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  ~懲りない傾向~

夏への扉

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久しぶりに読んでみたくなって本棚を探したら、無い。むむむ・・・タイムスリップしてしまったようですが、果たして過去へ行ってしまったのか、未来へ行ってしまったのかわからない(素直になくしたと言えよ)。

念のために書いておかねばなりませんが、竹宮恵子さんのマンガではなく、ロバート・A・ハインラインの小説の方です(双方、まったく因果関係ありません。山下達郎のうたっているやつは、ハインラインの小説の方がモチーフ)。7月7日は、ハインラインの誕生日でもあります。

「夏への扉」がどんなお話かは書かない方が良さそうなので、リンクも張らず割愛ですが、もうそろそろこれを誰か映像化してくれないものかと思ってます。いや、10代の頃に初めてこの小説を読んだときから、ずっと思っているんですけど、1956年に書かれているこの物語が表現した「1970年」と「2001年」が、現実のそれらの年代とどのようにすりあわせられるかが難しそう。といって、この年代を大きくずらしてしまうのは、やっぱり良くないと感じるし・・・ そう、「夏への扉」という物語は、冷凍睡眠とタイムマシンを扱った、復讐とロマンスと、猫の物語なのです。

「宇宙の戦士」よりも少し前に発表されているこの小説が、半世紀も経って映像化されていない(はず)のは、クリエイターの側もそっとしておきたいからなのかも。「宇宙の戦士」自体、映像化された途端にとほほの作られ方だった(サンライズが作ったOVAの方がずっとマシだった)だけに、願望だけにしておいた方が良いのかもしれないけれど、ロマンティックに描き出せる監督やプロデューサーが、きっといるはずだとも思っています。

ひとまず文庫本を買い直してこようっと・・・そのまえに、楽曲をロードしている人がなかなか沢山いるのに気がついて、見比べてみると、映像の載せ方がそれぞれ異なるとらえ方をしていて面白いです。

バックグラウンドよりも曲のイメージだけに絞っている例

同 その2

たまたま愛犬が同じ名前だったのね

最初にリンクを付けた(重いやつ)映像は、原作の表紙も含めて構成しているから、作った人なりの物語のイメージを描こうとしている例ですが、なるほどなーと思う一方、見事に意図的に原作の核心をはずして、物語を読み取らせません。映像の出典を存じませんが、力が入ってます。

デザイン

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歴代の防衛チーム内でも、1、2を競えるほどのシンプルな隊服デザイン。缶コーラに転写すると、その簡潔さがよくわかります。他チームに比べて、サバイバビリティも戦闘能力も見えてこないのですが、この色彩とシンプルさがよかった。科学特捜隊、ウルトラ警備隊と、その組織性格を良く表していながら、全く異なる隊服デザインがあって、それらともまた違ったスマートさが、MATにはあります。正式名称を持ち、その略称を主に用いるというアイデアも(前2作にもあることはありましたが)、この隊からスタンダードになっていく。

後方の、今のところ最新鋭のCREW GUYSは、隊服デザインは凝っているけれど、実際のジャケットでは胸元や襟のように見える部分が、科特隊のように襟が襟として機能しているわけではないのが残念です。そういえば、MATの隊服は背中にも、胸からの延長のように左右に分かれて黒のストライプが縦に入っていましたが、ウルトラコーラの缶デザインは「表側だけ」なので、背中のシンプルさまでを見ることが出来ません。

やーしかしこのシリーズも続くなあ。ウルトラ族なんかはもはやコンプリートする気も失せましたが、隊服シリーズはそれこそいつになったら全チームそろうのやら。

直感的に似ていると・・・

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思ったのですが、似ているような気がしただけで、見比べると意外と似ていませんでした。

しかしこの顔立ちはすごいなあ。4代目にモデルチェンジのマーチを見て、3代目のような個性が無くなってしまったと感じたのとは、まるっきり逆の印象です。といって全て新鮮かというと、どこかスイフトっぽいルーフとサイドウインドーのラインが見えたり、真横からだとRX-8みたいなフェンダーの張り出しだったり。まあエスクードが初めて世に出たときにも、なんだこりゃ、プジョーじゃないかと思ったものですが。

 

んで、これを見て何に似ているかと思いこんでしまったかというと、

・・・ハイ、大変失礼いたしました。

彼は乗っているかも

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7月1日は、ヘンリー・ウォルトン・ジョーンズ・ジュニア・・・というより、あのインディアナ・ジョーンズ博士の誕生日です。生年は1899年。彼はアル・カポネやデューク・エリントン、ハンフリー・ボガードと同じ年の生まれなんですね。日本では、あの日本電気(NEC)や、後に森永製菓となる森永西洋菓子製造所が創設された年回りで、川端康成だとか池田勇人だとか代田稔が生まれている。こういう人物が絡んでくる可能性があると、あのシリーズってまだ話の作りがいがありそうです。

