Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

まったくさ!

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在庫なしと、ユウキ・コスモみたいに毒づいたところで壊れたものは直らないんですが、なんとTD51/61W純正のバンパー在庫が底をついているという連絡に唖然。平成10年式のジムニーなどでもすでに部品生産終了しているそうですから、エスクードにおいておや・・・

いやいやいや・・・それで納得はできないんですよ。バンパーだけでなく泥除けなんか初期型のTD01W用ですよ? リアフェンダーにもぶつけられた傷があるから、RASCALのマーキングも発注し直しです。それ以前に左リアサスにズレが生じていて、現状復旧には時間がかかりそうです。

不幸中の幸いは、信号待ち停止中に追突されても人間には怪我がなかったことで、そこはポンコツでも四駆対今どきの乗用車でした。追突した相手の車は自走不能。でもこちらは自力で主治医のところまで持って行かねばならないし(実際には足回りと排気系にも異常が出て自力で持っていけませんでした)、入庫した後、修理が終わるまで期間的見通しの立たないいつまでか、僕の仕事に耐えられる代車を用意しなくてはならないのです。

事は簡単には済まないよ?

 

立春前

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setubun二十四節気が一巡する際の基準点とも言える「節分」は、太古の人々には年に4回あったそうですが、新年を迎えて最初の基準日、立春の前日だけに祭事がまとめられ、立夏から立冬まではそれぞれの季節が始まる日という役目に特化しています。二十四節気ですから、季節の変化はさらに細分化しているわけですが、実は節分は基準点であっても節気には当てはまらないという、けっこう不可解な位置づけでもあります。

この日に豆まきをするというのは、厄払いをする宮中行事の名残ですが、これが宮中では追儺あるいは鬼やらいと呼ばれ、その手法が「豆打ち」であったことが由来。邪気の象徴に「鬼」があてがわれています。

が、「鬼」のつく地名のあるところでは、豆まきの対象には「鬼は外」とは言わないところもあり、鬼子母神を祭っているところではまずそんなこと言えない例外もあります。季節の割り当てとしては少々ずれますが、西洋にあっては3月が木々の芽吹きの頃で、農耕の信仰上の重要な節目であったらしいですから、「季節の節目に豆をまく」風習には、宮中行事が出来上がるよりも太古の世界では、どこかに土地神と豊穣への祈願といった概念も混ざっていたのではないかと、以前から考えています。

宮中行事。正しくは祭祀と言いますが、これらはたぶん神事をベースとして培われてきたもの。八百万の神様を相手にしているところへ「鬼」だけ厄介者扱いというのが、正直言うと解せません。なにかしらスケープゴートにされてしまう縦社会の構図が見え隠れするような気がします。

奇異に見え、思えるものには本質を覆い隠してしまう何かがあるのかと言えば、それは受け止めた側の主観が見えるべきものを曇らせてしまったからかもしれません。つい先日も新聞やテレビニュースでばりばりのジェンダー視点の報道が飛び交っていましたが、細胞工学上の大きな研究成果よりも研究室の調度や研究着の変わり種や、機材に貼られたキャラクターシールから導き出す見出しというリポートにもどこか似通ったところがあるように感じます。ただまあ、世知辛い社会に対する脇の甘さが無かったか?とも、拾われた言葉尻からは想像できるのですが。

 

広野~常磐富岡間再開通へ

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常磐道ネクスコ東日本は1月29日付で公式発表しましたが、実は磐越道など高速道路上の電光板ではもっと早くからこのことを知らせておりました。2月22日15時より、原子力災害で通行止めとなっていた常磐道の広野~常磐富岡間が、ほぼ3年ぶりに通行再開となります。もともと平成25年度内の再開は謳われており、正月休み明けには国土交通大臣も2月末にと発言していました。ただし常磐富岡インターは、未だ居住制限区域の中です。富岡町の呼びかけは、15時以降はエリア内にとどまらないようにとの立ち入り自粛。それでもそこに住んでいた人々にとっては、日中の用向きのために少しでも便利になるようにという配慮が再開通です。

どうやら中期的な動向としては、その先で再開されている未開通区間の工事も、1年後には南相馬市側から浪江までの区間を開通させ、帰還困難区域にあたる浪江と常磐富岡の間についても、大きく離れない時期に完成させる考えだとか。

なんとなく、原子力発電所の諸々の対策工事のための資機材搬入だとか、除染によって発生しいる関連廃棄物の中間貯蔵施設整備とそこへの搬入のための橋頭堡、という印象の方が強い気がして、地域の人々の利便性は発表のための方便なんじゃないかと感じます。

それならそれで、中間貯蔵施設づくりと高速道路の話は連動して語って聞かせるべきなのではないか。

開通区間が伸びることで流入交通量が増え、今でも後を絶たない居住制限区域内での窃盗が増長されるだろうと懸念されています。一般道に監視カメラを増設するということですが、検問も増えているようだしなんとも世知辛い。

