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  ~懲りない傾向~

東西比較検証論(あいであ求ム)

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霰運転またしてもレポートの題材探しらしく、東日本と西日本の文化風習の違いを比較検証するため、素材を何にすればいいか迷っているそうです。

「前回、納豆で書いたら『熊本では美味しく食ってます』と論破されちゃいました」

だいたい関西圏の人が全て納豆食べないと思い込んでいるところが浅いぞ、霰よ。

「というわけで、これなら面白いぞな素材をご提案ください」

 

違うだろう。面白いと難しいんだ。「まとめやすいもの」を求めないとだめじゃん。素材だけじゃなくて、それの東西比較特徴もあげてもらわないとまとめられないぞ。

さて何がいいですかね。ぜひアイデアと展開をお寄せください。

消された時間

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浪江付近実に3年と10ヶ月ぶりの、浜通経由での帰省です。この先14キロほどがまだ道路工事の最終段階で、浪江ICから常磐富岡ICまでは国道6号線を使って移動しなくてはなりません。これまでの仙台、基地間距離がほぼ300キロだったのに対して、現段階では25キロの短縮でしかありませんが、来年3月1日以降は40キロほどの短縮が実現します。

思えば転勤するとき、富岡から山元までの常磐道未開通区間約70キロを「まあ来年には常磐道も40キロくらい伸びるらしいし」と期待していたのが、延びる方に展開してしまったのですが、結果的には1年早く全線開通になるわけです。しかしこの3年とちょっとの消された時間を、浜通という地域はまだ取り戻すことができません。

浪江ICを降りて街なかを経由し国道6号に出ると、辻という辻にバリケードが張られ、交差点ごとに警備員が不法侵入や迷い込みを防ぐために立哨しています。そこかしこにで見えてくるのは帰還困難区域を示す看板。警備員や除染の作業員は、そのような中でここにとどまっています。そして双葉町から大熊町にさしかかったところで、F1の建屋が少しだけ垣間見えます。

この大胆な政策は、見る方向によっては理解できないのです。30キロ圏という警戒エリアの広がりどころか、10キロ未満の今なお危険なゾーンを、一般車両でも通過は認める。時間距離の便利さとは裏腹に、どのくらい安全なのかというアナウンスのないことが不思議に感じられるのです。それでも仕事納めし、ここを経由して帰省するのですが・・・

もっとも、この3年間、仕事では何度か来ていた場所でもあり、当時に比べたら除染の進んだところも増えてはいます。

先生、これは深読みですか?

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手紙かつて霰が通い、現在は霙が通っている学習塾からの月報が僕のところに送られてくるのですが、その内容は履修科目に対する評価と、随筆のような会報の二枚で構成されています。普段は会報の中身に読むべきところを見出すモノが無く一読しておしまいです。が、今回届いた会報の内容はつい深読みしてしまうほど、不謹慎にも面白かった。

唐突に、サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」(という邦題は1964年の野崎孝訳版)についての原文の一節紹介と解説。こりゃ英語科担当の先生に当番が回ったのか。成績評価も英語についてだったから。

サリンジャーによるあまりにも著名なこの作品の解説は長くなりすぎるので割愛しまして、この会報の論旨は原題である「The Catcher in the Rye」がどのようにして物語に組み込まれているかを説明しています。この原題そのものは、18世紀のスコットランドの詩人、ロバート・バーンズの詩からピックアップされたものです。もともとは「Comin Thro’ The Rye 」。サリンジャーが物語を綴るうえで、聞き違いによる間違いというガジェットを取り入れ、こうなってます。「Comin Thro’ The Rye 」の方は、この秋からマッサンの奥方のエリーちゃんがよく口ずさんでいた「故郷の空」でも知られています。

会報は受験シーズンたけなわ・・・などとは一切言わず、クリスマスにちなんで、クリスマス休暇の時期を舞台とするこの小説の紹介と、みなさんのおじいちゃんもお父さんも読んだことがあると思う。面白いから読んでみて。というメッセージに終始していました。うちの親父はまず間違いなく読んでませんが、僕は確かに、物書きの師匠にすすめられて10代の頃読んでました。