 

奇しくも、インディー・ジョーンズが最後に活躍しているのは「クリスタル・スカルの王国」、ではなく、我らがスズキエスクードの3代目の3型登場時のタイアップCM。とはいえ、ジョーンズ博士とエスクードは直接絡んではおらず、ポスターやサンシェードのデザインにコラボレートしているだけで、あの遺跡を目指して突っ走るエスクードに乗っているのはどう見ても若者。しかし、あれだけ臆面もなくジョン・ウイリアムスの楽曲をバックに走っていくのだから、運転しているのはジョーンズ博士の孫や曾孫なのではないかと、勝手に妄想していました。

クリスタル・スカルの王国が1957年の物語で、このとき博士は58歳。さすがに2005年まで存命で3代目エスクードを現役で乗るとなると化け物ですが、実は彼の没年はまだ明らかにされていない。となると、少なくとも89歳のときに、初代のトラッカーやサイドキックくらいには乗ったかもしれない。うーん、そんな年齢のハリソン・フォードをあまり見たくはないけれど、案外しゃきっとしたじじいになっているのではないかと想像できます。彼が89歳で元気なら、クリスタル・スカルの王国に登場したマット・ウイリアムズことヘンリー・ジョーンズ三世は、五十代で初代エスクードと同じ時代を過ごすことになります。すると、3代目エスクードに触れてくるのは、ヘンリー・ジョーンズ四世や、その子供の世代になるわけです。

もっとも、ジョーンズ家がSUZUKIの愛好家一家であるかどうかは、誰にもわからない、設定以前の世界なのですが・・・

バイトしてます

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先日のFレイドでは、撮影のほぼ全般を霙が担当しました。

ずっと前に、looplineさんが撮影したTD51W(たけさんが乗っていた)の流し撮りを見て以来、自分でもやってみたくて機会を待っていたようです。が、そんなもん、初めてやってうまくできたら親の立場がないぞ。

というより、むしろ現実論としてレポートやギャラリー用の写真が全滅するおそれがあるので、今回は禁止(したのにやってました。もちろんクルマも流れちゃってます)。それ以外の写真は何とか及第点です。

定点撮影では、1度目がいくらか光量の足りない塩原の林間区間なので、撮ること自体が難しかったはずです。二度目のポイントは南会津の集落。順光で撮りやすかったらしく、上達していました。これで自信がついてか、今度はトンネルやスノーシェッド内で、前を走るNONNONさんのエスクードを取ろうと必死。手ぶれしまくりで「むきーっ」「どひーっ」「なんでだーっ」の連発をしながら・・・まあほぼ全滅。全体の出来については、サイトレポートで見てやって下さい。

雷 らいさま 様

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1030年の昔、延長8年6月26日のこと。干ばつにあえいでいた平安京を突如襲った雷雨のなか、清涼殿と紫宸殿に落雷があり、大納言民部卿の藤原清貫ら数名が死亡、時の醍醐天皇もその惨状に混乱し、3ヶ月後に崩御した。

藤原清貫は、中央集権的な財政を推し進めた右大臣菅原道真の手腕に反発していた左大臣藤原時平の配下。道真の監視役でもあった。清貫は道真の怨霊に殺されたという噂が広まり、京の都はこの落雷事件以前から続いていた要人の急死もあわせて、全て道真の祟りではないかと恐怖するのであった・・・

当の道真は、藤原時平に陥れられ、大宰府へ左遷され、903年の3月に現地で没している。彼の死後に起きた一連の怪事件に、とどめを刺したのが、この清涼殿落雷事件と言われており、これをきっかけに道真の怨霊は雷神と結びつけられました。京都の北野には火雷天神という地主神が祀られており、朝廷は北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとしたほか、既に没している道真の職権なども回復させます。

雷のメカニズムを科学的に知ることの出来なかった当時のことですから、そりゃあ祟りだと思いこむのも無理はないですし、立て続けに至近距離に落ちる稲妻と轟音を見たらパニックにもなるだろうなあと思わされます。そんなわけで、菅原道真という人は、アモンと合体してデビルマンとなった不動明よろしく(・・・っていいのかそういうたとえで?)雷神の化身に祭り上げられ、雷神を眷属に含めた天神様になっていくわけです。しかし俗に天神様と言ってもこれは天津神全般のことを示しているはずで、雷神の位置づけは「その中のひとつの威力」と解釈できるため、道真の怨念を神格化して「逆に封じる」という、いかにも陰陽的なものの考え方が宿っています。

21世紀に入ってから顕在化してきた、ゲリラ雷雨やゲリラ豪雨というのは、こうした平安時代の祟り封じが、1000年という有効期限を終えて効力を失いつつあるからなのでしょうか。もしもそうであるなら、今度は何をカウンターアタックの素材にすればいいのやら。ベンジャミン・フランクリンの言葉でも借りてくるか?

