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  ~懲りない傾向~

これもご縁でしょう

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お礼とまあカララ・アジバを彷彿とさせるようなお礼の一言とともに、二軒隣の後輩宅の奥さんが大量のヨーグルトやあんみつやらを持ってきてくれました。どうしたことかと尋ねると、ラッセルモード全開の霰は、あとから合流した霙と2人で、基地の前の傾斜五度の坂道をどんどん遡り、市道の途切れる二軒隣の前まで150mほど雪かきをやってのけていたのでした。

若さってすごいなー・・・ と思ったんですが、

「おとうさーん、き、筋肉痛で背中が痛いーっ」

と、マッサージを頼まれる羽目になりました。その日のうちに出る筋肉痛ってところも、若さだよなあ。

「うちより坂の下の道はどうするのよ」

ちょっと時間を巻き戻したこの日の夕暮、霙はさらに恐ろしいことを言いだしました。基地の前面だけでも差し渡しで70mは雪かきした後ですが、さらに下へ向かおうとすると、今度は三軒分の大仕事となります。さすがに僕も手伝わねばならんかと腰を上げたとき、

「やー、遅くなっちゃってー。しかしここはずいぶんきれいになってるね」

とか言いながら、市から除雪を受託した土木業者さんがホイールローダーでやって来て、残っていた雪をあっさりと蹴散らしていきました。おお、ちゃんと来てくれるんだそういうの。

 

この輝く成分が わからないというのですか?

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落雪キジェ・ザラルだったらこの期に及んでもこういうことを言ってのけるでしょうが、それどころではない。基地前面に警戒警報と避難勧告です。

玄関上の庇が防いでくれるとは思うけれど、そこにもかなりの落雪がたまっているので、耐荷重に不安(なんせぼろ屋敷なので)

玄関内でガンガンストーブを炊いて抵抗中です。

全力をつくして良き道を・・・

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ゆきかきなどというジョーダン・ベスの言葉を知っているはずはありませんが、大人が雪遊びに興じているその頃、霰はせっせと基地の前面にある傾斜五度くらいの坂道の雪かきに励んでいたのであります。

「私はもう自由登校だからいいけどさ、霙が学校に行くとき怪我したらかわいそうじゃん」

え、えらいぞ霰! とーちゃんは猛烈に感動しちゃったぞ。

 

蘇る76年ドイツGP

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hunt21976年第11戦ドイツGPの決勝で、高速コーナー縁石に乗り上げたニキ・ラウダのフェラーリがクラッシュ炎上し、ラウダ自身も大やけどを負うアクシデントに見舞われました。当時、F1は日本にも招致されていましたが、知名度は後のセナ、プロスト、中島悟といった時代とは異なり、オンタイムのレース中継の無いマニアックな世界。事故のニュースはスポーツ新聞か何かで知ったのが、残っている記憶です。生死の境を彷徨ったラウダはしかし、6週間後の第12戦イタリアGPに復帰してくるばかりか、この年マクラーレンのジェームズ・ハントに奪われたシーズンタイトルを翌77年に奪還してしまうのだから、F1レーサー(当時、F1ドライバーとは呼んでいなかった気がする)って化け物だと思わされたものです。

その76年シーズンを映画化する(海外じゃ昨年秋に封切り済み)という企画は、フジテレビではなくTBSの、ほんとにたまにしか組まれなかった放送を見ていたおぢさん世代には、血沸き肉躍るプログラムなのです。えらいぞロン・ハワード! だけどハントとラウダって、かなり個性的なキャラクターで、そんなところを演じられる役者っているのかと思ったら

Rush

ハントをクリス・ヘムズワースが・・・って、これマイティー・ソー役の人ですね。なるほど、けっこうそういう雰囲気です。ラウダ役のダニエル・ブリュールって役者は知らない人ですが、こちらはラウダ本人には失礼ながら、似ていながらもこっちの方が数段いい男(ニキ・ラウダは口元というか歯並びが独特すぎるので)。まあヘルメット被っちゃったら専属のスタントドライバーで賄っちゃえるわけですから、これくらい「似ているかも」と思わせてくれるなら十分だし、彼らそれぞれの往年のヘルメットや、フェラーリにしろマクラーレンにしろタイレル(ティレルでは断じて無い)にしろ、あんなマシンやこんなマシンが駆け抜けて行くのを見られるのだから、ありがたいことこの上ありません。

これは家内を誘って観に行こう。なぜかっていうと、彼女が20何年前に持ってきた嫁入り道具の中に、カーナンバー11のマクラーレン・フォードM23のミニカーがあるのですわ。

 

まったくさ!

