ま、わたしにゃ関係ないさー
真夜中に綴られるIllusion
松田樹利亜が浜田麻里に替わっただけの究極無能芸で、しかも挫折の報。
1年前、エスクードの30年企画に関する書籍計画について何度か触れてきたのですが、このほど結論が出まして、
「メーカーがうんと言わなかったねえ」
企画とはいえビジネスベースですから予算が立たなければ無理な話です。
「20年の時が一番脂がのっていたんでしょう。広報は冷たかったけれど販売促進サイドは便宜を図ってくれたし、僕ら程度のところに雑誌がページを割くから何か書けと言ってきたくらいだったから」
ジムニー50周年という大きなビジネスモデルを目前にしながら、「エスクードの父」はエスクードの企画についても交渉を続けてくれていました。結果は残念ですが、まあこちらもやることやってきたし、プロセスは面白かったから。三回目もやったんだから、もうあとは誰かの仕事でしょ。
「いま皆さんに言ってもあれだけれど、エスクードは、また初代のようなやつを作ってもらいますよ」
それはまた長い回帰線だこと(笑)。今から始めて五代目に間に合うか? 六代目じゃ僕が生きていないかもよ。それでもそういうことなら浜田麻里を引き合いに出している場合じゃない。HOUND DOGあたりを引っ張り出さないと(松田樹利亜の時点で既に若い人にはわかんねーよ)
重ねて言いますが、まだ東北在住の頃ではありません。仕事で理不尽なトラブルを被り、善後策に追われて頭に来ていた僕は、事を片付けた後湾岸の街から帰宅し、晩飯を食って風呂に入って仮眠をして、午前零時に基地を出発しました。
リポートにもあるように、つくばーど基地からだったら、浜松からみちのく荒行をやっていたSIDEKICKさんの走行距離にはとても及ばないのですが、彼のうらやましいところは車中泊であれ時間をかけてツーリングしていること。僕は24時間以内に何食わぬ顔をして基地に帰宅して風呂に入って寝る、という縛りをかけていたので、それができなかったら~別にできなくたってどうってことは無いんですが~理不尽に対する発散もできない、まったくもって愚かな発想の出発だったのです。
当時から、東北のいろいろなルートを一巡りすると、行程はおおむね1500キロ。それを一人で運転するというのは、何度もやってはいますが、それらはやはり宿泊を伴う旅。ただひたすら走って来るなんて、まともに景色も見られないだろうし消耗と回復のタイミングだってどうなるかわからない。だから、とても勧められたものじゃないのですが、でも奨めずにはいられないのも愚かな性根なのです。
まさかその後8年間、東北の道ばかり走らされることになろうとは夢にも思わなかったし、この頃の東北地方は旅に出るところという理想の地でしたから、理不尽に抗う憤怒とはまた別に、勢いもはやる思いも強かったのです。まあこんなバカみたいなツーリングはもうできないです。それだけにね、誰にとは言わないけれど、「やってみ? 面白いから」と言いたくてしょうがない。
10年経つんですが、愚かなところは改善されていません。
昔は7月20日と固定されていた海の日も今では第三月曜日に指定されているので、ことしは7月15日。
月曜日に休めるというのはちょっとありがたいですが、まあだからといって海装備で海岸へ出かけることはなさそうです。というわけでエスクード乗りには珍しくも懐かしい(かどうかはわかりませんが)のをひとつ。
アニメーター、菊地通隆さんの描いたTA01R。菊地さんと言えば別のところではカレラだとかカウンタックだとかに寄り添う美女を(別のところで、ですよ)描いていますが、最も原点に近いところで扱っていたのはエスクードでした。89年式のヘリーハンセン・リミテッドを同年発行のサイバーコミックで出しているところが、超音戦士並みの速さです。が、たぶんメインに描いたのは引っ張ってきた水上バイクの方でしょうね(笑)
さして悪いことではないと・・・
ジープに対してシエラを「ジムニー大きくなりました」と、二階堂さんは言っておりますが。
