Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ボツ!

ボツ! はコメントを受け付けていません

高浜入年賀用写真の撮りに出かけ相も変わらない構図で指示出しをしていたら、なんと三脚に付いているはずの雲台が無いじゃありませんか。ということは、ほぼ一瞬で1人だけ交代して同じアングルでシャッターを切って、1人分だけ合成(とほほ)

これを逃すと印刷が遅れるし、この天気は続かないかもしれないし。で、日の出に合わせてスタンバイです。

が・・・

 

東の空に太陽が輝きだすその瞬間、爆音も聞こえないざっくり1万mの空の上に、今まさに燃料投棄中の航空機が現れやがるわけです。

こここ・・・このやろーっ

さー飛行機雲の消える方が早いか日の出が早いか。いやいやそれより見とれているなよ交代要員っ(家内のことです)。でもこれが年賀状の葉書のどれくらいの面積を占めるのかというと、たぶんわかんないくらい小っちゃいんだよなー・・・

風化させない。それは気持ちの問題なのか

風化させない。それは気持ちの問題なのか はコメントを受け付けていません

南三陸突如、かどうかは知りませんが、先日復興大臣が宮城県にやってきて、震災の記憶を風化させないためにも、震災遺構を残すべきか片付けるべきかの議論をしましょうと言いまして、宮城県知事の招集によって本日、被災地の首長達が宮城県庁にてその議論を始めることになりました。

震災遺構とはつまり、あの津波によって大破しながらその骨格だけは残されている建造物のことです。代表例が、南三陸町の防災対策庁舎で、ここに残って最後まで避難放送を続けながら亡くなられた女性職員の逸話は、それこそ風化させてはならず、別の視点ではきっと風化しないだろうという記憶です。

同じ県内の隣町とも言うべき気仙沼市に打ち上げられていた漁船は、残す残さないの紆余曲折の末に先月末に解体が終了しましたが、庁舎は民間の持ち物でないために、解体が南三陸町長の決定事項であるにもかかわらず、待ったをかけられた状況です。

知事によれば、遺構として残すべき価値はあるが、一存でそれを押しつけることはできない。そのことについてあらためて話し合いたい。というアナウンスでしたが、もうじき被災から3年目がやってこようという今、これを議論の素材にする理屈とは一体なんなのか。風化させてはならない記憶とは、物質的な保存がなければ押しとどめることが出来ないのかと思うと、いささか哀しい気がします。

そんなんだったら、沿岸の防波堤の修復なんかやめたらいい。と言われたらどうするのだろう? やめるはずがないし、やめない理屈はびしっと立ててくるのでしょう。もちろんやめる理由もないのですけど。

宮城県内には、沢山の児童が亡くなった小学校もそのまま処遇を決められずに、どうしたらよいのかと横たわっています。防災対策庁舎にしても、復興途上の様子と被災の凄惨さを知らせたいという趣旨でやって来る見学者は後を絶たないけれど、解体されその存在が無くなった気仙沼の漁船の場所には、今は誰も寄りつきません。だから残していくべきだという論旨があるのかもしれませんが、復興の進め方や、そこに居続ける遺族を含めた土地の人々のためには、一切合切無くしてしまった方が、思いの切り替えが出来るのではないかと感じます。

記憶を風化させないやり方は、ほかにもあると思う。

軽やかな猫足

2 Comments »

くつした足の裏にはピンクの肉球もプリントされているという・・・

まあどれだけ軽やかに歩けているかは、定かではないです。

桐生仁の気持ち

2 Comments »

mrd桐生仁が誰だかわからない人にはまったく面白みのない話でしかありませんが、彼が「紅い牙」のヒロインである小松崎蘭がアルバイトしているドーナツ店に出かけたものの、店内の甘みたっぷりの香りにはかなわないという、まあ物語の展開には全く関連性のないシーンがあります。

伝奇作家でハードボイルドを自称する彼のことですから、自らのイメージを崩さぬ警戒心も手伝ってのことだと思われますが、それでも蘭を訪ねて行ってしまうあたりは(必要に駆られてのことです)、実は隠れてこっそり食っているかもしれないという、どうでもいい想像もさせてくれたものです。

いやほんとに桐生仁の気持なんかどうでもいい話で、朝っぱらからドーナツを食える娘らの味覚や胃袋はどうなっているのだ?と思うばかりか、目当ての銘柄が焼きあがるまで待たされると、確かになんとなく胸焼けしてきたような気分になります。

