七十二候・秋分の末候「水始涸」。水田の水を抜き、稲刈りに備える頃とされていますがもちろん、旧暦新暦のズレがあります。茨城県央部あたりだと彼岸前には稲刈りが始まっていて、ところによりもみ殻や稲わらを焼く焦げた臭いが夏の終わりを感じさせていました。このわら焼き、秋田県は本年から禁止し監視を行い、焼くのではなく水田などの土に埋め戻して肥やしにする指導を行うとか。臭いを嫌い、また煙を吸って健康被害が出たという苦情が、昨年は51件にものぼったのだとか。
感性いろいろあるんでしょう。
1963年7月から1997年10月1日の北陸新幹線の高崎駅 – 長野駅間開業まで、信越本線横川駅には機関車の付け替えや連結のため、全列車の長時間停車が続いていました。おぎのやの「峠の釜めし」は、その停車場環境によって売り上げが立ち、全国的に有名な駅弁の一つに成長していきました。おぎのやは横川駅前で1885年10月15日に創業しており、ことし140年を迎える老舗弁当屋ですが、その頃売り出したのはお結び弁当であったそうです。
釜めしにたどり着くまで、さつま芋弁当やコロッケ、イカ焼きなども考案したそうで、「峠の釜めし」は1957年に生み出され、翌年の2月に発売されています。後年、モータリゼーションの発達によって販売網の主力は街道沿いの支店営業店やドライブイン、上信越道や中央道サービスエリアに拡張されていきます。今では東京、大阪でも買えるし、高崎あたりなら国道沿いにコンテナトレーラー置いて売っているほどの販路です。オンラインでも買えるようになりました。
つくばーど®では二度ほど、「買い出しトライアル」のお題として取り上げさせていただいています。2007年の第一回目を企画した経緯は、SIDEKICKさんがこの釜めしを青森県の下北半島で食うという、なんとも破天荒なツーリングを敢行したことに始まります。さすがにそれをトレースするわけにはいかなかったので、釜めしを買い出しに行くけど行先は籤で決めるルールでやってみました。それでもけっこう面白いゲームになりました。近年、参加者減りましたが、またやりたい企画です。
「ハンドルが変な感触」と、ぷらすBLUEの給油に出かけようとした雫さんが言うので、パワステフルードが減ったかなと運転を代わってみると、確かに据え切りのときにゴリゴリ感がありました。丁寧にステアリング操作を行う分には異常は出ない。「なにさふんっ、どうせ乱暴だっていうんでしょー」(わかってんじゃねーかよ)などとむくれる彼女のことは無視してガソリンスタンドまで走りますが、フルード枯渇時に現れるステアリング右に切るとブレーキ警告灯の明滅はない。
給油の際に「パワステフルードの補充もやって」と注文すると「は? 何フルーですか?」などと、研修中の腕章をつけた男の子が困惑、「?」をこのあと二回繰り返し。店長と交代してもらうと。「雷蔵さん、おっしゃる通り漏れてますね。暑さでパッキンやられていたのかも」。しかし補充量はごく少量で、漏れ始めという感じ。パッキン程度ならいいんだけど、BLUEらすかるも不調のため点検入庫させなくてはならないのにこっちもメカトラブルだったらどうしよう・・・
というのが事の起こりで、BLUEらすかるのプロペラシャフト故障発生によって代走させようと給油するつもりが、2台そろって入庫。主治医には大変申し訳ないことに、整備場の半分をうちのクルマが占拠してしまいました。フルード漏れは高圧ホースが酷暑で加速度的に劣化したことが原因のようです。日中、車庫内は40℃になっていたから夜との気温差も大きかったんだろうなあ。BLUEらすかるΩを呼び戻すわけにもいかず、腹をくくらねばならない先週でした。
そのBLUEらすかるは、プロペラシャフトのフロント側ユニバーサルジョイントが「磨滅」と「欠け」で外れかかっていたことが原因。暑さのせいではなくて、98万キロ、車高を上げてからは90万キロ走らせてきたんだから致し方ありません。シャフトはもう部品が出ないのですがジョイントパーツは確保でき、それを使って修理です。重症なのはやはり幌車の方で、高圧ホースの破損部分を切除すると長さが足りなくなる。これをどうするかで解決策を見出すには時間がかかりそうです。
「国境の長いトンネルを越えると」に続いてこの言葉でまとめられる書き出しは、川端康成が「雪国」に綴ったセンテンスで、実際には上越線の清水トンネルのことであろうといわれていますが、清水トンネルは後の複線化によって上り方面の一方通行となり、雪国を目指せるのは下り線に加えられた新清水トンネルの方。霰なんかは新潟時代に上越新幹線で大清水トンネル経由で、雫さんは子供のころ、おばあちゃんと新清水トンネル経由で新潟のおじいちゃん実家に行き来していたそうです。
その新清水トンネルが開通したのは1967年9月28日。「雪国」は1935年に書き出しとなり37年に初の単行本が出版され、47年まで書き続けられ完結した、当初は長編ではなかった文学。それでも新清水トンネル開通まではさらに20年が過ぎていきます。実は「雪国」は康成による添削版の「定本雪国」や原稿復刻の「雪国抄」「プレ・オリジナル」と複数あって、これらの刊行の頃には新清水トンネルも出来上がっています。車で出かけてしまうと、土樽のWループを見上げるのが常でした。