つい探してしまいましたが、そもそも春風組の現場ではありませんでした。
といっても、それがわかる人がいないよな。
来年の話とはいえ用意できるうちにしておかないと絶対に出遅れるのがうちの踏みがちな轍なので、霰の振袖を調達しました。はい、成人式の晴れ着です。
といってもまだ振袖と帯が決まっただけなんで、小物類をあれこれと揃えなくてはなりません。こういうのは車を買う時のオプション選択みたいなもんです。が、車の場合は予算と対比して切り捨てられるものもありますが、こちらはそうもいかない。
おまけに父親側の経験値は七五三の頃のそれしかありませんから、母親自身の経験値に頼らざるを得ません。
するとどうなるかというと、あれもいいけどこれも悪くない。それはどんなのかと、目移りするからなかなか決まりません。
ま、それが楽しいんだろうけどさ。
汎用性が高いとはいえ、やっぱりスポーツタオルと風呂敷の併用は危険です。獅子舞と呼ばれているうちはまだ華かもしれません。
そういえば、ウエストウインの島監督が苦笑してましたが、
いやまあ、エスクードつながりの世界が狭いですから。車種が違ったらしょーがねーんですよ。しかし確かに、島さんと狼駄さんの付き合いもまた15年を遡りますから、ほんとだったら恋の浦でタオルと風呂敷の日よけ姿を獅子舞呼ばわりしてたやつらは下手すりゃ袋叩きですよ。
でも・・・あまりにもツボにはまっていたので、獅子舞はことしの名言入り間違いなしです。
写真は全く関係なくうちの家内ですが、ベルタ・ベンツさんとはカール・ベンツの奥方で、亭主が作った特許ものである自動車が全く売れないことを背景に、亭主には内緒で息子たちとこっそり、実家までの自動車旅行を企て、「車って便利よ」とアピールをした女性です。なんだそりゃ、と思われそうですが、それは1888年の8月5日のこと。スズキエスクードが誕生する100年も前です。車の性能なんて、現在のカートよりも低いというか、比較のしようも無い黎明期の話です。
ベルタ・ベンツ・メモリアルルートとして観光資源化された伝説の道は、ベルタの内助の功に端を発し、世界初の自動車旅行、人類初の女性ドライバーなどといったエピソードも刻んでいるそうです。
当て所もなく旅をするのも楽しいけれど、彼女の旅にはツーリングの醍醐味(当時はそれどころじゃなかったでしょうけど)が凝縮された、素晴らしさがあります。
それにしても194キロか。たぶん全部未舗装。腰がおかしくなりそうな距離だね。あ・・・一応書いておこう。僕が以前ヘルニアで入院した折には、家内も300キロを幌車ですっ飛んできてくれました。
特装救急警察ソルブレイン行動隊部の一員、バリアブル・レスキュードロイドでありながら警部の階級が与えられているソルドーザーは、ロボット形態とブルドーザー形態を使い分けられる優れもので、出動時はソルドレッカーという汎用緊急車両の荷物室スペースに「搭載」、搬送されます。「彼」は自重2トンもあるので、積み込み、積み下ろしにはガイドレールが使われ、よっこらしょと荷室に腰掛ける状態で、後ろ向きに搭載されます。現場において即時行動が求められるための搭載スタイルのようです。
一方、岩手県大船渡市のマスコットであり、銀河連邦サンリクオオフナト共和国の一員であるおおふなトン(自重不明)は、時にマイクロバス、時にライトバンに乗って現場にやって来るのですが、その風体からドアの開口部に色々不都合があるらしく、最近は軽1ボックスの荷室に「搭載」されてくるようです。こちらは自らどっこいしょと乗り込む関係で、このようなスタイルになっているのですが、世にも珍しいおおふなトンのおしりの黒ジャージが見えてしまうというハプニングが発生します。
しかし銀河連邦サンリクオオフナト共和国の付き添いさんは
「何をおっしゃいますか、彼のお尻はあのドーナツ状のしっぽのあたりであり、断じて黒ジャージなどありえないことです」
と否定します。
「えっ、だってほら、赤い外皮がめくれちゃってて、なか・・・」
という混乱の中、彼は二人がかりの支えでよたよたと降り立った途端に子供たちにもみくちゃにされておりました。
しかしそうだったのか。豚モチーフではないんだ。だからおばちゃんたちも平気でとん汁振る舞ってたのか・・・
震災の年に国費投入が決まって仙台から八戸まで、予算化査定がなかなか通らなかった高規格道路を一気に作っちまえ。というのが復興道路で、これがあと5年くらいで全線開通すると、常磐道まわりで青森へ行ける。おおざっぱに三陸沿岸道路と呼ばれていますが、宮城、岩手、青森のそれぞれの土地においては区間ごとにかなり細かく〇〇道路と名付けられていて、とても覚えきれません。そのうちのひとつ、岩手県大船渡市の道の駅さんりくあたりから始まるのが「吉浜道路」です。
トンネルを挟んで2つの橋で構成される、約3キロは、来年3月末までに開通するそうです。峠を2つくらい飛ばすので、実に快適に釜石市へ移動できるようになりますが、そうなったらこのように自転車で走ったり映画上映したりはできないわけで、夏休み最初の週末に開通プレイベントをやってしまおうと、国土交通省や大船渡市や工事現場がいろいろな仕掛けを施しました。東北各地で土砂災害警報が出ていたのだから、朝のうちだけ雨というのは、まあ幸運だったでしょう。
