Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

往けぬ景色

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おにぎりとともに発掘されたファイル。といっても、この写真は2009年秋頃の撮影で、いずれSSレイドに出題しようと考えていた景色です。エスクードギャラリーにも載せていますが、駅名を伏せているのはSSとの絡みがあったからでした。

しかし、この駅前に行くことは、今は不可能。年末までに警戒区域の再編が行われるようで、それでも帰宅困難、居住制限、避難指示解除準備区域のうちの、前二者の割り当てのよう。町の方針は、被災から六年後までは帰宅宣言しないと・・・

 

件の発電所は、チェルノブイリのように石棺に封じ込める方向性のようで、その作業のために、大規模な除染を行わなければならない。除染をしたらしたで、使われた物資の廃棄、凝集された汚染物質の中間貯蔵というハードルも越えなくてはならない。

なんと過酷な時代であることか。

おにぎりジョーの面影

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おにぎりジョーが何者かを知っている人が、今どれほどいらっしゃるかは不明です。つい引き合いに出してしまったものの、記事とも挿絵とも関係ありません。その挿絵ですが、フォルダの隅っこから発掘したもので、震災の後に事務所近くの惣菜屋に飾ってあった、おにぎりっぽいモノです。いつのまにやら一年半以上経ってしまいました。着任後、震災という不測の事態も重なり、自分で作った赤字がン百万あったけれど、とりあえずそれはゼロまで引き戻しに成功。これを撮った頃は使う気にもなれずの、食うに困った日々だったのだなあ。

 

ジオ・フロント

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バブル経済時代に流行ったのが「ウォーターフロント」という港湾エリアなどでの都市開発で、京葉、京浜あたりを例にあげれば、重厚長大から都市型リゾートへの転換が随分行われました。

これに続けと作り出された造語に空港周辺で「エアー・フロント」、地下50m以下の「ジオ・フロント」などがありましたが、空港周辺の「範囲」は、羽田や成田のどちらを見ても、定義が難しい。地下街は、東京でもまだその域ではないにせよ、JRのターミナル駅や地下鉄網も含めて考えると、けっこうな規模になっているのかもしれません。

いずれも過密化した都市圏(空港は場所によってはその限りではありませんが)の土地利用から生まれている言葉で、つくばーど基地のような地方にいたら忘れちゃうよと思うほどに無縁の話と思っていました。

が、温泉って、まさしくジオ・フロントではないかと。東北に住んで再認識しています。まあこの分野にはこの分野でスパ・リゾートなんていう言葉があるわけですけど、地熱と湯を活用する術は、過密都市の土地利用などよりも古くから実用化されているテクノロジーではありませんか(それを言ったら海の家もそうなんだよ、きっと)

それにしても、もちろん仙台の作戦室でも風呂には浸かれますが、温泉通いができるというのは、基地の方の温浴施設とはグレードが違います。著名な温泉の有名な・・・高い宿に、というのは年間で数える程にしかなりませんが、銭湯感覚で行けるところが多いのは嬉しい。しかも首都圏の銭湯より安いのがありがたい。この夏は、あちこちでさぼり立ち寄りました。

そしておそるべし温泉。暑い8月と長く続いた9月の真夏日が去っても、今度はぬくぬくとしに通えるという・・・

 

下書きにダメ出し

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エスクードの企画の一環として、壮大な(当事者比)ラブレターを書けという、今更ながらほとんど恥の上塗りのような取り組みを始めたものの、これをけしかけてきた張本人は姿をくらまし(笑)、そんなものに役立つ参考書があるわけでなし、こんなアホな企みに前例があるわけでもなし、どんどん窮地に陥っていく日々。しかし、9月も下旬になるのになんでこんなに暑いんだよ、と、だらけていた仙台も確実に秋めいてきて、いたずらに時間だけを浪費し続けていることを思い知らされるのです。

その上ついうっかり、スーパースージーの原稿を先に仕上げてしまい、同じことを書けないではないかと地雷を踏んづける始末です。

ああ、念の為に断っておくと、本業の業務はちゃんとやっております。

そんなこんなでとりあえず下書きは書いた。書いたけれども、これを横文字に訳さねばならない。それはもうめんどくさいから、ソフトの力に依存するわけですが、ソフトはソフトで万能ではない。手の込んだ文面になればなるほど、まともに翻訳することができない。いっぺん英訳したものを再度和訳したときに、めっちゃくちゃな文章になってしまう。ということは、英文の方もきっと本意は伝わらない。

ほとほと困って、第三稿でぶん投げまして、霰に救援要請。カナダ留学の成果を見せてみよと原稿を送ったとたん

「主語は曖昧だし文法が日本語のままだしで、どんどん意味がずれてしまってます。これはダメ出ししちゃっていいですか?」

ばっさりと切り捨てられてしまいました。

ちくしょー、現役には敵わないのか。英検二級持ってやがるしな(とーちゃん、三級)。

こいこい、しますか?

