先週、あおちゃん強奪して新潟へ打合せに行った新月サン。 お土産に日本酒を買ってきてくれました。 折角なのでよさげなお刺身で頂きましたとも。 でん助はマグロの赤身にありつきましたとさ(笑)
日付が変わるのを合図にBLUEらすかるを車庫から連れ出し、北関東道で東北道を目指して都賀のジャンクションまでだいたい60キロ。そこから郡山へ向かう途中に那須高原サービスエリアで白河ラーメンなんかすすっているのですが、こんな丑三つ時過ぎた時間帯に他のお客など・・・厨房から見えにくいところで40代くらいのライダーが爆睡しておりました。そんなことはどうでもよい話ですから先を急ぐためにごめんなさいでスープはほぼ残して返却口へ。
自宅と仙台を行き来していた頃に比べると、東北道を深夜に走るトラックの運転はずいぶん紳士的になった気がします。震災復興のピークも過ぎてか、ドライバーの負担軽減なのか、その台数も少なくなったなあと思う反面、速度も抑制され人数も不足という状況を想像すると、本当に負担軽減されているのかどうか心配にもなります。僕自身も一頃に比べたら飛ばさなくなりました。トラックのあとを適度についていくか、時々前に出させてもらうかで郡山ジャンクションです。
磐越道に乗り換えるあたりで、約200キロをこなし、阿武隈高原サービスエリアでトイレ休憩の後、再び走り出すと外気温が12℃くらい。郡山から70キロでいわきジャンクションに到達して常磐道で一気に南下していきます。そのまま土浦北インターで高速を離れ、給油に立ち寄ったガソリンスタンドでだいたい400キロ。ただ、前回ここで給油してからこの周回スタートまでに70キロほど走っているので、それを加算しさらに帰宅すると約500キロの道のりを走っております。
だいたい5時間半で帰宅し、公休日をいいことに朝寝を決め込むわけですが、毎週一回こんなことをやってもまだ車検満了までに100万キロに届くかどうか微妙なところなのがつらいと言えばつらいし、家族の誰一人理解を示してもくれません。まあ景色を見られるわけでもなく、高速料金が安いだけで、何の得にもならないことは事実だものね。これで例の走行距離税なんてものが現実化したら、目も当てられません。秘かな愉しみは先細るばかりなのかもしれません。
部品もエンジンも出てこず、ネット上にあがっている中古エンジンの状態も芳しくないものが多く、最後の手段は程度のよさそうな1台を丸ごと買い付けてくるしかなさそうです。が・・・
と、至極ごもっともな天の声が響き渡ってしまいました。雫さんのお言葉は「あきらめられなくても腹はくくれる」という鋼鉄の論理を振り下ろしてきます。確かに霙の場合なら、向こう10年を展望したら10年乗れるクルマに切り替えるべきかもしれません。そんなわけで、せっかく31回まで書いてこられた本欄は、そろそろ最終章となります。
それにしても頭がいてー・・・実はフィガロだけでなく幌車の修理に関しても打開策が見つからないのです。ここへきて1991年式2台同時にお釈迦かよ。
本編はとうに完結していながらエピローグ編としてのロンリー仮面ライダーを描くというZX新章を、読んでみはしたものの、そこまで複雑怪奇にしなくてもとさえ思えた本編からさらに、わざわざ「スカルマン」みたいな方向へ持って行かなくてもいいんじゃないかなあと憂鬱になります。仮面ライダーというより、「ゼクロスの敵は最後の最後で人類」の急展開を用意して、またぞろぐちゃぐちゃの波乱をやって大団円で感動させるやり口は、どこかのアニメ監督の得意技で辟易しているのです。
何処の誰かも知らないけれど、呼べば来る来る仮面の男。
「仮面ライダー」って、そういう単純明快な勧善懲悪ものであっってほしいんですよ。「新」になる以前の、本郷猛編や一文字隼人編がそうだったじゃない。
1872年10月10日、鰯の油漬け缶詰が日本で初めて製造され、腐りにくく持ち運びしやすいなどのブレイクスルーを果たしました。これに続き1877年10月10日には北海道開拓使がこれまた日本初の鮭缶工場を北海道石狩町に作り、量産が始まったそうです。
鰯の缶詰が無かったので鯖缶と鮭缶を夕食に持ち出してみると、なんか昔と違って缶自体が小さくなったなあと思わされましたが、2缶食ったらもう十分にお腹一杯。
東日本大震災のとき、雫さんがあちこち駆け回って緊急支援物資を仙台に送り込んでくれたのが懐かしい。そのときの鮭缶は二回りくらい大きかった気がしますし、プルトップなんかついていないわ缶切りないわで、これを開けるのに苦労しました。駐車場の車止めに缶の蓋側を力いっぱいこすりつけて熱を持たせると、蓋部分が分離できるのです。もう近所の住民に奇異の目で見られましたけどね。
と、言いたくてしょーが無いんだけれど、たぶんこの30年くらいでクロスカントリー性能とスタイリッシュな風貌との共有というニーズは稀釈されてしまい、クロスオーバーSUVと言っておけばもうそれで十分な時代になってしまった。ほかならぬエスクードそのものが、代を重ねるごとにユーザー側のニーズの変化に寄り添い続けることを恐れなかったと、前向きに評価してきました。それで良かったんだよと。
だけど、そうやって現役から退いたモデルのあとをジムニーシリーズが引き継ぐという構図に、まあ口惜しいやらなんやらの昨今なわけです。もちろんヨーロッパにおけるビターラやインド発のグランドビターラ、ブレッツァといった系譜は残されていますが、国内投入されていくのはBEVとしてフロンティアに臨むeビターラですから、ジムニーには即応できなかったエポックを開拓していくでしょう。
それらの源流原点となった初代はもはや過去の栄光なのか、それとも伊達ではない何かを認めてもらえたのか。でもエスクードのネームバリューはライトクロカンの分野ではなく、レーシングゲームに駆り出されたアレに持って行かれている気もして、そうじゃないんだという言葉も通じなくなって久しい。突出したものを持たず、しかしそれを裏返せばマルチパーパス性能とコストパフォーマンスに優れた小型車であったことが、本来の評価軸であろうと思います。