坑内は風が通って涼しく、大船渡市のゆるキャラも出番が終わってくつろいでいます。何しろ1往復して6キロ歩くのに加えて、この道路は3%ちょっとの傾斜があるから汗だくになります。展示やイベントを見物しながら1往復したら2時間かかってました。まだ6キロ程度だから良かったけれど、岩手県内ではほかにもトンネルだけで片道2キロや4キロってのが工事中。次回からは部下を行かせよう。福島の新栗子トンネルなんか片道9キロ近くあるもの。もはや歩ってられません。
地元の人々がとん汁を振る舞ってくれましたが、背後にゆるキャラ(その名もおおふなトン。しかしこれには一部誤解在りと判明)の気配を感じると、申し訳ない気持ちになるのでそそくさとお暇して、一路種山高原へ。バカの一つ覚えで特製ラーメンを食うのですが、昼過ぎから空は薄日が差して、車に避難していたキャンプ客もテントの設営を始めていました。今夜は寒いだろうけど、宴会が盛り上がったら関係ないか。こちらは昼食を終えて広大な高原牧草地の西側の林道に出かけます。
東側と北側の空はどんより黒く厚い雲。まだ大雨洪水警報もあちこちに出ている状態。しかし種山西側の林道は森の中に薄い霧が出ているだけ。道が南西方向へターンすると、空は晴れ始めています。ほらみろ、俺は雨男ではないのだ。などとほくそ笑みながら進んでいくと、3年前には綱を張られていた分岐点がフリーになっている・・・ ありゃ? これ降りて行っていいの? というわけで、いつの間にか開削されていた新ルートに分け入りますが、それは長くなるので後日ね。
1995年の7月23日、ふたりのアメリカ人観測者によって公式に発見された彗星「C/1995 01」は、我々の間においては『ヘール・ボップ彗星』としてその名前を記憶にとどめるばかりか、その頃から約18か月ちょっとの期間、肉眼での目視も可能なほど明るい天文現象を見せていきました。このとき、彗星の位置は木星と土星の間あたりと観測されていたので、天文単位の距離があてはめられるほどの遠さにもかかわらず、彗星核の巨大さから観測が容易なほど明るかったのです。
彗星核の大きさは約50kmと言われ、ハレー彗星の3倍にもなる、20世紀においては最大級の規模。翌年の夏ごろから肉眼で見えるようになり、97年4月に近日点を通過した際には「The Great Comet of 1997」という新たな異名も付けられておりました。地球との最接近距離では約2億kmのところをかすめていくわけですが、この距離だと大抵の彗星は近日点辺りで見えるか見えないかの小さなもので、ヘール・ボップ彗星は断トツに大きく明るく、北半球では一晩中目視観測できたのです。
これだけスケールが大きいと、いろいろなデマや流言が飛び交い、地域によってはパニック騒動にまで発展したと記録が残されていますが、宇宙の蛮族みたいな大艦隊が攻めてくるようなことはなく、やがて遠ざかっていき、人々の記憶からも薄れて行ったのですが、この彗星が世間の話題に上っている期間、我が家では95年に霰が、97年に霙が生まれており、無軌道だったとーちゃんの軌道をまとめさせるという20世紀最大の出来事を記録するのでした。
国立競技場の新築問題を語る知識も知恵もありませんが、ニュースの度に旧競技場解体後の更地を目にすると、つい青色発泡怪獣と赤色火焔怪獣の激突で壊れていく(あれは国立競技場ではなくオリンピック競技場と絶妙な逃げを打っていました)様を思い出します。こういうのは後世、怪獣災害と呼ばれるのですが、老朽化がひどいし新しいのをさっさと作らないとオリンピックに間に合わないと解体されちゃう様も、なんだか怪獣災害と似たり寄ったりか、それ以上にひどい話です。
デザイン、景観の水掛け論着に始まり、新築工事費用がとんでもない額になると及んで、デザインなのか構造欠陥なのか費用なのかの問題が臨界点を超えようとした時、ゼロベースで見直し。という判断のできる政治が、世論が理解と納得をできないままの安保法案の問題をゼロに戻さなかったという判断力にも驚くばかりです。おそらく、未来将来の国家のことよりも、自身が何をやってのけたかという歴史を残したいのだろうなあ。
前回の東京オリンピックは、良くも悪くも東京のインフラを形にし、代々木から霞ヶ丘にかけての体育館や競技場は、この50年にわたって東京の顔となってきました。昨今の国際競技の動員数がスケールアップしたことや、スタジアムそのものの老朽化など、改築新築を余儀なくされるのは致し方ないとして、建築のわからないオリンピック組織に委ね、同組織が国民に諮ることなく進める方が間違っていると感じます。
2大怪獣が大暴れした近所の体育館前では、怪物化し宇宙から帰還した某国飛行士が土に還っています。このとき、体育館(番組的には国際会議場)は光の巨人との戦いでも壊されなかったことです。デザイン、技法ともそれまでなかった斬新さで、それが国民に広く受け入れられ、建築家が手掛けたこの建物は後世に残す存在となりました。かたや競技場の方は見事に破壊されちゃうのですが、当時の建設省が作ったという立場の違いでそうなったのかどうかまでは定かでありません。
それにしてもよ。
「なぜ(建築費が)1000億も上がるのか、私も聞きたい」
「国がたった2500億円も出せなかったのかねっていう」
こんな迂闊な発言があらぬ方向に火種をともすことになったりしないか。大いに心配です。