だって、エスクードのコンバーチブルと比べたってホイルベース長いし、全高、全幅とともにリアトレッド広いし、室内寸の長さも幅も上だし、今さら何言ってんですかな話ですわ。いーじゃんよ、それくらいのサイズアップなら。というより、いかに最初のエスクードがコミュータークラスとして優れていたか、ということなのです。
この1年近く温存してきたお話です。昨年5月のエスクード誕生30周年記念イベントに参加していただいたユーザーさんのうち、親子でそれぞれ初代のTD61WとTD51Wで乗り付けてくださったMaroさん(息子の方)は、このとき、翌月に控えている車検を通さず、ミーティングを最後にTD51Wを退役させると告げていらしたのです。それもあって、四世代モデルを並べる撮影にも車両を出してもらったのでした。
彼のお父さんの「そういうことなら私のV6を倅に譲ろうか」という一言も印象的でした。そのエピソードは、昨年7月に出ているスーパースージーの連載にて紹介しておりました。残念な思いはぬぐいきれないけれど、Maroさんがエスクードに乗り出すきっかけや、これまでの交流の節目と思って、記念のような記録のようなルポルタージュとしたのです。
一度は、はまたにさんがコンバーチブルを退役させたときのような物語仕立てにと考えたものの、このときはリアルなルポで親子のエスクード熱を書き留める方がふさわしいと決めました。
で、編集部には6月のうちに写真と原稿を入稿していたわけですよ。そしたらですよ、この107号が出る前日のこと、某桶川で悪いおっさんたちの密談の最中、「Maroさん、うちにエスクードを持ち込んで処分する手はずだったんですけど、先日電話があって、やっぱり車検を通すって」という発言が飛び出したのです。ちょうどこのとき。
な、なんだってーっ ←普段なら大文字
びっくり仰天ですぐさま、Maroさんに連絡をとったら、バツが悪くて言いそびれの最中だったそうです。そこから、なにがどう状況を変えたのかお話を聞きたくて、この5月までMaroさんの休暇と取材のすり合わせを進めてきました。それが本日発売のスーパースージー113号の連載記事です。事実は小説よりなんとやらですが、今度はルポじゃあ面白くないので、奥方のお話も交えて物語にまとめました。かくしてTD51Wとも1年ぶりの再会を果たせました。
地平線までは遠く 声にならない寂しさ
と、うっかりダカールラリーのイメージソングを使ってしまいましたがアフリカの話ではなく・・・1989年8月といえば、スズキエスクードはようやくデビュー1年目の夏にさしかかったところで、まだエンジンも改良前だしノマドも世に出ていません。市場ではそこそこの売り上げだったものの、四駆としての~なにしろこの頃はSUVなんて生暖かいカテゴリーは存在しなかった~評価は決して高くありませんでした。
メーカーサイドはどちらかと言えば開発コンセプトを優先して「都会的な四駆」(今思えばわけがわからんというか、要するにシティサーファーのような揶揄の逆利用)をセールスポイントにしていましたが、やっぱりエスクードだって四輪駆動車の端くれなのです。
それを実践したのが、当時アピオ社長だった尾上茂さん(現会長)による89年のオーストラリアン・サファリラリー(現オーストラル・エイジアン・サファリ)への出走でした。シドニーからダーウィンまでの6500キロを10日間で走りきるこのラリーレイドに、1600ccクラスはラダ・ニーヴァとダイハツのタフトやフェローザが出ていたそうです。エスクードで車種が増えたことで主催者がこのクラスでも賞を新設し、尾上さんは初めて投入したTA01Wでクラス優勝を遂げました。
ずっと後になって、僕が知り合う前の和邇さんはよりにもよって01Rのサイドキックで、僕はノマドのV6で、それぞれプライベートで彼の地を走ったことがありますが「保安部品で補強してシートを変えたとはいっても、ラリーカーのシートだし、あの車であそこを1日650キロなんて馬鹿じゃね?」という共通見解を今だったら言います。
