Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

リエゾン

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仲介だとか橋渡し、という語意を持つフランス語。昨日ふれたパリ・ダカールラリーなど、ラリーレイドの世界で、競技区間であるスペシャルステージ間の移動において、その行動を示す言葉としてよく使われていますが、日本においてこの言葉が頻繁に登場してきたのは、中越地震、中越沖地震や、東日本大震災、局地的豪雨による土砂災害が発生した際の地元行政機関と国土交通省とのやりとりでした。

同省の担当専門家や民間企業の専任技術者などが、被災地や災害現場に斥候派遣される時の呼称に用いられています。

東日本大震災直後は、東北のあちこちで、リエゾン派遣された人々と出会いましたが、地域においては馴染みのない言葉だっただけに、リエゾンなのかエリゾンなのかはたまたエゾリンなのか、認識できないところもあったようです。

東北ではリエゾン以外にも道路啓開、櫛の歯作戦、テックフォースなど、様々な言葉が飛び交っていました。最近では復興元年、復興道路、即年着工だとかの、記憶の風化と戦うキーワードが次々と生み出されています。どんな状況下でも、行動の前に情報が走るためです。これは、「口で言ってる暇があったら動けよ」という小言を呼び込みかねないとも思いますが、何の伝達もなければ行動にも繋がらないとも言えるのです。

日を追うごとの復興の形が目に見えてくるはずはありません。むしろ2年めにして、何が変わったのかといえば、ほとんど変わっていないのが、実状。あと2年経っても、それほどの変化は感じられないかもしれません。そんなに簡単には復興なんか進まないのです。それでも、がんばろう東北という言葉の意味に風化が起こることはないし、そうでなくてはならない。

あの頃からずっと、言葉は意志を伝えるリエゾンであり続けていると考えています。

年   始

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年賀状をいただいたり出したり、年始回りに出たり迎えたりの三が日も本日いっぱいで、明日は事務所を開けに仙台へ出勤。しかし業務における年始のアポイントメントは、ほとんどすべて、先方の偉い人々が7日から出社だということで月曜日に集中。って、そりゃないよなあ、な仕事始めになっております。

巳年といえば、同情心厚く、人のために尽す宿命を持っているのが、辰年と巳年の人々だそうで、そりゃー年男や年女の人と出会ったら忘れないでおこうと思ったりします。実は僕、巳年生まれの人とは相性の良い干支らしいのです。いやいや、もちろん僕だって、面倒を見てくれる人々には恩返ししますですよ。

巳年の運頼みや縁起物をあげると、ギリシャ神話のヘルメスが手にしたケリュエイオンの杖は、鳩の翼がついた杖に2匹の蛇が絡みついたもので、生命力や平和の象徴なのだそうです。ギリシャ神話ではアスクレピオスという名の医者が持っていた杖もこれと同様で、WHOのマークに用いられているそうです(鳩の翼は省略されているらしい)

白蛇は神の使いと言われ、白蛇に出会うと幸運が訪れる伝があり、蛇の脱皮した皮を財布に入れると財運がつくとか。東洋においても長いものの縁起は良いというのが、蛇にも例えられていますが、さすがに最近、抜け殻って見たことないなあ。

 

 

仕事納

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前任者が姿をくらまして、その後任に入ったとたんの、千年に一度の大震災という、大当たりなんだか大損なんだかさっぱりわからない東北暮らしも、二度目の仕事納です。

自分も車も、ポンコツになっていくのがわかるねえ・・・ などとぼやいていたら、ジェリー・アンダーソン氏が逝去だとか。うわー・・・まあ高齢だったから仕方がないにしても、サンダーバード、UFOなど、かなり影響されていたんだよねえ。

TOKYO2112

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それでもまだ、ガミラスが攻めてくるのはずっと先の話になりますが、児童誌を見ていたら出てきた、なんだかとてつもなく昔の記憶を蘇らせる企画ページ。なぜ今、100年後なんだろう? やっぱり東日本大震災が拡大解釈されたパラダイムを表現させるのでしょうか。いやいや、2001年あたりにこういうのは見られなかったんだよなあと思っていたので、どこで出てくるのかと待ち受けていた絵づらではあるのです。おそらく、前回これを描いたのは手塚治虫さんだとか小松崎茂さんだったかなと思われ、手塚さんが手がけた方は、僕よりもさらに年上の人たちの見た21世紀で、僕の世代だと小松崎さんではないかと思います。

その当時の科学史上、透明のチューブの中を走るエアカーやら、「てれびでんわ」によるコミュニケーションやら、反重力(これはなぜか漢字だった)ブーツやらスペースポートといった未来像を、どこまで咀嚼して描いていたのかは定かではありませんが、そのほとんどの原理が理解不能でした(だって、今に至るバカな子供だったんだよ)

それに比べて、この100年後の東京(日本)は、研究途上ながらかなり技術的な裏打ちを表に出してきているなあと感じさせられます。むしろこれだけ情報過多の時代ですから、小学生レベルになってくると、ゼネコンが発表する技術アピールで、軌道(宇宙)エレベーターの概念なんか珍しくもなくなっているでしょう。迫力満点のビジュアルながら、箱庭っぽいテクノロジーのオンパレードに見えてしまう。

でも、ウルトラ警備隊の通信端末に憧れていた時代からまだ半世紀経っていないのに、ビデオシーバーの性能をはるかに上回る携帯端末は実用化されているので、ここに描かれた100年後のひとつやふたつは、けっこう近い将来の現実になっていくのでしょう。

暦の基準

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太陽黄経が270度になると、地上(主に中国や日本)では冬至として暦のひとつの基準を示してきました。例年だと12月22日にあたるのですが、たまにそれが1日ずれ込むことがあって、ことしは昨日21日が冬至に該当しました。

