洗濯物を取り込みに戻った午後。 リビングにも隣の和室にも居ないなーと思いながら 二階に行ったら、布団の上にひと塊の猫ず。 ん-まあ涼しいよね、いきなり。 ホットカーペットなんてまだ出さないから 自力でよろしく(笑)
水戸市の「パティスリーKOSAI 」さん(昔は湖彩じゃなかった?)が、創業25年を迎えました。人気店ゆえ混雑していて最近はなかなか立ち寄れないフランス菓子のお店なのですが、実はつくばーど®にとってはご縁のあるところで、20年前に「エスクードのケーキを作っていただけないでしょうか」とお願いし、当時天狗の森スカイロッジで開いていた新年会で切り分け振舞ったことがあるのです。あの頃はそんなに混んでいなくて、オーナーともそういう相談事や雑談ができたんですよ。
エスクードケーキは、当時お店がサービスしていた創作ケーキとしてオーダーしたものですが、カタチはシンプルながらいわゆる円形のスポンジケーキの土台を切った貼ったで成型するので手間がかかっていました。カタログとミニカーを持って行って、こんなイメージですと説明して、作る過程の写真も撮っていただくことができました。出来栄えが似ているかどうかなんてもうどうでもよいのです(それに触れた奴はしばかれてましたけど)
この日のつくばーどin岩間06は、うちの先代らすかるが40万キロに到達したことの記念と、友人のくろかんノマドが退役のお別れ会などのお祝いを兼ねていました。あとで考えたらまだ登録商標のないつくばーども、サイト創設5年め(5年くらいだと、あの頃は実績なしに等しい後発)だったのに、主催者自身がすっかり忘れていました。KOSAIさんも繁盛されているのは嬉しいことです。この店、モンブランについて笠間栗と呼ばず昔ながらの岩間栗と言ってくれているのも粋です。
日付が変わるのを合図にBLUEらすかるを車庫から連れ出し、北関東道で東北道を目指して都賀のジャンクションまでだいたい60キロ。そこから郡山へ向かう途中に那須高原サービスエリアで白河ラーメンなんかすすっているのですが、こんな丑三つ時過ぎた時間帯に他のお客など・・・厨房から見えにくいところで40代くらいのライダーが爆睡しておりました。そんなことはどうでもよい話ですから先を急ぐためにごめんなさいでスープはほぼ残して返却口へ。
自宅と仙台を行き来していた頃に比べると、東北道を深夜に走るトラックの運転はずいぶん紳士的になった気がします。震災復興のピークも過ぎてか、ドライバーの負担軽減なのか、その台数も少なくなったなあと思う反面、速度も抑制され人数も不足という状況を想像すると、本当に負担軽減されているのかどうか心配にもなります。僕自身も一頃に比べたら飛ばさなくなりました。トラックのあとを適度についていくか、時々前に出させてもらうかで郡山ジャンクションです。
磐越道に乗り換えるあたりで、約200キロをこなし、阿武隈高原サービスエリアでトイレ休憩の後、再び走り出すと外気温が12℃くらい。郡山から70キロでいわきジャンクションに到達して常磐道で一気に南下していきます。そのまま土浦北インターで高速を離れ、給油に立ち寄ったガソリンスタンドでだいたい400キロ。ただ、前回ここで給油してからこの周回スタートまでに70キロほど走っているので、それを加算しさらに帰宅すると約500キロの道のりを走っております。
だいたい5時間半で帰宅し、公休日をいいことに朝寝を決め込むわけですが、毎週一回こんなことをやってもまだ車検満了までに100万キロに届くかどうか微妙なところなのがつらいと言えばつらいし、家族の誰一人理解を示してもくれません。まあ景色を見られるわけでもなく、高速料金が安いだけで、何の得にもならないことは事実だものね。これで例の走行距離税なんてものが現実化したら、目も当てられません。秘かな愉しみは先細るばかりなのかもしれません。
部品もエンジンも出てこず、ネット上にあがっている中古エンジンの状態も芳しくないものが多く、最後の手段は程度のよさそうな1台を丸ごと買い付けてくるしかなさそうです。が・・・
と、至極ごもっともな天の声が響き渡ってしまいました。雫さんのお言葉は「あきらめられなくても腹はくくれる」という鋼鉄の論理を振り下ろしてきます。確かに霙の場合なら、向こう10年を展望したら10年乗れるクルマに切り替えるべきかもしれません。そんなわけで、せっかく31回まで書いてこられた本欄は、そろそろ最終章となります。
それにしても頭がいてー・・・実はフィガロだけでなく幌車の修理に関しても打開策が見つからないのです。ここへきて1991年式2台同時にお釈迦かよ。
本編はとうに完結していながらエピローグ編としてのロンリー仮面ライダーを描くというZX新章を、読んでみはしたものの、そこまで複雑怪奇にしなくてもとさえ思えた本編からさらに、わざわざ「スカルマン」みたいな方向へ持って行かなくてもいいんじゃないかなあと憂鬱になります。仮面ライダーというより、「ゼクロスの敵は最後の最後で人類」の急展開を用意して、またぞろぐちゃぐちゃの波乱をやって大団円で感動させるやり口は、どこかのアニメ監督の得意技で辟易しているのです。
何処の誰かも知らないけれど、呼べば来る来る仮面の男。
「仮面ライダー」って、そういう単純明快な勧善懲悪ものであっってほしいんですよ。「新」になる以前の、本郷猛編や一文字隼人編がそうだったじゃない。
1872年10月10日、鰯の油漬け缶詰が日本で初めて製造され、腐りにくく持ち運びしやすいなどのブレイクスルーを果たしました。これに続き1877年10月10日には北海道開拓使がこれまた日本初の鮭缶工場を北海道石狩町に作り、量産が始まったそうです。
鰯の缶詰が無かったので鯖缶と鮭缶を夕食に持ち出してみると、なんか昔と違って缶自体が小さくなったなあと思わされましたが、2缶食ったらもう十分にお腹一杯。
東日本大震災のとき、雫さんがあちこち駆け回って緊急支援物資を仙台に送り込んでくれたのが懐かしい。そのときの鮭缶は二回りくらい大きかった気がしますし、プルトップなんかついていないわ缶切りないわで、これを開けるのに苦労しました。駐車場の車止めに缶の蓋側を力いっぱいこすりつけて熱を持たせると、蓋部分が分離できるのです。もう近所の住民に奇異の目で見られましたけどね。