飲み干しそうな勢いで汲みたての水を飲むでん。 何が気に入ったんだか、夜のご飯用意していると ここで水を飲むのが日課になってしまった・・・ こんな様を母が見たら卒倒するだろうなぁ・・・
「魔法騎士レイアース」の再アニメーション化という一報は昨年夏に行われていましたが、漫画連載終了から30年も経つと、異世界ネーミングのフォーマットであった自動車名のラインナップもかなり様変わりしそうな予感。何が心配かって、あの伝説の鉱物の固有名詞がそのまま使ってもらえるかどうかです。 現実的にはエスクードというブランドはもう無いわけですから、まさしく伝説化してしまっている。 そういう車種が大半ですし、商標使用の問題も手間がかかる。
そんなことを考えながら、あの番組が放送開始された1994年10月17日を振り返ると、僕はまだ初代1型の1600ハードトップに乗っていました。3型相当の1600ノマドも所有していたため、(当時)ついに出てきた2000のV6に目を奪われながらも、乗り換えは無理かなあと思っていた頃です(まあ翌年に乗り換えちゃうんですけどね)
あの鉱物から生成されるものが「楯」ではなく「剣」というところは詰めが甘いんですけど、レイアースの根幹設定でもあることですし、伝説の鉱物エスクードのネーミングは踏襲してほしいものです。
水戸市の「パティスリーKOSAI 」さん(昔は湖彩じゃなかった?)が、創業25年を迎えました。人気店ゆえ混雑していて最近はなかなか立ち寄れないフランス菓子のお店なのですが、実はつくばーど®にとってはご縁のあるところで、20年前に「エスクードのケーキを作っていただけないでしょうか」とお願いし、当時天狗の森スカイロッジで開いていた新年会で切り分け振舞ったことがあるのです。あの頃はそんなに混んでいなくて、オーナーともそういう相談事や雑談ができたんですよ。
エスクードケーキは、当時お店がサービスしていた創作ケーキとしてオーダーしたものですが、カタチはシンプルながらいわゆる円形のスポンジケーキの土台を切った貼ったで成型するので手間がかかっていました。カタログとミニカーを持って行って、こんなイメージですと説明して、作る過程の写真も撮っていただくことができました。出来栄えが似ているかどうかなんてもうどうでもよいのです(それに触れた奴はしばかれてましたけど)
この日のつくばーどin岩間06は、うちの先代らすかるが40万キロに到達したことの記念と、友人のくろかんノマドが退役のお別れ会などのお祝いを兼ねていました。あとで考えたらまだ登録商標のないつくばーども、サイト創設5年め(5年くらいだと、あの頃は実績なしに等しい後発)だったのに、主催者自身がすっかり忘れていました。KOSAIさんも繁盛されているのは嬉しいことです。この店、モンブランについて笠間栗と呼ばず昔ながらの岩間栗と言ってくれているのも粋です。
日付が変わるのを合図にBLUEらすかるを車庫から連れ出し、北関東道で東北道を目指して都賀のジャンクションまでだいたい60キロ。そこから郡山へ向かう途中に那須高原サービスエリアで白河ラーメンなんかすすっているのですが、こんな丑三つ時過ぎた時間帯に他のお客など・・・厨房から見えにくいところで40代くらいのライダーが爆睡しておりました。そんなことはどうでもよい話ですから先を急ぐためにごめんなさいでスープはほぼ残して返却口へ。
自宅と仙台を行き来していた頃に比べると、東北道を深夜に走るトラックの運転はずいぶん紳士的になった気がします。震災復興のピークも過ぎてか、ドライバーの負担軽減なのか、その台数も少なくなったなあと思う反面、速度も抑制され人数も不足という状況を想像すると、本当に負担軽減されているのかどうか心配にもなります。僕自身も一頃に比べたら飛ばさなくなりました。トラックのあとを適度についていくか、時々前に出させてもらうかで郡山ジャンクションです。
磐越道に乗り換えるあたりで、約200キロをこなし、阿武隈高原サービスエリアでトイレ休憩の後、再び走り出すと外気温が12℃くらい。郡山から70キロでいわきジャンクションに到達して常磐道で一気に南下していきます。そのまま土浦北インターで高速を離れ、給油に立ち寄ったガソリンスタンドでだいたい400キロ。ただ、前回ここで給油してからこの周回スタートまでに70キロほど走っているので、それを加算しさらに帰宅すると約500キロの道のりを走っております。
だいたい5時間半で帰宅し、公休日をいいことに朝寝を決め込むわけですが、毎週一回こんなことをやってもまだ車検満了までに100万キロに届くかどうか微妙なところなのがつらいと言えばつらいし、家族の誰一人理解を示してもくれません。まあ景色を見られるわけでもなく、高速料金が安いだけで、何の得にもならないことは事実だものね。これで例の走行距離税なんてものが現実化したら、目も当てられません。秘かな愉しみは先細るばかりなのかもしれません。
部品もエンジンも出てこず、ネット上にあがっている中古エンジンの状態も芳しくないものが多く、最後の手段は程度のよさそうな1台を丸ごと買い付けてくるしかなさそうです。が・・・
と、至極ごもっともな天の声が響き渡ってしまいました。雫さんのお言葉は「あきらめられなくても腹はくくれる」という鋼鉄の論理を振り下ろしてきます。確かに霙の場合なら、向こう10年を展望したら10年乗れるクルマに切り替えるべきかもしれません。そんなわけで、せっかく31回まで書いてこられた本欄は、そろそろ最終章となります。
それにしても頭がいてー・・・実はフィガロだけでなく幌車の修理に関しても打開策が見つからないのです。ここへきて1991年式2台同時にお釈迦かよ。