Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

はやぶさに乗る

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gc02朝一で東京本社に殴り込み、午後4時の仙台での仕事に間に合わせるには、どうあがいてもBLUEらすかるの速度では間に合いません。これはもう、はやぶさに乗るしかないというわけで、乗るんですけど、まあたぶんこんな座席はあり得なくて、自由席だよな・・・(はやぶさ、こまちは全席指定だってことを知らない大ばか者)

ああもう3月がおわっちゃうよー。この忙しいときに何度も何度も呼び出すなよ・・・

意外と要領の良い怠け者

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ゆきどけ一昨年の暮れから冬にかけては故障による長期修理入院。今年の冬は追突されての一カ月弱の修理入庫。転勤した年の冬とその次の冬に酷使されたのがよほどいやだったのか、冬籠りしたがるくせがついてしまったかもしれません。まあ確かにうちへ来たときすでに融雪剤に浸蝕されまくっていた車体だから、もしもこいつに意志があるなら勘弁してくれと言いたいのでしょう。

しかしもう少しで雪解けだ。念入りに手入れをしてやるから春からは怠けるな。

インターフェースの変貌

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ip自分が学生生活を始めるときには、債権譲渡とかなんとかやりながら黒電話を引きましたが、その回線はいずれ誰かが一人暮らしを始めるときのために存続させてきたわけです。ところがいまどきそういうものはほぼ必要なしという・・・

その頃大枚はたいて購入したのが和文タイプライターで、あれがまた重いのなんの。店から下宿まで自力で運ぶのに大汗をかいたものです。それに代わって登場する最初のワードプロセッサも3キロくらいはありました。ワープロはその後4機種ほど買い換え、最後の機種にMS‐DOSとやらの通信機能が搭載され、パソコン通信にようやく届くのです。

要するにパソコンというものが手元に現れて、実はまだ18年程度の素人なのです。OSはWINDOWS95の終わりごろです。この時点でまだ、携帯電話は持っていなかったはず。写真だって銀塩ものです。現在データ通信カード1回線と、FOMA5台持ちという暮らしは想像もできませんでしたが、そういった機器がほぼひとまとめにできるなんてのは、ほとんどSFの領域でしたよ。

まさか一度に2個もiphone乗換えになるとは・・・ ま、僕が使うわけじゃありませんですが。

 

怒涛の買い出しタスク

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s9500この連休がすべて仕事に塗りつぶされてしまったので、霰の生活基盤を確保するための準備を先々週行っていました。入学金の納付やらアパート探しとその賃貸契約2年分の一括支払いやら細々とした買い出しやらで、諭吉が300人ほどすっ飛んで行きました。これじゃあ何のために貧困対策で国立に行けと言ってきたのかわからんくなってしまいましたが、賃貸契約をさすがに4年分どーんと、とは行きませんです。まあ途中でもう少し条件の良いところに転居するかもしれないし、2年は妥当です(それだってジムニー1台まるごと買えるぜ)。これから納付する授業料はさすがに私立の半額で、冷や汗で済みました。それにしても、3年前の自分の転勤のときって、こんなに物資豊富じゃなかったよ。

今どきの賃貸なので大型家電製品が部屋にあるというものの、僕が進学で下宿したときとは必需品も変わりました。その筆頭が、ノートパソコンとプリンタースキャナーで、インターネットへの接続環境は備わっているらしいけれど、メールアドレスなどのアカウントは自分で取得しなくてはならない。これでどこのアカウントを取るかで迷走です。FaceBookでもいいのかと思ったら、自分をさらすのはごめんだと言う。使いやすいアカウントってどこにしたらいいものでしょうかね。

あとは衣類だの布団だのカーテンだの書き出したらきりがない中で、パソコンを買い求めたときに目に入ったコンデジが交渉し甲斐のありそうな決算ものというので、店員と談笑しつつ破格の値段で買い取りました。ニコンのコンデジを買うのも4年ぶりくらいですけど、つまんない方向にばかり多機能高度化していて、手持ちで軽量を活かしたいスピード感(データの取り込み)についてはろくに進歩していません。

さて連休にも帰れなかったので、霰とはしばし別の暮らしになってしまうのですがどのみち親離れだし、あとは荷造りと搬送なので、好きにやってもらいましょう。

実は似た者同士だったかの父と娘

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新調親に似なかった・・・と一度は書いていますから、何を矛盾したこと言っているのかと思われそうです。しかし言い出したら聞かないというところにおいては「誰に似たんだ」「たぶんお父さんでしょ」の見解を見るのでした。

