新月サンが貰ってきた方の栗で渋皮煮作りました。
暫く作ってなかったから忘れてたわ。
すっげー時間掛かるという事を。
土曜日、夕飯食べ終わった後から始めたので
火を止めて布団に入ったのが三時半。
それでも茹でる回数減らして
早めに切り上げたんだけど・・・
作り過ぎた感が・・・
明日の朝この街をぼくはでてゆくのです
井上順さんがそんな歌をヒットさせてはや50年過ぎてますが、僕も都合5回の引っ越しを経験して、最初は実家から都内の六畳一間の下宿に家財道具を運ぶ術がなくて衣類と布団以外は買い付けした家具屋から届けてもらっていました。これが4年後に2Kの部屋に移る際、なんでこんなに荷物があるんだ? で引っ越し屋雇いとなりましたね。そこから結婚のために実家に戻る際も、持ってきた荷物を何処に置いておくんだ? の混乱を招きました。
基地から仙台への転居のときは、必要なものは向こうで調達だとBLUEらすかるに積めるだけ荷物を詰め込んでいたら、そんな事情を知らずのSIDEKICKさんがやってきて、エスクード2台で引っ越しました。8年後に基地に帰還する際は、断捨離に次ぐ断捨離の末、やはりBLUEらすかるとオジロ(買い付けたばかりだった最初のハスラー)でこれをこなしています。
さて霙ですが、フィガロなんかで何ができるかという周囲の心配をよそに、会社手配の軽トラで事足りるようです。1か月しか住んでないし、今どきはオーブントースター以外のほとんどの家電が完備です。そういやぁ彼女もこれが5度目の転勤だわ。
機体を調達できないなら特撮真骨頂を
「トップガン・マーヴェリック」への36年の歳月は、映像化技術もドラマに積み重ねられた時間もすべて(ヒロインだけやんごとなき事情なところありますけど)包み込んで作られたところが好感触で迎えられた映画かなと感じます。撮影に実機を使える国柄というのはやっぱりすごいものです。なればこそ、邦画でやろうとしてもこれは太刀打ちできない覚悟のうえで、CGやVFXの総攻撃でやればいい。ゴジラもウルトラマンもそうやって作る時代ですし。
「トップガン」2作とも優れた映画であることは間違いないとして、こういうのを観たらば「ファントム無頼」の特撮映画をスクリーンで体感したくてしょうがないわけです(左図は同作ではありません)。時系列としては神田も栗原も現役パイロットは退いていますから、そこから始めて80年代に幕を移行する方法をとれば、在りし日のカンクリコンビを今描けるのです。操縦席周りは展示実機で撮れるし、あとは日本ならではの特撮で。何より彼らは戦闘機を戦争に使わない。と懇願。
ラッシュは続くよ(いつまでよ?)
霙がフィガロごと転居してから、実に久しぶりにエスクードを2台とも車庫に入れられるようになりました。が、このような互い違いに入庫させないと双方のドアが開けられなくなる狭さ。ぷらすBLUEは2ドアですからBLUEらすかるのドアよりも大きいのです。
その日、BLUEらすかるを定位置に入れたら妙にドア間隔が広い。いやーな予感がよぎったのは言うまでもありません。
ぷらすBLUEを寄せ過ぎて、車庫内からまだ撤去できていないパソコンラックにリアバンパーを押し付けてしまっていました。
使いもしないで車庫なんかに放置されたスチール家具なんかでっきれーだ! この角に押し当ててはエスクードのFRPバンパーなどひとたまりもありません。これがまたちょうどの高さに張り出していやがります。後退しながらの車庫入れなので、「ぶつけた」感触がほとんどないのも困りものです。
どんなことになってしまったかというと、見ての通りです。まあね、ぶつけるような勢いだったらこんなもんじゃ済まなかったでしょうけど、見るも無残。
眺めていても仕方がないので柄の長いドライバーを探したけれど、うちにあるドライバーの全長では、タイヤハウス側からバンパー内側まで届かない。幸いドライバーよりも長い柄付きの棒鑢が出てきたので、これを片手に台所にてお湯を沸かします。
沸騰した熱湯をおもむろにバンパーへかけていきます。昔のやかんと違ってケトルの口は破損個所に熱湯がうまくかからない。何回かに分けて上から正面から注がなくてはなりません。
これを家内にやってもらいながら、僕は棒鑢をやんわりと破損個所の裏側に押し当て、ゆっくりと力をかけていきます。するとどうなるか。たぶん想像していただいたようなことが起こります。
熱湯で柔らかくなったバンパーは、へこみを押し戻してやればほぼ、元に戻ります。残念ながらラックの角に押し当ててしまった部分には亀裂が入っていましたが、手持ちのパテが無いのでそこは後日修繕予定。
それよりも熱変化で塗装が変色して、前オーナーが擦ったか何かで再塗装していた痕跡まで露呈してしまったよ(笑)。まあクロカン四駆なんてこれでいいわ(いいのかそんな雑なことで)
この熱湯治療、古参のエスクード乗りにはおなじみの応急処置です。考案したのは、かつてくろかんノマドを操っていただいすけさんで、狼駄さんのコンバーチブルのフロントバンパーの凹みを「カップラーメンを作るよりも速く」(狼駄さん談)修復しました。
あれって1999年の9月だったですね。役に立つ技法、受け継がれております。
どっかの誰かサンが・・・和邇さんの手記069
晴れた日のお見送り。
先日、あおいろさんが送ってきてくれた三代目後期型の雄姿。サファリパークの管理車両として活躍しているそうですが、むしろこっちを手厚く保護してほしい。エスクードはジムニーの代わりにはなれません。それは逆もまた真なり。ジムニーは逆立ちしても時代のトレンドに向かってドラスティックな変化はできない。できないからエスクードが誕生したのです。しかし変化の一路を辿り続けるため、四輪駆動車としてはレッドデータ扱いからも逃れられません。
「パーク内に少なくとも四台が現役でいるようだよ」
なんかちょっと嬉しいですね。同時に本当に絶滅危惧の風景でもありそこは哀しい。なんせ昔は初代がゼブラカラーで走っていたのですから、そけらは確実に淘汰されていく時代です。





