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  ~懲りない傾向~

月見を越えた月見

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満月を越えた満月を「スーパームーン」と定義付けられるかどうかは、あくまで主観です。軌道の距離関係によって普段の満月よりも見かけとして大きく見えるのがスーパームーンの謂れです。11月2日に十三夜の方月見をこなして、より完全版なら29日の十日夜も楽しんでしまおうと、まあミーハーな僕ですが、そろそろ月見そばのうまい季節になってきたよと行きつけの蕎麦屋では初めてこれを頼んでみたのです。たいていの場合、よほど寒くなければ冬でも笊そばを食っていますから。

単純に、かけそばに生卵を落として卵白の熱変化で月と雲を表現するものが月見そばだと思っていたらば、出てきたのはもちろんそうなんですけどさらに斜め上でした。雲の表現は卵白ではなくとろろで行っていて、卵白のいたずらな広がりを抑制していました。それ以外にも五目和そばとも言えるくらいいろんなものが載っている。なかなかお得感漂う月見そばです。

この手の盛りだくさん月見そばが他所にはないってことはありませんが、月見そばも進化しているのかと学習しました。実は昔、あーる田中一郎が言っていた「フジ三太郎と月見そば」については真に受けてましたし、「怪物くん」のオオカミ男の好物が蕎麦ではなく「月見うどん」であったことも忘れていたというか、知識の中にありませんでした。そんな与太話はともかく、今夜22時19分あたりが満月時刻です。北米で言うところのビーバームーンにして、スーパームーンの夜です。

後の月

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月齢11.6、十三夜です。中秋の名月を古代中国文化に倣って楽しんだので、縁起の良くない「方月見」にならないよう今夜の少し満月に足りない月も見上げようと思います。これは大陸文化を取り入れた日本古来のちょっと斜に構えた月見の一環と云われています。挿絵は9月のときの十三夜相当日の月の出ですが、コンデジ手持ちで撮ったようなやつは十三夜なんだか満月なんだか判別できませんね。後の月、というのは秋の十三夜としては最後という意味を持つ別の呼び方です。

松尾芭蕉の笈日記に「木曾の痩せもまだなほらぬに後の月」があり、正岡子規は自身の全集にて「後の月つくねんとして庵にあり」などと詠っています。でも正岡とこの季節だったら「柿食えば~」でしょうか。

「楓(これでもみじと読む)蔦黄」と書いてもみじつたきばむ。霜降の末候が巡って、柿の実もようやく色づいてきました。

2丁目の交差点から17軒目の店のあれは・・・

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近年、マスターの息子とやらが店番に就いている「安眠」の看板メニューは、かつてのパンプキン・パイからローズ・パイに移り変わっているのですが、バラの香りの漂うパイとあのガラスに三度恋しい人の名前を書けば願いが叶うと云われたシナモンティー(のシナモンの枝)は、香り同士のマッチングってどうなんだろうと余計なことを考えていてはたと気がつく今頃です。「パンプキン・パイ」に使われいてたであろう具材ははたして「パンプキン」と呼んでいいのか?

お人好しのマスター当時36歳はコーヒーベーカリーを経営していたので、バリスタであると同時にパン屋の肩書も持ち合わせ、確かにうまいと評価されていたコーヒーと一緒に、お客の娘たちには「かぼちゃパイ」も美味しいと親しまれていたのです。

ここがややこしくも巧みなかわし方なのですが、この恋物語の表題は「パンプキン・パイとシナモンティー」。広義においてはパンプキンだってかぼちゃには変わりないんだけれど、今やパンプキンという種は観賞用に作られているということは周知の事実。ようやくハロウィンとすり合わせられるんですが、あの「ジャック・オー・ランタン」の筐体となる、オレンジ色のやつです。

