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  ~懲りない傾向~

76年世界選手権イン・ジャパンの再現

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huntいろいろあって一か月も前のことになっちゃうのですが、封切りの翌日に「RUSH」を観ました。因縁のドイツGPから始まり、いったん1970年のF3へ遡ってジェームズ・ハントとニキ・ラウダの出会いを描きながら、怒涛の勢いでフェラーリのニキ、マクラーレンのジェームズという一騎打ちの構図へとなだれ込み、ジェームズはファッションモデルのかみさんを俳優のリチャード・バートンに寝取られ落ち込み(そこかよ)、ニキはクラッシュから死線をさまよい42日後に奇跡の復帰。そして最終戦の富士スピードウエイへと、もったいないほど超高速でストーリーが進んでいく。

でもこれは史実に基づく物語なので、76年シーズンのF1グランドチャンピオンは、僅差のトップでジェームズがもぎ取り幕を下ろしていくのです。

この流れは逆立ちしたって変わらないのだけれど、今や伝説上のF1レーサーであるはずの2人って、セナやプロスト(うーん、この時点でもう古い?)なんかよりもずっと身近な存在だったなあと感じるのでした。ビデオデッキなど家庭には無い時代でしたから、TBSの生放送を食い入るように見ていたのを思い出します。

それとてたまたまF1が日本で初開催されるという一大イベントゆえの番組枠。雨天の予選やらアクシデントやらでスタートが遅れに遅れての、録画放送から生中継への変更という番狂わせだったと思います。実際には興行的にも未知の世界のドライバーたちで、フジテレビによる年間全戦放送時代よりもはるかに遠い世界のはずのF1なのです。それでも個性的なレーサー、アクの強いマシン、判り易いチーム構成など、記憶に残る面々だったのです(後に赤いペガサスをはじめとするF1サーカスの漫画で感化されてもいきますし)

それにしても主役がこの2人ですから、第16戦inジャパンに出走していたマリオ・アンドレッティ、ジョン・ワトソン、ジョディ・シェクター、カルロス・パーチェ、クレイ・レガッツォーニ、ヴィットリオ・ブランビラ、ロニー・ピーターソン、長谷見昌弘(以下略)なんか、いるけれどいないも同然。レガッツォーニだけはフェラーリのドライバーとして登場してきますが、それ以外は「あ、たぶんこいつがマリオで、この人がシェクター」てな扱いです。

もちろんこの映画は富士スピードウエイでロケなんかしていないんですが、グリッド上のレースクイーンが持つプラカードにはアルファベットと同時にカタカナで選手名が記載されていたり、スタンド周辺もなんとなくそれっぽく演出されていたり、カット割りで富士山が出てきたりで、細かいことはもういいやというムードでレースが繰り広げられます。もちろん史実に基づくのでニキは2周走って雨天の危険さを訴え自主リタイアしてしまう。

仮に走り続けていてもジェームズは4位以内に入ればタイトル確定ですが、この年のタイトルポイントはわずか1点の逆転劇。何が起きたかわからないという緊迫の一戦には違いなかったのです。そういうたら・ればの思いをあざ笑うようにレースはマリオのロータス2年ぶりの優勝という結果におさまっていきます。

専門的なところはわかりませんから、粗を拾う点はいくつもあるのでしょうけど、単にF1マシンを走らせるだけでなく、ウエットレースという当日のコンディションをも映像上に再現してカットをつないでいくというのは、ある意味「アポロ13」で描かれたサターンロケットの打ち上げや宇宙の描写よりも難しいモノだったのではないか。富士のシーンはいろいろな雰囲気で懐かしくもあり、それ以上に70年代初頭のヨーロッパでのF3の世界を描いて見せてくれた(実に牧歌的で草レースしているのね)のも印象的でした。

ただ、こういう映画って、日本では誰が観に来るんだろうなあという客層が読めない部分は一抹の不安です。そしたら、家内と観に行ったシネコンではいかにも「オレ好きだったんだよニキ・ラウダ」な老夫婦・・・もいらっしゃいましたが、意外と「きみたちこの頃まだ生まれていなかったよね」といった世代の30代前半どころか、若い人たちがけっこう座っていました。ライブで知らなくてもF1が好きな人たちは来るのだね。

