何日か前からお隣からひびいてくる、 ナニかを切ったり剥がしたりする音。 そしてウッドデッキに積みあがっていく 板と角材と断熱材・・・ 和室をDIYで畳から板張りにでも しているのかと思ったけど、剥がした 床板はどうみてもリビングのだよねぇ。 (うちと同じ床材だし)
なんでか買ってしまいました。しかも今どきBDでない。茶の間のデッキは先日BDに新調したというのに。
何故というに、BLUEらすかるの車内で夜明かし待機の際に観ようとすると、DVDでないとだめなわけです。ところがそのBLUEらすかるは長期入庫している始末。間が悪い。それでもまあ特典映像があるから差し引きしてプラスということです。
庵野秀明監督による企画では、このあと「続」がありそこから「シン・ウルトラセブン」へと発展する余地を持つ作品だそうですが、よくよく見ていると「シン・仮面ライダー」よりも物語の完結性が高いのが「シン・ウルトラマン」。それは「シン・ゴジラ」以上に、とも感じられます。
ウルトラマンの物語として何か足りないとすれば、地球人の子供とのコンタクトが一度しかないということ。我々のような直撃世代と異なり、現代の子供たちがウルトラマンに何を見受けるのかは、今後のウルトラマンの立ち位置を占う大事なファクターだと思います。
あとはあれですよね。やっぱりバルタン星人。
今回の記事は物見遊山な珍車扱いではないのでありがたいことですが、実売1348台という数字を単なる結果ではなく、どのように感じるか次第で、書き手のセンスを垣間見る気がします。
X-90は事実上、カタログモデルの登録車としてそれだけの台数販売に終わりましたが、そんなことクルマを見ればわかりきったことで、メーカーだって企業アピール分売れればいいとしか考えていなかったはずです。
そのうえでこの販売台数をどう見るかと言えば、当時売れ筋だったエスクードでやっていた特別仕様や限定車の扱いなのです。エスクードの2シータ-タルガトップの限定仕様。ってとらえたら、この台数は立派なものだと思います。しかしX-90は独立したモデルとして扱われた。それがこのような結果につながっているのです。
ただねー、これを買ったか買わなかったかで振り返れば、翌年に霰が生まれるような環境だったこともあって、とてもじゃないけど手は出せませんでした。その後茨城県内では数台の個体を見かけ続けておりました。霙が免許を取った頃、近くの中古車販売店に25万円で黒いやつが出たのが最大のチャンスでしたが、あいつはなにしろフィガロ一択でしたからこれも実現せずの我が家です。
たまたまワイドショーで観ていた庵野秀明さんの「30数年ぶりに計画が無くて白紙です。少しお休みしたいな」という内容のコメントに対して、ネットニュースではテレビで放送されなかった「続編の構想は残っている」発言に言及していました。「シン・仮面ライダー」についての続編構想のことです。公開された映画は、最初期の漫画の単行本で言えば全4巻のうちの2巻分でまとめられていますから、残る部分が2巻分あるわけです。
それが「海魔の里」と「仮面の世界」であることは、テレビシリーズだけでなくコミカライズをご存じの方なら周知のことで、前者は一文字隼人の故郷編、後者は「仮面ライダーコミカライズ版の完結編」となります。
その布石はすでに「シン・仮面ライダー」のなかにいくつも埋め込まれていて、ショッカー創設者が開発したスーパーコンピュータとその外部端末であるJ→Kの存在や、一文字隼人のスーツと仮面が新調され、後に復活してくる本郷猛とのライダーとしての差別化か、これまでのタプルライダーの体表ラインの逆転を諮る狙いがあるような余韻が見受けられます。
問題は役者を押さえられるのかどうかですが、それよりも、「仮面の世界」にも登場する巨大電子頭脳と、ライダーを迎え撃つ外部端末的な存在を、Kにやらせるのかどうかというところです。願わくば物語の展開通りに電子頭脳が自ら破綻した後、制御から解放されたKが造物主たるスーパーコンピュータにとどめを刺すような演出を施してほしいのですが、まだ構想だというし、作られるかどうか未定なのでこちらも妄想の域です。そういえば「ロボット刑事」はことし50周年です。
このヤマザキのミニピーナツパンを見つけたのが7日のこと。4月7日と言えば、東日本大震災発災後に再び襲ってきた震度7クラスの最大余震があった日です。その日は霰の高校入学式でたまたま帰省していて、つくばーど基地は7ほどの地震ではなかったのですが。霰は何か持っている奴で、発災直前の3月9日の前震のときには、中学校の卒業式でこれまた帰省しており仙台の様子は部下からのメールで知ったのでした。
ミニピーナツパンの話に戻ると、それらの日付ではなくあの年の3月12日に遡ります。発災日は窮地を脱して職場の事後処理をやっているうちに日が暮れてしまい、もうその頃にはスーパーマーケットもコンビニも閉店。金曜日で週末帰宅するつもりだったから冷蔵庫も空っぽ。電気、ガスも止まって煮炊き不可能で、防災用非常キットの乾パンしかない状況でした。
明けた12日朝、情報収集のために宮城県庁に出向いたら、ヤマザキパンのトラックが緊急配給にやって来ており、これに並んで手渡されたものがミニピーナツパンだったのです。あんパン2個よりも、ミニでも5個入りというのはとてもありがたかった。嘘ついてもしょうがないからそのまま書けば、まじめな話、これと乾パンで3日つないでおりました。
ふと見たらば、原材料高騰のためかミニというよりミニミニになっているこのパン。それを詫びるかのように「6個目」をパッケージしているところにヤマザキの良心を感じるのでした。
鴻雁北(こうがんかえる)の季節ですが、それより前に詠われる玄鳥至(つばめきたる)の気配はまだありません。つくばーど基地近くの農業用ため池に停泊していた水鳥は、そういえばいつの間にか姿を見せなくなりましたから、北へ向かった連中がいるのかもしれません。この週末は寒の戻りで裏山の上の方は霜が降りたようですし、山全体が雨と霧で覆われ、基地もそのなかに埋没していました。僕も炬燵に埋没です。
そんな陽気だったものの、基地の八重桜は満開で花見に最適でもない土曜日にしばし雨に降られながら見上げていて、「らんまん」の槙野万太郎みたいに「樹種は何だったんだろう」と思い立って再び炬燵にもぐって調べ物をしたらば・・・
長年八重桜だと思い込んでいたのですが、実際には同じバラ科でも「リンゴ属」の海棠(カイドウ)であることを知りました。桜はそのままサクラ属です。これで合点がいったのは、祖父が「庭には桜は植えちゃならん」と言っていたのになんで「在る」んだ?の疑問でした。樹齢から考えて植えたのは親父でしょうから、彼らは彼らでやっていたであろう親子の対立を垣間見た気分です。「桜じゃねーよ」とかね。
そんなことをお茶を飲みながら家内に話したら