うーむ。まあ面白いっちゃあ面白いけれど、これを高校生の娘に薦めるかどうかを考えると、本人が勝手に見つけ出して読みふけるのはしらんぷりしておけるけれど、「読んでみ」とは言わないだろうなあ。というのが本音でした。会報の書き手もそこまで考えてのことではないとは思ったのですが・・・

いや待て。

「ライ麦畑の捕まえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」

という主人公の言葉は、見知らぬ子供が歌っていた歌の聞き間違えによって生まれている言葉です。主人公はライ麦畑で遊ぶのに夢中になってしまい、畑の縁の崖から落ちそうになる子供を救うような役目を負いたいと言ったものの、そのことを告げた相手、彼の妹に、

「その歌は『誰かさんを誰かさんが捕まえたら』じゃなくて、『誰かさんが誰かさんと出会ったら』って歌ってるのよ」

と指摘されるのです。主人公はまあ社会的には落ちこぼれの部類で、三度目の高校退学を命ぜられ紆余曲折するのがこの物語の展開です。

ここか? 一見、英語の聞き取り間違いに注意してねと告げているようで、実際のところは英語の先生が崖から落ちそうになる教え子を救いたいと暗に示しており、つまり霙は今のところ崖っぷちですよ、と遠回しに言われているのではないか?

げげげっ、大丈夫か霙っ

もっともこの手紙は会報なので、うちだけでなく高校生の塾生全員の親に配信されているものなのですが・・・

 

 

 

明らかに便乗

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station八重洲地下街からRASCALshopが無くなってしまった東京駅なんかに未練も慕情もありませんが、開業百周年だというので、これは乗っからねばなるまいと羅須軽小僧を派遣します。

あ、ただそれだけです。ちなみに隣の駅がおおみや、その隣がせんだいです。←なんかすごく傲慢

それにしても、記念のグッズに希少価値を抱かせる作り手の考え方に、浅はかさを感じる出来事です。客が殺到するのは目に見えていたのに。

すいかものの本によると、東京駅開業時の一番列車から降り立ったのは、わずか4人の乗客だったとか。それに比べて100年後の現在、東京駅の1日あたりの利用客は約45万人ですよ(新宿、池袋に次ぐ3位)。記念限定スイカへの潜在的な需要なんて計り知れません。

まーうちの小僧だって「こんなことになるんじゃないかと思ってたんですよぉ」と、持ち帰ったスイカは見事に割れておりました・・・

おい、それがやりたかったのか? もともとスイカを食いたかったのか? なんだその手に持っているスプーンはっ

作り手の浅はかさというのもありはしますが、お客のモラルにも問題が無いとは言えないんだろうなあ。いずれにしろ利益も見込めるものだし、しばらくはいつでも購入できる「記念特製品」として普通に売り出しておけばよかったんですよ。

あら凍ってたわ

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凍結仙台駅から南北方向に走っている愛宕上杉通りは北へ向かうにつれ緩やかに上っていて、雪が降って凍ってその上にまた雪が降りはじめるような環境だと、信号停止からの再度走り出しでずるっと滑る場合があり、それを嫌ってのことか、凍っているとはつゆ知らずなのか、他車はえらい勢いで飛ばしていきます。

確かにただ濡れた路面に新しい雪が積もってきたように見えるのですが、このあと左から追い越して行った車が先の交差点手前でくるりとスピンしてしまいました。まあうちの車も去年のスタッドレスだったら走れなかったけど。

2011年もののジオランダーIT-Sは、トラクションをラフにかければやっぱり滑りますが、FRのままでもノーズがあさっての方向を向くようなことにはなりませんでした。減速の方でもラフなブレーキはリアがずずっと音を立てますが、姿勢が崩れることもない。もっとも安全速度域での話ですから、この程度の路面でもおっかなびっくりに走っていた方が無難です。

それにしても18日は遠出したくないなあ。

 

それは遺跡への道なのか?

