シンメトリックなデザインの中心部でぐるぐると巡る輪は、街の和でもあるのだそうです。これが霙のイメージに浮かんだ、笠間のPRアイデア。観光物産協会長賞とやらに選ばれたようです。観光物産協会長って、誰?と思ったら、県知事のことでした。うむむむ、何年か前に僕もフォトコンで優秀賞に入選したんだけれど、そのときは「賞状と記念品取りに来てください」だったのに、今回霙は「表彰式に来てください」と言われましたよ。
なにその差(笑)
日本では川崎で開かれるイベントが最も有名だそうですが、記憶をひっくり返しても、20年遡ると、「ピーナッツ」の登場人物のひとり、ライナス・バンペルトが語る「かぼちゃ大王」の逸話くらいしか残っていなくて、僕みたいな田舎者には縁遠い行事だったようです。でも、たぶんハロウィンが日本の季節行事に定着してきたのって、90年代半ばくらいからじゃないかなあと感じています。もともとは、ケルト人の過ごした、その年の終わりと、その日に行われる収穫感謝祭で、これが世俗社会に広がり伝えられたお祭りだそうです。
魑魅魍魎とモンスターが闊歩しますが、その代表格とも言えるジャック・オー・ランタンなどは、悪霊を退散させる結界のようなもの。
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」というのはむしろ、僕の田舎じゃ中秋の名月の晩に、子供たちが歩いて回る「月見泥棒」に近いのです。
月見泥棒は、要するに各家庭の縁側や庭先に設営された月見の供え物を獲って行って良いというイベントですが、最近は廃れた感があり、じゃあハロウィンの晩に子供らが練り歩くかというと、そういうことも行われていない。なんだかやっぱり、都会のパーティーイベントってところなのかもしれません。
再び時間を巻戻して、十三夜の川原のキャンプの翌朝、つまり日曜日。震災以降久しぶりに阿字ヶ浦の浜に来てみれば、ここにも津波が襲っていたのが信じられないような凪いだ海。そして10年ほど前には海岸浸食で金浜が消失しかけていた海岸も、波消しブロックの投入などで、だいぶ回復していました。
この日の日の出は5時57分。土曜日に寝坊して失敗した撮影に臨んでおります(これはボツのカットをトリミングした)
この頃、那珂川で野営している面々の頭上には、防災無線の外部スピーカーから大音量のモーニングコールが響き渡っているのですが、午後から崩れると言われていた天候は、11時頃から前倒しの雨。うまく撤収できていればいいのだけれど。
1836年10月2日、5年間の航海を終えたビーグル号が、ファルマスの港に帰還し、二度目の南米調査という目的を果たしました。この調査に参加していた博物学者、チャールズ・ダーウィンは、後に進化論を唱えることとなります。
それから36年あとの1872年10月2日、ジュール・ヴェルヌは、英国資産家フィリアス・フォッグと彼の執事パスパルトゥーを、20時45分ロンドン発の汽車に乗せて、80日間の世界一周に旅立たせました。一方はノンフィクション、もう一方はフィクションですが、それぞれきっかけをもたらす出来事でした。
20世紀に入ると、1950年10月2日、アメリカ合衆国内の新聞7紙で、チャールズ・M・シュルツによるPeanutsの連載が始まります。あの変な(失礼)ビーグル犬とその飼い主の少年(主人公は犬の方ではなく、この少年である)と、彼の友人たちのスラップスティックで愉快な物語は、75ヵ国もの読者へ広がるグローバルなキャラクターに成長していきます。
で、そんなことを話すと、幼児期には目を輝かせて喜んでいた霙も、最近では「うへー、わたしゃそんな偉業とは無縁のスプラウトですよー」と、プレッシャーを感じているようです。つまりは、まともに成長しているということか。1997年の10月2日に生まれた、我が家で一番チビだった彼女も、15歳。いつのまにやら背丈は二番手です。