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  ~懲りない傾向~

春の収穫

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苺物書きの師匠の奥方の実家・・・と、いささか表記がうっとおしいですが、要するに師匠主催の苺狩りに本年も呼ばれて出かけてきたのが、春の収穫。出荷のための商品用はすでに摘み取られたあとながら、跳ねだしだけでも見事な出来です。

ジャムを作るのにレモンがほしいということで、帰り道に立ち寄ったスーパーマーケットで、コムロさんの姿を見かけたような、と思った瞬間、部下から緊急事態で呼び出されて急いで帰宅。破損したデータを受け取ってこちらの端末で修復。

読みで言うなら一字違いで大きく違う、収穫と修復(べたべた)

店長!

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店長飯館村まで仕事に出たついでに、帰宅前に川俣町へ足を伸ばしました。伸ばすも何も、すぐ飯館と川俣は隣の街同士なのですが。

パジェケンさんから教えてもらった、川俣高校前のセブンイレブンの入り口前に乗りつけると、ドア越しに見覚えのある「あいつ」の姿がありました。びしっとネクタイなんぞしめておられますこいつは、同店の店長様なのであります(そういうポップが添えてある)。ちょうど10年前、森永のアイスクリーム、アイスキャンデーの詰め合わせに付いてくるという企画ものとして、セブンイレブンから出荷されたやつです。里帰りしてばりばり働いているというわけか?

 

言った者勝ち

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gumi知人からもらった、話には聞いていたけれど、手にするのは初めてのアイテム。いわゆる販促グッズのようなものですが、夏場の熱中症対策としても効果を発揮する実用品なのです。

萌えるよりも、潤ったほうが、絶対にいい(個人的見解)

白いワニの逆転な発想

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sundae昔だったら江口寿史さんの「白いワニ」を標榜しちゃいますが、こういう表現を自身の連載でやれる世の中になったのねー。という感想。藤田和日郎さんが3月に掲載した漫画の見開きです。原稿料が出ないから単行本の表紙を白紙で云々・・・というのとはかなり違うし、表紙が白紙というのはこれはありがちなパターンで、それでも「タイトル」は省かれていません。

が、よその雑誌でも既に前例があったとは。もはや白いワニは恐るる存在ではないのか(いやいや、そもそもそういう意味合いではないよね)

光 

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sunbeam登米から石巻へ移動する途中に見られた陽光。

誰にでも夜は訪れ、また朝が来て、暮れていく。などとかっこよさげなことをつぶやいても似合わないので、さっさと目的地を目指すのですが、たぶんこの調子だと、仕事が終わる頃には、営業復帰した石ノ森萬画館は閉店時間過ぎちゃうな(事実、そうなったわけですが)

気象上の現象という知識を持たなかった時代の人々は、こういう景色をどんな気分で眺めていたのだろう。

 

やってみた

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板チョコ1板チョコを無限に食べる方法。というのを霰と霙がインターネット上で発見。

「こ・・・これはすごい」

「なんとすばらしいっ」

とはしゃいだあと、そんなに都合よく行くもんだろうかと思案に思案を重ね、

「やってみるのが一番っ」

ということになりました。

板チョコ2残念ながら、例題のような5×5ピースの板チョコは手に入らず、2列分はあらかじめもう1枚を使って加工しなくてはなりませんでしたが、これで例題のような組み合わせると・・・

なーるほど、そういうことなのか。

星にねらいを

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イトカワプレスリリースは3月末に出されていましたが、JAXAによる2014年打ち上げの「はやぶさ2」に搭載する、市民の名前など一般公募の受け付けが昨日から始まりました。順当にプロジェクトが進めば、目標のC型小惑星「1999 JU3」には2018年に到達する予定。さらに帰還は2020年と、相変わらず息の長いミッションです。

イトカワへの往復を果たしたあの「はやぶさ」には、88万人もの「あなたの名前」が載せられていましたが、そのうちの4人分は、うちの家族でした。それが災いしたのかどうかは知りませんが、2003年に火星探査機「のぞみ」の火星周回軌道投入を断念した日、2005年に「はやぶさ」との通信が途絶した日が、どういうわけかどちらも霰の誕生日でした。

じゃあ・・・今回も応募してみるか。

新学期の風景

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newあとひとり娘がいたら、それぞれにヨーヨーと折鶴とリリアンなんか持たせたんですが、さすがに1986年の番組では、こいつらにはわからないアイテムでした。

その手の話は置いといて。

霰はなんとか留年の危機を脱し、とうとう大学受験フェイズに。

霙は・・・何を好き好んだか、ねーちゃんと同じ制服を着ることとなりまして、親はまだまだ馬車馬のように働かねばならない新学期です。

 

閑話休題・・・というほど話は進んでませんが。

 

2003ちょうど10年前だと、こいつらこんなんでしたよ。

惜しくも並び順が入れ替わっていますけど、まあ傍から見ていて今なお仲の良い姉妹ではあります。

2人してどんな1年を過ごしていくことやら。

じぇじぇっ

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あまちゃんとりあえず一週目(本日の分は、まだですが)を見てましたが、出足とつかみは面白く、案の定視聴率は20%を僅かにも超えたという「あまちゃん」。いやそれはないぞ、という脇役陣の取り巻く場面の扱い方もあるのですが、そこはドラマなので流すとして、2008年の夏から物語が始まった(ドラマ自体は1984年の回想から始まっていますが)