その言い出したら聞かない「らしい」(おい)親の言うことを振り切り、霰は高校進学のときに続いてまたも父親の後輩になるのを拒否しやがりまして、保安上どことは申しませんが、まあけっこう遠い街の国立大に単身乗り込むこととなりました。ちくしょー、国立じゃあこっちが歯が立たねーよ(笑)

76年世界選手権イン・ジャパンの再現

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huntいろいろあって一か月も前のことになっちゃうのですが、封切りの翌日に「RUSH」を観ました。因縁のドイツGPから始まり、いったん1970年のF3へ遡ってジェームズ・ハントとニキ・ラウダの出会いを描きながら、怒涛の勢いでフェラーリのニキ、マクラーレンのジェームズという一騎打ちの構図へとなだれ込み、ジェームズはファッションモデルのかみさんを俳優のリチャード・バートンに寝取られ落ち込み(そこかよ)、ニキはクラッシュから死線をさまよい42日後に奇跡の復帰。そして最終戦の富士スピードウエイへと、もったいないほど超高速でストーリーが進んでいく。

でもこれは史実に基づく物語なので、76年シーズンのF1グランドチャンピオンは、僅差のトップでジェームズがもぎ取り幕を下ろしていくのです。

この流れは逆立ちしたって変わらないのだけれど、今や伝説上のF1レーサーであるはずの2人って、セナやプロスト(うーん、この時点でもう古い?)なんかよりもずっと身近な存在だったなあと感じるのでした。ビデオデッキなど家庭には無い時代でしたから、TBSの生放送を食い入るように見ていたのを思い出します。

それとてたまたまF1が日本で初開催されるという一大イベントゆえの番組枠。雨天の予選やらアクシデントやらでスタートが遅れに遅れての、録画放送から生中継への変更という番狂わせだったと思います。実際には興行的にも未知の世界のドライバーたちで、フジテレビによる年間全戦放送時代よりもはるかに遠い世界のはずのF1なのです。それでも個性的なレーサー、アクの強いマシン、判り易いチーム構成など、記憶に残る面々だったのです(後に赤いペガサスをはじめとするF1サーカスの漫画で感化されてもいきますし)

それにしても主役がこの2人ですから、第16戦inジャパンに出走していたマリオ・アンドレッティ、ジョン・ワトソン、ジョディ・シェクター、カルロス・パーチェ、クレイ・レガッツォーニ、ヴィットリオ・ブランビラ、ロニー・ピーターソン、長谷見昌弘(以下略)なんか、いるけれどいないも同然。レガッツォーニだけはフェラーリのドライバーとして登場してきますが、それ以外は「あ、たぶんこいつがマリオで、この人がシェクター」てな扱いです。

もちろんこの映画は富士スピードウエイでロケなんかしていないんですが、グリッド上のレースクイーンが持つプラカードにはアルファベットと同時にカタカナで選手名が記載されていたり、スタンド周辺もなんとなくそれっぽく演出されていたり、カット割りで富士山が出てきたりで、細かいことはもういいやというムードでレースが繰り広げられます。もちろん史実に基づくのでニキは2周走って雨天の危険さを訴え自主リタイアしてしまう。

仮に走り続けていてもジェームズは4位以内に入ればタイトル確定ですが、この年のタイトルポイントはわずか1点の逆転劇。何が起きたかわからないという緊迫の一戦には違いなかったのです。そういうたら・ればの思いをあざ笑うようにレースはマリオのロータス2年ぶりの優勝という結果におさまっていきます。

専門的なところはわかりませんから、粗を拾う点はいくつもあるのでしょうけど、単にF1マシンを走らせるだけでなく、ウエットレースという当日のコンディションをも映像上に再現してカットをつないでいくというのは、ある意味「アポロ13」で描かれたサターンロケットの打ち上げや宇宙の描写よりも難しいモノだったのではないか。富士のシーンはいろいろな雰囲気で懐かしくもあり、それ以上に70年代初頭のヨーロッパでのF3の世界を描いて見せてくれた(実に牧歌的で草レースしているのね)のも印象的でした。

ただ、こういう映画って、日本では誰が観に来るんだろうなあという客層が読めない部分は一抹の不安です。そしたら、家内と観に行ったシネコンではいかにも「オレ好きだったんだよニキ・ラウダ」な老夫婦・・・もいらっしゃいましたが、意外と「きみたちこの頃まだ生まれていなかったよね」といった世代の30代前半どころか、若い人たちがけっこう座っていました。ライブで知らなくてもF1が好きな人たちは来るのだね。