「お父さんがお前くらいのときにほんとにやってたんだよこのレース!」

と、10歳くらいの一姫二太郎なお子さん2人を連れた、僕より当然若い親子連れがすぐ前の席にいたんですが、映画の冒頭、女ったらしという風評設定そのままのジェームズが入院した病院のナースといきなり・・・ってなシーンや、忘れた頃に結婚したてのニキもハネムーン先でかみさんと・・・なシーンが展開しちゃったのは、ばつが悪かったんじゃないかなあ。

そして三年目

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絆確実に風化しているけれど、記憶からも記録からも消し去ることのできない出来事。でも、新聞の記事を読んでもテレビの企画番組を見ても、その日を伝えようというテーマの影に、何か違和感を拭い去れません。

論説もナレーションも、ましてやバックグラウンドに流れる音楽も、要らないものではないのか? ブログに書くこと自体が破綻しているとはいえ、第三者ではない人々の言葉と、その日の光景だけをとらえた映像と音にしか、伝えきれるものは無いんだと実感します。『あいさつの魔法』なんて、もう誰も歌ったりしていない・・・

真昼の葛藤

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帰還主治医のところかららすかるを引き取り、三代目エスクードを返却に出かけて思うのは、代走した三代目が9年も前のモデルながら快適この上ない性能であること。しかもまだ3万キロ台という上質の個体です。レンタカーとして整備されているため、オイル管理もしっかりしているし立てつけが悪いと言われた異音とやらも出ていません。一昨年借りたときには2万キロの個体で「中古車として買い取ったら乗り出し120万円」と、ちょっと考えちゃおうかなと揺らめいたものでした。しかし乗り手がいないし置き場にも困るから実現していませんけどね。お店で取り扱ってくれている間は、機会を作ってまた借り受ける間柄は、案外理想の関係かもしれません。

そして帰ってきたらすかるに乗り換えると、さらに9年古いこいつはどうあがいても快適さで2世代分負けてます。でも、FRでも直結四駆でも、軽快さがなんともいえない好みの味わいで、直ってくれてよかったの一言に尽きます。最初に確認したダメージはリアバンパーの交換で済むと思いましたが排気管が押されて触媒あたりで破損し、O2センサもパンク。さらにエンジンをも押してしまってベルトの掛かりにに歪みが生じ、オルタネータまで正常に動作しなくなるなどのトラブルに及んでいました。引きちぎられてばらばらになってしまったテンロクノマド用の初期の泥除けはさすがに再生不可能で在庫もなく、樹脂板のつるつるのもので代用。バンパーも在庫なしのためどうしようと思っていたら、中古品が手に入りなんとかなりました。

当初は5月ごろに50万キロの大台達成と皮算用していましたが、2か月ほど先送りになりそうです。まあ多くは望めないです。だけど、らすかるは乗りやすいと言いながらも3代目の快適さと安定さに慣れてしまっただけに、感覚を元に戻していくのはちょっと大変です。加えて劇的にわかってしまったのが、一カ月近くしっかりした足回りのエスクードに乗っていたため、らすかるのショックがずたぼろにへたっているのを確認できてしまったことです。これをなんとかあと2万キロだましだまし引っ張らねば・・・

真夜中の出張

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宮古へ岩手県の宮古市まで、朝の8時に来いと言われれば、これを拒否することもできずにひたすら北上するしかありませんが、そういう日に限って仙台での仕事が夜までかかりきりで、おまけにことし3度目か4度目かの南岸低気圧の発達で、仙台でさえ朝から雪です。へたをすると東北道を止められるかもしれないし、止まらなくとも移動速度を大幅に抑制されてしまう。ということは、やっぱり夜通し走って現地ビバークするしかない・・・

冬でなければ盛岡からダイレクトに宮古を目指すのですが、東北道がすでに圧雪とはいえチェーン規制。国道106号がどんな状態か見当もつかず、とりあえず凍結は必至だろうから行きたくない筆頭候補です。