世間では、五千数百年に及ぶ古代のマヤの暦が終わる日だとかで、22日に滅亡が始まるとか何とか世界各地で大騒ぎであったらしいですが、東洋じゃことしは既に、予言より1日早く暦がリセットされているということです。

忘年会の風景

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つくばーどのイベントではなく、仕事先の方。霰や霙よりはずーっと年上ながら、でも世代で言ったら僕なんかもう彼女らの父親より年上なんじゃねーか? というオヂサンになってしまったのよ。

でも、なんだかなーと思うのは、たぶん僕の方が精神年齢が幼い(汗) というより、おまえらなんでそんなにオヤジなんだよ? と、思うぞ。

 

つい停まりますよ

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谷田部から常磐道に上がったら、もういくらも走らずに7揃いになってしまう。といって本線上で停まるわけにはいかないから、どこかのインターでいっぺん降りなくてはと、残りの距離を脳内演算。インター三つめまで行けるかどうかが微妙な状況で、どきどきしながら三つめで降りたら、あと3キロ残っていました。

危ない危ない。しかしその3キロめがどこで差し掛かるのかでまたハラハラ。結局は常磐道の高架手前にあった広い路肩でこの距離に。うまいこと周りの交通に迷惑をかけずに済みました。

とはいえ、ぷらすBLUEがこれを刻むのは、二度目なのですが・・・

座布団三枚の距離

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座布団を並べて東日本の各県の位置関係を教えた頃、霰はまだ満7歳になっていなかったと思います。ふと気がつけば、本日なんと17歳の誕生日ですよ、いつのまにやらあれから10年近くの歳月が経つことになるのかと、どーんと実感させられます。そりゃーこっちも歳をとるわけだよなあ。

「お父さん、座布団並べて東北の地図を作ったよねえ」

と、茶の間の掃除を終えて炬燵を設置し直しながら、彼女がそのことをつぶやいたのは、親ばか的にはかなり嬉しいわけです。

次の進学フェイズが優先されるだろうから、すぐには動きはないでしょうけれど、来年の今頃は、普通自動車の免許がとれるのかと思うと、座布団を三枚走り抜ける日もそう遠くない未来なのだと思わされます。

ところで霰って、ものすごい年に生まれていまして、この年の2月頃には天堂竜と鹿鳴館香が結婚し、その式場へ向かう途中の結城凱が暴漢に刺され、6月になるとガメラとギャオスが戦うさなか、首都圏対凶悪犯罪特殊武装機動特捜班が解体されてプロテクトギアが一式行方不明、翌月にはスペースゴジラとゴジラとMOGERAが大激突し、楯剣人によってエリオス星から地球に飛来したアダルス基地が再発動したかと思えば、後に東京湾を埋め立てることとなる、東京南沖大地震も発生しているのです。

迎エハ来ナイ

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ウルトラアイを盗んだ少女が佇んでいそうな夕暮れ。その夜空の彼方から、恒星間弾道弾が飛来していることなどは、少女の存在と同様、街の人々は知る由もない。

という場面を思い浮かべてしまうほど、震災の記憶が打ち消されていく光の渦です。そこを襲ってきた震度4から5の、1分ほどの横揺れ。沿岸には津波警報。でも、あのときと同じ金曜日でありながら、往来する人は平然としている。

次々と着信する、安否を気遣ってくれるメールに返信をしながら、震度5には慣れてしまった自分自身に気づいて、なんだか申し訳なくなるのでした。

行きつけの店 後編

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仰々しく前編、とやっていますから、そこで書いた長年付き合ってきたガソリンスタンドの知人たちはどうなったのだろうという部分については、当然ながら後編のお話が出てくるのであります。

そりゃもう、久々に出かけたらフェンスが張られてもぬけの殻となった店舗を前に、

「廃屋、満タンっ」

などとふざけている場合ではなかったですから、その店からいち早く転勤させられ、鹿島の方の店舗を任されたOくんに電話を入れました。

がしかし、その店舗も電話番号だけを残して別会社のスタンドに変わっており、万事休すかと思われました。ところが電話に出た女の子は会社が変わってもなお残留したアルバイトで、僕のことを覚えていたため、Oくんの転勤先を伝えてくれたのです。

するとこれが、栃木県。仙台と基地を結ぶルート上と言えば、ルート上ではありませんか。以前も千葉の勤務先と鹿島という位置関係だったから、立ち寄れない店舗ではなかったけれど、よくよくそういうつかず離れずのところに来るなあと驚かされまして、ちょうどオイル交換のタイミングも重なったことから、知らんぷりして訪ねてみることにしました。

O君は元気に出迎えてくれて、あの地元のスタンドの顛末と、散り散りになった人たちの消息を教えてくれました。O君だけが地元から遠く離れたものの、これはまだまだ若手だからいいとして、前店長は自宅の近くの職場に移ることができたらしい。店舗が変わるたびにそれぞれ苦労をしていた店長だったので、そこは安心。けれども、もうひとりのメカニックは、まだ失業保険で生活していて、戻ってくる様子がないとか。前店長のさらにもうひとり前の、最も古参の店長はだいぶ前に地元を去っていて、さすがにそろそろ定年時期なので、行方がわかりませんでした。

それでもO君が相変わらずのフットワークで仕事をしてくれているのが、なによりほっとさせられたのです。地元や鹿島よりも大きな店舗に来たばかりで、彼の働きはこれからでしょうけれど、きっと頑張りぬくはず。いや真面目な話、距離については一考するのだけれど、設備と値段じゃなくて、人を頼って通うことってあるんだよ。たぶん、この店舗には、時折立ち寄ることになるでしょう。