一方、普段から温野菜とか天ぷらなどで我々がよく食っているウリ科かぼちゃ属は、狭義にはパンプキンではなく「スクワッシュ」と種別されているのです。大雑把に示すと、かぼちゃは「日本かぼちゃ」「西洋かぼちゃ」「ペポかぼちゃ」に大別されていて、日本かぼちゃは味が薄めという特徴があり、料理の材料に使われているのは糖質の高い西洋かぼちゃだそうです。「安眠」のパイが「とっても甘い」のか「甘さが控えめ」で食べやすいのかは不明ながら、このどちらかが材料となっている可能性は非常に高い。

それじゃあパンプキンってのはなんなんだということになるわけですが、かぼちゃがウリ科かぼちゃ属の総称で、パンプキンはその科属の中の「ペポかぼちゃ」品種の一部に絞られていくのです。観賞用と認識されるペポカボチャは食えるのか? もちろんこの品種にはズッキーニやソウメンカボチャなんて野菜も含まれているのでまったく食えないことはありませんが、お人好しのマスター当時36歳が、わざわざズッキーニをパンプキンだと主張してパイにしたとも思えない。

聞くところによると、ペポカボチャそのものの利用は、実ではなく種を調理するのが一般的だということで、パンプキンは観賞用でしかないといった見方も厳密には偏っていたと考えるのが良さそうです。それでもパンプキンの代表格ともいうべきアトランティック・ジャイアントなどは主に家畜の餌ですから、食えるのかなあと疑ってかかりたくなるものです。

ここで、あのお人好しのマスター当時36歳の非凡な才能を垣間見ることになります。仮に、甘味のあるスクワッシュではなく本当にパンプキンを材料としていたなら、パンプキンとズッキーニの間柄から想像するに、それは粘り気も甘味もなく比較的水っぽいものと思われ、これを素材に仕上げていく過程である程度の加糖や風味付けが必要でしょう。マスターはパン職人でもあるはずなので、常連客の誰に明かすこともなく卓越した味付けを完成させ、果たして甘くて頬っぺたが落ちるのか控えめな甘さと低カロリーで娘たちの人気を集めたのかわかりませんが、名目通りのパンプキン・パイを完成させるに至ったのではないかと想像するのが楽しいのです。

もっとも、世間ではパンプキンとスクワッシュの厳密な区別よりも、外来語を複合化して一般化していったパンプキンもかぼちゃも一緒だい、という大味な認識で、かぼちゃパイが作られていたのかもしれません。かぼちゃパイ、という言葉もでてくるからややこしくも巧みなかわし方が成されているというのはそういうことです。

けれども、ジャック・オー・ランタンを作る過程であっさりと廃棄されてしまうパンプキンの実を不憫に思って、なんとかこれを料理に用いられないかなあと試行錯誤した(かもしれない)お人好しのマスター当時36歳の人柄をイメージしたいのが人情というものです。

近年、後に嫁さんをもらったマスターには、近所からはバカ息子と呼ばれる二代目が育っていて、おそらくあの頃授業を抜け出して追試を食らいながらもマスターの恋路に一肌脱いでいた高校生の少年もまた父親となって、そのうちの一人の娘に片思いをし続けていたとか。その娘から交際を三度も断られてなおあきらめられないバカ息子は、彼女からパンプキン・パイを越えた逸品を作れたなら・・・と告げられローズ・パイの誕生に至ったそうですが、なぜローズ・パイだったのかはハロウィンのお話から逸脱するので(いやすでに思いっきり逸脱してるって)また別の機会に考証ということに。

しぐれときどきほどこす

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霎時施。小雨がしとしと降る、といわれる「霜降」の半ばとなり、先日の週末はしとしと以上の雨天気で気温も大分下がりました。本来はさっと時雨があって傘をさそうかと思っているうちに晴天に戻ってしまう様を言うそうですが、今週は秋晴れが続くけれど、土曜日にはまた雨が待ち受けているという話。10月28日あたりから始まる霎時施という雑節はちょうど、11月1日までを示すので、暦の示す季節感が過ぎていく風情です。