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在庫なしと、ユウキ・コスモみたいに毒づいたところで壊れたものは直らないんですが、なんとTD51/61W純正のバンパー在庫が底をついているという連絡に唖然。平成10年式のジムニーなどでもすでに部品生産終了しているそうですから、エスクードにおいておや・・・

いやいやいや・・・それで納得はできないんですよ。バンパーだけでなく泥除けなんか初期型のTD01W用ですよ? リアフェンダーにもぶつけられた傷があるから、RASCALのマーキングも発注し直しです。それ以前に左リアサスにズレが生じていて、現状復旧には時間がかかりそうです。

不幸中の幸いは、信号待ち停止中に追突されても人間には怪我がなかったことで、そこはポンコツでも四駆対今どきの乗用車でした。追突した相手の車は自走不能。でもこちらは自力で主治医のところまで持って行かねばならないし(実際には足回りと排気系にも異常が出て自力で持っていけませんでした)、入庫した後、修理が終わるまで期間的見通しの立たないいつまでか、僕の仕事に耐えられる代車を用意しなくてはならないのです。

事は簡単には済まないよ?

 

立春前

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setubun二十四節気が一巡する際の基準点とも言える「節分」は、太古の人々には年に4回あったそうですが、新年を迎えて最初の基準日、立春の前日だけに祭事がまとめられ、立夏から立冬まではそれぞれの季節が始まる日という役目に特化しています。二十四節気ですから、季節の変化はさらに細分化しているわけですが、実は節分は基準点であっても節気には当てはまらないという、けっこう不可解な位置づけでもあります。

この日に豆まきをするというのは、厄払いをする宮中行事の名残ですが、これが宮中では追儺あるいは鬼やらいと呼ばれ、その手法が「豆打ち」であったことが由来。邪気の象徴に「鬼」があてがわれています。

が、「鬼」のつく地名のあるところでは、豆まきの対象には「鬼は外」とは言わないところもあり、鬼子母神を祭っているところではまずそんなこと言えない例外もあります。季節の割り当てとしては少々ずれますが、西洋にあっては3月が木々の芽吹きの頃で、農耕の信仰上の重要な節目であったらしいですから、「季節の節目に豆をまく」風習には、宮中行事が出来上がるよりも太古の世界では、どこかに土地神と豊穣への祈願といった概念も混ざっていたのではないかと、以前から考えています。

宮中行事。正しくは祭祀と言いますが、これらはたぶん神事をベースとして培われてきたもの。八百万の神様を相手にしているところへ「鬼」だけ厄介者扱いというのが、正直言うと解せません。なにかしらスケープゴートにされてしまう縦社会の構図が見え隠れするような気がします。

奇異に見え、思えるものには本質を覆い隠してしまう何かがあるのかと言えば、それは受け止めた側の主観が見えるべきものを曇らせてしまったからかもしれません。つい先日も新聞やテレビニュースでばりばりのジェンダー視点の報道が飛び交っていましたが、細胞工学上の大きな研究成果よりも研究室の調度や研究着の変わり種や、機材に貼られたキャラクターシールから導き出す見出しというリポートにもどこか似通ったところがあるように感じます。ただまあ、世知辛い社会に対する脇の甘さが無かったか?とも、拾われた言葉尻からは想像できるのですが。

 

広野~常磐富岡間再開通へ

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常磐道ネクスコ東日本は1月29日付で公式発表しましたが、実は磐越道など高速道路上の電光板ではもっと早くからこのことを知らせておりました。2月22日15時より、原子力災害で通行止めとなっていた常磐道の広野~常磐富岡間が、ほぼ3年ぶりに通行再開となります。もともと平成25年度内の再開は謳われており、正月休み明けには国土交通大臣も2月末にと発言していました。ただし常磐富岡インターは、未だ居住制限区域の中です。富岡町の呼びかけは、15時以降はエリア内にとどまらないようにとの立ち入り自粛。それでもそこに住んでいた人々にとっては、日中の用向きのために少しでも便利になるようにという配慮が再開通です。

どうやら中期的な動向としては、その先で再開されている未開通区間の工事も、1年後には南相馬市側から浪江までの区間を開通させ、帰還困難区域にあたる浪江と常磐富岡の間についても、大きく離れない時期に完成させる考えだとか。

なんとなく、原子力発電所の諸々の対策工事のための資機材搬入だとか、除染によって発生しいる関連廃棄物の中間貯蔵施設整備とそこへの搬入のための橋頭堡、という印象の方が強い気がして、地域の人々の利便性は発表のための方便なんじゃないかと感じます。

それならそれで、中間貯蔵施設づくりと高速道路の話は連動して語って聞かせるべきなのではないか。

開通区間が伸びることで流入交通量が増え、今でも後を絶たない居住制限区域内での窃盗が増長されるだろうと懸念されています。一般道に監視カメラを増設するということですが、検問も増えているようだしなんとも世知辛い。

