だいぶ前の、最初のブログを始めた頃に載せたことのある写真なのですが、ブログはログごと消失しており、そのときに書いた記事の「これ、何のクルマのエンジン?」という正解も出ぬまま現在に至ります。
さて、このエンジン、どんなクルマの車体に収まっているでしょうか?
誰がどう見ても、顔立ちはれいんさんから持ってきたと言われていたのが霰で、どっちかといえば父親の類型と言われていたのが霙の顔立ちでした。もちろん近頃は、それぞれのパーソナリティが確立されておりますから、父親似だとか母親似だとかは話題に上らなくなっていました。
が、先日、霰が「むきーっ、くやしいーっ」と、声を上げているので何事かと思えば、たまたま薬品使いのためにれいんさんが外していた結婚指輪を興味本位で試した結果、なんと彼女の指には指輪の方が小さくて、つけることが出来ないというのです。
れいんさんの指輪ってーと、公称8号ということになっていますが、実はそれは、結婚当時に僕の指輪のサイズ(28号)と比較しやすいということで、きりよく8と言っていたもので、本当は7号。今もってこれが使えるれいんさん(指だけね)はたいしたものですが、母親よりはスタイル悪くないぞと密かに思っていたらしい霰の自尊心が砕け散る瞬間だったようです。
霰の指がごついかというと決してそんなことはなく、むしろ、よく観察すると「なんだかE.T.の指みたいだよなー」と言いたくなるれいんさんの指よりも、五指そろってすらっとしていて、きれいな方だと思います。おそらく、骨格ががっしりとしているのね。骨太の指故に、7号は受けつけないのです。いやー娘よ、すまんがそういうところは父親譲りなのかもしれないぜ。
先日夕刻、携帯電話に知らない番号からの着信。ワン切り(いまもあるのか?)ではなさそうなので出てみると、唐突にしゃべり出す相手。
『郵便局ですが、着払いの荷物を届けに来たんですけど』
自宅には誰もいないらしい。が、その内容が確認できないし、相手が「雷蔵さんの携帯ですか?」とも言ってくれなかったので、ちょっと警戒。僕は電話に出るとき「はい、もしもし」としか言わないのですが、相手は伝票に書かれた番号をこちらだと確信しているようです。
「おかしいな、誰もいないんですか?」
『息子さんがいるんですけど、寝ているようです』
はあ??? 息子なんてうちにはいないぞ。と、その旨を返答したのだけれど、
『いやいや、中学生の息子さんがいるでしょう。ぐっすり寝てるみたいで起こすのも悪いかなと思って、庭にいるんですよ私』
「だからうちには息子なんかいないって・・・」←と言った瞬間、頭の上に電球が点ってしまった。あっ、ひょっとしてー・・・
「あなたはさ、この電話を誰にかけてます?」
『雷蔵さん・・・ですよね』(それを先に言ってくれよ)
「ところでその荷物、送り主は芽樽さん、て人からではありませんか?」
『はい、めたるまぐなむさん、からのゆうパックですけど』
「はいはい、わかりました。その受取人は間違いなく僕ですが、うちには息子はいないからね。それたぶん、下の娘だと思うけど、なんで寝ているところまでわかったかは、あなた部屋の中を覗いてたってことね? それはうちの者が出なかったことは申し訳ないけど、あなた突っ込みどころ満載だぜ」
局まで引き取りに行くので、あと30分ほど局で保管して欲しいと頼み直して、仕事先から帰路につきました。まあそれにしても、学校から体操服のまま帰ってきて、その格好で茶の間で寝こけていたらしいみぞれも迂闊だけれど、玄関で呼び鈴を押しても無反応だからと言って、縁側から中をのぞき込んじゃうポストマンもどうかと思うし、この人ではないだろうけど、時々うちの郵便受けには「書留が配達されている」ことがある。民営化してから、町の郵便局はどこかおかしくなってます。
しかし・・・息子さんかい。笑っちゃ悪いんだけどさ、これが笑わずにいられようかという、我が娘の凛々しいことよ。
久しぶりに読んでみたくなって本棚を探したら、無い。むむむ・・・タイムスリップしてしまったようですが、果たして過去へ行ってしまったのか、未来へ行ってしまったのかわからない(素直になくしたと言えよ)。
念のために書いておかねばなりませんが、竹宮恵子さんのマンガではなく、ロバート・A・ハインラインの小説の方です(双方、まったく因果関係ありません。山下達郎のうたっているやつは、ハインラインの小説の方がモチーフ)。7月7日は、ハインラインの誕生日でもあります。
「夏への扉」がどんなお話かは書かない方が良さそうなので、リンクも張らず割愛ですが、もうそろそろこれを誰か映像化してくれないものかと思ってます。いや、10代の頃に初めてこの小説を読んだときから、ずっと思っているんですけど、1956年に書かれているこの物語が表現した「1970年」と「2001年」が、現実のそれらの年代とどのようにすりあわせられるかが難しそう。といって、この年代を大きくずらしてしまうのは、やっぱり良くないと感じるし・・・ そう、「夏への扉」という物語は、冷凍睡眠とタイムマシンを扱った、復讐とロマンスと、猫の物語なのです。
