Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

目がテンとはこのことか

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無双眼鏡のメンテナンスに出かけたら、なんかわけのわからない企画ものが。しかも真田雪村とか竹中半兵衛とか黒田官兵衛とか・・・なぜか九の一とかは売り切れだという・・・

シュワルツネッカーがターミネーターで使っていたサングラスだとか、クラーク・ケントの眼鏡と同モデルだとかっていうのは、モノが存在するわけですが、この企画ってさー、無理やりじゃんかよー。

五七(ごしち)日

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ドライブ中有の途にある母を供養するため、海の日の連休は三十五日法要を行います。故人はどちらかというと山girlな人で、リュックサックの荷造りの仕方は教えてくれましたが、シュノーケルの使い方は教えてくれませんでした。どのくらい山girlだったかは親父に聞けば話が早いけれども、早いだけでなく長いのでやめておきます。というより、たぶん聞かなくても話し始めることでしょう。僕が生まれる以前のことですが、北アルプスやら南アルプスやらの主要峰はすべて登頂しているという、けっこう見かけによらないお袋なのです。そう言われてみれば、一番古い記憶は野辺山の野原でキャンプをしたことで、粉末のメロンソーダを水筒の水で溶いて飲ませてもらったときの情景です。

親父と、親父の兄弟は全員山岳部出身で、お袋は親父と交際したばかりに山登り(実は岩も登れた)の手ほどきを受ける羽目になったのです。これが僕に受け継がれなかったのは、60年代に入ってからのこと、この兄弟どもがそろってモータリゼーションの洗礼を受けてカーキチ(死語)に転向してしまったからです。しかもそれぞれの愛用する車と同じメーカーの車には乗ってはならぬというくっだらない不文律を作りやがった親父たちの煽りをくらい、僕の場合は親父のお下がりのホンダZから始まったものの残されていた開拓地はスズキにしかなく、ジムニーからエスクードに至る人生が待ち受けていました。

「いいじゃないのよ。四輪駆動車に乗った男どもは今まで一人もいなかったんだから。ジムニーかっこいいわよ」

お袋はそうやって褒めてくれるのが上手でした。まさかとは思うのだけれど、いつしか不文律は消滅して、親父がジムニーに乗り出したのは、この逸話をお袋から聞いたからではないのか?という気もするのですが、

「あんたが乗ってた頃はよかったけどさー、そりゃ乗せてもらうんだったらエスクードの方がゆったりしていて楽だわよ」

なんてことを言って笑っていた話は、親父にはできませんです。

 

最初の月命日

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18物持ちが良いだけでなく、使い倒す人でした。

朝、起きてからの日課のひとつだったはずの日めくりは、亡くなる前日のまま。

物には、それが使われることで魂が宿ると言っていた。だけど、この日めくりを再び動かすかどうかで、ちょっと葛藤があります。

棚から非常食

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ばりぃさんおおぅ・・賞味期限切れてるぢゃねーか。

まあいいか。

19日と20日の夜会に平気な顔をして現れたら、腹は壊さなかったよということで。

台風一過

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江北沖縄から西日本にかけて猛威を振るった台風8号の関東接近対策は、前日が「ゴトウ日」であったことも手伝ってか、10日のうちに物流関係の仕事がこなされていたようです。昼時の港北ジャンクションも小菅ジャンクションもがらがら。いやーこりゃ快適だわー、と都心に入りはしたのですが、渋滞を考慮して到着時刻を設定していたためアポイントの時刻より大幅に早く着いてしまって、行くところがない。車を入れた「青空駐車場」周辺に喫茶店もない。

あとで聞いたら、今年一番の猛暑日だったとか。

やっぱり自分は雨男ではない。

という証明をしたものの、昼寝もできない一時間ほどの過酷なインターバルを余儀なくされるのでした。

謎の記念日認定

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記念という引き合いに、本日が認定されているウルトラマンを持ち出すのもあれなんですが、記念日を制定するのは国や公的機関やその対象を所有する民間であるのは自然の流れとして、それらを認定する立場というものにどれほどの社会的地位と権威があるものなのか。

