100万キロ到達したBLUEらすかるに最後のご挨拶。
ゼロ並びの立会はできなかったけど、こんな機会はそうそう
巡り合う事じゃないしと、翌日新月サンと押しかけました(笑)
いつもの席に座ってるアニさまが呆けたような表情してたのは
気のせいではなかったようで、雫サンも
「昨日帰宅してからずっとこんなよー」と心配そうでしたが。
昨日の朝からの様子とか集まった皆さんの会話とか話をしてくれて、
そのうちにいつもの感じに戻ってきたので、一安心。
バトンを繋ぐΩと、次のステージへ出発だね!
昨日の記事に、霙がコメントを寄せてくれて「これからの道行きが……平らかでは満足できないのが四駆乗りですかねえ」と言っていることに、ぐっと締め付けられまして、そこまで王道(王道なのか?)を突き進んでいるわけでもなく、「そうだよねえ。これから俺はどこへ向かうんだろうねえ」と考えあぐねるのです。いやそれはもう簡単な話で、「平らかな方が絶対に楽でいいじゃねーかよ」なんですけどね。娘が父親の心境を察するというより見抜いていることがすごいなあと。
この正月、菩提寺に年始に行った折、いろいろなお土産(返礼か)をいただいた中に、宗派のミニコミ誌のようなものがあって、各地の住職が随想しているのです。その中のお一人、北海道のえりも町にある法光寺の佐野住職が
「発心は容易いが持続することは困難である」という教えを師匠から説かれた経験談を綴っていらっしゃいました。「精進」なる、我々も結構気軽に口にする言葉は、この「発心と持続」の関係を表しているものだそうで、仏教言語ともいうべきサンスクリットの言葉における原義は「勇者たること」なんだと。「仏道を進まんとするものは、勇者のような気概を持ち、弛まず努力を続けることが求められる」とも。
げげっ、おいそれと「精進」なんてことを口にしたらいかんのではないか? と思っちゃいましたよ。でも人間、というか僕、俗物ですから「100万キロ到達なんて自慢したっていいじゃん」とかね、ものの本質を忘れて雑念まみれなわけです。そこに霙は絶妙のコメントを入れてくる。負うた子に教わるとはこういうことなのかもしれません。佐野住職はこの随想でもう一つの逸話を説いてくれておりますが、それはまた別の機会に僕自身の戒めとして紹介します。