Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

その後の河鹿沢温泉

その後の河鹿沢温泉 はコメントを受け付けていません

河鹿沢温泉は、あくまでも山形県北部を流れる河鹿川両岸に所在する小さな温泉町です。そこに暮らし働く若者がそのようにモノローグしているのだから、誰が何と言おうと「太平洋側には無い」のです。

ここ数週間、久しぶりに河鹿沢温泉を検索してこのブログにやって来る人が増えているので、まさかなーと思って(先月の28日に)本屋に行ったら、なんと吉田秋生さん、「詩歌川百景」という新連載を掲載しているではありませんか。

え、詩歌川(うたがわ)? それは河鹿川のほど近くにある別の流れで、土地の人でも河鹿川の支流だと勘違いしている交差しない川のこと。「海街diary」最終回あとの番外編で語られていたはずですが、それを次の物語に持ってくるとは。

そんなわけですから、今後は河鹿沢温泉や温泉宿「あづまや」の輪郭が、今まで以上に具体的に描かれていくことになります。既に見知らぬ山の名前が出てきたり、子供らの川遊びがなんとなく郡上八幡ぽかったり(岸辺の岩とか橋から飛び込むなんてのはどこでもある風景だけど、今度の場合、実景の方の橋から飛んだら確実に命にかかわります)、あづまやの館内や温泉の描写もあります。しかしなにより冒頭、街を見下ろす風景が見開きで登場するので、

どこぞの同じタイトルの映画に出てくる同じ名前の温泉町の画とは、河鹿沢温泉は別の場所なんですよ

と、あらためて解釈を主張します。間違ってもインスタ映えするかもしれないしと、大挙して出かけて行ったりしないでいただきたい。

だけどねー、話を漫画に戻しますけど・・・また吉田さんの漫画を読めるのは楽しみなんだけれど、やおらお客も含めて20人からの登場人物をごそっと出して状況と相関説明をされてしまうと、いささか興ざめの上、それらの人物がまだ描き込まれていないから魅力的でない。「すず」の義弟である「和樹」が、海街番外編ではまっすぐな青年に育っていたのがほっとしていたのですが、和樹がこの物語をどうけん引していくのか、いろいろ心配です。

・・・ちょっと待て

あの番外編は「海街」最終回から10年後だった。海街そのものがずっと昔の「ラヴァーズ・キス」に寄り添った時代だったけれど・・・

「詩歌川百景」は、いったいいつの物語になるんだ?

割るかな箸がウルトラだ

割るかな箸がウルトラだ はコメントを受け付けていません

ただそれだけ。

でも食いついてしまったのだ。

そして・・・使うことができない・・・

 

それでですね。割箸どころではなくなっているらしいウルトラの業界ですが、庵野秀明=企画・脚本なので「庵野がウルトラ作る」は間違いではありませんよ。でも「樋口真嗣=監督」なんだわこのカード。

紫色の人型決戦兵器よりも前に、この二人で「M78星雲の宇宙人」は、アトランティスの祖先的な扱いでやっちゃってますし、どう切りつけても癖が立ちすぎるコンビネーションですから、賛否の激論からムーブメントが広がっていきそうな気がしますが、庵野さんが云々という部分が独り歩きするのもどうかなと思います。ここで樋口組に期待するのは、昨今の正当版のウルトラの作り方に対して、「あ、特撮ってこうだったよね」といった部分を観られるか否かなのではないかと僕は考えています。だからといって、またぞろ引き合いに出されている実相寺昭雄さんの作り方がそれだというわけじゃありません。あれだって切り口の一つでしょう。

いろいろな人々が危惧しているのは、裂け気味の口元や異様な吊り眼で猫背のウルトラマン、というイメージ造形ではないかと。僕も嫌ですそういうのは。しかもクリーチャー気味なウルトラは「ULTRAMAN」が先鞭をつけているので、今さら二番煎じはやっていただきたくない。そうすると、案外、まっとうな作り方でウルトラマンを描くべきなのだろうと・・・外野が感じてももう遅いよねえ。