「お父さんがお前くらいのときにほんとにやってたんだよこのレース!」

と、10歳くらいの一姫二太郎なお子さん2人を連れた、僕より当然若い親子連れがすぐ前の席にいたんですが、映画の冒頭、女ったらしという風評設定そのままのジェームズが入院した病院のナースといきなり・・・ってなシーンや、忘れた頃に結婚したてのニキもハネムーン先でかみさんと・・・なシーンが展開しちゃったのは、ばつが悪かったんじゃないかなあ。

そして三年目

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絆確実に風化しているけれど、記憶からも記録からも消し去ることのできない出来事。でも、新聞の記事を読んでもテレビの企画番組を見ても、その日を伝えようというテーマの影に、何か違和感を拭い去れません。

論説もナレーションも、ましてやバックグラウンドに流れる音楽も、要らないものではないのか? ブログに書くこと自体が破綻しているとはいえ、第三者ではない人々の言葉と、その日の光景だけをとらえた映像と音にしか、伝えきれるものは無いんだと実感します。『あいさつの魔法』なんて、もう誰も歌ったりしていない・・・

真昼の葛藤

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帰還主治医のところかららすかるを引き取り、三代目エスクードを返却に出かけて思うのは、代走した三代目が9年も前のモデルながら快適この上ない性能であること。しかもまだ3万キロ台という上質の個体です。レンタカーとして整備されているため、オイル管理もしっかりしているし立てつけが悪いと言われた異音とやらも出ていません。一昨年借りたときには2万キロの個体で「中古車として買い取ったら乗り出し120万円」と、ちょっと考えちゃおうかなと揺らめいたものでした。しかし乗り手がいないし置き場にも困るから実現していませんけどね。お店で取り扱ってくれている間は、機会を作ってまた借り受ける間柄は、案外理想の関係かもしれません。

そして帰ってきたらすかるに乗り換えると、さらに9年古いこいつはどうあがいても快適さで2世代分負けてます。でも、FRでも直結四駆でも、軽快さがなんともいえない好みの味わいで、直ってくれてよかったの一言に尽きます。最初に確認したダメージはリアバンパーの交換で済むと思いましたが排気管が押されて触媒あたりで破損し、O2センサもパンク。さらにエンジンをも押してしまってベルトの掛かりにに歪みが生じ、オルタネータまで正常に動作しなくなるなどのトラブルに及んでいました。引きちぎられてばらばらになってしまったテンロクノマド用の初期の泥除けはさすがに再生不可能で在庫もなく、樹脂板のつるつるのもので代用。バンパーも在庫なしのためどうしようと思っていたら、中古品が手に入りなんとかなりました。

当初は5月ごろに50万キロの大台達成と皮算用していましたが、2か月ほど先送りになりそうです。まあ多くは望めないです。だけど、らすかるは乗りやすいと言いながらも3代目の快適さと安定さに慣れてしまっただけに、感覚を元に戻していくのはちょっと大変です。加えて劇的にわかってしまったのが、一カ月近くしっかりした足回りのエスクードに乗っていたため、らすかるのショックがずたぼろにへたっているのを確認できてしまったことです。これをなんとかあと2万キロだましだまし引っ張らねば・・・

真夜中の出張

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宮古へ岩手県の宮古市まで、朝の8時に来いと言われれば、これを拒否することもできずにひたすら北上するしかありませんが、そういう日に限って仙台での仕事が夜までかかりきりで、おまけにことし3度目か4度目かの南岸低気圧の発達で、仙台でさえ朝から雪です。へたをすると東北道を止められるかもしれないし、止まらなくとも移動速度を大幅に抑制されてしまう。ということは、やっぱり夜通し走って現地ビバークするしかない・・・

冬でなければ盛岡からダイレクトに宮古を目指すのですが、東北道がすでに圧雪とはいえチェーン規制。国道106号がどんな状態か見当もつかず、とりあえず凍結は必至だろうから行きたくない筆頭候補です。

やや遠回りになるけれど、花巻から遠野経由で釜石まで出て、沿岸の国道45号で宮古へ向かいます。おおむね300キロと脳内試算。このエスクードにはカーナビゲーションは付いているけれど、車体が9年前のモデルで当時の地図情報ですからデータ自体がもっと古く、東和から宮守までの東北横断道も遠野から釜石までの仙人道路も載っておらず、正確な距離と到着時間が出せません。これは燃料消費率と給油のタイミングを計るのが難しい。宮古まで行ったらその出張経費に見合うだけの立ち寄り仕事をしなくてはならないから、帰路の変なところで燃料不足に陥りたくないのです。

