頃のことを示しますが、雨天気でも湿度が高くて暑いねえとつぶやいてしまいます。晴れたら晴れたで温風どころかもはや熱風ですし。
熱中症や熱射病には気をつけなくてはいけませんが、それでもまあ、からっとした夏は嫌いではないのです。「温風至」とは別に、しろばえ「白南風」とも呼び倣わすような、青くて白くて明るい季節です。ニッキの枝打ちをやったので、つくばーど基地の前庭も明るくなりました。
先日、霞ケ浦までぷらすBLUEの撮影に出かけた折、眼下の水田に映り込んだ車体の周囲がなんとなく明るめに見え、そればかりか屋根上あたりから一際明るい光が伸びているように見えました。
んー・・・なんかそんな風にも見えるしそんなことはないという風にも見えてしまいますが。
ちょうど霞ケ浦の湖面対岸から太陽が昇ってきたころで、太陽光と水田の間に車がいて影を落としたことが、これの原因なわけですが、これで車のまわりに後光でも展開していたらブロッケン現象だったんでしょうけど、低湿度で霧や靄なんかかかるような朝ではありませんでした。
こういうのを無理くり大気光学現象に照合すると、「映日」がそこそこ近いのかもしれません。
今回、出発した場所が千葉県市川市だったため、往路は外環から関越道経由で上信道まわりでしたが、クルマもポンコツだし上信道から関越道までの道のりも走るのがおっくうで、ここ数年は妙高からの帰路に、十日町経由で越後湯沢から関越道へのトラバースをしています。なぜ?ってねー、寄り道しないならこっちの方が楽なんですよ。そのまま北関東道に乗り換えられるし。ただ、どっちのルートも寄り道しないと飯を食うスポットがないとう・・・
しかしです。ことしは定宿「空飛ブウサギ」のキッチンカーが上越高田のお寺の縁日に店を出すと教えていただき、そういうことならもう長岡まわりで北陸道と関越道でいいじゃん。とばかりにチェックアウトのあと高田にひとっ走り。
ガレットとスイーツで始まったキッチンカーは現在、ハンバーガーやバターチキンカレーやロコモコ丼に拡張されていました。そりゃもう美味いですよ。
というわけで本年のつくばーど®in妙高高原16.90はこんな感じです。
直近で訪ねたのが2020年の夏だったのですが、そのときは夜だったしトランスボックスの全部を見物するような時間も無かったので気がつきませんでした。しかし、異変の兆候は2010年に始まっていたようで、現在はもっと多くの怪獣影絵が消えています。今回も文化センター周辺のものしか確認していませんが、市役所側の松明通り入口にあったメフィラス星人は、現在置かれている立像案内位置図に塗り替えられてしまいました。
もっとも新しいものでは先月、交換されたか再塗装されたかのトランスボックスがのっぽらぼう。それぞれ新規設置年次がプレートで打ち込まれているので、この日見たものだけでも2015年度に更新されたBOXもありました。はてさていくつの怪獣達がいなくなってしまったのかは、案外ショックだったので数えもしなかったわけですが、トランスボックスの影絵というアイデアは外からの耳目が無かった時代に興された優れた企画だったのですが・・・
よく5月5日あたりを立夏と読んでいますが、4年にいっぺんくらいの割合で1日後ろにずれています。正確には5日の18時過ぎに立夏に移行するようです。「夏の立つがゆへ也」、なんかとっても気が早いと感じますが、夏の始まりです。鯉幟の泳ぐ姿を見て、あまり夏とは思わないんですが、子供の日を境に片づけられる場合もあるので、季節の移り変わりは何かしら身の回りで動いているようです。立夏と呼ばれるのは20日くらいまでです。
このところ雑炊続きなので旬なら鯵のたたきとか、語呂合わせならコロッケ(本日コロッケの日)とか食いたいところですが、どうも今度の胃腸炎はダメージも大きくて食欲につながるきっかけが出てきません。連休終わっちゃうじゃないか・・・
前橋市の群馬大学での仕事が完了し、帰り道に岩神稲荷に立ち寄りました。最初に群大に出かけたときに通りすがりで見かけて「何の巨石?」と思ったらその週末の「ブラタモリ」が前橋編で、ここからスタートしていました。
その放送で「浅間山の溶岩」だということはわかりましたが、前橋との距離は60キロくらいあるよ?
境内を訪ねると簡単な解説がありました。10万年前に活動開始した黒斑山という火山が長野県と群馬県の県境にあって、これが36000年前に噴火した際の溶岩塊だそうで、26000年ほど前に山体崩壊してカルデラを持つ浅間山の形が出来上がり、その際の泥流が吾妻川、利根川を経由して前橋まで流れ込み、この溶岩塊もそれに乗って漂着したものだとか。黒斑山の部分は解説にはありませんが、浅間山の最高峰のことです。
要するに前橋市の大半はそれくらい古代の泥流台地の上に開けている。後の上野厩橋(前橋藩)藩主である酒井重忠によってこの岩に稲荷信仰が付加され、岩神の飛石として祀られていると。地下に埋もれている部分も含めると、高さは20mもあるらしいです。現代ではパワースポットのひとつにあげられているようで、10月下旬から11月初旬の午後になると、御光臨が「見られる可能性がある」そうです。
黄昏どころか夜明け前なので景色など見えません。しかも3月の満月を4月に使おうという雑な扱いであるばりか、4月の満月は6日です。いやその、明日の記事には別のことを取り上げたいので、月齢14越えてりゃもういいじゃんという全く説得力のない話。歌だって「14番目の月」に収録されてるし。
この道がまるで滑走路に見えるというのは、車高の低いスポーツカーならではの描写と感じましたよ。
それでも競馬場を通過してビール工場というほんのわずかな時間差が、中央フリーウェイの歌詞の絶妙さです。東京競馬場の差し渡しは意外に長く、なかなかサントリーの武蔵野工場が現れないのです。というより、この曲が作られた当時だと、米軍調布基地は返還終了していたことや、中央道そのものが都心につながっていなくて、まさに調布インターあたりから乗り込んでいた頃じゃなかったか? などと逡巡しながら、それこそいつできていたんだと知らなかった府中スマートインターで降りたのでした。
ふりかえってこの歌詞を読むと、黄昏時に調布から八王子方面へ走るという構図は、まだ独身だった荒井由実さんのデート帰りだとイメージできて、八王子ったら実家へ送ってもらうコースだから、寄り道でもしなければなかなかにかわいらしい二人だけの時間帯だなあと思うわけです。
14番目の月はユーミン独身最後のアルバムで、その制作から松任谷正孝氏が関わっているというのも、ちょっとた縁でしょうか。