「宇宙の戦士」よりも少し前に発表されているこの小説が、半世紀も経って映像化されていない(はず)のは、クリエイターの側もそっとしておきたいからなのかも。「宇宙の戦士」自体、映像化された途端にとほほの作られ方だった(サンライズが作ったOVAの方がずっとマシだった)だけに、願望だけにしておいた方が良いのかもしれないけれど、ロマンティックに描き出せる監督やプロデューサーが、きっといるはずだとも思っています。
ひとまず文庫本を買い直してこようっと・・・そのまえに、楽曲をロードしている人がなかなか沢山いるのに気がついて、見比べてみると、映像の載せ方がそれぞれ異なるとらえ方をしていて面白いです。
最初にリンクを付けた(重いやつ)映像は、原作の表紙も含めて構成しているから、作った人なりの物語のイメージを描こうとしている例ですが、なるほどなーと思う一方、見事に意図的に原作の核心をはずして、物語を読み取らせません。映像の出典を存じませんが、力が入ってます。
歴代の防衛チーム内でも、1、2を競えるほどのシンプルな隊服デザイン。缶コーラに転写すると、その簡潔さがよくわかります。他チームに比べて、サバイバビリティも戦闘能力も見えてこないのですが、この色彩とシンプルさがよかった。科学特捜隊、ウルトラ警備隊と、その組織性格を良く表していながら、全く異なる隊服デザインがあって、それらともまた違ったスマートさが、MATにはあります。正式名称を持ち、その略称を主に用いるというアイデアも(前2作にもあることはありましたが)、この隊からスタンダードになっていく。
後方の、今のところ最新鋭のCREW GUYSは、隊服デザインは凝っているけれど、実際のジャケットでは胸元や襟のように見える部分が、科特隊のように襟が襟として機能しているわけではないのが残念です。そういえば、MATの隊服は背中にも、胸からの延長のように左右に分かれて黒のストライプが縦に入っていましたが、ウルトラコーラの缶デザインは「表側だけ」なので、背中のシンプルさまでを見ることが出来ません。
やーしかしこのシリーズも続くなあ。ウルトラ族なんかはもはやコンプリートする気も失せましたが、隊服シリーズはそれこそいつになったら全チームそろうのやら。
7月1日は、ヘンリー・ウォルトン・ジョーンズ・ジュニア・・・というより、あのインディアナ・ジョーンズ博士の誕生日です。生年は1899年。彼はアル・カポネやデューク・エリントン、ハンフリー・ボガードと同じ年の生まれなんですね。日本では、あの日本電気(NEC)や、後に森永製菓となる森永西洋菓子製造所が創設された年回りで、川端康成だとか池田勇人だとか代田稔が生まれている。こういう人物が絡んでくる可能性があると、あのシリーズってまだ話の作りがいがありそうです。
奇しくも、インディー・ジョーンズが最後に活躍しているのは「クリスタル・スカルの王国」、ではなく、我らがスズキエスクードの3代目の3型登場時のタイアップCM。とはいえ、ジョーンズ博士とエスクードは直接絡んではおらず、ポスターやサンシェードのデザインにコラボレートしているだけで、あの遺跡を目指して突っ走るエスクードに乗っているのはどう見ても若者。しかし、あれだけ臆面もなくジョン・ウイリアムスの楽曲をバックに走っていくのだから、運転しているのはジョーンズ博士の孫や曾孫なのではないかと、勝手に妄想していました。
クリスタル・スカルの王国が1957年の物語で、このとき博士は58歳。さすがに2005年まで存命で3代目エスクードを現役で乗るとなると化け物ですが、実は彼の没年はまだ明らかにされていない。となると、少なくとも89歳のときに、初代のトラッカーやサイドキックくらいには乗ったかもしれない。うーん、そんな年齢のハリソン・フォードをあまり見たくはないけれど、案外しゃきっとしたじじいになっているのではないかと想像できます。彼が89歳で元気なら、クリスタル・スカルの王国に登場したマット・ウイリアムズことヘンリー・ジョーンズ三世は、五十代で初代エスクードと同じ時代を過ごすことになります。すると、3代目エスクードに触れてくるのは、ヘンリー・ジョーンズ四世や、その子供の世代になるわけです。
もっとも、ジョーンズ家がSUZUKIの愛好家一家であるかどうかは、誰にもわからない、設定以前の世界なのですが・・・
ずっと前に、looplineさんが撮影したTD51W(たけさんが乗っていた)の流し撮りを見て以来、自分でもやってみたくて機会を待っていたようです。が、そんなもん、初めてやってうまくできたら親の立場がないぞ。
というより、むしろ現実論としてレポートやギャラリー用の写真が全滅するおそれがあるので、今回は禁止(したのにやってました。もちろんクルマも流れちゃってます)。それ以外の写真は何とか及第点です。
定点撮影では、1度目がいくらか光量の足りない塩原の林間区間なので、撮ること自体が難しかったはずです。二度目のポイントは南会津の集落。順光で撮りやすかったらしく、上達していました。これで自信がついてか、今度はトンネルやスノーシェッド内で、前を走るNONNONさんのエスクードを取ろうと必死。手ぶれしまくりで「むきーっ」「どひーっ」「なんでだーっ」の連発をしながら・・・まあほぼ全滅。全体の出来については、サイトレポートで見てやって下さい。
