和邇お嬢妹さんからサバイバルキットが送られてきました。これで「おーいお茶」が2本もあれば72時間は確実に耐えられる(かもしれない)ですが、きっと、しょっぱいモノが欲しくなりそう。とりあえず中味のいくつかは本物のサバイバル用品に入れ替えて車に積んでおこう。
まあしかしこのポーチの柄に笑いを盗られまくりですよ。こここ、こんなものに惑わされるわけねーだろ・・・・と、きっぱりとは言えないおぢさんでした。
火曜日の夜のクローズアップ現代(NHK)にて、日本語のポエム化を扱った番組が放送され、それを分析しつつ警鐘を鳴らすのか批判をするのかまでは良くわからない寸止めな議論が展開されていました。
地方自治体が創設した「いかにも抒情的で詩編のような条例文面」や、居酒屋で繰り広げられる社員啓発に用いられる「詩的な啓発コード」に「居酒屋甲子園とやらで叫ばれるやしさくも美しい言葉の情熱的なパフォーマンス」などなど。人々が心や意志を通わせる最も身近なツールである『言葉』が、美しさややさしさをオブラートにして、その現場で起きている事実を見えにくくしているのではないかという議論でした。
僕の地元でも地産の商品を買ってねという趣旨の条例が制定されたそうですが、これが例えばある自治体の条例文が示すように、商品を販売展開するバックボーンを築くために「膝を割って心を開いて酒を酌み交わす云々」とのたまわれると、馬鹿じゃないの?と思わされるわけですが、居酒屋さんや介護士さんといった職業の舞台で繰り広げられている「心の叫びを吐露する」ようなシーンは、ある種どこかの宗教団体のようでもあり、「店員の流出や売り上げ減に歯止めをかけつつ、職場における士気を高める」ツールとして使われているそれらの言葉は、やさしいようで重い鎖をからめているようにしか感じられませんでした。
議論に出ていた学者や解説者曰く、言葉や文章の基本構造である5W1Hという文法と伝達方法の学習が失われ、短絡的に感動や衝動を引き起こそうとする形で言葉が使われ出した。そこで起きている職場環境の劣悪さや不都合不具合を美しい言葉によって包み隠そうとする傾向がある。という分析です。ただこの手の番組は、売った喧嘩に対して「だからこうすべきだと我々はアナウンスする」というところまでは突っ込まないのがずるいと言えばずるい。
確かに番組内で切り取られ放送されていたシーンを観ていると、奇異奇怪にも受け取れるパフォーマンスのなかの、美しくやさしい言葉には辟易しますが、やっている方はきっと必至で本気なのではないかと思わされる。その本気でその気になってしまった世界に、何を告げても聞こえない(だからこそ危険で゜恐ろしい)ではないかと。そしてこのある意味ひとつの文化かもしれない言葉のやりとりが、永遠に続くとも思えない「流行り廃りの流れの中にあるかもしれない」、先々の社会というものも想像できる。そのとき、ここで飛び交っていた言葉には本当にやさしさや思いやりがあったのかどうかと、何年か先のクローズアップ現代が検証する日が来るんだろうなあと考えさせられました。
このとき僕は事務所で、自分で書き終えた原稿の校正をやっていたのですが、いやもうバリバリの5W1Hですんで、無味乾燥以外の何物でもありませんです。ただひとつ、どこの居酒屋さんか知りませんが店長さんに言いたい。毎月の給料袋の裏面に自筆でしたためる評価と励ましのメッセージは、部下と言えども相手に対して無礼であります。便箋の一冊や二冊、自腹で買い求めてそこに書いてあげるべきだね。やさしさや思いやりと、コスト縮減を同列にするものじゃないと言いたい。
全国的に本日から仕事始め。「賀詞交歓会」がいろんな団体ごとにあってそれぞれに呼び出され、そのうちのひとつでは壇上で挨拶までやらされる。でもって事務所に出てくりゃ山のような年賀状に返事を出さねばならないし、事務所設置のパソコンを開ければニューイヤーメールがどっさり・・・
はっきり言って、これだけ時間を取られる行事が目白押しなのに、結局年始回りもやらなくちゃならんというのがめんどくさいことこの上ないのです。ええ、もう不謹慎だと言われようが真面目に仕事しろと言われようがめんどくさいものはめんどくさいのです。
そう言ってる割には、年始回りの一か所目をここ(のビルに入っている取引先)に決めておりまして、恐縮にも出していなかったところへの年賀状の返事を書き終えたら、束にしてこのポストに投函しようと考えております。
この取引先が昨年暮れにこのビルに転居した折、転居祝いを兼ねて訪問したときに、仙台市内にも「黄色いポスト」があることを初めて知ったのでした。まあだからと言ってここから投函した年賀はがきがことごとく当選番号になるとも思えませんが、気は心ってもんですから、黄色いポストは幸せを運ぶという都市伝説の恩恵には期待しましょう。
さあ夜が明けたら業務開始だ。なんですが、個人のパソコン上では年末からずーっと仕事の原稿書きが続いてるんですけどね。
「だが正月の三が日だけは例外とし、朝餉にあっては女どもに代わって雑煮のひとつも作ってやらねばならぬ」
というのは、曽祖父ののたまった家訓だったそうで、これは祖父から教え込まれました。しかし祖父が忠実に引き継いでいた家訓を遺した曽祖父は「遊び人」だったらしく、我が家の身上をつぶした人物でもあり、親父の代になるまではじり貧だったのが本当のところ。だからこんな家訓を親父が継ぐわけもなく、台所に立つはずもありません。
んーと・・・ ということは。
まあ僕もそのまま一子相伝てことで、伝えるべき男子もいないので、因縁めいた家訓は立ち消えですね。
「おとうさーん、お雑煮の汁の味付けはこんなんでいいのー?」
「明日あたりシチューを作りたいんだけど、味加減みてくださいよー」
という娘らの呼び出しは、家訓の話なんかしてやる余地もないのです。
やっちまったぜーと、この期に及んでの整形外科にて・・・って、なんか前にもこんことがありましたよねえ。どうも捻挫っぽいよなと思っていたら、軟骨が劣化して外側の骨がずれてしまって腫れ上がっていたという。
二十代のころの怪我の後遺症だそうで、椎間板ヘルニアによる右足の痛みをかばっているうちに再発してしまったようです。
これは治らないとか。だけど使うな歩くなと言われてもなあ・・・
という足を引きずって、本年最後の夜会に出かけてきました。かわねこさんからの北海道土産は、ことしも笑いを盗るのに十分の破壊力。甘い味のクッキーを食っているはずなのに、口の中には炭火のこんがりした後味が残る豚丼クッキーは、その後「げっぷ」をすると、豚丼を食ったとしか思えなくなります。
てなわけで、皆様はおあとがよろしいよう、年越ししてください。