はなはだ疑問を感じます。

ウルトラマンの日(7月10日)を制定したのは、ウルトラマンの製作者である円谷プロダクションですが、これを認定しているのは別の組織団体。円谷プロが申請・登録したことで公式認定日としてアナウンスされるようになりました。登録は有料となっています。

そういう認定団体があるのに驚き、しかも複数存在するのに二度びっくりです。

申請するのも登録料を支払うのもエントリーする人や団体の好きずきですけど、記念日が金銭のやり取りの対象になるのってぞっとしないわ。各団体とも一般社団法人格を有しているところに段取りの踏まえはあるものの、一社だからといって公共公益性に準じた業務をする必要は必ずしもないわけで、悪く言おうものなら記念日有料認定登録というのはいい商売だよなあと・・・

そんならあれですか、つくばーどを法人格にしちゃって「一緒に火星に行きましょう。エスクードマイレッジに登録すればあなたのエスクードの走行距離が加算されます。登録料はわずか五百円」とかやってもいいわけで・・・

いやそれって僕的にはどう考えてもインチキだわ。

天の川楫の音聞こゆ・・・

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andromeda-PIA04921-ga天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも

という柿本人麻呂の歌が七夕では定番ですが、七夕の伝承というか民話というか、牽牛と織女の物語は周知のこととして、万葉集に綴られているこの二人を詠んだ歌は想像以上にたくさんあります。もうそれこそ読み手の感性で、女々しかったり雄々しかったりちょこっと艶っぽかったりいろいろです。一つだけ共通しているのは、星空を見上げてその世界で繰り広げられる逢瀬を、太古の伝えから想像していることです。そこには現世の誰かと誰かが重ね合わせられていたかもしれませんが、時間軸も空間軸も、実は宇宙的スケールです。

しかしながら、万葉集自体が太古の文献となった今でさえ、天の川とやらを渡河した人類はただの一人もいないという、宇宙規模の中の、ヒトの存在のなんとちっぽけなことか。だからこそ万葉集の時代にすでに星の世界を詠みあげている壮大さが引き立ちもするのです。

ただひたすら仕事に励む織女をねぎらって婿を与え、その新婚生活がやがて織女の仕事に支障を来したものだから、それを怒って牽牛と引き離してしまったかと思えば、それはそれで忍びないよねと年に一度の逢瀬を許すという天帝の気まぐれにも困ったものですが、ななな、なにがどうしたんでしょうか?と翻弄される牽牛も哀れです。

が、この牽牛こと彦星にもなかなか勇ましい歌をささげた人々もいたようです。

年に装る 我が舟漕がむ 天の川 風は吹くとも 波立つなゆめ 

とか

天の川 打橋渡せ 妹が家道 やまず通はむ 時待たずとも 

とか

天の川 波は立つとも 我が舟は いざ漕ぎ出でむ 夜の更けぬ間に

こういう歌なら、我々の時代が太古と呼ばれる頃に、外宇宙に乗り出すアストロノートの口ずさむ流行歌にもなるかもしれません。

静寂の刻

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縁側すでに訃報から二週間も経過してしまっていますが、告別式の前後に関東各地でとんでもない量の大雨やら雹やら落雷やらが相次いだにもかかわらず、告別式の日だけ、危ういかなあと思っていた天候が崩れず、滞りない葬儀を済ませられました。が、その翌日から再び天気は大荒れという、行いが良かったのか罰が当たっているのかよくわからない先週でした。実は基地は現在、震災で破損した屋根やら二階のベランダやら老朽化した床の張り替えにようやくとりかかったところで、これがいつ完了するのか見通しが立たなかったのですが、大工さんが突貫で縁側の床を仕上げサッシュを入れてくれて、来客には何とか対応できる形になっていました。

「『いつまで座敷をベニヤ板なんかで目張りしておくのよ。明かりも風も通らないんじゃ熱中症になっちゃうよ』って、お母さんにせっつかれて、とにかく縁側は元に戻さねばと18日に仕上げたんです」