舞台はたぶん岩手県・・・の北三陸市というありそうでありませんの、田舎町。主役の女の子は、昨年夏にTBSの「サマーレスキュー」で医大生を演じていただけに、おっとびっくりなほど変わるものだと女子高校生として登場しています。

脚本は宮城県出身の宮藤官九郎オリジナル。復興応援シフトの番組ですが、東北では意外と穴場の久慈をロケ地にしているところが琴線に触れてしまい、出勤前に、時々出先で見始めたわけです。

仙台に転勤してきた時に、ちょうど2007年上期に放送された「どんど晴れ」の総集編再放送と、スペシャル番組をやっていたのですが、盛岡を舞台としながらも盛岡っぽくなかったり、座敷わらしの設定からか、遠野を無茶ぶりで隣町のようにくっつけてみたりが気になってました。いや、「どんど晴れ」そのものは連続テレビ小説の中では好きな番組の一つです。これに対して「あまちゃん」の久慈・・・じゃなくて北三陸となると、けっこう逃げ場がない。でも現地まで行ってしまえば、なかなか見所が多い。どの辺まで地域色を広げて見せていくのかが楽しみです。しかし今後の流れで、主人公の天野アキは東京に戻ってアイドルになっていくというから、そのあたりからが視聴率的には凋落しそうだなあと今から心配。

それにしても、仙台からだと300キロ走ってもたどり着かない北三陸です。そこは立場上「どうってことないぜ」と申しておきますが、この冬4回往復する羽目になったし、実は昨年も3回出かけています。仕事で行くところじゃないよー。遊びに行きたいよー。

 

思惑の交錯

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kesennuma2気仙沼市の被災地に打ち上げられている漁船の解体を来月から開始する旨を、この漁船の所有者である水産会社が、気仙沼市に対して申し入れたそうで、

「遠い将来のことより今を生きる人々のことを大切にしたい」

というのが、所有者の意思表示。事情を知らないと奇妙な言葉に聞こえるかもしれませんが、この漁船は学者が保存を提唱し、気仙沼市が震災の記憶を風化させないための「メモリアルパーク」として残そうと、今月末まで水産会社から無償貸与の形で現状保管しているのです。

市は、保存の意向を諦めておらず、市民の意向調査や保存に必要な費用負担の検討をするため、さらに半年間の猶予をと食い下がりますが、会社側の意思に変化はない。というより、現在地から港湾への移設こそ費用や保証の問題から断念したものの、会社側は従前から解体の意向を伝えながらも、どちらかといえば好意によって今日まで船体に手を出さずにいると言っていいかもしれません。

腰をあげるから半年待て。と言う市と、今が大事。と返す会社のどちらが正論かと考えると、所有者の言い分こそ汲み取ってあげなくてはならないのではないか。仕事柄、何度かこのメモリアルパークの意義やら実現化についての相談を、そのプロジェクトに絡んでいる人から受けたことがありますが、そもそも僕のところに意見を求めてくるのが筋違いなうえ、聞き取りするだに何度説明されても腑に落ちないことが多く、それはつまり所有者の意思が介在しないところで勝手に進んでいるプロジェクトだからだったのです。

漁船に限らず、公民館の屋上に打ち上げられた大型バスや、横倒しになった鉄筋コンクリートのビル、水産加工油の詰まったタンクなど、すべてメモリアルパークの材料として語られていましたが、ビル以外のほとんどは姿を消しました。ビル自体も解体が進んでいきます。そのような状況になったからこそ、保存推奨派にとって漁船は唯一インパクトを残す存在とも言えるのでしょうが、しかしこれを永久保存したとして、本当に震災の記憶を継承していくものとなるのかどうか。

未だに疑問です。

そして今回、その場にいたわけではないから人づてに聞いた言葉でしかないのだけれど、水産会社の言う「遠い将来よりも今を生きる人々のことを」という返答は、案外すべての答えになったのじゃないかと感じます。

津波の怖さ、被害の大きさを忘れてはならない。それは、鎮魂の意味を込めてその通りだと思いますが、継承すべきは形よりも次への備えであって、震災以前の賑わいを取り戻すことのほうが、ずっと弔いのための行動ではないだろうかと。

先日、岩手県の沿岸の街で、復興のために住民の意見を取り入れ、新しい街の形を作ろうという行動が開始されました。ここも学者が街から委嘱されて音頭をとっていますが、

「この街には独特の精神風土がある。そんな街の人々の意志を風土そのものとして取り入れる。それで街の形が新しいものに変化したとしても、刻まれる風土の中には、亡くなられた人たちの意志さえもが宿るから」

というものでした。

どちらが効果的な復興の取り組みとなるのか、それはそれこそ遠い将来の評価。よもや、市が船をまるごと買い取る、などと言い始めやしないかと心配になります。