Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

今さらですが20年紀でした

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一番下まで切り取れなかった

なんか10年前にもやっていて、またしても同じ轍を踏んでいますが、2020年はつくばーどサイト開設20周年でした。こんな年回りにコロナ禍なんか呼び込みやがったのは何処のどいつだよ。何一つまともな記念行事ができませんでしたよ。

20年紀なんて言葉があるのかどうか調べてみると、Scoreというらしいですが、2世紀くらい前に廃れてしまったらしく、2度目の10年紀としてTwo Decadesと呼ぶらしいです。

らしかったなあというのは、BLUEらすかるが地球帰還を果たしたことと、ついうっかり「200回目のつくばーど」を独りつくばーどでやってしまったことでしょうか。秋以降、買い出しトライアルを復帰させて、不発にならずに済んだことはもう安堵以外の何物でもありません。テレワークが定着しようとも、やっぱり引きこもっているのは性に合いません。

仲良しの福島県相馬の市長さんに「ウィズコロナというのは、正しく怖れて賢く逃げるものなんだよ」と教えられました。彼はもともとお医者さんです。様子を慎重に見ていればどう対処して回避するかが見えてくるということだそうです。これは「慣れる」ということとは少し違います。慣れは成すべきことを見失いますから。

それにしても、10年の節目の2度目を過ごして、なんだかんだ言って持続していることは、いかに不真面目に歳月を浪費してきたということなのかもしれません。それもぼちぼち残り少なくなっているとすれば、来年も好き勝手にやりたいぜ。という暴言を吐いて、本年を締めくくります。

みなさま良いお年を。

 

納会の無い納め

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仕事納めとか言いながら、既に2021年の仕込みで奔走というのが先月下旬からずっと続いているんですが、21世紀になってずいぶん経ったなあと思い始めました。もっとも今世紀末までまだとてつもなく年月が横たわってますけど。

一向に理解できない国の新型コロナウイルス対策は、来年も混沌としたウィズの世の中を拡張しちゃうような気がします。とりあえず明日から基地の大掃除をてれてれと始めます。

was the Night Just Christmas

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2本ばかりミゾ山が心配

この期に及んでまたしても杜の都ダッシュをしなくてはならなくなり、例年通りのスケジュールで冬タイヤに交換です。

俺絶対に日本海側には行かないからなっ! などとやり取りをしていたのが先週の話です。なにしろ持ち出したDM‐V1は2017年に購入して組んだスタッドレス。その頃の走行距離が67万キロで今79万キロですよ。冬しか使っていないとはいえ、もう新品に入れ替えたい。しかしサニーの夏タイヤからワイヤーが見え隠れしてやがるではありませんか。まじかよ、で、そっちを優先。

走行時は点してません

BLUEらすかるのタイヤは夏冬とも225/70R16で、外径は722ミリです。

てな具合に脳内で暗記しているにもかかわらず、買ってしまったリースの外径が600ミリ。いやそれ以前に「なんでこんなもの買ったのっ」と、家族全員から呆れられているわけですが、買っちまったものはしょーがねーじゃん(しょうがないのか?)で、ぐいぐい拡張しながら括りつけましたよ。それも本日いっぱいで外しちゃうんですけど、来年は700ミリものを買おう。←凝りてねー

ホルストでも聴きながら

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今夕日没の頃から明日にかけて、木星と土星が最接近という軌道会合となります。

木星と土星の最接近自体は約20年周期で巡ってくるのですが、ことしのそれは「超」がつく・・・という割に僕の知識では距離を示せないのが素人記事で、それでもどのくらい「超」かというと、これほど接近するのが約400年ぶりだということです。

天文の本によると、そのうち前々回の「超」最接近が1226年3月だったそうです。あれ? その頃ってチンギス・ハーンが没した頃じゃないか? と思い立って勉強し始めたら、それは27年なんですが、だいたいこの頃、モンゴル帝国の逆鱗に触れた西夏が滅ぼされ、大陸ではちょっとした激動の時代であったようです。

