朝、洗濯物干しにベランダへ出る私の股抜けして ぞろぞろと出ていく猫ず。 何もないんだけどねぇベランダ・・・ 格子に頭つっこんで外見てたりはしますが。 お願いだから、アサガオ齧るのは止めて。 お腹壊すだけじゃ済まない気がする・・・
「機甲創世記モスピーダ」に登場する可変戦闘機レギオスは、「超時空要塞マクロス」のバルキリーに対する真っ向勝負の設定でしたが、当時の玩具もバルキリーとは異なる変形方式により3形態を再現していました。このところレギオスの玩具がいくつか新規企画され「少年の心を持っちゃったままのおっさん」を喜ばせたりその価格で泣かされたりしている。その中で、まあこれくらいならの価格帯で出るのが「AFC-01X Ω レギオス オメガ」。またもやオメガの型式です。
ばかやろー、つい予約注文しちゃったじゃねーかよ!(笑)なこの機体は、番組で活躍したAFC-01Hレギオス エータ(指揮官用)をベースにしたカスタム機として設定され、発売元のタカラトミーでは新たに「MOSPEADA ANOTHER GENESIS」というストーリーを展開するそうで、特別試験運用部隊「SKUNKs」に配備された機体として考えられているようです。うわ・・・それって支援メカのトレッドとか赤い機体とか緑のとか続くのか?
いくらかデザインや可変方法などが変えられているそうですがちょっと待て。AFC-01X という型式は第二次地球降下作戦時に配備されたエータではなく、第三次降下作戦で出てくるダーク・レギオスのことで、ここのすり合わせどうなってるの? わざわざオメガと呼ぶならAFC-01Ωで良かったんじゃないの? と首をかしげております。
とうとう20年の歩みのスタートラインとなった日が巡ってきました。実際には5日前に陸運登録して走行開始していますが、自分の中ではTD61Wを披露させていただいた10日の方を走り初めの日としたいのです。この日はつくばーど®ではなく、E‐actのイベントとして機会をいただいています。さすが老舗です、一声かけて沢山の人々が集まってくれたのだから。本家版の当時のリポートはウェブごと無くなっているのが残念です。
前夜、突貫で作ってもらったリアフェンダーとエンジンフードのマーキングはついていますが、それ以外のBLUEらすかるアイデンティティとなるパーツは何一つありませんし、ホイールも「61専用」のままという、中古車ながら卸したて状態です。なによりノーマル車高というのがもうほほえましい。僕自身も2000cc以上の車に乗るのはこれが初めてのことでした。こんな至福の日を設営していただいたら、後戻りはできなくなったのです。
そんな最近のこと。友人が教えてくれた「X」の投稿に、三菱パジェロ乗りの人がブログの記事やBLUEらすかる年代記を取り上げてくれておりました。ありがとうございます。僕は初代エスクードのバッケンレコードを塗り替えた後は、パジェロやランクル70系の70万キロ越えという個体例をめざして追いかけてきました。地球と月の往復距離を走れたのもそのおかげだと思っています。で、今日、上州を500キロほど漂流してきました。
2012年のことですが、前日に福岡空港で借り受けたNC型のロードスターの屋根を開けて、阿蘇まで走って鹿児島や熊本のエスクード仲間と遊んでもらっていました。9月9日、陰陽道において陽の数の極とされる9が重なる「重陽」の日でした。考えてみると、僕がスズキエスクード以外のクルマを運転するのは極めて稀なことで、1989年以降他社のクルマを所有もしていません。雫さんと霙の日産、霰のハスラーは僕の所有じゃありませんし。
これ(他社のクルマを知らない)も雷蔵七不思議のひとつなのですが、それを破ることができたのは、ウエストウインの島社長のはからいによって、NCをレンタカーとして提供していただけたからでした。いやもちろん「レンタカー何にします?」「そんなのエスクードに決まってるでしょ」「あー、エスクード無いって」といったやり取りの末、モデル末期とはいえ卸したての26キロしか走っていないロードスターなんて、出来すぎでした。
「陽の気が強すぎるのは凶事」とも言われる重陽の迷信よりも、陽の気の重なりによって大勢の人々に出会えたことの方が、この日を象徴していました。阿蘇の大観峰からは遠く大分のくじゅう連山も遠望できていたと記憶していますが、この「くじゅう」は九重じゃなくて「久住」山の連峰というところが、後で知るお話。
日本の田舎に住んでいて、農耕を営んでいるわけではなく、聖書を読むこともない自分にとって、「コーンムーン」「ハーヴェストムーン」「ブラッドムーン」について深々と物語るものではないよという自覚と自戒は必要だと感じています。前二者はネイティブアメリカンの文化に基づき、三つめはそこに移住してきた人々の宗教観ですから、少なくとも僕はその受け売りをするだけのけっこう無責任なところにいるのです(結局書きなぐるのかよ)
