近くにある〝ユリノキ通り〟という道を歩いていて ふっと上を見たら電線に絡んだナニかが。 よく見たら、切られた街路樹の残り。 電線を巻き込んでしまっていたのか、ほったらかし。 このままという事はないでしょうから そのうち取り除かれるとは思いますけども。 この場所を挟んで前後100mくらいの範囲の〝ユリノキ〟が 伐採された理由ってひょっとしたらこれ??
見上げればそこに・・・
虎穴に入ってまで虎子を得たいとは思わないのよ!
一昨日アップロードした、仕事を早めに切り上げブースター接種を受けた日の医者帰りの話です。どうせすぐに発熱するわけでもないよと遅い昼飯を食おうと、何も考えずに行きつけの蕎麦屋に立ち寄ったらば・・・
ななな、なんでいるんだお前らっ
「あー、注射どうだった―?」
「今夜あたり要注意ですよねー」
「いやそれより、2人とも仕事休みの日なのか」
「さっき起き出したところで今しがたここへ来た」
「まだ席に着いたばかりですよー」
ここしばらく年度末多忙でATМに近寄っていなかったため、財布の中身は閑散としていたのですが、こうなっては逃げるわけにはいきませんのですよ。
虎児を得るどころか虎の子を供出する羽目になりました。
それにしても「さっき起き出した」って、ふざけんじゃねーぞ!
失礼いたします。お子様をお預かりします
染井吉野に先駆けて。
どぉしても行くのだ!
なんて情けない子だろう!
もう何年・・・何十年も手書きでのレタリングをやらなくなっているため、図版やら文字デザインやらはパソコン上のペイントソフトに頼りきり。この頼りきりというのが災いして、作成にかかったデザインの「product by ESCLEV」の文字列に使っているフォントを呼び出せなくなり頓挫しております。
「あるはず」のフォントが、リスト内に見当たらなくなっているのです。
ESCLEVのロゴは、TA01Wさんが手製の切り文字で作ってくれたものがルーツで、これはBLUEらすかるのリアハッチ上部に今でも健在です。これをもとに、ステッカーも同一フォントを使って作りました。
まずフォント名を覚えもせずにソフト頼りでリストから読み込んでいたのがいけない。やむなくすべてのフォントで文字列を書いてみるも、目当てのフォントが見つかりません。
МSペイントが読み込むフォントって、OSの更新などで消えてしまうことってあるんでしょうか?
というわけで、コメントのやりとりをしたその後
ふと思い立って、職場の機材でMSペイントを立ち上げ、フォント欄をスクロールしていったら、bauhaus93というフォントにつきあたりました。
細部が異なるけれどまさしくこれです。機材のOSはWIN10pro。あとでこっちからフォントデータを移植しよう(その前に仕事しろよ)
先日、親父の一周忌をさせていただきました。あっという間だったのか、長い日々だったのかの、本日が「発ち日」。これで喪が明けたと思ったら、住職から「厳密には来年巡ってくる三回忌までが喪なんだ」と諭されてしまいました。
裏山は本来なら梅の季節なのですが、一番桜の咲き誇りの方が目立ちます。もうすぐ彼岸の入り。慌ただしく春がやってきます。
さーてどうすっかなあという課題が一つ。仏壇の位牌なんですが、菩提寺が作ってくれた白木の位牌に対して、祖父母やお袋のそれはあとから黒塗りのものに取り換えられています。見映えはいいのです。だけど住職によれば、白木のものが正規版だと。
これについて、まあ一族(そんなに大勢居ませんが)の意見が割れていて、というより僕以外の全員が黒塗りに換えようと言う。双方大した理由は無いんですよ。見映えの話か、正規のあり方の話というそれだけのこと。
現当主の威厳なんてないのねー・・・
被災地の記憶、というほど大げさではない記憶
忘れたらいけない話はいくらでもありますが、東日本大震災直後の実生活だってひどいものでした。物は無いし燃料も乏しいしというなか、それでも仕事は止められないので宮城県を部下に任せて僕はもっぱら岩手県の被災地に出かけていました。食事よりも給油が大変だったけれど、飯を食うところがない。呑気に食っているのもはばかられた。そういう一年が過ぎた春、大船渡の町にモスバーガーが開店して、これが当時は午前7時から開店していて、しかもフルオーダーでやっていた。
仙台から夜明け前に走り出して午前中の仕事に入る前に、この時間帯に温かいコーヒーやハンバーガーが食えたというのは、実にありがたかった。だから種山高原の特製ラーメンを除けば、大船渡のモスバーガーはオアシスだったのです。
モスバーガーと言えば、学生の頃住んでいた下宿から、徒歩圏(今だったら絶対に歩かない距離だけどね)に東武東上線の成増駅があって、駅前近くに、そのモスバーガーがあったと記憶していますが、知らなかったけれどあれが同店の実験第1号店だったそうで、1972年の3月12日に開店したのだとか。
そして大船渡店。これも知りませんでしたが、津波で壊滅した陸前高田の店に代わって新店舗がオープンした大船渡こそ、モスバーガー創業者である櫻田慧さんの生まれたところでした。
関東に戻ってきてなかなか思うように東北へは行けなくなっているけれど、今は隣町の店舗に通っているモス野菜バーガーファンです。