日本においては、24年に北条義時、25年に北条政子と大江広元が相次いで亡くなり、鎌倉幕府が揺らいでいました。それまでの合議制システムを正式に制度化した評定衆の出来上がった頃です。

はーなるほど、こういうのをこじつけると、2020年周辺の政治なりパンデミックなり巨大災害なり、木星と土星の運行に引きずられているのかと、言おうと思えば言えちゃう事象になっていくようです。次回の「超」最接近は2400年頃だというので、そんな、U.S.S.エンタープライズ ですらNCC-1701-F型の時代なんか面倒見きれないのでどうでもいいです。それでも、「超」までつかないけど「なかなかの」最接近が次に起こるのが2080年らしいので、やっぱりその頃いないよと匙を投げるしかありません。

ただ、2080年の「次の次」に来る最接近の頃、「機動戦士ガンダム」の宇宙世紀0080終戦協定にあたるという、旧世代ガンダム年表があり、太陽系にマイクロブラックホールが飛び込んでくる宇宙災害に太陽系開発機構が挑む「さよならジュピター」(双方2125年)とか、やはり太陽直撃軌道を取る極小ブラックホールの軌道変更と、そこからエネルギーを取り出そうとするAADDの活動(2120年)など、未来においてもいろいろ騒がしいです。

しかし2020年の事例は、割と大ごとらしく、西洋占星術の世界ではこの会合は「200年続いた地の宮」から「風の宮」への移行の年だそうで、向こう200年にわたって風の時代が始まるとかなんとか。双子座とか天秤座、水瓶座の人々にとっての大転換期(良いことらしい)だともささやかれています。しかも「冬至」という季節の節目も重なっています。

四半世紀、いろいろ背負うわ

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1995年  白川郷・五箇山の合掌造り集落が世界遺産登録。←この日誕生。
2003年  日本の火星探査機「のぞみ」の火星周回軌道投入を断念。
2005年  日本の小惑星探査機「はやぶさ」との通信が途絶える。
2019年  ニュージーランドのホワイト島で火山噴火。
U.C.0079年  サイクロプス隊、地球連邦軍北極基地を襲撃(まあこれはどうでもいい)

昨年のニュージーランドの火山被害にはあまり関心を寄せませんでしたが、「のぞみ」「はやぶさ」を立て続けに遭難させたのは自分なのではないかと、当時はけっこう意気消沈していたわけです。

今日、25歳。何事も無ければいいねー。

姉の日

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著述家の故・畑田国男さんが提唱したそうで、これに対する「妹の日」は9月6日です。兄と弟の日もありますが、まあすべて月違いの6日が充てられています。姉の日。これまた昨日出てきた聖ニコラウスに絡むのですが、かの人の命日であることとか、ニコラウスが貧困に窮した家庭の3人の姉妹を救う金貨投げ入れ伝説などから持ってきたらしく、投げ入れた金貨が煙突を通って靴下に入り込んだという伝説から、クリスマスのプレゼントは靴下に入れる風習が生まれた・・・との話。

我が家の姉妹もそれぞれの仕事で休日がまちまち。休みが合致すると連れ立って出かけて行きますが、だいたい妹が運転させられるというヒエラルキーがあるものの、親が感心するくらいけんかをしません。7年前に亡くなった僕のお袋にも、ことし鬼籍に入った姉がいましたが、そこそこ仲が良かったとはいえここまでじゃなかったよなあと思わされます。

運転はさせるものの、ランチ代や諸経費については、ねーちゃんが出している(あたりめーだ)ようですが、社会人3年目のねーちゃんより、1年目の妹の方が給料は上だとかなんだとか。うーむ、それが地場企業と全国企業の違いなのか・・・

54億2000万キロの帰還

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いよいよ明日、はやぶさ2が地球大気圏突入軌道からカプセルを分離し、6日には先代のカプセルが着地したウーメラ砂漠に再び帰還してきます。探査機としてのはやぶさ2は、大気圏で燃え尽きた先代とは異なり、この段階で地球との距離20万キロから軌道を離れ、離れていくことになります。