  • 誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出ですこともまた然るべし。
  • 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
  • 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。

(フランクリン13徳より抜粋)

写真は、霰が修学旅行で参拝してきた北野天満宮の狛牛さん。正しくは臥牛と言うそうですが、道真が丑年うまれ、大宰府へは牛に乗って下った、刺客から道真を守ったり、道真の墓所の位置を牛が決めたといった、かなり後付けっぽい逸話にあふれていて、天満宮においては神の使いなのだとか。

丑年うまれ・・・道真が活躍した時代は、すでに空海によって真言宗が定着しつつある頃なので(空海自身は道真が生誕する10年ほど前に入場していますが)、密教の世界から虚空蔵菩薩に関する情報の刷り込みも行われているのかも。牛と虎は虚空蔵菩薩の守りにつく獣で、虚空蔵菩薩そのものが、宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という存在ですから、智恵や知識、記憶などの利益によって学業成就にも通じていきます。天神様に近いものが、こんなところに見え隠れしているのではないかと思われます。

禿山の一夜

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禿山に地霊チェルノボーグが現れ、手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎして、夜明けとともに消え去るというムソルグスキーの交響曲は、スラブの神話を基に組み立てられたロシアの民話が原典となっていますが、その一夜というのが、夏至の頃の夜祭りである聖ヨハネ祭りの前夜、つまり6月23日の夜のことなのだそうです。

スラブの世界では、チェルノボーグというのは不幸や闇を司り、悪の化身のような扱いで、黒い神。真逆の白い神がスラブ神話には登場し、両者が力を合わせることで世界が創造されるものの、やがて黒い神は白い神に駆逐されて地に落ちていくという・・・

チェルノボーグ、かわいそうじゃん。という想いがムソルグスキーに宿ったのかどうかは定かではありませんが、禿山の一夜の中では、それほど悪いやつとしては表現されていないような気がします。いずれにしても、聖ヨハネ祭りの前には不思議なことが起こると。ヨーロッパでは夏至の頃になると、妖精の力が強まり、森や原野で祭りを開くと言われているのですが、その一コマをスラブ人が口伝で残した神話では、地に落ちた黒い神にも自由と平等が与えられていたのかも。チェルノボーグ、黒い神とは、どこぞで征服され駆逐されていった、土着の民のことなのでしょう。しかし6月23日と夏至の夜は天体の動きによってずれており、1903年がそうだったらしいけれど、今世紀中は少なくとも23日が夏至にはならないようです。

やっぱりチェルノボーグというのは「不幸の神」ではなく、「不幸な神」なのではないか。と、思いながら気がついた。しばらく関東では夜会をやっていないなあ・・・暑気払いでもやれぬものかなと・・・

夏に至る

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太平洋高気圧の張り出しが弱いと言われている今年、梅雨は長く続くらしいですが、仕事をしている日中の暑いこと。最近感じているのは、谷田部を過ぎたあたりから、ヒートアイランドされた大気の層に潜り込んでいくような、体感温度の変化です(ここんとこクルマ通勤が復活中)

これが午前5時くらいのことなわけですから、日中の都内はもう推して知るべし。季節の変化には、都会の方が敏感なのかもしれません。事実、日付が変わる頃に帰宅してくると、基地は未だトレーナーが欲しい日の方が多いし、実は未だ炬燵が出ている。

それでも夏至が巡ってくる。昼が最も長く、夜の短い日。出来れば心理的には、そういう日は週末にやってきて欲しいのですが、月曜日の昼が長いということは、暑苦しい都会で稼働する時間が長いと覚悟せねばなりません。クールヴィズやってない職場だしね。

陣中見舞いに

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彼が新入社員の頃からだから、もう何年のつきあいになるか忘れかけていますが、行きつけのガソリンスタンドのO君が遂に転勤となり、ちょっと遠くの店舗に店長として異動となったのが5月のこと。

