帰宅して、寝室の雨戸閉めに二階に行った新月サンが 「あ゛~~~~~っ!!!」 と絶叫。 またいつものゲ〇か・・・と思って放っといたら駆け下りてきて 「血っ!血っ!血しぶきっ!」 はあ??? 見に行ったら、畳の上とかシーツの上とか壁とか、 いたる所に点々と血が垂れてました。 慌てて4匹捕まえて身体中見たけど、怪我してないし? なにより帰宅した時点で4匹とも普段通りだったし?? 何があったのよ一体・・・
今こそ理力の使いどころ!
この冬は体育会系?!
他人(ひと)の話の盗み聞きには真実がある
と、國村隼さんが毎夜『TOKYO SPEAKEASY』の終わりにつぶやいていますが、そんなものかなあと思っていたらその通りだった話。
カウンターのいつもの席に座って、誰かと誰かの話に耳を傾けるんです。一応礼儀として、マミポコさんには引用させてねとお伝えしてあります。彼女と、彼女のエスクードをレストアしている鈑金屋さんの対話。
「県内にこれと同じ車、何台あるの?」
「しらんがな、あたし自分の車以外興味ないし」
「アンタそれでよく車のクラブとか入ってるね」
「いや、あれクラブじゃなくて、その〜…?ピカチュウだいすきクラブ…的な?」
「しらんがな」
はいここ! ピカチュウだいすきクラブ…的な?
ネット上にあるのは「ポケモンだいすきクラブ」ですが、マミポコさんはマンガのポケットモンスターやポケGo、他のゲームに出てくる方を喩えています。これはクラブと問われたESCLEVについて、極めて端的正確に言い当ててくれていました。どういうことかというと、同だいすきクラブの解説をご覧いただければわかります。
そういうことなのです。ESCLEVはクラブではない、部室のようなもの。と、常々アピールしているのですが、まあたいていのメディアはわかっちゃくれません。最近は、しょーがねーかなーと半ばあきらめかけていたのです。
そこへきてマミポコさんの的確な表現に目から鱗が落ちる思いです。
マミポコさんはこうも言っています。
ちなみに全く興味ないわけじゃなくて、テンロクのショートだったらパーツ取りに使えるかな〜、ぐらいは思うけども(追い剥ぎか)、自分の車開けてみてわかったけど、現存してる個体のパーツが使いまわせるほどのクオリティかどうかは微妙なので、パーツ取りのために車一台確保とかはやんないかな〜…と
これも真実です。実際、写真だけで見てきたお嬢(彼女のエスクード)は、その撮り方もあいまって非常にきれいな個体に見えていました。が、切った貼ったをしなくてはならないほどの重症だったことに、レストア中の写真を拝見して驚くばかりです。
そして何がどう真実かって、うちのBLUEらすかるだって同じような状態なのです。まさにもう、身につまされる話でした。
オーラの力蓄えて
「聖戦士ダンバイン」が世に放たれて40年になります。1983年はなかなか沢山の戦う人型ロボットアニメーションが様々なコンセプトで創られていますが、初期のオーラバトラーをデザインした宮武一貴さんのセンスは、呼称によって「単に巨大ロボットじゃないんだぜ」と言ってきたロボットアニメのなかでも群を抜いていると感じます。昆虫型の意匠でありながら、実はバイストン・ウェルに棲息する恐竜か爬虫類型生物の体躯・骨格から生産されているのもひねりが入っています。
巨大ロボットと言っても全高で約7mクラスのダンバインですから、当時としては随分小さく設定できたものだなあと思いますが(未来少年コナンのロボノイドというのもありますけど、そもそも最初から巨大ロボじゃない)、世界観と言いガジェットと言い富野由悠季さんの趣味性丸出しな番組にこれでもかというくらい合わせています。
2か月後に、この小ささはスコープドッグの登場で最小を譲ることになりますが、ダンバインは今もって「解」を見いだせないデザインらしく、当時のクローバーから出ていた玩具の立体造形に違和感があったり、その後出てくるプラモデルでも改造しないとこうならないというモデラーの苦闘が続いています。
ヒロイックファンタジーものに巨大ロボット持ち込んじゃってさ! などと反目する人々もいらっしゃった時代でしたが、横目で見ていると、そもそも剣と魔法とお姫様ばっかりじゃんというそのジャンルに、鎧の延長であるロボット、船と置き換えたオーラシップなど、昨今の異世界ものとはまた異なる新境地を牽引したかなあと振り返ります。
そういうのをな、「アジアじゃ仏陀に教えを説く」というんだ ←うちの記事の方のことね
ただし軟派だったのは内外装と、ストラット&コイルスプリング独立懸架だったフロントサスのみ。
ふーん、軟派は性能を左右するのだろうか(レンジローバーのくだりはこちらの間違いでしたわ)。硬派な内外装とは、やっぱりビス止め鉄板フェンダーに鉄板パネルでメーター丸穴くりぬけばいいのか?
褒めてくれているんでしょうけど、なぜ独立懸架だと軟派なのかを論理的に解説してもらいたいものです。事実、エスクードの前脚にはストローク不足があり、これを後ろ脚の伸び縮みでカバーすべきウイークポイントがありましたが、そこもコイルのレートやストラットのしなやかさを選択することで、そこそこのクロカンは可能です。
スタイリッシュだなんだと言われますが、少なくとも初代に限ってはフロントフェンダーのデザインには機能的問題があり、でかい水たまりに突っ込んだら跳ね上げがフロントグラスを直撃して視界ゼロになります。一般道路の走行中にそれを経験してみなさい。さらにエンジンルームの熱抜きがまったくダメで、夏場はエアコンフル稼働で挑まねばならないのです。
こんな記事を書くために、今どき探しても撮れないよなあと初代の画像のためにわざわざ歴史館の展示車まで引っ張り出してくる苦労も、この一文で台無しです。あとね、2リッターV6忘れないでくださいね。
はるかぜこおりをとく
日本の節分・立春よりちょっと早く、アイリッシュ海に浮かぶマン島あたりでは「インボルク」と呼ばれるゲール人起源の節分行事が行われています。起源は雌ヒツジの乳をしぼり、子ヒツジの誕生を知らせ、天候を占い蛇やアナグマが土の中からから出て来る様子を観察していた農耕の祭典だったそうです。
祭りは焚火や暖炉から取り出す松明で明かりをともし、春の予兆を祝うものです。二月一日の夕刻に始まり、二日の夕刻にお開きとなります。
ヨーロッパにも二十四節気のような風習があり、アイルランドの神話では「クロス・クォーター・デイズ」として立春から冬至を示す季節ごとの祝いがあるようです。大陸と海を渡って日本列島に辿り着いたものなのか、似たような時代に同じようなものを崇めてきたのか定かではありませんが。
季節は異なりますがマン島と言えばTTレース。1963年の大会において、スズキの社員にしてレーサーを務めていた伊藤光夫さんが同年のレースでRM63を走らせ、日本人としての初優勝を遂げました。今年はそれから60年目にあたりますが、今シーズンのモトGPは活動中止で参戦がないのが残念。