全航行距離54億2000万キロ。地球と月の往復など足元にも及びません。

宇宙科学研究所によれば、この距離には自動車が長距離を走って刻む数字ほどの意味はない。6年に及ぶ航行を無事に果たすことの方に意義がある。と説明していますから、足下に及ばなくとも、やっている側にとっては励まされた気にさせてくれます。

先代はやぶさにはいろいろと縁があり、あれが小惑星イトカワへ運んだ「署名」の中に、うちの家族の名前も混じっていましたし、先代が打ち上げられた2003年5月に火星が大接近し、つくばーどサイトでエスクードマイレッジを立ち上げるきっかけとなりました。この年、ESCLEVサイトも立ち上げられています。

はやぶさの帰還から10年。2番機がより大きな成果を持ち帰ることとなり、この2番機は次のミッションとして小型小惑星「1998KY26」への探査に向かう計画だとか。地球と火星の間を公転しているというこの小惑星へは、往路だけで100億キロレベル。帰還予定が2031年と見積もられています。

それが、災害激甚化や感染症蔓延の世の中にとって何の役に立つというのか。という声も必ずや上がると思われます。が、こんな閉塞感だらけの時勢に、とてつもないスケールの宇宙とのコンタクトをポジティブにとらえて、素直に「すごい」と夜空を見上げる気持ちを持つことができるのは、少なからず役に立つ話だと感じています。

 

 

 

家に居なかったので

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Amazonサイトからの案内では27日から29日の間にお届け。という太字表記のほかに、「29日にお届けします」という1行もあった荷物でした。

が、配達業者を知らされていやーな予感がしていた通り、荷物は我が家全員不在の日中、24日、25日と連続して「配達できませんでした」の届表が置かれていたのでした(郵便受け確認しろよ)

この事態を知ったのは25日夕方に覗きに行ったAmazonサイトの自分のページで、履歴を見てのこと。29日と言われていたのをとりあえず信用していたのがミスでしたが、いやーな予感というのは、この配達業者に限って言うと、期日より前倒しで持ってくるのが常習だったのです。それでも前日だったら霰が公休日だというので、彼女に受け取り指示を出していたのですがこれほど前倒しされるとは思わなかった。

サイト上から再配達の依頼を出して、26日に無事に受け取り、その際に念のために聞いてみると、やはり「期日指定を受けていなかったので、集配所に回ってきた当日にお届け」という話でした。いやはや、こちらが迷惑をおかけしました。

はてさて、誰が悪いという話ではないのだけれど、配達ルールに関して、Amazonの規定と出品者とのすり合わせができていない。Amazon側は出展者の都合を鑑み幅を持たせて期日を設定しているようで、出品者は注文後ただちに発送作業に移ってしまって、この業者に限って言うと、結果的にいつも前倒しで持ってきてくれて、不在届の常習となってしまう。不思議なことに、同じシステム上で配達しているはずの別の業者は、このようなことが一切起きていないのです。

それぞれがコンプライアンスを重んじ、親切モットーで動いてくれて、配達業者がとばっちりをくってしまうのは、結果的に顧客までもがなんとも申し訳ない思いをしてしまうお話です。配達員さんとはあらためて現場打合せさせていただき、不在だった場合は書置きとともに「この場所に置き配」してもらうこととして対策を講じました。

それで思い出しましたが、日中は誰もいねーよと言っているのに、時間指定をせずに宅配便を送ってきやがるのが、ほかならぬうちの一族・親戚ばかりだってことです。

と、書いてた傍から霰が

「昨日これが届いてましたよ」

ここからは29日に追記してますが、28日の僕の不在時に受け取ったということでした。

「お母さんに見つかってはならんブツだと思って、夕べは隠しといた」

おお、気が利くじゃねーか。と開けてみたら(開けなくても送り状に書いてあるんですが)これって確かに28日発売だったようだけれど、アナウンスでは12月1日に届けるという予告だった商品じゃないの?