 

大和の発見 ヤマトの発見

大和の発見 ヤマトの発見 はコメントを受け付けていません

1985年の今日、東シナ海に沈没していた戦艦大和が発見されていまして、その後の詳細調査でも船体が3つに爆発分解して沈み朽ち果てていることが明らかとなりました。そりゃもうあと二百年もしたら跡形もなくなっちゃうんじゃないかと、ある意味意気消沈した宇宙戦艦ヤマトファンは多かったことだろうと想像しますが、あのヤマトの基となった戦艦大和は割れていないし、なにしろ遊星爆弾の破壊力にも平気だったのだから、深く考えないことが寛容でしょう。

書き始めてしまって、ヤマトもガンダムもいい加減にしてくれと感じている自分には、それ以上のことが何もない(笑)

でも第一作目の第一話を見たとき、なんかすごいなーという直感を得ていたことも事実です。それがこのシーンで、火星から帰還し地球防衛軍司令部に赴く古代進と島大介が、エスカレーターを降りる直前、二、三歩ほど歩いてエスカレーターを階段のように移動していくのです。

わざわざこのような動画を組み入れているところに感心したわけで、それより前シーンの冥王星会戦とか火星の描写とか、どうでもよかった。このエスカレーターのシーンで、宇宙戦艦ヤマトって番組はただものじゃないぞと思ったのです。

だって、ねー。第一話でヤマトそのものが出てこないんだから(笑)

20年めの「お着替え」

20年めの「お着替え」 はコメントを受け付けていません

うちの娘らはセーラームーンのシリーズには引っ掛かりませんでしたが、おジャ魔女どれみにはずいぶん傾倒していました。まーね、とーちゃんがいい年こいてメカもの玩具集めをしていた手前、どれみのおもちゃであったポロン(魔法のバトン)は全シリーズ、しかも各二個買い与えましたよ。

現在、ただの一個も現存してねー(物を大事にしろよー)

その主人公である春風どれみの、要出典ながら7月30日は29回めの誕生日らしく、ことしは3月ごろから展開していたようですが「20周年」だと。さらには来年、かなり久しぶりのアニメーション映画が公開されると。最近は刀剣女子だったりあっちこっちに推しアニメ持ちだったりの奴らも、なつかしーとか言って盛り上がっています。

「ちょっと待て。来年公開って、それじゃ『おジャ魔女どれみ』は21年じゃねーか」

「それは問題なし。来年は『おジャ魔女どれみ♯』から20年」

「それで行くと再来年も『も〜っと! おジャ魔女どれみ』で、次の年も『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』で・・・」

あーそうですかそうですか。好きにしろよもう・・・

月への使者 月よりの使者

月への使者 月よりの使者 はコメントを受け付けていません

1958年、アイゼンハワーが7月29日の何時ごろ国家航空宇宙決議に署名したかは知りませんけど、それによってアメリカ航空宇宙局が発足した頃、時差の度合いによっては日本では月光仮面の第一部(2月に放送されたテレビドラマの再編集)が劇場封切りされていたらしいです。時差の度合いによっては、ですから、細かく検証しないでおきます。そもそも「月」、という共通項以外導き出せるものが少ないのに、こんなこと書き始めちゃってどうすんだよな話です。

いやほんと、どうしよ?

♪あの日歩いた砂浜にゃ

♪あの日歩いた砂浜にゃ はコメントを受け付けていません

いかん、足跡がない・・・

二の字二の字のゲタの跡♪

「全国木製はきもの業組合連合会」なんてものが存在することは知りませんでした。この会が制定しているのが7月22日の「下駄の日」だそうで。下駄の寸法によく使われる数字が七で、とり・みきさんの作詞(究極音頭)とは異なり、雪の上の下駄の「歯」の跡が二二に見えることから組み合わせられているのでした。古いものは登呂遺跡の水田遺構から出土しており、弥生時代から使われているわけですが、その用途はマッドテレーン。昔は庭でも道でも未舗装でしたから、不整地に適した履物だったのです。でも運転には不向きだからこれで車に乗るのはやめときましょう。