けれども当時、10月以降になって四駆雑誌が記事で取り上げたときには「うちのと同じ車だよ、すごいぞこれ」と小躍りしたのです。つまり2019年は、エスクードが初めて世界的な舞台で話題を勝ち取った日から30年目にあたるのです。これは失礼ながら、アピオの創業50年よりも偉業なのよと言いきってしまいます。
いやまあ・・・乗っていない人には、だからどうしたな話ですが。
1日650キロというオーダーは、東日本で言うと、つくばーど基地から青森県中泊町にある小説「津軽」の像記念館まで、規定時間内に走る計算です。ほぼ東北道経由でターマックだから、これは不可能ではありません。が、オーストラリアン・サファリではリエゾンはともかくSSだったらここまでの距離でなくとも、ごちごちの砂漠ですから、未知数の車をよく持ち込んだものです。
尾上さんも、同行した二階堂裕さんも、これくらいのラリーだったら車(エスクード)はどうにか壊れないと言います。これくらいの距離はそれでもぎりぎりのところで、このあとのダカールラリーでは6000キロあたりでミッションがだめになったと。それにしてもラダ・ニーヴァ、タフト、フェローザを向こうに回してクラス優勝。どの車両もオフロードの競争相手としては強敵だったと思われます。その中でもオンオフ折衷の、荒れ地を走った経験もないエスクードが勝ち抜けたというのは、今頃と言われようとも書き留めておきたいことなのです。
で、ひとまず尾上会長のご自宅でそういう昔話をうかがっていたわけですが、そこへ何の前触れもなく二階堂さんが9日発売のスーパースージー113号を持って現れるではありませんか。二階堂さんは談話に加わってくれて、まだ埋もれているオーストラリアンサファリ話を盛り上げてくれました。113号、実はアピオ創業50周年企画が組まれており、オーストラリアやダカールの話もちょっと出てきます。
が、我々エスクード乗りにとっては創業50年以上に「世界のオノウエ」を成し遂げたクラス優勝30周年の方が大事。
・・・あ、レストアされたコンバーチブルのことですか?
この日は撮影用にガレージに移動してくれていたのですが、実は日頃は、尾上邸のリビング(談話中の写真)に動態保管されているのです。リビングですよリビング! ああっ、なんちゅーうらやましい話なことか。もうそれでいいなと思ったことは思ったんですが、再度「ジムニー歴史館に展示しなけりゃお百度踏みます」と陳情してきました。
ジムニー歴史館がまだ公にされていなかった頃、建物自体、敷地の埋蔵文化財調査なんかやってたくらいでしたか、尾上茂さんにレストアされたTA01Rを見せていただいたのです(この写真じゃありませんが)
その当時は、01Rも歴史館内の隅っこに展示される構想だったのです。
が、もうその後あれやこれやのオールドジムニーがレストアされちゃったものだから、置き場が無くなってしまった。あえなくこのエスクードは歴史館の倉庫入りという憂き目に。
そそそ、そんなんでいいんですかーっ
と懇願したら
いま違うところに置いてるんだよ
という話で、半ば強引に「見にいっちっゃていいですか、いいですよねっ」てな展開になりました。それこそ、それからの件はそのうちに(なんだそのオチは)
Survival rate
「日本の古いクルマがいっぱいいるのに、エスクードいないなあと思ってたらいきなり01Rが・・・」
というメールが入ってきて、うーん・・・31年もしてるから向こうでも乗り換えは避けられない時代か。と思っている矢先に、次々と遭遇したようです。
あちらはまだまだ生存確率が高い。マミポコさんが要した概ね3時間、知らない街をそぞろ歩いて、歴代のエスクードを何台見かけることができるか。日本ではきわめてハードルの高い課題になったと感じます。
しかし実際に乗っている身としては、「めっきり見なくなった」などと言われるのも心外。上が2005年、下が2018年と世代交代はみられますけど、少なくともこれだけ現役(少ないか)。世の中にはもっと沢山の歴代が居るはずです。