こんな秋の深まりを感じるようになったら、もう炬燵を出さずにはいられません。どうにも齢を食って血の巡りも悪くなってか、風邪を引いたわけでもないのに肩から背中にかけてのぞくぞく感が強まり、朝晩の寒さを凌がねばならないのです。昨年は11月の下旬まで頑張り、一昨年だと12月になってからの炬燵設置だったことが本ブログで記録されていましたが、我慢大会やってる場合じゃない。でもまだ通電させてもらえない(笑)。確かに二人足を突っ込んでいると体温でぬくぬくとはしています。

 

霜降~そうこう~

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暦の上では秋も終盤。実際の陽気の移り変わりにも加速度がついてきました。旧暦の時代はもう霜が降るような寒冷だったのですが、現在は昼夜の寒暖差がもたらす濃霧の朝です。

夏の間忘れていました、丁寧に暖気をしてやらないと駆動系が拗ねる、昨年から出ている症状が戻っています。水筒も炭酸水と氷から温かい緑茶に切り替わりました。

ヒトもクルマも老体です。腰の痛みはもしやヘルニアの再発ではないかと恐々としています。2013年の発症のときも東北6県縦横無尽に走っていたからねえ。この秋、いっぺんくらい杉野沢まで紅葉見物に出かけたいなと考えてもいますが、ここで動けなくなるようなリスクは回避せねばなりません。

でも、いよいよ出てきた妙高の外資リゾート開発計画も気になってしょうがない。

まんじりともしない2時間とプラス2時間半

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5月の末に入院して以降、かかりつけの病院が一つ増えて、そこでは毎回MRIに入れられ採決されてその後診察という日があります。先日その三回目に行ったのですが、この日からMRIは無くなって、採血量が多くなり、

「雷蔵さん、今回の検査では新しい項目が追加されまして、その結果が出るまで2時間かかるんですよ」

という看護師の説明。うっかり、何が追加項目だったのかを聞き忘れ、はてどこにどんな疑いがかかったのだろう? と考えだしたら思い当たることも当たらないこともまぜこぜになってアタマの中混乱してしまったのです。

まさか・・・「雷蔵さん、貴方はがん・・・」などと言われちっゃたらどうしよう・・・とか。

こういうときの2時間はもう長いのなんので、いろいろ思い当ろうとするんですがそれがまた混乱を増長させてしまう。もう覚悟を決めて医師に直接尋ねるしかないよと、2時間後に診察室前に行ってみればやたらと沢山の患者さんがいて、

「ただ今の診察は10月30分予約の方です」

という張り出し。僕は正午の診察予約ですから、少なくとも90分は遅くなる。待て待てまてっ、また余計なことを考えてしまうぞと思ってそれを回避すべく「ヴィンランド・サガ」の最終巻なんか読み始めるんですがまあ中身が頭に入ってくるわけがない。

でもって結局順番が回ってきたのが14時半。診察室に入ると、仏頂面の医師が電子カルテを見ながらこう言うわけです。

「雷蔵さん、貴方は・・・」

うわー! うわーっっっっ

「がんばってますね。数値が驚異的に改善されてます」

 

 

・・・やめろそういう紛らわしい言い方はっ

そろそろ冬物を出さねば

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ことしは秋が短くあっという間に寒くなるようなことを先月末あたりに耳にしていましたが、10月の上旬はまだクールビズスタイルと衣替え済みの格好とが入り混じった都内の人々を眺めて、ネクタイくらいは復帰させるか程度のなんとなくまだ夏っぽい体感でした。

ところが夜になると「炬燵、いつごろ出そうかね」などと言い出す自分。いやその前にトレーナーとかフリースで温度調節しろよ。

水煮の缶詰

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1872年10月10日、鰯の油漬け缶詰が日本で初めて製造され、腐りにくく持ち運びしやすいなどのブレイクスルーを果たしました。これに続き1877年10月10日には北海道開拓使がこれまた日本初の鮭缶工場を北海道石狩町に作り、量産が始まったそうです。
鰯の缶詰が無かったので鯖缶と鮭缶を夕食に持ち出してみると、なんか昔と違って缶自体が小さくなったなあと思わされましたが、2缶食ったらもう十分にお腹一杯。
東日本大震災のとき、雫さんがあちこち駆け回って緊急支援物資を仙台に送り込んでくれたのが懐かしい。そのときの鮭缶は二回りくらい大きかった気がしますし、プルトップなんかついていないわ缶切りないわで、これを開けるのに苦労しました。駐車場の車止めに缶の蓋側を力いっぱいこすりつけて熱を持たせると、蓋部分が分離できるのです。もう近所の住民に奇異の目で見られましたけどね。