ネイティブアメリカンの先住民たちには、いくつかの穀物を栽培する季節感と、その収穫の目安として月の満ち欠けを数えていた。北米も広いけれども、そのような文明が存在した背景には、はっきりとした四季の変化があったのだとイメージできます。インドに着いたと間違えてしまったコロンブスの大陸発見以降、支配者が変わり統括され言語もほぼまとめられて、それぞれの固有名詞を受け売りしているのが現代。だからネイティブの時代の「トウモロコシ(コーン=穀物)」「収穫」といった言葉にもおそらく、源流があるはずです。
それらを9月の満月に当てはめていった文化は、とても豊かで哲学的なものの考え方だったと思います。むしろ「月が血のように染まる」といった宗教観を自然現象に持ち込んでいく方がよほど俗っぽい。現代の我々は、地球の大気層を通過した太陽の光から、青い波長が拡散され赤い波長が強調されるという科学的な解釈を得ています。皆既月食は地球が太陽と月の間に入る位置関係で地球の影が月を隠し、その際に太陽光の分散が起きて赤黒い月面を見ることになる。「ブラッドムーン」なんてなんとも大仰な呼び方をしますが、それだけのことなのです。
昨日の夜から本日の夜明け前まで、この9月の満月は皆既月食となる軌道にあります。夜中じゅう起きていられて、空が曇っていなければこれを眺めることはできるのですが、表題の通り、僕は日頃の行いが良くないので、天候についてはこういうときに万が一のことが起きて、「自称晴れ男」の効能が奪われがちだし、そもそも起きていられるかどうかもわかりません。さきほど庭に出てみたら天気は良くて、頭上に輝いてました。肉眼ではまだ欠けはじめかどうかわかりません。
結果的に心がけが良かったのか、一晩中空の高いところで欠けていく様子を信号待ちのたびに見上げては眺め、途中かなり明るい流れ星も月を横切ったり。谷和原インターから高速道路に上がったあとは食のピークで見えなくなって、そのまま外環道のトンネル区間。湾岸線に出たあたりから地球の影は向かって右下方向に動いていき、晴海通りに降りる頃にはいつもの満月に戻っていきました。次回は来年3月3日だとか。
令和第四の「仮面ライダー」が始まるのですが、随所に過去のライダーモチーフをちりばめ、新たに変身ドライバーを襷掛けするというアイデアを投じても、世界観構築のために必要以上に複雑化する脚本はどうにかならないのかと思うと、やっぱり敬遠気味になります。ありていに言えば、この仮面ライダーはかっこいいなと、今回も感じられない。そこがもう脳軟化症で自分のせいなんですけど、興味の対象は乗ってる方じゃなくて乗り物の方に行ってしまってます。
昨今、ライダーマシンもいろいろなものに変形しますが、今回は何度目かの人型ロボットになるようで、司令塔のような役目も持たされているみたいです。あー、ついに主人公、AIに操られてしまうのか? そこは重視されないんでしょうけど、むしろそれを掘り下げた方が元祖原作者っぽい気がします。悪夢にうなされる人々の夢の中に飛び込む、という設定は、とうの昔に夢枕獏さんがやってますから。
当て字をすること自体、それが漢字であるからあまり意味はありませんが、一般的には「曲玉」(古事記による表記)、「勾玉」(同・日本書紀)と記されている「まがたま」の「まが」って何を伝えているのだろうと、長く自分の中で疑問として横たわっています。そりゃあ一番有力なのは、この独特の形に由来するものだと想像できるけれど、ならば今度はこのカタチはどこからモチーフを持ってきたのかも知りたくなるのです。
胎児の姿であるとか、頭の部分は太陽、尾の部分が月であるとか、元は獣の牙を装飾にしていたものを石によって代替したとか。これも諸説ありで由来は主張する人によってまちまちです。縄文の時代、出産された赤子がこのような姿で生まれたのかどうかはやや疑問で、ましてや胎児の形をどうやって知り得たのかがまた謎です。
それを言っちゃっていいなら、「これは列島に襲来する台風の形」でもいいよねえと思うけれど、巨大な熱帯低気圧の雲の形を唱える人はまあいないので、読み逃してください。そのように比較していって、獣の牙を装飾として用い、暮らしの糧としていた獣に対するある種の畏怖と感謝の宗教的概念が根源かもしれないという説に、最も納得するのです。牙を磨く、或いは時に災いをなす害獣のイメージも、「まが」なる発音に宿っていそうな素人印象があります。
古代の朝鮮半島の一部にも、勾玉の出土はあったようですが、糸魚川あたりの翡翠で作られたこれは、世界的に超稀少な古代文明の産物だと云われています。道教などの文様はずっと新しい時代ですから、それが伝わるはるか以前の古墳時代くらいまで、日本独自の産業が勾玉づくりを行っていたのは膝を打ちたくなる歴史。忽然と消えてしまったとはいえ、日本海側に限らず各地に「玉造」という地名が残されているように、「風土記」に移り変わった時代でもこの生業は継承されています。
6月9日も同様ですが、9月6日は、その数字の形から「勾玉の日」なのだとか。2つ重ねた勾玉は円を描き、縁結、健康、金、成功などのご利益を齎すというのは当時ものではなく、近代における付け足し。これが3重になると巴となり森羅万象、宇宙のあり様を示すというのも派生した考え方でしょう。森永チョコボールとキョロ(9と6)ちゃんの日となると、もうそれは勾玉とは関係ないですが、今日はそういう日です。