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仙台市内のお肉屋さんですが、このセンスに脱帽しました。

これ、食うならやっぱり塩味かな・・・

黎明編の記憶

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僕は手塚治虫さんの漫画をそれほど好きではなく、「ジャングル大帝」と「青いトリトン」を除くと、作品をしみじみと読んだことはありません。

だから「火の鳥」に至っては、何がどうなっているのかほとんど知らないのですが、1978年に公開された東宝映画の「黎明編」だけは、学校行事の映画鑑賞会で強制的に連れて行かれて、観ていました。

そこでも、火の鳥の物語としてではなく、邪馬台国の騒動(と、同国九州説をバックボーンとするフィクションの構成)に面白さを見出して観ていたのです。

映画は日本各地の様々な場所でロケ撮影されたと思われますが、その多くは、阿蘇において撮られていたはずです。その雄大な風景を、いつか眺めてみたいと思いながら、その後他力本願していた修学旅行に肩すかしを食わされ北海道に飛ばされ、なにしろめんどくさがりがたたって自走では行こうとしない(他の手段を考えろよ)

結果、ここまでやってくるのにン十年もかかってしまいました。しかも弾丸のタッチアンドゴーという、えらくもったいない立ち寄り。まあそれでも、その場所を走ってこられただけでも良かったことは大いによかったのですが。

翻って記憶を搾り出す「火の鳥 黎明編」。なんと、今では映像ソフトが無いらしく、リピートしたくてもできないらしい。その上、調べてみると、この映画に対する評は極めて低く、なんであんなもん作ったか理解できないというコメントが大半。良かったのはミシェル・ルグランのメインテーマと、コシノ・ジュンコの衣装くらいだと・・・

確かに記憶をたどれば、原作を知らないにせよ構成がちぐはぐだったり怒鳴り散らすようなオーバーアクションが鼻についたり、虫プロ側が担当した無理やりなアニメーションシーンの意味もない・・・としか思えないインサートなど、あんなのをよくもまあ谷川俊太郎さんは脚本に起こし、メガホンを執った市川崑さんに納得させたもんだわ。とは感じるものがあります。

ところが、原作を読んじゃいないけれども、失礼ながら当時のセンスで漫画を映画にすると、あんなもんじゃなかろうかと思うのです。そこは目をつむって(つむったら見えないからダメじゃないか?)、当時のあのキャストを思い返すと、とんでもなく豪華で、現在の俳優陣であれに匹敵することができるだろうかと考え込んでしまいます。今やったら女性陣の大半になんとかなんたらのアイドル軍勢がぞーろぞろと・・・それじゃだめだよなあ。

いやしかし、この素材は、もう一回取り上げてもいいじゃねーかと、僕は支持したい。役者の選定は好みによるのでほっときますが、あっちの国で「ロード・オブ・ザ・リング」(注意 音声がやかましいぞ)だの「太王四神記」(注意 音声がうるさいぞ)だの「レッドクリフ」だのを作られて、こっちじゃあんなのやそんなのしか作れないようでは、邦画の名折れじゃありませんか。

本音を言えば、別に「火の鳥」である必要はなくて、邪馬台国であるとか日本神話であるとかのジャンルで、物語を見たいだけなのかもしれませんが、「ヤマトタケルの冒険」を実写でやれちゃうとちょっとインモラルすぎなので、あれは長編漫画にリメイクしてもらうのが一番いいし、第一、アニメーションで見たいとは思わないのが、実際の阿蘇の火の国の風景です。

 

学園都市今昔

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モンゴル人民共和国のヘンテイ県ベルフ市の10キロほど南に、1機のホーカーシドレー・トライデントが墜落し、操縦士や搭乗者9人全てが犠牲になったという、歴史的な事件があります。1971年の、9月13日の出来事です。

この飛行機に搭乗していたのは、当時の中華人民共和国で毛沢東の後継者とまで言われながら、主席の暗殺を企てクーデターを起こしかけたものの失敗し、ソ連に逃亡しようとしていた、軍人であり政治家であった林彪。最年少で十大元帥の一人に名を連ねたほどの人物でした。

トライデントの墜落原因は諸説あるものの、確たる定説は断定されていないようです。また、搭乗者の遺体確認は、モンゴル側が中国に対してこれを認めなかったことからKGBにより行われたもので、どこかに穴があっても・・・という憶測は成り立ちます。毛沢東さん自身がこの逃亡に対して「雨は降るものだし娘は嫁に行くものだ」と告げ、ほっとけと言ったそうですから、事故後の成り行きは闇に葬られて行っても仕方のないことでしょう。

という背景から10年ほどあとに、川又千秋さんが「林彪の罠」という活劇小説を出版します。現在では「筑波・核戦略都市を奪回せよ」と改題された文庫本が手に入るかもしれません。なんだそりゃー?という小説と思われましょうが、筑波研究学園都市が、一時期、核武装のための研究基地という都市伝説で賑わっていた頃の作品です。実は、モンゴルで果てたと思われていた林彪さんは筑波に軟禁されていて、中国から謎の武装集団が奪還にやってきて、高エネルギー物理学研究所(当時)を占拠し、日本政府に脅しをかけるという展開。