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化石その昔、フェネックなんていうRVアウトドア雑誌があって、そこのクラブイベントで化石掘りに出かけたことがありました。このとき意外な才覚を発揮したのが霰でした。地層から発掘されるのはホタテなどの貝の化石でしたが、霰はけっこう大きな化石をほぼ完全な形で掘り出すのです。

手先の器用さはいずれ何かしら役に立つだろうけど、将来化石掘りで生計は立たないよなあと思ったし、この頃彼女はご多分に漏れず「花屋さんになりたい」などと年齢相応のことを話していたので、まずこの手の遊びは後に続かないと考えるまでもなかったのです。

 

ところが先日、

「埋蔵文化財の講義と災害社会学の講義が始まったんだけど、お父さん、それぞれの分野で何か実践的な資料持っていないかな?」

という電話がかかってきたのです。

ちょっと待て。お前、春の連休のときには18世紀の上越地方の巨大地震の震源を古文書から特定するレポートの書き方を聞いてたよな。お前史学科じゃなくて人文学科だよな?

いったいどういう履修をしているのか・・・

化石掘りからちょうど10年めです。ジャンルは若干異なるのだけれど、埋蔵文化財は発掘を伴う世界なんだわ。災害社会学というのは初耳な分野だけれど、これもフィールドワーク無くしては成り立たないでしょう。そんなところに関心と興味が出て来るなんて。

その昔のさらにずーっと昔、夏休みのキャンプでいわき市の渓流に連れて行ってもらってアンモナイトの化石を掘っていた僕自身が、親父から「考古学で食って行けるなんて思うんじゃない」とか小言を言われたのを思い出しちゃいましたよ。

ということは、ことしの誕生祝はシャベルとハケのセットでいいのか霰よ?

本日19歳になる娘ですが、どうやら花屋ではなく学芸員になりたいらしき方向性が見えてきたようです。

うーん・・・それもそれで狭き門だけど、僕が親父に言われて諦めるに至った小言は封印しとこう。

だってその方が面白いじゃない。

3月1日全線開通

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常磐道6日15時、宮城県の山元から福島県の浪江まで、常磐自動車道が開通しまして、その開通式典に招かれ、真っ新の高速道路を走りぞめしました。途中区間の福島県相馬、南相馬間はすでに開通していましたが、これをはさんで浪江まで行けるようになったことは、この界隈の人々にとっては待望の出来事です。

東日本高速道路の社長さんにうかがったところ、埼玉県の三郷料金所から仙台東部道路に乗り入れるまでが352キロで、この三郷料金所の開通が1981年だったそうです。まだ浪江から富岡までの約14キロが工事中であるものの、今月2日に自民党総裁安倍 晋三さんが相馬市で街頭演説した中で

「3月の1日に常磐道、全線が皆さん、開通するんです。しっかりとこの東北の復興の起爆剤に活用させようではありませんか」

と述べたので、これまで国土交通大臣が表明していた「2015年のゴールデンウイークまでに」という予定が前倒しされることになります。これはたぶん、震災以前の開通計画に戻ったか、当初計画より1年短縮されたか、の措置になるはずです。

これより早く、9月には国道6号線が福島県内全線復旧しており、未開通区間もこれを代用して走ることができます。ただしこの区間には帰宅困難区域が横たわっているため、オートバイでは富岡以北へは行けないし、浪江以南にも行けません。

多くの福島県内の有力者というか企業団体というかがずっと国への陳情をしてきた常磐道問題は、僕らの耳には2015年の3月11日がエックスデーだと入っていたのですが、安倍発言を聞き返すと「するんです」という物言いは、もう1日で確定ということなのでしょう。14日の衆院選に向けたプロパガンダであることも疑いの余地がありません。東北復興の尽力なのか、選挙対策で開通話題を利用したのか。ちょっと不愉快ですが、開通そのものは地元にとって歓迎すべき慶事です。

でも「実家の街にはいつでも帰れるようになる。今の暮らしを考えたら、もう戻りたくない」という声もまた聞こえてきます。3月に全線つながろうとも原発至近距離の土地に住むことはできませんし、慶事が震災記憶の風化を促すこともあるのだと考える必要もあります。

 

