伊与原 新さんが書き下ろし小説の一遍として「月まで三キロ」を発表した2018年暮れ、僕は先代らすかるの積算走行距離72万キロを目前にしていて、相次ぐ故障やトラブルに苛まれていました。「月 3㎞」の道路標識はそれよりずっと前に教えてもらって知っていました。kawaさんがTD11wで384400㎞を走り切った2011年に、その場所からの応援メールをもらっています。東日本大震災後の夏のことでした。仙台で被災していた僕には大きな励みになった出来事です。
浜松市天竜区の国道から地方道へ分岐した場所に掲げられているこの標識は、「へえ・・・そんな粋なところがあるんだ」と思いながらも、リアルディスタンスでその距離を走りぬいたkawaさんのエスクードの方に軍配を上げた僕でした。あと3㎞なんて、気安く出てくるんじゃねーよ、と。なぜなら僕はこの頃、まだ35万㎞の位置にあり、それは二度目のことでしたがここまで走らせるというだけでも生半可なことではないのよとわかっていたからです。
伊与原さんの短編小説は、僕らのようなマラソンクラスを楽しみながらエスクードという四駆の取柄を見出そうとしていたアプローチとは全く異なり、世の中に疲れた男が迎えるであろう顛末を偶然と巡り合わせが寸でのところで引き留めるような、月夜の下でならありそうな物語。見上げる人によって降りてくる月明かりの感じ方はずいぶん違うなあと考え、行ったこともない場所の話は自分が扱ってはならねえと、ずーっと(最初に写真を見てから15年もだよ)封じ手としてきました。
今回、月到達のメッセージから15年、短編小説から7年を経て、ようやく自力で「浜松市天竜区月」を訪ねることが叶いました。月までの道のりをまだBLUEらすかるΩは経験していませんが、「月まで3㎞なら、その3㎞を埋めなくては出かけてきた意味がないぞ」と、住居表示が出るまで先へと進んでおります。ボート競技用の艇格納庫のあるところまで走ると、浜松市月の表記とともに、「月橋」と名付けられた小さな橋が待っていました。
同じ場所に、月という集落名の由来について解説する碑も建てられていて、このあたりが月と呼ばれるに至ったさらなる古の落人の物語を知ることとなりましたが、伊与原さんもたぶん、欠けていく月も再び満ちるというイメージを抱いていたのかもしれません。事実上、地球と月の往復を達成できたエスクードだってそうそう居ないけれど、そのうち誰かが行って還ってくるかもしれない。エスクードにとって往路の距離は未踏ではないから。