この頃、僕はといえば、夜な夜な師匠と学園都市を徘徊しては変なテロリストを発見できず、そのまま北筑波稜線のまだダートであった林道まで出かけて崖から落ちかけたりしていたのですが、30年経過したら筑波どころか尖閣諸島あたりでの鍔迫り合いというずっとリアルな現実を見る時代になってしまいました。

いま、つくば、と表記する人はいても、筑波と書く人は激減しているのではないか。ましてや「学園」と言われて、そこが筑波のことを示していることを知らない世代も出てきています。それほどに筑波研究学園都市は地域に埋もれてしまったような気がします。土研の風洞実験棟の中に核ミサイルが寝そべっていても(真実は知りませんよ)、もはや誰も気がつかない以前の問題なのか。

sleep

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下書きを始めたところですが、荷造りするのを忘れておりました。ちょっと作業を止めて、脱走の準備に移行します。

・・・旅に出るのを「脱走」って書くの、何年ぶりだろう。

「夜会」とか「異種格闘」とか、まあ昔の話です。ボキャブラリーの低さは相変わらず変わってません。

どうも乗せられた気がするが

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神輿は担いでもらえてなんぼというか。もちろん、僕にしかできないことではなくて、彼にだってできることなのだけれど、なにしろ僕以上に口車に饒舌なくせしてめんどくさがりときては、一筋縄ではいきません。

何の話かって、壮大な規模のラブレターを書けという。いや、正確にはラブレターを綴るための、言葉を集めようという。そんなことは、エネルギー有り余ってる若い人にやらせなさいよと言ったのですが、あなたがやらないで誰がやるの。と・・・

要するに、悪巧みのお話です。

彼が言うとおり、人が面白いかどうかじゃなくて(やー、おもしろくないとだめなんだよホントは)、僕が面白いかどうかなのです。その点に関しては、お説の通りだと思いました。ましてや、仙台まで押しかけてきて熱く語りやがる。ほとんど狙い撃ちの牛タン夏の陣です。

だから、呑める条件と譲れない立ち位置を精査してもらって、その話に乗りましょう。

なんのことだかさっぱりわからない流れですが、エスクードというクルマは、いつでも何かしらワクワクさせるものをもたらしてくれるのです。

さて事を起こす前にひとつ問題なんですけど、ラブレターってさ、どうやって書けばいいの?

 

八ヶ岳南麓の宵の口

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白馬から安曇野経由で松本まで街道を進み、長野道に乗ったものの、諏訪南の先で事故渋滞。この時点で、安曇野界隈の道の駅でも、わさびソフトクリームを時間切れで閉店されて、挙句に「信州りんごなうさぎ」を作っているというお菓子屋の住所をたどって現地に行ってみれば、ただの住宅地でそれらしき店舗も工場も見当たらずという体たらくをやっています。

その上、行く手で渋滞など許しがたいと、中央道に乗り換えた直後に諏訪で降りて、そのまま地方道で八ヶ岳へ。

すると富士山と甲斐駒ケ岳は眺められたものの、肝心の八ヶ岳はどんよりとした雲の中。1500m以上は大荒れの天気のようです。その天候も手伝って、大泉のブル&ベアにたどり着く頃にはすっかり夜の世界で、森の中のアイリッシュパブは、晩餐に来ているお客さんでほぼ満席。でも特等席とも言うべき、カウンターの真ん中に案内してもらえて、少し早めの夕食です。

霰を居酒屋に連れて行ったかと思えば、今度は霙をパブに連れて行くという、どういう神経をしているんだと思われそうな話ですが、その父親自身はまったく飲めません。トニックウォーターをオーダーして、あとはパイだとかフィッシュ・チップスだとか、スコーンだとかの、食べる方優先。この店のステーキ・きのこ入りミニパイはお勧めです。

そういや、うち以外で、もっと小さな子供を表で遊ばせて、自分はギネスを飲んでいるというお客さんもおりましたが、本国のアイリッシュパブではごく当たり前の風景だそうです。それでも「もう一杯飲んだら帰るから、もう少し遊んでな」というそのおとーちゃんだかじーちゃんだかのセリフは、なんだか映画の世界のようでもあります。

オーナーご夫妻とは、かつてこの店にあった白いノマドが縁となって通わせてもらっていますが、転勤後にここへ来るのは初めてで、随分長いこと遠ざかっていたなあと実感します。ノマドも数年前に退役しましたが、交流そのものが続いていることは嬉しいお話です。

東日本大震災の時は、八ヶ岳の南麓も震度5の横揺れだったとか。長周期の揺れであったために、店内の食器や調度品には被害はなかったけれど、やはり物資不足に見舞われたそうです。

こんな対話をオーナーとしていると、隣で食事をしている霙が、カウンターにいるおじさんたちの人気者になっておりました。初めて連れてきた頃は「何歳? かわいいねー」と言われていただけの彼女も、十代半ですもん、そりゃおぢさま連中にはちやほやされますわなあ。

「うらやましいですねえ、うちじゃあもう親について遊びについてくることなんかなくなっちゃったよなあ」

「お父さんに付き合って林道なんかに行ってきたの? なんてえらい娘だ」

そんな話題で、宵の口は過ぎていくのです。