国家の威信

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松明通り

無電柱の街並み

無電柱化、というテーマに関して、言わなくてもばれるかもしれないとある大学の学食で昼飯を食っている最中に、そこの学生たち3人が議論しているのが聴こえてきました。被災地に林立する電柱と電線の功罪だとか、機能論と景観論など、いやー大学生真摯で真剣だなあとにこにこしながら聞いておりました。

災害時における送電と通信の即時復旧の手立てとしては、電柱と電線はやむを得ない手段で、景観論を挟む余地は無かったのですが、平時における全国的な風潮では、この景観論が電柱電線廃止のロジックを声高に唱えているようです。時々、一本の電柱にそこかしこから電線が這いまわされて、まるで猛禽類の巣?のような有様のものがあったなと思うと、さすがにあれはひどい。その一方で、街ぐるみで景観対策やら町並み保存を行っているところは、ケーブルボックスを街路整備と同時に地中共同溝に収めて無電柱化を進めています。

やらないよりはやったほうが良いかもしれない景観対策ですが、たとえば東京あたりで言えば、関東大震災や戦災からの復興の都市計画において、即時復旧重要だったとはいえ、なぜこれを同時に実践できなかったかという反省点があります。

そんなときに一つの契機となったのが、2度目の東京オリンピック招致成功。この機に都内の指定区間で無電柱化をやっちまえという政治の意見と、それを受けての国の動きが徐々に進められています。指定区域、とひと口に言っても、オリンピックまでにこれを達成するというのはなかなかの無理難題です。

電柱電線が生活圏の中で目障りだ。という人々の心中はわからないでもありません。でも、

「だからうちでは電化製品使わないし、電話も引いていない」

てな徹底ぶりの人もなかなかいそうもない。そういう人を探し出そうとするのも屁理屈の領域っぽいので、余計なことを言うのは控えます。

高山

実は歴史的景観なのでは?

ただ、ほっといたら遅々として進まない問題に対してある種の期限を設定しこれを推進することは大事ですが、電力と通信という基幹インフラに対して、短期決戦で臨もうというのはいささか乱暴。ましてやオリンピックまでにという論旨の柱が、「外国人観光客の目につくところを」というハナシはなんなんですか?と思うのです。

欧米先進国に後れをとっているから。という趣旨でオリンピックまでにやるなら、そんなもんはやっつけ仕事になりかねず、景観対策になっても防災対策が軽視されているような気がします。総務省にしても国土交通省にしても、調査結果や検討開始のレジュメにこの一言を組み込んでいるのは、官僚側が政治家の揚げ足を取っているのかと勘ぐってしまうのです。いやさ、揚げ足というより、そこに気づいてくれたらいいんだけどさー、という本音があるんじゃないかと邪推するのです。

 

外国人に指摘されるから。とは、なんと情けない対症療法であることか。プロパガンダとして物言いするんだったら、電柱と電線に敬意を表しつつその役目を次代につなぐ考え方があろうというものです。

本格的な事業(実際には以前から行われていますが)が2015年あたりから始まるとしてですよ。戦後70年めにして、文明開化から東京の復興と高度成長を支えてきた歴史的インフラに変革を促す。それこそが今後50年かけて進める東京の国際的平和都市づくり。とでも言ったらいいじゃないですか。50年というのは、少なくとも今ある都市骨格をいじりながらもグランドデザインを描かなければならないうえ、それはインフラのみならず、次代にそれらを維持管理できる若い世代をきちんと育てていく政策を考えたら、それくらい必要ではないかと感じるのです。が、そんなに時間が無いことも指摘されます。

要は精神論の世界なんですが、外国に比べたらってところがすでに精神論としてどうなのよと感じたら、もうちょっとましな政論ぶってくださいよと言いたいのです。仮に、箱根山や富士山が噴火しちゃったら、現在の電柱電線網は降灰によっておしゃかです。地中化は決して悪い手段ではない。しかし政治と行政がそんな論旨で語っていたら、地走りしている民間人もやってらんないぞと士気が上がらないじゃない?