ついでに言えば家内の分、お袋の分と、それぞれのお好み銘柄を一通り選んで行ったら、とんでもない数になっていたのに驚かされ、これが週末の間に完食されてしまった事実にさらにびっくり。一度の買い物で、ドーナツというのは30個近く買い求めるものなのだという学習をさせられた僕は、桐生仁の年齢などとうの昔に追い越してしまっており、「どれがいい?」と聞かれて危うく漉し餡のアンドーナツと言いそうになるのを押しとどめ「コーヒー」と答えるのみであります。

が、なぜアンドーナツを扱わないのだ、ミスタードーナツ?

 

間違いなんです。もう、うっかり

間違いなんです。もう、うっかり はコメントを受け付けていません

bt艦長  「第一戦速、はやぶさを降せ!」

戦術長 「防空隊、只今射出中!」

航海長 「おい、古代。なんだか発進していく機体の色が変だぞ?」

船務長 「ほんとだ、黒いわね。どの部隊なのかしら」

AU09「ドウヤラ原画ト作画担当ヘノ連絡みすガ発生シテイタ模様」

砲術長  「新しい設定を伝えるのが間に合わなかったようですが、同じ搭載機です。問題ありません」

艦長  「しかし、それが現実でも間違いを正す勇気を持たねばならぬ。至急全機収容、然る後ワープでこの場を脱する」

戦術長 「これが・・・沖田戦法」

 

総監督 「んなわけねーだろうっ」

 

誤表記。という釈明が、間違いを正す方便であることは個々の企業においては致し方のないことだと思いますが、こうもあちこちで横行してくると、稚拙な言い訳必死に考えて涙目になっている子供を叱ることもできなくなりそうです。

あっ、ヤマト第1艦橋と防空隊の皆さん、ごめんなさいです。

 

せわしない景色

せわしない景色 はコメントを受け付けていません

イチョウさすがは立冬(7日)を過ぎたら西高東低の気圧配置とともに肌寒くなってきた仙台。ところが数日前まではずいぶんと暖かいなあと感じるほどで、先週あたりまでは愛宕上杉通りの銀杏並木なんか色づいてもいませんでした。

こま数日で突然スイッチが入ったかのように、宮城県庁前の並木道は次々と彩りを増しては落葉を始めています。自分の中では、10月がほとんどなかったので、季節感が狂ったままのような感じ。この調子だと山岳地帯の紅葉でも見に行こうなどとのんきに出かけて行ったら積雪だ、なんてことになりそうです。

BLUEらすかるは、そのことを見越して早めの車検に出しました。正確には冬装備への換装と同時に、不具合箇所の残りを整備するためで、それが済み次第、車検となります。診断によるとフロントのハブベアリングが限界、キャリパーも寿命、タイロッドとロッドエンドもガタガタだとか。むー、こりゃー今回はエンジンの整備まで予算が回るかどうか。

それよりもぷらすBLUEも早々とスタッドレスに履き替えた方がよさそうな雰囲気です。都市部だけ走っている分には心配ないんですが、山沿いへ行けと言われたら、ちょっと不安。

実る季節

実る季節 はコメントを受け付けていません

festa2日目の林道ツーリングは、ルートの半分くらいのところで災害復旧の通行止めに阻まれてしまい、早々に解散となりましたので、何も書けることがありません。

単独行に戻り、まっすぐ帰るのもなんだし、土産のひとつも調達しなくてはと、太陽の方位を大ざっぱに見極め、てきとーに田圃道を横切り小さな山越えをして、やってきたのは長野県のワイナリー。

そうです。4年ばかり前にこんな出来事のあったところです。そっかー、もうそんなに経っているのかーと、再び訪問します。

予想外にも初穂の祭りの真っ最中。とはいえさすがに出来たてワインの試飲・・・というのは帰路の途上では無理。樽ころがしレースなんぞはリハビリには過酷すぎるので敬遠。というわけでソーセージステーキだとかガレットだとかアップルパイだとかもぎたてりんごだとかを買い求め、ガーデンテラスでコンサートなんか聴いちゃったりしております。