やや遠回りになるけれど、花巻から遠野経由で釜石まで出て、沿岸の国道45号で宮古へ向かいます。おおむね300キロと脳内試算。このエスクードにはカーナビゲーションは付いているけれど、車体が9年前のモデルで当時の地図情報ですからデータ自体がもっと古く、東和から宮守までの東北横断道も遠野から釜石までの仙人道路も載っておらず、正確な距離と到着時間が出せません。これは燃料消費率と給油のタイミングを計るのが難しい。宮古まで行ったらその出張経費に見合うだけの立ち寄り仕事をしなくてはならないから、帰路の変なところで燃料不足に陥りたくないのです。

ひたすら106号へ誘導しようとするナビゲーションは、夏だって夜中は走りたくないよの立丸峠へ誘導しやがりますが、これを無視して釜石へむかうと、もうどこのガソリンスタンドもやっていません。それは見越して東北道を降りる前に前沢SAで給油をしています。

風呂しかしそこからが意外なことに、釜石までの圧雪路と凍結路を一人ぼっちで走ってきたら、燃料が減らない。制限速度をちょっと上回りながらもアクセルワークをずーっとパーシャル寄りで操作してきたのが良かったのか? 瞬間燃費も加速時以外はリッター15キロ台から下がりませんでした。

混雑していたら不可能な燃費のまま、仙台から4時間ちょっとで宮古に到着です。外気温は氷点下6度。いやー、こりゃー車中泊はやだなあと市街地に近づいたら、いつオープンしたのか真新しいビジネスホテルが明かりをともしているではありませんか。シングル空いてる? と聞いたら2部屋あったですよ。

これで金曜日の仕事は滞りなくこなせ、沿岸の被災地を訪ねながら仙台をスルーして基地へとひた走るのでありました。TD94Wの代走は任務完了。らすかるが修理を終えて戻ってきます。

 

連   鎖

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くうがにこりともせずに僕の胃袋の中の異常を宣告しながら、オダギリジョーファンであることも隠そうとしない、とあるクリニックの女医さんが

「五代君、昨年日本に帰ってきましたよ」

と聞き捨てならないことをしらっと言ったことが昨日の記事の主軸(いやそこじゃないだろう)

概略を伺ったら、「仮面ライダークウガ」の脚本を担当していた新川稔久さんが、昨年の春に「13年後のエピソード」を小説に書き下ろしたのだそうです。

今どきと言えないほど時間が経過しているので、今さら感ありありながらも癌検診といういやーな日々を送る上での気晴らしにこれを探して読んでおりました。聖悠紀さん好きな本屋のおばちゃんがいたりオダジョーでクウガがわかる女医さんがいたり、仙台って面白いところです。

が、ここからお話は俄然つまらないところへ行きます。

女医さんから「がーんっ」とぶちかまされた頃、僕はある団体の依頼でエネルギー問題に関する冊子の編集を請け負っていたところで、クライアントの代表者が執筆するはずのメッセージ原稿が上がってこないことと、この冊子のタイトルが決まらないことで頭を抱えていました。

メッセージなんかはいざとなったふらゴーストライトしてしまえば済むけれど、冊子のタイトルだけはへんてこなものをつけられませんので、3日三晩脳の筋肉(笑)をフル稼働諭せて考えついた言葉が『地球回廊』でした。若い頃にジェイムズ・ラヴロック(僕の頃はジェイムズじゃなくてジムだった)を読みふけり、ガイア理論を研究したことがあったので、エネルギーと人のつながりをイメージさせて考えたタイトルです。

で、この4文字を入稿表に打ち込みながら・・・まてよ? よもやまさかで、この言葉が余所で使われていたりしないだろうなと、念のために検索してみたところ、岐阜県の瑞浪市という自治体が市政コピーとして使用しておりました。

