昨年、マミポコさんと試しに開いてみた絵葉書展を今年もやってみようと思います。
だっていつまでたってもオフラインイベントできそうなムードじゃねんだもん(だだをこねるな)
細かいことは、固定ページに載せてありますので、ぜひご参加ください。
昨年、マミポコさんと試しに開いてみた絵葉書展を今年もやってみようと思います。
だっていつまでたってもオフラインイベントできそうなムードじゃねんだもん(だだをこねるな)
細かいことは、固定ページに載せてありますので、ぜひご参加ください。
「はやぶさ」の帰還から11年は、スペースシャトル退役からの10年でもあります。この短い年月も、技術の進歩は未来を手繰り寄せていました。宇宙往還機がロケットの姿に戻り、国家事業から民間ビジネスへと橋渡しされ、貨物から有人運搬へと、ステージの拡張が進んでいます。今後、スペースシャトルを知らないという少年少女はいなくとも、それを見たことのない世代は当たり前のように、クルードラゴンのような打ち上げと帰還を目の当たりにしていくのです。
それにしてもですよ。そのクルードラゴン(ドラゴン2)自体はロケットによる打ち上げ方式に後退したとはいえ、多段式のブースターは使い捨てではなく遠隔操作で回収され、しかも高圧噴射と姿勢制御によって地表に戻ってくる。
多くの人が「まるでひと昔前のSF映像みたいだ」と言っているように、まさにその空想科学がブレイクスルーした技術として実現しているのです。
再使用可能のロケット式宇宙往還機。このイメージを遡ると、僕の世代はおおむね(概ね、ですよ?)サンダーバード3号に行き当たるのです。現実の現代の往還機との違いは、多段式でなく単機であることが大きな違いですが、サンダーバードは1960年代に「100年先の未来」を描いていました。このことをさらに広げて考えてみると、ジェリー・アンダーソンの想像した世界を、現代の往還機は40年ほど前倒ししたことになります。
そうだとすると、ここから100年くらい未来を見ていく次世代の人々にとっては、今は計画が進んでいないJAXAの「リフティングボディ飛行実験計画LIFLEX 」だって、再使用宇宙往還機のひとつとして出来上がっていくかもしれない。早ければ50年後の人々が「ウルトラマンのジェットビートルや小型ビートルって、100年前に創造されていたんだ」と感じてくれるかもしれない。そんなことを考えてる本日が、初代「はやぶさ」の帰還日です。
茅ヶ崎まで仕事に出て、ここから首都高に戻るのは厭だし圏央道を大回りするのもめんどくさいしで、鎌倉か逗子から山越えして横横と湾岸線で帰ろうと、国道134号に乗ったわけです。
すると前方から「各務原さくらさんのラシーン」が来るではありませんか。
と見間違いかけたけれど、グリルまわりのカスタム化が異なっていました。
すれ違いでなくコンビニの駐車場あたりで遭遇していたら、声かけちゃったかもしれないと思うとなかなか恐ろしい(各務原さくらさん実在しないし)。などと独り馬鹿をやりながら、暑かったので沿道のコンビニに立ち寄り緑茶の950ミリリットルボトルを買って出てきたら、知らないおじさんに声をかけられたのです。
ナンバー見てないのか? だいたいが乗ってる人間がどこからどう見たって別人じゃん!
知らないおじさん、JA11にお乗りでした。読者かどうかはともかく(でもスーパースージーには二階堂さんのエスクードなんかほとんど出てこない)、ブログの「路外機動帖」は閲覧しているのでしょう。
和邇さんが以前、都内で僕に間違えられた時の気持ちというのが、よくわかった気がします。えーえー、こんな車で(SSC出版とワイルドグースのある)厚木の近所から海岸線なんか走ってる僕が悪いんですよ(涙)
TDA今シーズンの第一戦が6月20日に開催決定となりました。先日、レースに向けた練習走行が行われ、川添哲朗選手のTA52Wは「軽量化策がうまく効果につながっていませんでした」(川添君)ということで、急遽整備入庫。梅津知浩選手のTA01Rは「羽根は本戦まで隠しときます」(チヒロ君)と、あちこち煮詰めなくてはならないようです(羽根を隠すのが煮詰めに関係あるのか? というか、ウイングの取り付けはもうバレバレだぞ)
その一方で、走行練習を見学に来ていた後藤誠司君が、チヒロ君の01Rのタイヤを触ってみて
「これ、アンダーステアで走ってるだろ。それじゃいかん。もちろんオーバーステアもダメだけど」
と、ぴしゃりと言い当て、説教がてらなにやら小一時間、レクチャーが行われたそうです。何がいけなかったかは川添君も観察していて、
「俺の走り方とごっちゃんの走り方をいっぺんに真似したってまとまるわけない。一つひとつ、やれることをそれぞれ試して時間を使いなさい」
という助言を与えたようです。練習走行では川添君が設定コースを1分、チヒロ君はそれに遅れること3秒差の計測でした。
「まあ、頭で理解できたかどうかが怪しいんですが。まずスタートダッシュが下手です」
島雄司監督も苦笑いしていますが、監督自身もそれどころではなく、明日、熊本の大観峰で恒例の耐久レースに参戦。間髪入れずにTDAですから、御年〇〇の老骨にムチ打たねばなりません(といったって僕なんかよりずっと若い)。
そこへ来て某お嬢から島さんに無理難題が降りかかったらしいので、ウエストウインは八面六臂の忙しさです。無理難題ってなんだ? それはまた別のお話。
2016年12月に起きた糸魚川の大火で、街の一角は壊滅的な焼失となりましたが、5年が経って、街並みはどんどん復興していて、昨年訪ねた折には立ち寄ったことのある蕎麦屋もきれいになっていました。
ただ、昨年は昼食をとった後だったので暖簾をくぐらなかったことが心残りで、福井、石川、富山と「魚食いたい」思いをおしとどめて新潟まで戻り、そば処泉家にお邪魔しました。
店内は創業時の面影を極力再現しようとしたレイアウトで、7年前に訪れたことをよく思い出せます。こちらのことは覚えていないでしょうけれど、外出先から戻ってきたおかみさんがBLUEらすかるを眺めてくれたらしく「ずいぶん遠くからおいでくださってー」と声をかけてくれたのがまたうれしい。7年前の話をしているところへご主人も厨房から顔を出してくださり、しばし談笑させてもらえました。福井から4時間(富山で寄り道したので)かけてたずねた甲斐がありました。
前回も機械打ちの蕎麦を注文していたから、今回も。前回のジオサイト丼は無く、天ざるです。ただなんとなく、蕎麦もつゆもなんだかちょっとあか抜けてしまったんじゃないか? ←気のせいだってば
僕は蕎麦通でも何でもないので、生意気なことは言えないですが、店舗が新しくなったことは、素材の品質管理にもプラスなんでしょう。そういう意味での前回と異なる味わいでした。