まあこのあと道路が混雑しても、今夜中に帰れりゃいいんだしー、とくつろいでいたら、

「日本シリーズの試合開始までには帰りますよ」

と家内にどやされ諭され、渋々と上信越道に。いやいや、どうせ佐久を過ぎたら渋滞だってば。とタカをくくっていたら全然混んでおらず、藤岡でいったん降りてわざと高崎で遅い昼食をしたというのに、ちゃんとプレイボール時間には基地に帰還していたという・・・

じぇじぇじぇのJ O’ L

じぇじぇじぇのJ O’ L はコメントを受け付けていません

ぷっちーにジャック・オー・ランタンというキャラクターは、平たく言うと悪霊退散を担うケルトの魔人だと思っていたら、生前堕落していたため死語の世界に行けずにさまよっている魂の姿だとか、悪魔をだまして手に入れた地獄へ落ちないという契約のために、もとより天国へも行けない悪人の死後の姿だったり、そのくせ道に迷った旅人を助けたりという、けっこうあこぎで、それでいて人の好い奴らしいです。しかしアイルランドやスコットランドに残るケルトの風習によれば、こいつの頭はカボチャではなくカブだそうで、カブで作られたこいつの顔はかなりグロテスクで怖い『マスクをした犬神助清さん』のような形相をしています。

いやー、あんなのに夜道の案内をされたらほんと怖いわ。

北米に移住してきたアイルランド人が、アメリカにおいてカブに代わる素材としてカボチャを使い始めたのが、我々のよく知るこいつの顔ということになるらしく、いつのの頃からか『助清さんルック』はどこか憎めないデザインになっいてったのですが、ランタンの部分の起源はウィル・ウィスプと呼ばれる鬼火であり、やはり死後に至っても現世をさまよう魂のことで、こちらは旅人を道に迷わせたり沼に引き込んだりするという厄介な存在です。

そんなさまよえる魂がカブだとかカボチャに憑依してしまうところが、微妙に情けない気もするのですが、百鬼夜行の一翼というのはそういうものなのかもしれません。これが北アフリカだったらユウガオで、ニッポンだったらかんぴょう男が出現するのかも。

とりあえず、お菓子ください。さもないと・・・

 

強靭な脚

強靭な脚 はコメントを受け付けていません

蟷螂週末のこと。身内に不幸があり大急ぎで帰還する際、高速に上がる前に給油していたら、いつからそこにいたのか雨宿りの客。走り出したらどこかへ飛んで行ってしまうだろうと放置したまま東北道を300キロ南下して、基地にたどり着いたらなんとこいつはスペアタイヤの裏側に避難し平然としていました。

なんと強靭な客というか、脚・・・

重力の井戸

重力の井戸 はコメントを受け付けていません

footmark井戸の底へ降りたことのある人は少ないけれど、井戸の底を覗きこんだことのある人は、それよりは多少いるのではないかとふと考え、重力の井戸という言葉は、本当はどちらの人々に対して放つべきものなのかに、言葉の象徴性を感じました。重力を振り切るところまで行った人間は、それこそ井戸の底を覗いた人々よりも少ない。でも、井戸の底に降りたという体験は、その場所から外へ「戻る」という意志と行動も伴っていて、けっこう能動的に思えるのです。

ただし、髪を振り乱していたりお皿を数えていたりというのは、ちょっと遠慮しときますが。

井戸の底の体験は、子供の頃の話で、堕ちたわけではなく掃除の手伝いをさせられたもので、縄梯子で降りて行って、堆積した泥やごみをさらったバケツを、垂らしてもらったロープに括り付けて引き上げという作業でした。

けっこう身軽だったわけです。が、今ではその井戸からはつるべもその後のポンプも外され、蓋がしてあります。今の図体でここに降りるのは極めて危険なので、震災のときにもこの井戸は活用されずじまいでした。

入院生活によって、いくらかは減量もできたわけですが、ベースがベースですから、井戸のことよりも重力のことの方が頭の中をよぎり易く、体重が落ちても筋力が同時に失われていては何にもならないねえと痛感しました。

ようやく本論かい。

1Gという力は入院以前と変わらずに作用している。ただ立っているだけなら、いくらかでも減量したなあという体感は来るのですけど、歩いてみるとなんとなくよろめきがち。作戦室が4階建てながらエレベータのない集合住宅となれば、2月に転落したときとは別の作用で、重力がのしかかるのです。

階段の上り下りは、かなりしんどい。でもこれは体を動かして適度に食って元に戻すしかないようです。