ああっ、だめじゃん。知らなかったとはいえ二番煎じじゃん・・・と、この案はあえなく没になるのです。

そしてまた3日も時間かけてらんねーよと、これを横文字に置き換えながら別のタイトルを無事にひねり出して手が離れた後、くだんの「小説 仮面ライダークウガ」をようやく手に入れ、読み始めたところ、登場人物のその後を説明的に対話するシークエンスの中に、瑞浪市、という一言が刻まれていたのです。

こここ、このやろー喧嘩売ってんのかーっっっっ

しかも、ここで出てくる瑞浪市は、クウガの主人公である五代雄介の相棒である警視庁の一条薫刑事の元上司の松倉さんの娘さんが住んでいる場所という、本編には何のかかわりもない、きっと僕以外の読み手にはきわめてどうでもいい位置づけで書かれているのでした。

うーん・・・この記事自体、僕以外の誰にもなんのことかわかんないオチになってしまった。しかし今さら感と言いながら、このクウガの小説、わざとらしいながらもけっこうおもしろいです。

戦   慄

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totoros息子二十五、娘十九が青年時の厄年と云われており、この厄は親が肩代わりするとよく聞いてきました。聞いていた割にはそういうことを忘れ去るのが日常で、不意に思い出してはびびらされる。平成七年生まれの女の子は、昨年がまさしくこの厄年にあたっていまして、我が家で言えば霰がそうだったのです。これに気づいたのが正月の初詣のときだったのだから、まあ能天気だったわけですが、それを言われてみれば、昨年は2月に階段から落ちて頭を強打するし、9月にあの入院騒ぎ。それで年末に足の骨の問題が続いて先日胃に影があるなどと告げられちゃったのは、そういうことだったのかと大いに戦慄したのであります。

あれ? でももう厄年は後厄に入ったから胃の話は違うよな? と思ったら、厄の読み方は数え年で、霰が19歳になったのは12月なので、この場合ずらして考えるからこその後厄なのか? いやいやちょっと待て、ということは、2歳離れている霙はことし前厄じゃねーか・・・ というわけで、ことしも東海村の村松虚空蔵樽に厄払いに行くことにします。

その一方で、娘らが送って来たメールによると、僕の黄道十二宮の天体の動きでは、土星、火星、木星がそれぞれ良い傾向で運気の上昇をもたらすポジションに動いていくとかで、仕事運も経済運も健康運も恋愛運(おせーよ今頃)も順風満帆の2014年なのだとか。

なんだかなあ・・・

 

宣   告

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とんぼ玉「お腹にちょっと嫌な影があります。精密検査してください」

と言われたのが2月の始めでした。社会保険で契約している健康診断のX線検査の結果が、健康診断指標としては過去最高に悪い判定でした。こちらに転勤して顔なじみになっている女医さんなので、そりゃあれですか、腹の中にアマダムでも入ってますかね?などと軽口をたたこうものなら、

「五代君だってもう10何年も傷ついたままです。でも彼は去年、日本に帰ってきましたけどね」

という期待を裏切らない「ふざけてんじゃねーよ」な返答をにこりともせずにするのです。えっ? なにそれ、五代雄介が帰国したっていうのは全く知らなかった話ですよ?

「ですから雷蔵さん、今はクウガの話ではなく、あなたの胃の中の影の話を真剣に考えてください」

はは、はい。今度、鬼塚神社の源流に行って鍛え直してきますとわけのわからないことを言いながら紹介状と予約表をもらって、うわーどうすんだよ遂に来ちゃったのかよと、けっこう真面目に途方に暮れていたのです。

その後、新年会の翌週にあの悪魔のようなファイバースコープを喉から突っ込まれてうげげげげっとやられまして、待つこと月末までまんじりともしない時間を過ごしておりました。その間、女医さんが言っていた仮面ライダークウガの小説を探して気晴らしに読んでいたりするのだけれどそれはまた別の話。

「腫瘍できてます。が、いわゆるポリープだとか癌の病巣になる腫というのは胃の粘膜上にできるもので、雷蔵さんの場合は粘膜下。これは成長しないとは言いきれませんが、今の大きさならば悪性にはあたらないですね。それよりも診断表にある白血球異常の方が問題じゃないかな。血液内科にも行きますよね?」