という話を大工さんが教えてくれました。お袋、なんと有能な指揮官だったことか。できればそのまま全体の工事も尻を叩いてほしかったですが、茶の間はひっそりとしています。

出生の秘密

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散策よもやの話ですが、自分に降りかかってくるとは思いもしなかった出生の秘密は、お袋の遺品の片付けのさなかに発覚したのです。

お袋は県南の雑貨商の次女として生まれ、高等学校は県南の女子高に通っていました。ただその頃はすでに学校自体は共学化されていたらしく、後に高校野球の強豪となる硬式野球部が存在していたようで、先輩の女生徒がマネージャーのような仕事をしていて、お袋はさらにその手伝いをしていたそうです。この先輩の女生徒は卒業後、当時野球部の顧問だった教諭と結婚され、その後もお袋とは交流が続きます。

余談としてその顧問のもとで野球部のコーチを務めていた青年が、この学校を強豪校に押し上げていくのですが、それはまた別の話。お袋は卒業後に都内の証券会社に就職し電車通勤を始めます。

この頃、僕の親父は都内の大学に通う貧乏学生だったようですが、恐れ多くも乗換駅となるホームで証券会社に勤める娘を見初め、早い話がナンパしやがったわけです。ここから先にはまだミッシングリンクが数年分残されていますが、後にこの二人は駆け落ちをしたことが、お袋の生前の逸話語りでわかっていました。

この駆け落ちがお袋の実家に許されるきっかけは、要するに僕自身が長男として生まれたことに始まるのです。そこまでは僕自身も知る両親の馴初でしたが、今回遺品の中から古い抄本が出てきて、そこに記されている両親の婚姻届日を観たら、僕が生まれるわずか三か月前のことでした。

つまりはうちの親たちって、できちゃった婚だったのよ。

いやはや・・・さすがにそこまでは知らなかったよ。入籍くらいしていただろうと思い込んでましたよ。家内を嫁に迎えるために正攻法で当たって砕けた僕の方が、よっぽどまともじゃんかよ(溜息)

人には歴史があるものです。

再開 母よ

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flight表題は間違っておりません。再会、と書く方が著名なことは承知の上です。本日より出稿を再開いたしますという意味合いであります。

6月19日未明、母が急性心不全で急逝しました。単身赴任する際に親の死に目には会えまいと思っていましたが、予想外に早く巡ってきまして、泣くほどのことはないにしても慌てさせられたのが当日でした。

家族すらも(第三者は)信じない世の中らしく、昨今は病室においても医者と看護師の前で息を引き取らない限りは警察が介入して検視するのです。

自宅においてはなおさらのことで、所轄の刑事課の半数がやってきたとか。世知辛い話だなあと思いましたが、友人に教えていただいたらこの行政と司法の仕組みは戦前から成り立っているそうで、彼らも都度、その心構えで対処してくれているのですよと。なるほどその通りです。

それらの騒ぎがすっかりおさまった後に、ようやく帰省しました。近所の遠縁の美容師の娘が化粧を施してくれた顔立ちは、ただ眠っているだけだろうと勘違いするほどに穏やかに微笑んでいるようでした。

享年七十八かと数えていたら、菩提寺の住職が、

「満何歳、という言い方は誕生日のその日のみに使うもので、御母堂は七十九歳と三か月というのが正しいのです。つまり数え年なら八十歳に入っている」

と教えてくれました。実は翌日が親父の満七十九歳の誕生日で、本来なら九か月早い生まれの親父ですが、お袋は最後の最後で数え年を使って追い越して行ったようです。まあそういうおちゃめな人ではあったのです。

倅としてはしてあげられることはしてきたつもりなので、悔やむことはありませんと言えるはずでしたが、遺影に使うための写真を探していて気がついたのは、親父や家内や娘たちと一緒の写真はあるものの、僕と二人で写っているものが最近の写真には無いんだなあということ。まさしく後悔先に立たずでした。

昨日の風花さんの「花」は、ノウゼンカヅラ。これ、お袋の好きな花でした。