などなどの思いを巡らしているうちに、学生たちの議論もだいたいけりがついたらしく、トーンは雑談に変わっておりました。

「電線の在る無しで困る困らないとすればー」

「無いとスパイダーマンが時々戦えない」

「あったらパトレイバーが活躍できない」

おお! おぢさん仲間に入れてもらいたくなっちゃったぜ。

2代目打ち上げ

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はやぶさ2初代「はやぶさ」の地球帰還からいつの間にか4年の歳月が流れ、いよいよ「はやぶさ2」の打ち上げ日が巡ってきました。初代の打ち上げは2003年5月、つくばーどのミーティングやサイト運営が軌道に乗ったころで、しかしこりはあくまで個人サイトの域でしょ? と、できるだけ個人の趣向に偏らないESCLEVの立ち上げを始めた頃でした。まあ宇宙探査機とエスクードには何一つ接点はないんですけど、この年の8月に火星が地球に大接近し、その距離はエスクードでも束になってかかれば埋められるんじゃないか? という結局は個人的な趣味でエスクード・マイレッジなんてものがあとからできてしまったりするのですが・・・

雷を誘発する可能性がある「氷結層」を含む雲の発生が予想され、当初11月30日だったはやぶさ2打ち上げは先週28日時点で12月1日に延期され、それでも天候不順で引き伸ばされていました。2代目打ち上げはライブ中継まで組まれていたほどの期待を背負っていました。エスクードの2代目もそうであったように、期待がそのまま重圧であることについては、成果を収めた初代を引き継ぐ立場としては同じでしょう。

往路に4年、帰還まで6年というミッションがトラブルなしで進むかどうかはやってみないとわからない。接点がないとは言いながらも、いろいろ言われた2代目エスクードは3代目へとバトンを渡す実績を得ましたから、はやぶさ2にも頑張っていただきたいところです。

そして船で往く

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久里浜神奈川県の久里浜から千葉県の金谷へと東京湾を渡るフェリーの存在は今さら語るまでもなく、その風情を楽しみたくて、三浦半島からの帰路にはよく利用するのです。

で、この一言を最初に書いておかないとどれだけまぬけで愚かな帰路になったかというと、久里浜から陸路でヨコハマカワサキトウキョウ経由でつくばーど基地に走れば都心環状線まわりでだいたい163キロ。湾岸線経由だとプラス5キロ。この間の渋滞を回避する名目で金谷からカーナビゲーションで基地へルート設定すると、最短距離が170キロ。まあ5キロくらいは目をつむるかとルートを見ると、木更津から東京湾アクアラインを使って川崎へ渡れと指示してきやがるのです。

おいおい、それはないだろうと木更津を無視すると、今度は169キロに縮みますが、これは千葉北インターから柏インターまでの約40キロを国道16号で移動する「そんな疲れる混雑ルートは嫌だ」コース。

そんなんだったら北千葉などに行かずに穴川から湾岸線と中央環状線で常磐道に行けばいいじゃねーかとすると、実は金谷からは195キロにもなるのでした。いやいやいや、中央環状線と7号線が混雑するんだから、事故でもなければ絶対に渋滞しない東関東自動車道路で利根川を渡っちゃえば・・・というかつての通勤ルートを当てはめますと、金谷からは190キロあるのでした。

おそるべし首都高速・・・

それでも。というオチですよ。いいんですよ、どうせそのあと300キロ北上するんだから。と、勇んで久里浜から金谷に向かっている間に東京湾アクアラインのトンネル内で事故。するとどうなるかというと、川崎まで3時間とか電光板に出てくるわけで、それを見た車が次々と千葉・東京まわりの帰宅ルートに変更したものだから木更津から千葉までびっしり渋滞。

「湾岸線、びっくりするほど流れてますよー」

という津久井浜で別れた風花さんからのメールも、そりゃそうだろうよと悔しがって、やむなく木更津から圏央道を使って茂原方面に逃げ出す羽目になりました。

この区間は僕が東北へ転勤した後に開通しているため、存在自体を忘れていました。茂原から東金までつながり、東金道路が横芝まで使える。横芝からは一般道で成田空港を目指して東関東道に乗り、すぐさま大栄インターで下道に戻って今度は神崎から稲敷まで伸びた圏央道に乗り直してみたら、これらがなかった時代の半分近くの時間で帰宅できました。

圏央道すげー・・・