以前に来た時は雨だったので寄りませんでしたが 今回はよいお天気でしたので。 〝おすわの水〟のすぐ隣なので気にはなってたのよね。 山門は上へ行けるようになっていたので、 文殊菩薩と十六羅漢を拝んできました。 本堂でお抹茶頂けるんですが、今回はスルー。 次回はお庭眺めながらぼーっとしようかしらね。
11日に開催されたTDA2022第3戦の結果は・・・ハンガー4×4のブログをご覧ください。
新興勢力もさることながら、ショップの看板を背負ってくるライバル陣営に対して、満身創痍のエスクードは0.04秒の僅差に迫ることがようやっとの走りでした。さすがに川添君も気落ちしているそうですが、レースごとにバリバリの新規チューンナップを施してくる他チームによくここまで食い下がっていると思います。
次回が11月20日。それまでにできることと言えばプランAとプランB(中身は書けません)なんですが、プランAはそもそも流通個体が見つからない。Bはそれこそここでは書けない。どうすればいいのか切り札を得たいところで、少ない時間で解決していくために、島雄司監督はプランCを考え始めています。
「うち(ウエストウイン)としてはこの結果を受け入れたままにはできません。一矢報いることが重大使命です。勝てなかった要因にはマシンの不備のこともありますが、モデルチェンジしたラリータイヤの『走らなさ』も検証したいし、応援に来てくれて、負けた瞬間泣いてしまうほどのファンの思いにも応えなくてはならないのです」
とはいえ川添君のエスクードは一度横転も経験しており、フレーム修正にも限度がある。軽量化策として削り込んだフライホイールも裏目に出た可能性があります。こうした問題からプランBが透けて見えるのだけれど、なぜここで明かせないかと言えば、まだ島監督の決断が下っていないから。
その答えは第4戦のエントリーを待たなくてはなりません。ただ、島監督の葛藤とは別のところで、それを聞いたら熱くならないわけがないというエピソードもあります。もちろんC案で状況を覆せるかという保証はありません。すべて第4戦の開幕に注目する展開となります。
霙の報告を受けたときには「はぁ?」と思わされましたよ。だって栃木県の事業所に転勤するためアパートを借りて転居したのが8月8日ですよ。
の気分ですよ。
どうも人事系統をすっ飛ばして、本社に次ぐ関東統括の本部から直電をもらったらしく、一人欠員が出るので、近日そっちに転属せよという指示だとのこと。現在の所属長曰く
「滅多にない指名引き抜きだから行った方がいい」
という助言だったようですが、会社的に言わせてもらえば、なんだこの杜撰な人事管理と行き当たりばったりの白羽の矢は・・・
今借りているアパートの退去手続きと違約金支払い(これは会社持ちらしい)と転属先での再度転居先探しで大混乱ですよ。
二階堂裕さんが新型ジムニー開発計画会議を蹴飛ばし、そこからスズキの新型小型四輪駆動車開発がスタートしたことはもはや語る必要のない有名な話です。新型四駆というのがエスクードであることもまた、皆まで言うなの逸話。1984年からスタートしたというこの記録バインダーの背表紙に「エスクード開発」と綴られています(バインダー自体は後年まとめたものと思われます)。故に二階堂さんは、人呼んで「エスクードの父」なる異名を持っているのですが、まあ昔話。
最近、二階堂さんは「路外機動帖」にてこんなことを書き留めています。
今まで2台のエスクードを所有していたが、手放すと会社が傾く。業績がわるくなるのだ。2回、同じことがおこった。あるとき、カマドの赤木君から『30万キロ走行したエスクードTD51があるのですが、二階堂さんに乗ってもらいたい』と電話があった。
理由を聞くと、『30万キロ走行していてくたびれていない、それを知ってほしい』というのだ。そんなことを言う人はいないし、その価値が理解できる人がいることがうれしくて、クルマも見ないで。すぐに『買います』と答えた。それから、会社の業績は徐々に向上してきて今にいたる。私には、どうも『幸運のエスクード』なのである。不思議な縁を感じます。クルマは物だという人がいるが、私は『心』はあるように思います。愛さないと、愛してくれない。
僕の聞いている話だと、二階堂さんは2台ではなく4台のエスクード歴だったはずですが、そのうちのいくつかはボルネオなどで使ったラリー用も含まれているのかもしれません。いずれにしても、自ら産み落としたクルマですから、そりゃ手放したら運気も下がるってものでしょう。当初は車検期間分乗って検証して処分するのかなと思っていたので、今なお愛用されていることにはちょっと意外性を覚えていました。そういうお話が内包されていたのか。
しかしだ。
『30万キロ走行していてくたびれていない、それを知ってほしい』というのだ。そんなことを言う人はいない
9月の満月、つまりことしの中秋の名月は10日でした。が、ロバート・C・シェリフは月を地球に落としちゃったし、ローランド・エメリッヒも月を人工天体にして落とそうとしてます。それはまだいい(いや全然良くない)
ジェリー・アンダーソンに至っては、月を地球の公転軌道から外して何処かわからない宇宙の果てに漂流させてしまいました。
月に投棄・管理されていた核廃棄物の貯蔵基地で電磁バースト核爆発が生じ軌道を離脱したムーンベース・アルファの事故は、1999年9月13日の出来事。なにしろ13日だもんなあと思って振り返ったら「月曜日」で「大安」でした。「スペース1999」(1977年)では縁起かつぎはしていなかったようです。2シーズン作られたドラマですが、2022年の現在も消息不明。それでこの数年の環境変化や異常気象が頻発に起こるようになったのかどうかは定かでないです。
宇宙世紀元年が西暦のいつなんだか知りませんので(諸説あるので特にどれとも言い切れない以前に、総監督が知りません発言してるし)、0079年に17歳だったセイラさんは、それでいいじゃねーかとフィルム準拠として、誕生日設定はいつの間にかあって、9月12日生まれだと。とすると、ランバ・ラルが回想したのは0065や0066年あたりのことなのか、0068年にジオン・ズム・ダイクンが急逝したのち、戒厳令に近い情勢にあって彼女の飼い猫ルシファーを救出に出るときのことなのか。
ガンダムORIGINではなんとなくそんな風に描かれているので、ファーストガンダムに出てくる回想シーンも0068年のことなんでしょうけれど、それを調べていたら、このアルテイシアを抱き上げている人物をランバ・ラルの親父であるジンバ・ラルと表記している文献もあって、どっちなんだよ!と、40年以上も経って混乱しているというマメな自分です。
まあそんなわけで誕生日ってどうでもいい話なんですよこれが。