しかし発電所に近い常磐富岡~浪江の区間での工事完成は、見通しは立っていないもようで、2年や3年で開通させるとなれば、相当な無理強いでもありましょう。それよりも開通させたらさせた後、路線上で車両故障や事故が起きた場合、救助や事後処理が大変であろうし、渋滞などの発生があっても高いリスクを負うことになりそう。もちろん、ここを通って仙台へ行ければかなり便利になるのですが、一般車は通れない方がいいのではないかと考えてしまいます。

HEAVEN CAN WAIT

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heaven can wait年末年始にはチャンネル権を奪われ、WOWOWで録りだめた映画を仙台で観ておりまして、実に久しぶりに「天国から来たチャンピオン」で泣き笑いしてまた泣きという時間を過ごしていました。持っているソフトはVHS、すでに基地にある3台のデッキはすべて寿命で動きません。6年か7年ぶりに観ることができました。

最初に観たのが10代。封切りのときですから、ずいぶん昔です。主演が「俺たちに明日は無い」でクライド・バロウを演じていたウォーレン・ベイティであることは、あとから補完される知識ですが、むしろうちの親父と2歳しか違わないってところにたまげたものでした。

当時はこの映画が1940年代にオリジナルが作られているリメイクものとは知りませんでした。ついでに言えばオリジナルには原作もあり、それらはボクシング選手。70年代のこちらの作品はアメリカンフットボール選手に置き換えられていますが、邦題のチャンピオンという言葉に過去の映画とのつながりが演出されているところも、粋です。これがさらに2001年にも、黒人のコメディアンという設定でDown to Earthという映画に再度リメイクされているのだけれど、邦題は天国から来たチャンピオン2002と付加されただけで面白みが無くなっています。

Heaven Can Waitは、もちろん原作のタイトルで、映画の題名そのもの。40年代の映画の方にはHere Comes Mr. Jordanとタイトルが付けられ、これを邦画の方では「それじゃ誰が主役かわからん」と思ったのか、幽霊紐育を歩くとひねりまくった題名になっていて、それぞれ時代を感じさせます。

え? 中味のことですか? 最初にこれを観た年にスターウォーズも見ているのですが、少なくとも僕の好みはこっちです。「ゴースト ニューヨークの幻」がご婦人泣かせの映画なら、こっちはヤローがしんみりと出来る映画ってとこでしょうか。

三陸鉄道全線再開へ

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きたてつ岩手県の沿岸を走る三陸鉄道は、北リアス線と南リアス線がそれぞれ部分開業していますが、北線の田野畑・小本駅間と、南線の釜石・吉浜駅間だけは、現在も震災復旧作業の渦中です。特に北リアス線の田野畑駅からひとつ先の島越駅周辺は津波によって駅舎自体も壊滅し、軌道復旧にも大がかりな土木工事を余儀なくされる大打撃を受けたところでした。が、先日、経営母体である第三セクターから、それぞれ4月5日と6日に再開業させ、不通区間を解消できることになると発表がなされました。写真の小本駅は、宮古へは向かえるものの田野畑や久慈方面へは行けない折り返し点ですが、ようやく復旧の目途が立ちました。

昨年の朝の連続ドラマ「あまちゃん」では、この久慈から宮古にかけての北リアス線側が舞台となっていましたが、2012年7月に北三陸(たぶん久慈)・畑野(おそらく田野畑)間の復旧を果たしていて、第156話(最終回)においては「この先へ! 平成25年全線開業へ」という横断幕が、畑野駅に掲げられていました。

その後の昨年暮れの紅白歌合戦で番外編のような続編のような「第157話」では、ヒロインの1人足立ユイを乗せた車両がなんと宮古まで走ってしまい、宮古からはタクシーで空まで飛んで、ヒロイン天野アキが待つNHKホールまで駆けつける一幕もありましたが、それはまあ余禄(鉄拳さんのアニメーションだったし)

しかしこの157話が活かされるとすれば、ダメ押しの158話を、実際の北リアス線ならびに南リアス線全線運行再開にあわせ、悪乗りの劇場作品としてやってしまうという手もありなんだなあと思うのでした。

まさかね、密かに撮影してました。なんてことはありませんでしょうよね。

翻訳ちう

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和訳中先に紹介したSIDEKICK、VITARAの海外版カタログを

「読んで訳せ」

と霙に手渡したところ、案外訳しやがります。僕のようにフィーリングだけで「こんなこと書いてるんだろ」という訳し方ではなく、口語体文法に従って大真面目に訳すので、言葉をつなぐのには苦心した模様ですが、伊達に現役の高校生ではないところを見せつけられてしまいました。

 

そしてその父親と言えば、もういい加減活字を読み取るのがいやになってしまって、霙の朗読を聞いていた方が翻訳しやすいことを発見。

スピードラーニングが宣伝している効能というのはこれのことか?

