先日の買い出しトライアルの時に参加賞でいただいたキーホルダー。 持ち歩いてる鍵束につけたら速攻で尻尾か足が折れそうな気がしたので どうしようか考えたあげく、事務所の電話台でプラプラしています。
霰が「仕事が昼で終わった。石岡のまだ行ったことのない回転寿司に行きたい」という連絡をよこしてきたので、行けばいいじゃんと思ったら休みだった霙も家内も「行きましょう」と意気投合しやがって、運転させられるならマグロのいいやつ食い放題にしてやると出かけた話はどうでも良くて・・・
現地で落ち合いテーブルに案内され今どきのタッチパネルで次々と注文していくさ中、
「むむっ、煮アナゴが品切れだっ」←家内
その真向かいで霰が食っているのがそのラストワンの煮アナゴでした。するとややあって店員が申し訳なさそうな顔でやって来て、
「すみません、アオサのお椀なんですが、さきほど2つ承りましたがひとつだけで本日終了となりまして」
味噌汁ごときが品切れするの? と思ったけど僕が頼んだものじゃないし、はいはい、いいですよと答えていたら
「なにそれ、霰が飲んでるやつが最後なのっ」
やれやれだぜ。なんて仕草で両手を上げていたらこんなことでは済まず、女性陣それぞれに寿司のあとのデザートをめいめいオーダー入力していて、
「ああっ、ミルフィーユのメルバに品切れマークついた!」
「え? あたし普通に注文できたけど」
「またしてもそれが最後のだってことですねー」
そういうことがあるのかー。でもそれはともかく、回転レーンに終始流れている「うなぎの握り」が、タッチパッド上のお品書きに存在しないあたり、ニュースと噂通りの回転ずしだねえと感じましたよ。
アスパラガス、その後。
鈴鹿のスズキ最後の夏へ
先月半ば、スズキの二輪部門が脱炭素化や電動化への研究開発専念を目途として、「MotoGP」と「世界耐久選手権」から本年限りで撤退することが発表されました。
SUZUKIというブランドは、世界的に二輪のネームバリューで培われてきただけに、時代の趨勢とはいえ残念なことですが、昨日から開幕した鈴鹿耐久にも、参戦は今年がラストとなります。
鈴鹿耐久は1978年から続くメジャーレース。その第1回大会で優勝したのがヨシムラジャパンがエントリーしたGS1000でした(上図、左図とも異なります)
スズキのマシンの優勝回数は五回程度だったと思いますが、コロナ禍から明けて久しぶりのレースで、最後の花道をぜひとも飾ってほしいところです。とはいえ今年も第七波の影響を被りそう。
弐の土用のあんたんとこで食えないなら今年は食わねえ
なんとしたことか、壱の土用のときにびっくりさせられたのですが、いきつけの鰻屋さんが七月から九月末まで臨時休業をせざるを得なくなっていたという。
六月にテレビ放送で紹介されたとたんに注文が鬼のように押し寄せ、その対応で店頭商売やってる場合じゃなくなってしまったと。そんなことあるんか・・・人のいい店主だからなあ。
どんな放送だったか知りませんが、家内は見ていたらしく「タレントが訪問して美味しい料理を紹介する日テレの番組」だったとか。うーん、因果の糸が絡んでいるとは思いませんが、日本テレビと、お店の題字を書いた人物には細いか太いかわかんない縁があるなあ。もちろんこの事態はお店にもこの人にも何の罪も関係も無いんですけど。旅番組と食い倒れ番組とグルメ番組はほどほどにしてもらいたいです。
というわけで、ことしの土用は余所で、なんてまめなことはせず、肉でも食ってやる。番組を見て注文入れやがったどこのだれか、食い物の恨みは深いぞ。
初めて読むのが最終話
「ちはやふる」の最終話が1日発売のBELoveに掲載され、15年間の連載に幕を閉じましたが、その間一度も読んだことのない漫画でした。にもかかわらず、何を血迷ったか最終回を読んでしまったのです。物語の方はアニメ版の二期まで見ているので、そこから先の展開は全く分からず無謀の最終回ですよ。でもどのみち、ちはやがクイーンになれるか、太一、新との恋の行方がどうなるかに絞られていくのだからどうにかなるわとタカをくくっていたのが大間違い。
こ、これは「赤いペガサス」の最終回以来の大団円!
そういう展開は「赤いペガサス」に限ったことでもありませんが、あのマンガは当時、主人公がマリオ・アンドレッティとの死闘を制し、F1チャンピオンを獲得するのですが、それが最終回になっていなかったところが衝撃でした。
「ちはやふる」の最終回は、同じように競技かるたクイーン戦のあとの余韻を、ページ数で言ったら「ペガサス」以上に使ってたっぷりと描いておりました。
しまったーっ、前号読んでなかったらだめじゃねーかっ
いやたぶん、6月号くらいまで遡って読まないとお話にならないかも。そんなんだったら単行本全部買い・・・って既に49冊も出ているんだよさらにあと1冊は来るんだよ。無理(笑)
ちなみに前号は電子書籍で買えるんですが、これは紙サイズで読まなかったらいかん。
うまうまうまうま
レヂアチオ・ルント・リッナ モノ皆鎮マレ
スズキエスクードなど影も形も存在しなかった1986年(クレイモデルくらいは出来ていたかも)8月2日、「天空の城ラピュタ」が封切られ、JA71←これ間違ってる。86年ならまだSJ30だった・・・を走らせて土浦市の映画館に出かけた僕は、一回目が立ち見、二回目で席を確保し、三回目を観て帰路についていました。
あの当時は一回の上映ごとに総入れ替えというものが無かったのです。だから立ち見も余儀なくされたのですが。
ことし、この三か月で、よく出かける東宝シネマズのマイレージ登録もせず、迂闊にも7本の映画を観てしまいました。後の祭りです。その昔、板橋の旧中山道近くの下宿まで歩いて帰れた池袋や大山のオールナイトでは一晩に5本くらいはかかっていたので、7本なんてたいした数ではないけれど、この十何年かは年に5本を観ることなんかなかったんだよね。
ラピュタの頃は、田舎の映画館は3本立てくらいのロードショーも当たり前でした。ラピュタでは名探偵ホームズが抱き合わせだったような記憶だし、それより遡った「スローなブギにしてくれ」のときは、吉田秋生原作の「悪魔と姫君」のアニメが併映だったり、二次上映などは市民会館のホールが使われ「銀河鉄道999」を観に行った時代が80年代の風景です。
70年代以前は、祖父に連れられて出かけたのが映画の世界。それ以外だと子供会行事は夏休み怪談物ばっかり映画会があって、これなんか屋外で、消防小屋のモルタルの壁がスクリーン替わりでした。そこから昔は僕の知らない時代ですが、つくばーど基地のあるド田舎の町にも映画館はあったそうで、祖父母の時代は娯楽の場として定着していた。今はスーパーマーケットが所在しています。
なんだかコロナ禍第7波が猛威を振るってきそうな時勢になってきたので、シネコンからは足が遠ざかりそう。はやいとこ鎮まってもらいたいです。




