Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

夏に至る

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太平洋高気圧の張り出しが弱いと言われている今年、梅雨は長く続くらしいですが、仕事をしている日中の暑いこと。最近感じているのは、谷田部を過ぎたあたりから、ヒートアイランドされた大気の層に潜り込んでいくような、体感温度の変化です(ここんとこクルマ通勤が復活中)

これが午前5時くらいのことなわけですから、日中の都内はもう推して知るべし。季節の変化には、都会の方が敏感なのかもしれません。事実、日付が変わる頃に帰宅してくると、基地は未だトレーナーが欲しい日の方が多いし、実は未だ炬燵が出ている。

それでも夏至が巡ってくる。昼が最も長く、夜の短い日。出来れば心理的には、そういう日は週末にやってきて欲しいのですが、月曜日の昼が長いということは、暑苦しい都会で稼働する時間が長いと覚悟せねばなりません。クールヴィズやってない職場だしね。

陣中見舞いに

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彼が新入社員の頃からだから、もう何年のつきあいになるか忘れかけていますが、行きつけのガソリンスタンドのO君が遂に転勤となり、ちょっと遠くの店舗に店長として異動となったのが5月のこと。

給油ブースも整備設備も洗車施設も行きつけの店より充実していながら、肝心の給油だけはセルフという変則的な店舗だから、やることあるのかな(おいおい、なんて失礼な物言いか)と思って訪ねてみると、9人もの社員やアルバイトを指揮して、相変わらず朗らかで、元気に動き回っていました。

風車の浜辺にでも行かないことには立ち寄らないエリアであるばかりか、そこへ行くときにはひとつ前の交差点を曲がってしまうし、利根川の向こうから帰路につくときには分離帯に阻まれた反対車線にあるしで、実際寄りにくいのですが、行きつけ店舗の店長が反対車線からの路地の回り込みと、反対車線への脱出経路を教えてくれたので、不便さは解消できました。

「通勤は無理なので、単身アパート借りてこっちに来てます。って、雷蔵さんを前にすると通勤が無理なんて言えないんですけど」

O君は、うちのエスクードはヘリーハンセンのみ知らないけれど、ヘリーハンセンもふくめて歴代全てのエスクードを面倒見てくれた彼の先輩社員も、以前この店舗に異動したことがあり、ここからゼネラルマネージャーに出世していったので、たぶん、この店舗はゲンが良い処なのだと思われます。しかし来月には親会社が合併してまたも組織改編があるだろうから、店舗数の調整に引っかからないようがんっばってほしい。

♪明日は明日で楽しいだろうが

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余りに遠くて予想も出来ないよ♪

よもや、菅直人首相が参院本会議(15日)で、小惑星探査機「はやぶさ」の後継機に関して

「実績を踏まえその開発経費について必要な手当てをできるよう配慮したい」

と述べることになろうとは、13日の帰還まで、内閣府は薄々予想していても口にも出せなかったでしょう。

「日本の技術を世界にアピールし、いろいろな人に励みを与えた」(首相)

「非常に大きな成果を上げた。(後継機予算の概算要求について)しっかりとこれを踏まえて考えたい」(川端達夫文部科学相)

民主党の枝野幸男幹事長(鳩山政権における行政刷新担当相にして、事業仕分けのとりまとめ役)は、さらに先駆けて14日、昨年11月に行われている事業仕分けの衛星関連予算の判定について、「開発の必要性は否定しなかった」と説明しています(記者会見報道)。否定は確かにしていないけれど、この評価をあらためて読み直せば、事業に関する評価というより、むしろ財政難における右へならえを突きつけているのではないかと感じます。まあそれも理屈ではあるわけですが、続いて15日にも「もう少し工夫すれば、少ないお金で同じ効果を上げられるのではないかという議論だった。成果につながることを続けることは、決して否定していない」という抽象論。それならば評価の仕方は「その工夫について出来ることをレポートしろ。評価はそれから」と言っても良かったのではないか。仕分けにおいてJAXAが呼び出されたのは昨年の11月17日でした。はやぶさの制御に関して、帰還に至る可能性に目処が付いたのは、呼び出しの数日後ではなかったでしたっけ?