ひたすら106号へ誘導しようとするナビゲーションは、夏だって夜中は走りたくないよの立丸峠へ誘導しやがりますが、これを無視して釜石へむかうと、もうどこのガソリンスタンドもやっていません。それは見越して東北道を降りる前に前沢SAで給油をしています。

風呂しかしそこからが意外なことに、釜石までの圧雪路と凍結路を一人ぼっちで走ってきたら、燃料が減らない。制限速度をちょっと上回りながらもアクセルワークをずーっとパーシャル寄りで操作してきたのが良かったのか? 瞬間燃費も加速時以外はリッター15キロ台から下がりませんでした。

混雑していたら不可能な燃費のまま、仙台から4時間ちょっとで宮古に到着です。外気温は氷点下6度。いやー、こりゃー車中泊はやだなあと市街地に近づいたら、いつオープンしたのか真新しいビジネスホテルが明かりをともしているではありませんか。シングル空いてる? と聞いたら2部屋あったですよ。

これで金曜日の仕事は滞りなくこなせ、沿岸の被災地を訪ねながら仙台をスルーして基地へとひた走るのでありました。TD94Wの代走は任務完了。らすかるが修理を終えて戻ってきます。

 

連   鎖

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くうがにこりともせずに僕の胃袋の中の異常を宣告しながら、オダギリジョーファンであることも隠そうとしない、とあるクリニックの女医さんが

「五代君、昨年日本に帰ってきましたよ」

と聞き捨てならないことをしらっと言ったことが昨日の記事の主軸(いやそこじゃないだろう)

概略を伺ったら、「仮面ライダークウガ」の脚本を担当していた新川稔久さんが、昨年の春に「13年後のエピソード」を小説に書き下ろしたのだそうです。

今どきと言えないほど時間が経過しているので、今さら感ありありながらも癌検診といういやーな日々を送る上での気晴らしにこれを探して読んでおりました。聖悠紀さん好きな本屋のおばちゃんがいたりオダジョーでクウガがわかる女医さんがいたり、仙台って面白いところです。

が、ここからお話は俄然つまらないところへ行きます。

女医さんから「がーんっ」とぶちかまされた頃、僕はある団体の依頼でエネルギー問題に関する冊子の編集を請け負っていたところで、クライアントの代表者が執筆するはずのメッセージ原稿が上がってこないことと、この冊子のタイトルが決まらないことで頭を抱えていました。

メッセージなんかはいざとなったふらゴーストライトしてしまえば済むけれど、冊子のタイトルだけはへんてこなものをつけられませんので、3日三晩脳の筋肉(笑)をフル稼働諭せて考えついた言葉が『地球回廊』でした。若い頃にジェイムズ・ラヴロック(僕の頃はジェイムズじゃなくてジムだった)を読みふけり、ガイア理論を研究したことがあったので、エネルギーと人のつながりをイメージさせて考えたタイトルです。

で、この4文字を入稿表に打ち込みながら・・・まてよ? よもやまさかで、この言葉が余所で使われていたりしないだろうなと、念のために検索してみたところ、岐阜県の瑞浪市という自治体が市政コピーとして使用しておりました。

ああっ、だめじゃん。知らなかったとはいえ二番煎じじゃん・・・と、この案はあえなく没になるのです。

そしてまた3日も時間かけてらんねーよと、これを横文字に置き換えながら別のタイトルを無事にひねり出して手が離れた後、くだんの「小説 仮面ライダークウガ」をようやく手に入れ、読み始めたところ、登場人物のその後を説明的に対話するシークエンスの中に、瑞浪市、という一言が刻まれていたのです。

こここ、このやろー喧嘩売ってんのかーっっっっ

しかも、ここで出てくる瑞浪市は、クウガの主人公である五代雄介の相棒である警視庁の一条薫刑事の元上司の松倉さんの娘さんが住んでいる場所という、本編には何のかかわりもない、きっと僕以外の読み手にはきわめてどうでもいい位置づけで書かれているのでした。

うーん・・・この記事自体、僕以外の誰にもなんのことかわかんないオチになってしまった。しかし今さら感と言いながら、このクウガの小説、わざとらしいながらもけっこうおもしろいです。