ピーカン不許可

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おっと久しぶりに偏った光画部ОBのお言葉が頭をよぎりましたよ。

「自然光で撮りたいよねー」

「お父さんの背景用ボードを借りるのです」

などとやりながらの設営のようですが

「こんなに強い昼前の順光は逆光より大変だぞっ」

という親の助言なんか聞く耳持ちませんわ。というかさー、ボードの汚れくらい落としてから使えよー・・・

しかし笑っちゃうのが、アングルをあれこれ考えているうちに、地球が自転して背後の樹木の影がボードに入ってくるくる。

霰は黒い背景で撮りたかったらしいのですが、それだったらボードじゃグレーに発色してしまうほど反射が強いから、むしろ庭の日陰を背景にした方がましです。という現実は、やってみてわかったらしく水色ボードに変更(エスクード三十周年イベントでコンテスト用写真を貼りだしたボードです)。ハーバリウムとかいう作品の撮影会は正午まで続くのでした。ああっ、いくらなんでも頭上の余白が少なすぎだよ俺が撮ったやつ(笑)

 

八年居たらばもう古巣

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この数回、話が前後していますが、整頓すると「エンジン修理できずに引き取り」「宮城と山形に仕事で出かけ」(本日の記事)、「須賀川で」という順序になります。しばらくぶりの仙台だったけれど、コロナ禍で行きつけだった喫茶店が閉店していたらどうしようと心配しながら路地へ入ったら、

「あらーボス! おひさしぶりー」

と相変わらずの朗らかさでママが出迎えてくれて、指定席をすすめてくれました。ご多分に漏れず仙台もあちこちでクラスターが生じ、五月の一か月は開店休業だったそうです。

「見たことあるクルマが裏に置いてあったからもしやと思えば!」

「二年くらいぶりですかー?」

などなど、出勤前にコーヒーを飲みに来る近くのОLやら生保のおばちゃんやら、顔を見ずとも僕の図体ですからすぐわかる(笑)ので、店に入ってくるなり声をかけてくれるのは嬉しいことでした。東京に戻ったとたん、こういった息抜きに立ち寄った喫茶店がことごとく無くなり、コーヒースタンドのような形態に変わっていただけに、ここへ舞い戻ったら古巣のままだったというのは不思議なものです。

午前中、市内で仕事をこなし、午後の山形市の訪問先に移動する途中、しろくまさんとも連絡が取れてほんのわずかに時間再会が叶いました。やはりエスクードが修理中で、奥方のクルマでやってきた彼でしたが、これがマツダにОEМしているハスラーだったという、霰たちのハスラーコミュニティーを後押しするような危険な選択でした。山形市内でしろくまさんに会うのも、震災の年の春以来です。まあその間、彼が茨城に来てくれてましたが。

しろくまさんも出張に出かける途上だったので、クルマを並べて撮影なんて暇もなく、BLUEらすかるの粗品をお渡ししたらば、山形大グッズ(大学で企画したという米の詰め合わせと米沢牛パイ)なんてものをお土産にくださり、わらしべ長者(おいおい)となりましたよ。これで午後の仕事も景気づけられたようなもので、満足のゆく成果を得られ、再び仙台に戻ると、あのジェーエーシーの故・眞野社長の片腕の部長が眞野屋レストランに席をリザーブしてくれていました。

基本はマルシェスタイルの眞野屋ですが、生鮮食料品や雑貨店以外にベーカリー、バー、カフェ、レストランといろいろ詰め込まれている。ただ、グランドオープンの時にはそれら飲食関係の店が開店時間前だったため、どんなしつらえかは知らなかったのです。

コロナ禍で来客も減っている中、それでも買い物にやってくる人はちらほら。座席とテーブルを削ったカフェも閑古鳥にはなっていませんでした。

「あたしゃこれから蔵王で会議なのよ。閉店時間気にしないで社長を忍んでいってね」

とテーブルに案内され、ぽつんと店内を見回すと、例によってあらゆる調度品が廃棄材のリサイクルです。それが眞野社長の信念だったねえと、そこにいてほしいのにもう一緒に仕事のできないことを実感させられました。8年居て、あれからもう9年目の時間でした。