人心はキャラクターには惑わされな…くもない

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ポーチ和邇お嬢妹さんからサバイバルキットが送られてきました。これで「おーいお茶」が2本もあれば72時間は確実に耐えられる(かもしれない)ですが、きっと、しょっぱいモノが欲しくなりそう。とりあえず中味のいくつかは本物のサバイバル用品に入れ替えて車に積んでおこう。

まあしかしこのポーチの柄に笑いを盗られまくりですよ。こここ、こんなものに惑わされるわけねーだろ・・・・と、きっぱりとは言えないおぢさんでした。

人心は言葉によって惑わされる

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クローズアップ現代火曜日の夜のクローズアップ現代(NHK)にて、日本語のポエム化を扱った番組が放送され、それを分析しつつ警鐘を鳴らすのか批判をするのかまでは良くわからない寸止めな議論が展開されていました。

地方自治体が創設した「いかにも抒情的で詩編のような条例文面」や、居酒屋で繰り広げられる社員啓発に用いられる「詩的な啓発コード」に「居酒屋甲子園とやらで叫ばれるやしさくも美しい言葉の情熱的なパフォーマンス」などなど。人々が心や意志を通わせる最も身近なツールである『言葉』が、美しさややさしさをオブラートにして、その現場で起きている事実を見えにくくしているのではないかという議論でした。

僕の地元でも地産の商品を買ってねという趣旨の条例が制定されたそうですが、これが例えばある自治体の条例文が示すように、商品を販売展開するバックボーンを築くために「膝を割って心を開いて酒を酌み交わす云々」とのたまわれると、馬鹿じゃないの?と思わされるわけですが、居酒屋さんや介護士さんといった職業の舞台で繰り広げられている「心の叫びを吐露する」ようなシーンは、ある種どこかの宗教団体のようでもあり、「店員の流出や売り上げ減に歯止めをかけつつ、職場における士気を高める」ツールとして使われているそれらの言葉は、やさしいようで重い鎖をからめているようにしか感じられませんでした。

議論に出ていた学者や解説者曰く、言葉や文章の基本構造である5W1Hという文法と伝達方法の学習が失われ、短絡的に感動や衝動を引き起こそうとする形で言葉が使われ出した。そこで起きている職場環境の劣悪さや不都合不具合を美しい言葉によって包み隠そうとする傾向がある。という分析です。ただこの手の番組は、売った喧嘩に対して「だからこうすべきだと我々はアナウンスする」というところまでは突っ込まないのがずるいと言えばずるい。

確かに番組内で切り取られ放送されていたシーンを観ていると、奇異奇怪にも受け取れるパフォーマンスのなかの、美しくやさしい言葉には辟易しますが、やっている方はきっと必至で本気なのではないかと思わされる。その本気でその気になってしまった世界に、何を告げても聞こえない(だからこそ危険で゜恐ろしい)ではないかと。そしてこのある意味ひとつの文化かもしれない言葉のやりとりが、永遠に続くとも思えない「流行り廃りの流れの中にあるかもしれない」、先々の社会というものも想像できる。そのとき、ここで飛び交っていた言葉には本当にやさしさや思いやりがあったのかどうかと、何年か先のクローズアップ現代が検証する日が来るんだろうなあと考えさせられました。

このとき僕は事務所で、自分で書き終えた原稿の校正をやっていたのですが、いやもうバリバリの5W1Hですんで、無味乾燥以外の何物でもありませんです。ただひとつ、どこの居酒屋さんか知りませんが店長さんに言いたい。毎月の給料袋の裏面に自筆でしたためる評価と励ましのメッセージは、部下と言えども相手に対して無礼であります。便箋の一冊や二冊、自腹で買い求めてそこに書いてあげるべきだね。やさしさや思いやりと、コスト縮減を同列にするものじゃないと言いたい。

 

 

どんど焼き

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どんと焼き週末、正月の注連飾りを外して燃やした煙をかぶり、風邪を引いたりしないよう無病息災を祈願しました。この注連飾りは屋内外に複数飾ったもので、鏡割りの11日の夜に回収したのですが、屋外の飾りを回収していた霰があわてて勝手口から飛び込んできて

「いいい・・・いるぜっ」

とビビるやら笑い顔やらどっちなんだよその心理状態という表情。

「暗くて姿が見えないから位置は解かんないけど、気配がしたと思ったらブヒブヒって」

つまり、 亥年の彼女の至近距離に、裏山に生息するイノシシが来ていたらしく、霙などは

「しし神さまだっ」

などと面白がっておりました。

まあ要するに田舎の山村なのだよ。

 

ゲシュタルト徘徊(そんな用語も無い)

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キウイだけどさ比較的思いつきな認知情報調理過程によって生じた、なんとなくキウイに見えずアレに見えてしまったもの。

・・・なぜ輪切りではないのだ?

もっとも輪切りなら輪切りで、ギルガドールか鬼太郎の親父に見えてしまうかもしれない妙な認知状態・・・