しかし発電所に近い常磐富岡~浪江の区間での工事完成は、見通しは立っていないもようで、2年や3年で開通させるとなれば、相当な無理強いでもありましょう。それよりも開通させたらさせた後、路線上で車両故障や事故が起きた場合、救助や事後処理が大変であろうし、渋滞などの発生があっても高いリスクを負うことになりそう。もちろん、ここを通って仙台へ行ければかなり便利になるのですが、一般車は通れない方がいいのではないかと考えてしまいます。

HEAVEN CAN WAIT

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heaven can wait年末年始にはチャンネル権を奪われ、WOWOWで録りだめた映画を仙台で観ておりまして、実に久しぶりに「天国から来たチャンピオン」で泣き笑いしてまた泣きという時間を過ごしていました。持っているソフトはVHS、すでに基地にある3台のデッキはすべて寿命で動きません。6年か7年ぶりに観ることができました。

最初に観たのが10代。封切りのときですから、ずいぶん昔です。主演が「俺たちに明日は無い」でクライド・バロウを演じていたウォーレン・ベイティであることは、あとから補完される知識ですが、むしろうちの親父と2歳しか違わないってところにたまげたものでした。

当時はこの映画が1940年代にオリジナルが作られているリメイクものとは知りませんでした。ついでに言えばオリジナルには原作もあり、それらはボクシング選手。70年代のこちらの作品はアメリカンフットボール選手に置き換えられていますが、邦題のチャンピオンという言葉に過去の映画とのつながりが演出されているところも、粋です。これがさらに2001年にも、黒人のコメディアンという設定でDown to Earthという映画に再度リメイクされているのだけれど、邦題は天国から来たチャンピオン2002と付加されただけで面白みが無くなっています。

Heaven Can Waitは、もちろん原作のタイトルで、映画の題名そのもの。40年代の映画の方にはHere Comes Mr. Jordanとタイトルが付けられ、これを邦画の方では「それじゃ誰が主役かわからん」と思ったのか、幽霊紐育を歩くとひねりまくった題名になっていて、それぞれ時代を感じさせます。

え? 中味のことですか? 最初にこれを観た年にスターウォーズも見ているのですが、少なくとも僕の好みはこっちです。「ゴースト ニューヨークの幻」がご婦人泣かせの映画なら、こっちはヤローがしんみりと出来る映画ってとこでしょうか。

三陸鉄道全線再開へ

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きたてつ岩手県の沿岸を走る三陸鉄道は、北リアス線と南リアス線がそれぞれ部分開業していますが、北線の田野畑・小本駅間と、南線の釜石・吉浜駅間だけは、現在も震災復旧作業の渦中です。特に北リアス線の田野畑駅からひとつ先の島越駅周辺は津波によって駅舎自体も壊滅し、軌道復旧にも大がかりな土木工事を余儀なくされる大打撃を受けたところでした。が、先日、経営母体である第三セクターから、それぞれ4月5日と6日に再開業させ、不通区間を解消できることになると発表がなされました。写真の小本駅は、宮古へは向かえるものの田野畑や久慈方面へは行けない折り返し点ですが、ようやく復旧の目途が立ちました。

昨年の朝の連続ドラマ「あまちゃん」では、この久慈から宮古にかけての北リアス線側が舞台となっていましたが、2012年7月に北三陸(たぶん久慈)・畑野(おそらく田野畑)間の復旧を果たしていて、第156話(最終回)においては「この先へ! 平成25年全線開業へ」という横断幕が、畑野駅に掲げられていました。

その後の昨年暮れの紅白歌合戦で番外編のような続編のような「第157話」では、ヒロインの1人足立ユイを乗せた車両がなんと宮古まで走ってしまい、宮古からはタクシーで空まで飛んで、ヒロイン天野アキが待つNHKホールまで駆けつける一幕もありましたが、それはまあ余禄(鉄拳さんのアニメーションだったし)

しかしこの157話が活かされるとすれば、ダメ押しの158話を、実際の北リアス線ならびに南リアス線全線運行再開にあわせ、悪乗りの劇場作品としてやってしまうという手もありなんだなあと思うのでした。

まさかね、密かに撮影してました。なんてことはありませんでしょうよね。

翻訳ちう

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和訳中先に紹介したSIDEKICK、VITARAの海外版カタログを

「読んで訳せ」

と霙に手渡したところ、案外訳しやがります。僕のようにフィーリングだけで「こんなこと書いてるんだろ」という訳し方ではなく、口語体文法に従って大真面目に訳すので、言葉をつなぐのには苦心した模様ですが、伊達に現役の高校生ではないところを見せつけられてしまいました。

 

そしてその父親と言えば、もういい加減活字を読み取るのがいやになってしまって、霙の朗読を聞いていた方が翻訳しやすいことを発見。

スピードラーニングが宣伝している効能というのはこれのことか?