それにしても驚いたのは、このほど管内閣で行政刷新担当相に任命された蓮舫さんの、仕分け評価に対する15日の見解で、

「(仕分けの判定は)何が何でも守るべきものではない。いま一度、議論の流れを確認している」

ええっ? スーパーコンピュータの時にも聞いたような気がするけれど、あなたがまたもそれを言うんですか? 上がった舞台ではしごを下ろされたような立ち位置になっているのはわかる。しかしあなただけは「国家の財政というものが基軸なんです。ここで予算案自体に再考は認められない。ぎりぎりまで待っていただき、補正予算が組めるものかどうかの議論をしたい」くらいのかわし方をしないといけない。いやさ、本来なら「結果は結果として評価しますが、決まったものは決まったものです。財政難の観点から、縮小の指示は変わらない」と言わなくては・・・

僕は、「はやぶさ2」をはじめとした宇宙開発を否定しているのではないです。彼等こそ、宇宙という言葉と、SFと夢物語を混同している。その見識によって振る舞ってきたとはいえ、閣僚たる立場の人々が、こうもたやすく手のひらを返すという威厳のなさにあきれており、そんなことなら昨年の仕分け以降、やることやってるあらゆる組織・団体の事業をレポートさせるべきであり、仕分けの評価を評価するために、国会の予算委員会を使って議論しなくてはならないのではないかと思うのです。党内幹部や議員のスキャンダルのもみ消しなんかやってる場合じゃないよ、いっぺんくらい、予算のための予算委員会をやってみろよと憤慨しちゃうのだけれど、今国会は本日閉会。

1995年 夏のあの日は雨だった

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1995年6月15日、警視庁通達第209号が発令され、首都圏対凶悪犯罪特殊武装機動特捜班の解体が決定された。同庁における通達とはいわば訓辞であり絶対の命令である。

が、組織の事情とはかけ離れた正義の行使によって、世界の半分から怒りを買った男がいた。その刑事の名は都々目紅一。追われる男。特捜班の“特殊武装”である、盗み出されたプロテクトギア・・・

い・・・いかん。ちゃんと物語を思い出せないほど時が経ってしまいました。

キネカ大森の単館上映を見に行ったのが1987年ですよ。

その後ビデオソフトを借りてきて、あくまで個人の趣味でダビングして繰り返し見ていたVHSのテープも、十年前に切れちゃってますから。だからいまさら、誰に話をしたところで、その後のケルベロス・・サーガを説明してくれる人はいても、「紅い眼鏡」の詳細を展開して記憶を蘇らせてくれる人はいなかった。

のに(笑)

知りませんでした。この4月にDVDが再リリースされていたとは。どうしよう、これは買いに行っちゃうこと請け合いなんだけれど、なにしろとてつもなく不条理な展開と幕切れのわかっている、見終わったら沈むことも約束されていそうな作品なので、二の足も踏んでおります。ただその不条理な展開を、もういっぺん見たい(わがままなやつ)。しかしなんだかんだと言ってあれから四半世紀近く経って、押井守さんの作品世界というのもずいぶんこなれたように感じます。いま、これを初めて見る人って、見た後に何を思うんだろうなあ・・・

歴 rekijo 女

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これが京都における目的だったそうです。歩いてきたのもほぼ、新撰組ゆかりの地ばかりで、案内のタクシー運転手さんに「君ら渋いねえ」と言われたとか。

子供っつーのはいつの間にか、自分の探求すべき世界を見つけて、楽しみ方も自分で覚えていくってことですね。しかしあまりの直球さに、親としては失笑するのであります。

さて霰のやつ、左から2番目で斜に構えてますが、いったい誰に扮しているでしょうか(とりあえず全員、それぞれ成りきりの人物になりきっているそうです)

 

一方会津に出かけていた霙は、座禅を強制された後はそのまま無我の境地を試すべく、初めて弓を手にしてきたとか。立ち方、構えであるとか“つのみの働き”であるとかを習いながら、引いてみるとなかなかの手応えで矢を落としそうになったらしい。

そんなことで、果たしてまっすぐ飛ぶのか? それ以前に的に届くのか? と思ってしまいましたが、一応まっすぐ飛んで、的にも当たったそうです。

流星になって

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工学実験探査機MUSES-C、小惑星探査機「はやぶさ」が、ついに地球帰還を果たします。小惑星イトカワで採取したサンプルを格納しているはずのカプセルは、着陸想定地域であるオーストラリア・ウーメラ立入制限区域へ落下させる一方、はやぶさ本体は、地球に衝突する可能性のある小惑星の軌道予測システムの開発に用いられます。