 

 

未完の戦士

未完の戦士 はコメントを受け付けていません

まさかミュートス編で来るとは

最初の連載開始日(1964年7月19日)から55年という節目を狙って、またしても復活させられてしまう「サイボーグ009」。新鋭の漫画家にやらせるのでも、石ノ森プロダクションお抱えでやるのでもなく、岡崎つぐおさんが手掛けるというところがひとつの話題でしょうか。

岡崎さんと言えば「ジャスティ」「ラグナロック・ガイ」など少年誌でSFドラマを描いていたのが懐かしい作家で、画力が安定していることと、なるほど009の絵柄には合うかもしれない。けど、新作として取り組むのは8年ぶり? どっちもこっちも掘り起こされて大変なことではあります。

 

「サイボーグ009」は周知の如く、原作者自ら完結させることは叶わず、二代にわたって紆余曲折の大団円に持って行きましたが、結局は〇〇編という方式によっていくらでも復活させられる。いないと寂しいのも事実ですが、来たら来たで「またしても」と言わざるを得ないカードでもあります。

今回、神話の神々をモチーフとしたミュートスサイボーグ編からの復活編というプロットは、初期の009では最も扱いやすいパート。どのように膨らませていくのかは、まあ素直に楽しみです。

どこかで聞いたことが・・・ありすぎ

どこかで聞いたことが・・・ありすぎ はコメントを受け付けていません

それが令和初の仮面ライダーなのかと言いたくなってしまうネーミングの数々は、もうあちこちで「キカイダー01」やら「フォンブレイバーゼロワン」やらが揶揄されていましたが、いつからかバックルと言われなくなった変身ベルトも今回は「ゼロワンドライバー」(それキカイダー01の攻撃技のひとつ)。かと思えば、二番手以降にバルカンとかバルキリーとかを冠するライダーが続々と。これで「俺は社長で小学生」だったらのけぞっちゃいますが、さすがに主人公は大人です。

近未来、ではなくごく身近な現在より少し先?っぽい世界で、AIが人々の暮らしを支えるものの、それがハッキングされ危機をもたらす。というフォーマットは使い古しのようでいて、しかし段々と現実味を帯びた世の中の描き方にもなってきました。

というわけで「仮面ライダーゼロワン」

仮面ライダーなんだからマスクに特徴は欠かせないし、蛍光イエローは見慣れないもののけっこうシンプルで男?前なんだけれど、この「仮面」をとったらのっぺらーな素体が出てきそうで、都会であろうと田舎であろうと働く人の素顔だと考えているのだとしたら、それはいやだなあと言いたいです。

それほどに天邪鬼な選択なのか?

それほどに天邪鬼な選択なのか? はコメントを受け付けていません

延期となっていた海洋堂の「miniQ デフォルメ軽自動車コレクション【ハスラー編】」てのが過日リリースされましたが・・・

車体色としては、またも和爾さんちのもうちのもラインナップされねーっ

金色の矢を銀河に放ち

金色の矢を銀河に放ち はコメントを受け付けていません

牽牛と織女が一夜だけの逢瀬を許され渡ることのできる「天の川」、つまり「銀河」とはその伝えと同様、中国の言葉から日本に持ち込まれたものですが、夜空を見上げたときに「そんな色彩に見えたから銀河」というセンスは絶妙だなあと思わされます。その銀河が天の川銀河の一部を見上げていることは言うまでもありません。宇宙的スケールで言うと直径約10万光年、厚さにしたら約1000光年というとてつもない 「河」です。

もうこれは超空間ドライブを搭載した宇宙船でも重労働。銀河パトロール隊(を唐突に引き合いに出しますが)もかなり小割りしたディビジョン編成しているのかもしれません。ってことには関係なく、レンズマン(劇場版じゃなくてテレビシリーズ)。天の川を渡って逢瀬する二人にはちょっと賑やかですが、七夕の夜銀河が見えたなら、小島恵理さんの曲を聴きながら帰ろうと思います。