寒露と有明の月

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昨日、満月でしたがアクマ族のことなんか書いてしまったので、ずれてしまいます。ただし7日は「満月の月齢」を満たしたのが昼の12時48分で、時々は見える真昼の月のなかで、満月だけは太陽とは反対側に位置する関係から日没後まで見えません。なんだ日が暮れれば見えるんじそゃねーかという突っ込みはかわして、8日になってしまったので翌早朝の「有明の月」を、早起きして見上げれば良いというわけです。茨城県あたりでは6時36分には西に沈むので、5時台くらいが良いでしょう。

僕はおそらく丑三つ時には仕事で移動開始しているので、月の撮影などやってる暇がありません。せめて雨や曇りにならないことを期待して走り出すことになります。ところで季節はゆるりと秋になっていて、本日から寒露の候。初侯を「鴻雁来」(こうがんきたる)と表し、真雁ちたが越冬のために飛来する頃と言われています。温暖化も進んでいるから、体感としてはまだそんな陽気には感じられない日中ですが。

明日満月でも今宵は十五夜

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伝統的な文化なので旧暦と太陽暦のズレには目をつむるとして、中秋の名月は「年に15回ある十五夜のたった一度だけ特別な日」なのです。本日は旧暦ならば8月15日で十五夜だから当然、暦の上では満月ですが、実際には月齢14.3。天文上の満月は明日の月齢15.3となります。ただ、その満月である10月7日の記事に、まあくだらない話なんだけれど調べていたら面白くなってしまったやつを書くので、月のお話は中秋の名月である10月6日で触れていきます。

「かかるほどに宵うち過ぎて、子(ね)の時ばかりに、家のあたり昼の明さにも過ぎて光りたり。望月の明るさを十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり」と、「竹取物語」の終盤に綴られたこの物語は、平安前期に書かれたらしく、だけど作者がわからないまま現代に受け継がれています。月からやってきたかぐやが月へ召されていく場面として表現されているように、望月の、つまり満月のことを示しているならば、おそらく誰だかわからない作者は中秋の名月あたりをイメージしていたのかもしれません。

十五夜だとか名月だとかの風物は中国伝来ですが、平安期に渡来しているでしょうから、そんな場面設定が行われても不思議ではない。そもそも竹取物語自体が日本最古の(しかもジャンルで言ったらSF)と言われながら、中国やチベット文学に類似例があるようですから、月に対する人類の想像力は世界的な規模だったと想像できるのです。でも竹取物語についてはまだ僕が勉強中なので深入りできません。

でもって結局こっちへ流れるんですけど、月から来た娘と言ったら僕の中では南夕子です(夕子なんだよっ)。石堂淑朗さんの脚本で突如、ウルトラの力を与えられていた彼女が「月星人」という素性を持ち、月の同胞が怪獣ルナチクスに襲われ冥王星へ避難していると。ルナチクスは月から地球へ侵攻してきたため、夕子と北斗星児によるウルトラマンエースの戦いで撃退されますが、夕子は同胞の元へ行かねばならない宿命。えっ、来週から南隊員出ないのっ⁉ と子供心に衝撃的な竹取の再現でした。

なんかもう中秋の名月どうでもいい話になってますが、これは1972年10月13日の放送でした。アポロ11の月着陸からまだ3年程度の時代です。まあまあ落胆してしまったけれど、夕子は次作のウルトラマンタロウにゲスト再登場するのですがそれは置いといて、この年の10月13日は月齢17.5。満月は28日だったようです。中秋の名月に至っては9月22日で、せっかくの夕子去就のエピソードは放送日が固定されているから暦とは連動できていませんでした。