小惑星衝突の軌道や時間、確率を計算するシステムにモニターとして採用され、大気圏への再突入時に、そのデータが、燃え尽きてしまうはやぶさ最後の存在の証となるのだそうです。

数々のトラブルに見舞われ、満身創痍にもかかわらず、地球へ戻ってきたはやぶさは、流星となって燃え尽きるまで、その任務を果たし続けるのだそうです。この探査機がいま、擬人化されアイドル以上の親しみをもって、多くの人々に対話の場を提供していることに、ちょっと驚き。2003年に打ち上げられた頃、誰がそんな情熱の渦を想像できたか。いや、それをさめた感情で見ているのではなくて、そんな思い方の出来るやさしさがあるのだなと、感心しているのです。

そして一瞬の輝き

あとになって知りましたが、この日、俳優の池田駿介さんが69歳で亡くなられていました。MATの南隊員、電波特捜隊の花形一平、イチロー・キカイダー01。特撮ものに限ったことではありませんが、翳りを湛えながらも優しく頼りがいのあるお兄さんを表現してくれる人でした。遅まきながら、ご冥福をお祈りします。

今週はOFF

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縁側で昼寝の予定の図

やらねばならないことはいっぱいあるんですが、やりたいことの方を優先させたい。

・・・はい? やりたいことしかやってねーだろうって???

ううっ・・・あんまり返す言葉を持ち合わせてません。

リアル

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以前こんなことをやって、なんちゃってSレイドエントリー用の写真を撮ってみました。

GUTSの時代にエスクードが存在することには、年代の矛盾はないと思われますが、彼等があのハサミの持ち主と遭遇したことがあるかというと、ちょっと自信がありませぬ(番組上は無いです)

それよりもむしろ、この位置関係の距離設定では、ハサミでかすぎないか?というつっこみが入りそうですが、そこはほら、個体差という逃げを打ってます。

実際にはかなりいいかげんなジオラマです。

ミニカーのサイズは遠近法の効果を出すためのもので、全部ばらばらのスケール。岩石は庭に転がっている石を拾ってきて適当に積み上げ、大地の土も庭の土手から削り取ってきたもの。ホリゾントはスチロールの様なボードを、これまた庭に転がっているビール籠に立てかけているだけです。

ジオラマベースはなんだかわからない緩衝材か何かを敷いていますが、繋ぎ目が出てしまってます。

で、結局は、なんちゃってのまま、これを投入したSレイドの現地には未だ出かけることが出来ていませんが、別の課題の場所(2ページ目)でなんとか目的を達成しました。

しかしこのとき、せっかくグランドエスクードが一緒だったのだから、ジオラマの再現をリアルでやれば良かったんだよなあ・・・

超 superman 人

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大平透さんが吹き替えしていたので、ジョージ・リーヴズのスーパーマン(1952~58)を、子供の頃に見ているはず。たぶん再放送か、日本に入ってきたのがずっとあとなんでしょうかね。もちろん吹き替えの声が大平さん、というのは、さらにあとになって補完された知識です。見ていたことは見ていたけれど、あのヘアスタイルやボートネックっぽい長袖のシャツも、なんといっても真っ赤なもっこりパンツとまたまた真っ青なタイツ(モノクロ放送だったので、色に関しては当時の輸入版アメコミアニメからの知識)が、こいつ恥ずかしくないのかと子供心に思わされていました。

 

これが、1938年に10代の少年2人によって生み出されたヒーローであることを知るのは、さらにさらにあとになるのですが、ローン・レンジャーだとかターザンだとかを見ていたそれまでのアメリカのヒーローとは変わったなあと、その超人ぶりには驚かされたものです。もっともそれ以降のアメリカンコミックスヒーローを全て知っているわけではなく、熱中することもなく、サンダーバード(これはイギリス)のようなメカニックものに傾倒していったので、かの国のヒーロー像って、案外チープなんだ、くらいにしか思っていませんでした。

しかし、それじゃあ我が国のヒーロー像はどうなのだろうと振り返ってみると、鞍馬天狗(1924年)よりも古いところへはちょっと遡れず(義経とか弁慶とかってのは、Heroというのとは違うでしょう)、とりあえずそこを出発点として、スーパーマンより前というのは、紙芝居時代の黄金バット(1930年)であろうかと思い至ります。