1030年の昔、延長8年6月26日のこと。干ばつにあえいでいた平安京を突如襲った雷雨のなか、清涼殿と紫宸殿に落雷があり、大納言民部卿の藤原清貫ら数名が死亡、時の醍醐天皇もその惨状に混乱し、3ヶ月後に崩御した。
藤原清貫は、中央集権的な財政を推し進めた右大臣菅原道真の手腕に反発していた左大臣藤原時平の配下。道真の監視役でもあった。清貫は道真の怨霊に殺されたという噂が広まり、京の都はこの落雷事件以前から続いていた要人の急死もあわせて、全て道真の祟りではないかと恐怖するのであった・・・
当の道真は、藤原時平に陥れられ、大宰府へ左遷され、903年の3月に現地で没している。彼の死後に起きた一連の怪事件に、とどめを刺したのが、この清涼殿落雷事件と言われており、これをきっかけに道真の怨霊は雷神と結びつけられました。京都の北野には火雷天神という地主神が祀られており、朝廷は北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとしたほか、既に没している道真の職権なども回復させます。
雷のメカニズムを科学的に知ることの出来なかった当時のことですから、そりゃあ祟りだと思いこむのも無理はないですし、立て続けに至近距離に落ちる稲妻と轟音を見たらパニックにもなるだろうなあと思わされます。そんなわけで、菅原道真という人は、アモンと合体してデビルマンとなった不動明よろしく(・・・っていいのかそういうたとえで?)雷神の化身に祭り上げられ、雷神を眷属に含めた天神様になっていくわけです。しかし俗に天神様と言ってもこれは天津神全般のことを示しているはずで、雷神の位置づけは「その中のひとつの威力」と解釈できるため、道真の怨念を神格化して「逆に封じる」という、いかにも陰陽的なものの考え方が宿っています。
21世紀に入ってから顕在化してきた、ゲリラ雷雨やゲリラ豪雨というのは、こうした平安時代の祟り封じが、1000年という有効期限を終えて効力を失いつつあるからなのでしょうか。もしもそうであるなら、今度は何をカウンターアタックの素材にすればいいのやら。ベンジャミン・フランクリンの言葉でも借りてくるか?
(フランクリン13徳より抜粋)
写真は、霰が修学旅行で参拝してきた北野天満宮の狛牛さん。正しくは臥牛と言うそうですが、道真が丑年うまれ、大宰府へは牛に乗って下った、刺客から道真を守ったり、道真の墓所の位置を牛が決めたといった、かなり後付けっぽい逸話にあふれていて、天満宮においては神の使いなのだとか。
丑年うまれ・・・道真が活躍した時代は、すでに空海によって真言宗が定着しつつある頃なので(空海自身は道真が生誕する10年ほど前に入場していますが)、密教の世界から虚空蔵菩薩に関する情報の刷り込みも行われているのかも。牛と虎は虚空蔵菩薩の守りにつく獣で、虚空蔵菩薩そのものが、宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という存在ですから、智恵や知識、記憶などの利益によって学業成就にも通じていきます。天神様に近いものが、こんなところに見え隠れしているのではないかと思われます。
禿山に地霊チェルノボーグが現れ、手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎして、夜明けとともに消え去るというムソルグスキーの交響曲は、スラブの神話を基に組み立てられたロシアの民話が原典となっていますが、その一夜というのが、夏至の頃の夜祭りである聖ヨハネ祭りの前夜、つまり6月23日の夜のことなのだそうです。
スラブの世界では、チェルノボーグというのは不幸や闇を司り、悪の化身のような扱いで、黒い神。真逆の白い神がスラブ神話には登場し、両者が力を合わせることで世界が創造されるものの、やがて黒い神は白い神に駆逐されて地に落ちていくという・・・
チェルノボーグ、かわいそうじゃん。という想いがムソルグスキーに宿ったのかどうかは定かではありませんが、禿山の一夜の中では、それほど悪いやつとしては表現されていないような気がします。いずれにしても、聖ヨハネ祭りの前には不思議なことが起こると。ヨーロッパでは夏至の頃になると、妖精の力が強まり、森や原野で祭りを開くと言われているのですが、その一コマをスラブ人が口伝で残した神話では、地に落ちた黒い神にも自由と平等が与えられていたのかも。チェルノボーグ、黒い神とは、どこぞで征服され駆逐されていった、土着の民のことなのでしょう。しかし6月23日と夏至の夜は天体の動きによってずれており、1903年がそうだったらしいけれど、今世紀中は少なくとも23日が夏至にはならないようです。
やっぱりチェルノボーグというのは「不幸の神」ではなく、「不幸な神」なのではないか。と、思いながら気がついた。しばらく関東では夜会をやっていないなあ・・・暑気払いでもやれぬものかなと・・・