給油ブースも整備設備も洗車施設も行きつけの店より充実していながら、肝心の給油だけはセルフという変則的な店舗だから、やることあるのかな(おいおい、なんて失礼な物言いか)と思って訪ねてみると、9人もの社員やアルバイトを指揮して、相変わらず朗らかで、元気に動き回っていました。

風車の浜辺にでも行かないことには立ち寄らないエリアであるばかりか、そこへ行くときにはひとつ前の交差点を曲がってしまうし、利根川の向こうから帰路につくときには分離帯に阻まれた反対車線にあるしで、実際寄りにくいのですが、行きつけ店舗の店長が反対車線からの路地の回り込みと、反対車線への脱出経路を教えてくれたので、不便さは解消できました。

「通勤は無理なので、単身アパート借りてこっちに来てます。って、雷蔵さんを前にすると通勤が無理なんて言えないんですけど」

O君は、うちのエスクードはヘリーハンセンのみ知らないけれど、ヘリーハンセンもふくめて歴代全てのエスクードを面倒見てくれた彼の先輩社員も、以前この店舗に異動したことがあり、ここからゼネラルマネージャーに出世していったので、たぶん、この店舗はゲンが良い処なのだと思われます。しかし来月には親会社が合併してまたも組織改編があるだろうから、店舗数の調整に引っかからないようがんっばってほしい。

♪明日は明日で楽しいだろうが

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余りに遠くて予想も出来ないよ♪

よもや、菅直人首相が参院本会議(15日)で、小惑星探査機「はやぶさ」の後継機に関して

「実績を踏まえその開発経費について必要な手当てをできるよう配慮したい」

と述べることになろうとは、13日の帰還まで、内閣府は薄々予想していても口にも出せなかったでしょう。

「日本の技術を世界にアピールし、いろいろな人に励みを与えた」(首相)

「非常に大きな成果を上げた。(後継機予算の概算要求について)しっかりとこれを踏まえて考えたい」(川端達夫文部科学相)

民主党の枝野幸男幹事長(鳩山政権における行政刷新担当相にして、事業仕分けのとりまとめ役)は、さらに先駆けて14日、昨年11月に行われている事業仕分けの衛星関連予算の判定について、「開発の必要性は否定しなかった」と説明しています(記者会見報道)。否定は確かにしていないけれど、この評価をあらためて読み直せば、事業に関する評価というより、むしろ財政難における右へならえを突きつけているのではないかと感じます。まあそれも理屈ではあるわけですが、続いて15日にも「もう少し工夫すれば、少ないお金で同じ効果を上げられるのではないかという議論だった。成果につながることを続けることは、決して否定していない」という抽象論。それならば評価の仕方は「その工夫について出来ることをレポートしろ。評価はそれから」と言っても良かったのではないか。仕分けにおいてJAXAが呼び出されたのは昨年の11月17日でした。はやぶさの制御に関して、帰還に至る可能性に目処が付いたのは、呼び出しの数日後ではなかったでしたっけ?

それにしても驚いたのは、このほど管内閣で行政刷新担当相に任命された蓮舫さんの、仕分け評価に対する15日の見解で、

「(仕分けの判定は)何が何でも守るべきものではない。いま一度、議論の流れを確認している」

ええっ? スーパーコンピュータの時にも聞いたような気がするけれど、あなたがまたもそれを言うんですか? 上がった舞台ではしごを下ろされたような立ち位置になっているのはわかる。しかしあなただけは「国家の財政というものが基軸なんです。ここで予算案自体に再考は認められない。ぎりぎりまで待っていただき、補正予算が組めるものかどうかの議論をしたい」くらいのかわし方をしないといけない。いやさ、本来なら「結果は結果として評価しますが、決まったものは決まったものです。財政難の観点から、縮小の指示は変わらない」と言わなくては・・・

僕は、「はやぶさ2」をはじめとした宇宙開発を否定しているのではないです。彼等こそ、宇宙という言葉と、SFと夢物語を混同している。その見識によって振る舞ってきたとはいえ、閣僚たる立場の人々が、こうもたやすく手のひらを返すという威厳のなさにあきれており、そんなことなら昨年の仕分け以降、やることやってるあらゆる組織・団体の事業をレポートさせるべきであり、仕分けの評価を評価するために、国会の予算委員会を使って議論しなくてはならないのではないかと思うのです。党内幹部や議員のスキャンダルのもみ消しなんかやってる場合じゃないよ、いっぺんくらい、予算のための予算委員会をやってみろよと憤慨しちゃうのだけれど、今国会は本日閉会。