・・・こ、これはこれで・・・なんなんだろうと思わせるすさまじいデザイン。黄金バットもリアルタイムの紙芝居は知らず、アニメ番組のあの「はははははははははっ」という高笑いより先に絵本での姿を見て気持ち悪いと思ったもので、歴史的にはこれも後付け知識ですが、1952年の鉄腕アトムまで、ヒーローっぽいキャラが立ってこない? 月光仮面はゴジラ(1954年)よりも4年あとに生まれており、この4年の間には鉄人28号、鋼鉄の巨人、スーパージャイアンツなどが生み出されているようです。ゲゲゲの女房(違)の水木しげるさんも、ロケットマンなんていうスーパーマンものを描いたことがあるようです。

月光仮面登場の翌年(1959年)、少年マガジンと少年サンデーが創刊された頃、海外ではロバート・A・ハインラインによる宇宙の戦士が発表される(ヒーローとはちょっと違うか)。61年にファンタスティック・フォーが登場していますが、こんなモノは知らずに後の「宇宙忍者ゴームズ」の方を見ている。ゴームズといえば、ダチョウ倶楽部の「ムッシュムラムラ」というあれは、ファンタスティック・フォーの1人ザ・シング氏がガン・ロックと名を変えて(ゴームズ)に出てきて、その声を当てた関敬六さんが浅草松竹演芸場で流行らせた台詞として使っていたやつをガン・ロックのかけ声にも持ち込んでいたのが原点でしょう。

このあと63年にエイトマン(8マン)、64年にサイボーグ009、そして66年にようやくウルトラマンが誕生し、ネーミングの上でもスケールの上でもスーパーマンを上回っていきます(あくまで名前と、超人としてのスケールね。作品としてのスーパーマンその他のヒーローが劣るということではありません)。テレビの画面においては、マグマ大使やジャイアントロボなど、巨大なヒーローというものが定着していく我が国のスタイルが、このあたりから始まっているようです。

特にテレビ画面に登場するスーパーヒーローは、60年代後半から70年代前半に、フォーマットも含めてかなりのものが出るだけ出たという感があります。その一作だけで消えながらも鮮烈な印使用を残したものもあれば、断続的にシリーズが続いているものもあり、スーパー戦隊などはほぼ絶え間なく繰り返されているお化けヒーローの部類にはいるでしょう。

そのような群雄割拠の中、最も静かに、中断も挟みながらも連綿とシリーズを続けているヒーローがひとり。

時空の軸をも超越する超能力で、活躍し続けています。聖悠紀さんによる「超人ロック」は、1967年から執筆が始まり、同人誌枠から商業誌へと転向しながら、サウンドトラックやラジオドラマ、劇場版アニメ、オリジナルビデオアニメへと拡大し、早い時期にインターネット配信マンガにも進出している(ただし配信されたのは一回だけ)、40年を越えた長寿作品となっています。

さすがに所有している単行本の第1作は、同人誌時代に作られたものの復刻版(軽印刷物)で、初期の4部作はリアルタイムに読めていません。単行本として最初に刊行された1970年の「ジュナンの子」などは、まだ貸本としての出版でした。大半の読者層は、1977年当時に、みのり書房が出版していた月刊OUTにて、「君は超人ロックを知っているか?」という企画特集から、その存在を知ったのではないでしょうか。その翌年、同社刊のOUT増刊「ランデヴー」にて短期連載を経て、79年から少年画報社の少年キングでのシリーズ連載が始まっていき、その後は自身の活躍の場や年代が転々とするように、出版社を渡り歩きます。

タイトル表記に、しばしば添えられる英文タイトルは「Lock the Superman」。メディアミックスとしてイメージ音楽集が初めて作成されたときには、「星よりも長い命。ロックの超能力は、スーパーマンよりも強いだろう」と、「Lock the uperman」と表記されたテーマソングが収録され、実際に「ズーパーマン」(か・・・かっこわるい)と歌われていました。

VW占いにみる今週の運勢

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なんなんだこれは・・・

ちなみに八街市、成田市、千葉市、市原市と、いずれも別々の日に別々の個体と出会っております。あとは稲敷市で交差点を横切るときに信号待ちしていたのを見つけましたが、カメラの起動が間に合いませんでした。

で、この一週間で、見かけたエスクードとなると初代が2台、2代目1台、3代目ゼロです。