最初に配属された職場に本社転勤の挨拶と報告に、5年ぶりに出かけた霰が、「なんか持ってけって言われた」と持ち帰ってきた佐野ラーメンと仙台ラーメンのカップ麺。
たぶんお祝いなんでしょうけど、このユーモアさは斜め上から来たなあ。
徐々に参加表明の連絡をいただいており、エスクード12台、ジムニー1台(予定)の布陣となりました。
初代はクロさんのハードトップ、テンロクノマドのsuuuさん、あとはうち(幌とV6)の4台。二代目は昨年の相模川に愛知県から来られたリクさんとSIDEKICKさん。三代目がやはり昨年福島県から来られたくろさん、コムロさん、通りすがりの正義の味方さん、SPFYOさん。四代目は新月さん&風花さんとおいたマンさん。
ジムニーは・・・怪我をして肩の養生に入っているらしい和邇さんに代わってお嬢姉妹が来てくれるという和邇さんからの遠慮がち情報ですが、お嬢姉と父のコンビネーションになったそうです。
まだまだこんな状況です。お弁当調達の都合もあります(これが本音だ)。行こうかなと考えている方々、お早くご連絡ください。
以前、つくばーど®サイトの「toys hanger」コンテンツについて、ネットの海のどなたか知らない人が「長谷川裕一の考え方に似ている」とか「同じ人か関係者」とか言っていたことがありますが、漫画家の長谷川裕一さんとは面識ありませんし、ゆえに関係者でもないのです。そう言われたことについては、当時は「うちのはあの本や元になったトークイベントなどには頼っていねーよ」と憤慨しましたが、今考えると「逆にけっこうすごいじゃん」と考えられるようになりました。
その本というのが、長谷川さんによる「すごい科学で守ります」に始まる新説空想科学読本のことです。
画業四十周年を記念して、あのシリーズ三冊をまとめたグレート合体愛蔵版とやらを、まあまあさほど高い値段を付けずに出しちゃったところに感服しますが、なんだよこの分厚さと重さは。ページを開けにくくてしょーがねーよ。細かいところに最低限の修正を施したと云うけれどもはやどこがそうなのかわかんねーよ(笑)
仕事とはいえこのところずっと、小難しい専門書を斜め読みばかりしていたところなので、すっかり中身を忘れているこの本を読んでアタマを柔らかく出来ればと思います。内容もさることながら、長谷川さんのタッチで描かれる戦隊ロボやらメタルヒーローやらの挿絵を眺めるのも楽しいのです。てことで、本項の表題がどこから持ってきたものかがわかる人っているんだろうか?
エスクードの認知度が高まらない理屈の一つに、各世代ごとに方向性ががらりと変わったことは幾ばくかの影響を与えたかもしれませんが、それを問題視するのもかまわないけれど、「解決策はジムニー5ドア」だって、なんだか土手を転がり落ちるような展開。少し前には「あれは軽自動車規格だよ」というコラムもあったし、書き手によって意見様々なのもありでしょうけど、エスクードを引き合いに出すくらいなら、スズキにとってジムニー5ドアは可否どっち?を延々とやるべきです。
ジムニー5ドアって本来エスクードの役割では? という問いかけは、どっちにウエートを置きたいのか。エスクードが変わりすぎたというなら、ジムニーなんかほっといて、なぜ変えてしまったのかを展開してほしいところです。 だいたいね、四代にわたってコンセプトをここまで変えてるところに、冒険的チャレンジがある。とだって書けるわけです。そうなったからこそジムニー5ドアの芽が出たんじゃないですか。ただ単に迷走とまとめたらその先は無いのです。そんなコラムはちっとも面白くない。どうせならセダン化(まだ言ってる僕)とかの発想できないの?
エスクードはもともと、ジムニーからステップアップして次に乗りたくなる新型ジムニーとして企画され、路線変更の末初代エスクードが生まれた。三十何年かけて、もともとの路線として「次期ジムニーでありジムニーの次に乗りたくなる四駆」が、ようやく実現した。ただそれだけのことです。もしも、その路線変更がなされなかつたら、果たしてJA71はジムニーの形をしていたかどうか? JA51あたりが詰め腹を切らされていたかもしれません。ジムニーは伝統を継承し、エスクードはドラスティックな開拓路線にいるのです。
まそこが不幸っちゃ不幸なんですけど。