内視鏡センターで胃腸科のドクターから診断を聞くまで、針の簟っちゃあこういうことだったかと実感しました。まあそんなわけで、僕の体内にあるかもしれない(ねーよ)アマダム霊石は、きっと、とんぼだまのような青か緑です。しかし理想体重が66キロだとさ、ばかゆってんじねーよな数値です。だれか贅肉取り除いてくれ・・・

 

23年いろいろあります

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TA01W-HH89この写真は23年前のもので、平成3年の3月3日(ひな祭りの日曜日で友引だか大安だったという出来すぎの日取り)に挙式と披露宴と二次会をこなし、翌日からそれぞれ年度末の忙しい仕事・・・と言おうものなら

「ばかかお前らは! とりあえず新婚旅行くらい行ってきやがれ!」

てな具合で二次会の会場をたたき出され、そんなことを言われても何も計画立てていないんだよほんとに忙しいんだよと、困り果てながら東北道をてれてれと北上し、4日朝にたどり着いたのが小岩井農場。の1カットです。

まだ二十代ですよ。このヘリーハンセンも乗り始めて2年めの終わりだから、この頃だと2万キロちょっとですよ。この年の夏には中通から会津にかけての林道をずいぶんと走りに行き、冬にはそのあたりのゲレンデに通い、翌年の夏には家内のGTSルックなFB13「うさにー」で津軽半島を旅しているので、どうもこの当時から東北には引き寄せられていたらしいです(もちろん結婚する前年にも、このエスクードで遠野周辺の林道めぐりに来ているのですが)

たぶんこの頃、今の生活なんか想像もしていなかったでしょう。宿泊した宿で晩餐の時に、宿のオーナーから「ご主人は」「奥さまは」などと呼ばれて浮き足立っていた程度ですから。まさか時間を巻き戻したいとか取り戻したいとかは思ったりしませんけど、20年を過ぎるといろんなものがのしかかっていることを自覚します(遅いって)

 

 

記念日なんだけれど主役はこっち

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ひな壇ことしはまともな飾りつけです。

年中行事でもあり風物詩でもあり、3月3日はどうしてもこの話題になっちゃいますが、実は私ら結婚記念日でして、そっちを取り上げたくとも一般受けしないのでひな祭りに主役を奪われっぱなしの23年です。結婚記念日というと、何年かおきに冠がつくこの文化は、どこで生まれてどんなふうにして細分化されてきたのか。よくもこれだけあてはめたものです。銀婚式から先くらいしか知らなかったけれど、まだそこにもたどり着いていないだけに、金だのダイヤモンドだのは想像もつきません。

 

 

親には似なかった娘

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通知まだ最終的に大学受験が終わったわけではありませんが、霰は無事に高校を卒業できることになりました。義務教育の9年間に続き、この3年間も無遅刻無欠席を貫きやがりました(ここがサボり常習犯の父親にも不登校児童経験者の母親にも似なかった)。

世の中のほとんどの「ヒト」は泥にまみれていた頃がある。
深い深い泥にはまり、もがき苦しんで、そこから抜け出せたから今の自分がいる。
しかしまた導かれる様に泥にはまってしまう・・・そうか、人生とはスタックの連続なのだ。
また泣きながら抜け出せばいい。時には友人の力を借りたっていい。
その泥沼から一歩抜け出せたとき、君はさらに長い脚を得る事だろう。

というメッセージを、彼女はずーっと昔にある出来事をきっかけにして、いただいたことがあります。まあこの先あんまり塗れてはもらいたくないんですが、ここまではよく頑張ってきたと思います。いよいよ親離れ子離れですかね・・・

と、考えてたんですが、最終的に、目標の志望先に蹴飛ばされた場合、こいつはよりによって僕の後輩になるらしいのです。学閥どころか、学部まで一緒じゃねーか。そうなるとさー、話は別なんだよね。縦社会を一から教え込まねばね。なんせそういう学校だから(笑)