寝しなにスマホ眺めてて、そろそろ眠くなったからと 布団を引き寄せようとしたらはなに強奪されてました。 いや、いいんだけどね。まだタオルケットだけで 寝てますから私。 その横で新月サンはズッポリ首まで肌掛けに 埋もれてますが。 なにこの温度感の差。
最後までやきもきするのは当日の天候ですが、ひとまず焼肉に関しては狼駄さんが板チョーを引き受けてくれることになり、実に久しぶりの彼の焼肉を振舞うことができるはずでしたが・・・
「そのつもりでしたが行けなくなりました」
ここへ来てそうなってしまったか!
ということで、バーベキューは中止となります。有志の方で料理の振る舞いを予定している人も中止としてください。
尚、当日の現地には気の利いた木陰やベンチなどはありません。トイレもありません。トイレに関しては一時現地を離れて近くのコンビニに避難する必要があります。
短時間の行事のつもりですが椅子や日よけは必要です。特に椅子については個人負担の持参が基本です。
今回、Tシャツ運搬の箱が思いのほか嵩張り、ウエストウイン提供の景品、雷蔵夫婦用の椅子、テーブルを積み込むと、何も追加できなくなります(何のために屋根にラック載っけてんだよ)。自立型タープを出してくださる方は、ぜひご提供願います。
その他、ドローン撮影(とりあえずKawaさんを頼ります)、当日の猿ヶ島入り口を入った場所での案内役、早めに来られる人による場所取りなど、手をあげてくださる方はコメント欄をお使いください。
よろしくお願いいたします。
先だって、二階堂裕さんと雑談していた折、クラウドファンディングでジムニーが出てくるマンガ出版の企画を聞かされ、「ジムニーが出てくる映像は意外に多いよね」という展開から、そんな原稿はどうかと問われてきっぱりと
いやそれは僕の立場として禁じ手なんですから、しょーがないのですと言い訳し、結局は「エスクードが出てくる映画やアニメを書きなさいよ」という決まり手を食らうわけです。このブログを通してだと今更感ありありなお題ですが9月に出る雑誌にはそれが載るでしょう。
それで、スーパースージーには「書きません」と突き放しましたがジムニー動画。おおかみこどものなんとかやら空の青さをどうとかだのシン・エヴァンこうたら等々あーもう勘弁してくださいな本数で、最近だと「映画 ゆるキャン△」です。
いずれのアニメ作品とも過度の使い方をしていなくとも、ほぼ誰でもジムニーだとわかってもらえるところがすごいのですが、「ゆるキャン△」あたりだと、ゆるキャン△ゆえにクロカンのようなことはしませんが、絵になりすぎなうえに逆に没意外性な出てきて当たり前車種に思えてしまいました(映画の内容とは関係ないです。内容の方はあれでいいんじゃない?)。でもあそこでパジェロミニの中古車なんて扱っていたら、似合わないとか違和感とか言われるのでしょう。
「映画 ゆるキャン△」では主要登場人物が皆それぞれ就職して地元にいたり他所に引っ越していたりの日常ですが、所得と実生活を考えると軽自動車でも維持するのは大変かなあと余計なことを考えて観る映画じゃありません。それでも維持費のことや知名度を総評して、中古のエスクードが選ばれる余地は無いようです。せめてねー、トライアンフを孫に譲ったおじいちゃん、コンバーチブルにでも乗って現れてくれたらなあと、まあ地団駄踏んでます。
これだけ歳月を経ると・・・というよりこれだけコーディネートしてあると、今の人には型式の区別はできないんでしょうね。それは無理もないことです。これはノマドでもディーゼルエンジンでもなく、エンジンフード上にバルジを追加架装した「TJ51W、プロシードレバンテで直4の2000」。エスクードで言えばTD51Wに相当するのでノマドのサブネームは廃止されたモデルの、マツダへのОEМ版をきりっといじった友人のものでした。そのセンスは抜群でしたよ。
彼は風景でも人物でもクルマでも鉄道でも、寄っても引いてもきれいな写真を撮る友人の一人で、その彼が走らせるこれを撮らせてもらうのは恐ろしくプレッシャーのかかる作業でした。
あっ、過去形で書いていますがクルマがすでに退役しているということで、彼自身はすこぶる元気にしていらっしゃいます。
1977年9月5日に打ち上げられたボイジャー1号は、45年の歳月をかけて太陽から約233億キロ離れた宇宙を飛行中です。ボイジャーと地球とでは、光の速度でも20時間30分以上のタイムラグを乗り越えなくてはなりません。これほどの長期間運用が可能であることを、当時の技術者は半信半疑以下の確率でしか認識していなかったそうですが、太陽系外探査ミッションはまだしばらくの期間続行されるのだとか。4万年もすると、きりん座の方角にある赤色矮星付近へ到達するはずです。
1996年式のうちのエスクードが26年で85万キロ走っている距離を直接比べることは愚かなんですけど、国家規模のミッションであろうとも、これに向き合う一個人の道楽って、根っこは同じような気がします。逆立ちしてもエスクード1台では火星にさえたどり着けませんが。
先日のしろくまさんとのコーヒーブレイクの後、夫婦で学園都市から帰宅する際、土浦北インター手前でぷらすBLUEを前に出して高速はとことことあとをついて行こうとしたわけですよ。
小美玉スマートインターで高速を降りて、ゲート一時停止のあと国道との交差点が良い具合に青信号で、ぷらすBLUEに続いて国道へ左折で出たらば
それぞれ速度違反域ではないんですが、追いつけない・・・
何が相変わらずだったかって、昔そんなことがありましたから。
風の便りで、上越のふっじいさんのところに3人目のお子さんが誕生されたとか。これはおめでたい。出遅れまくっていますがお祝い申し上げます。
彼と奥さんに最初のお誕生があったのが、東日本大震災の年でした。彼んちの家系は多産だそうで、その2年前の9月にお招きいただいた結婚式で、やたらと双子の親戚が見受けられたように、彼んちの最初の誕生も双子ちゃんでした。
3人目、ということだから前回よりは楽だったのかと余計なことを考えながらも、出産は亭主なんか役にも立たない大仕事だよねえと思います。
2009年の小雨の日、そこまで想像することもなく仲間たちと新郎新婦のランドクルーザーにいたずらしようとデコレーションしたのですが、問題はこのペール缶。まさかこれをリアバンパーにロープでつないでってそこまでやるのか?
しかもですよ、このように写真を遡ると、式場に到着した時点で既にペール缶は積み込まれていたのです。
「新郎がやりたがってるならやっちゃう?」という対話があったものの、さすがに一族のひんしゅくを買いそうなので不発でした。こんな風に朗らかな新郎新婦も立派な父母に成長しての、3人目。僕なんかよりずっと大人になられました。