今週は283号フライトとか(この国道をつばさ、と称するとは知らなかったよ)106号急行とかばっかりです。金曜日未明も土曜日もそのルートをうろちょろするのですが、昨日の午後、うちのエスクードは岩手県の沿岸から内陸への途上で56万キロを越えました。
2年ぴったりで10万キロというわけには行きませんでした。
さー、あと2万7千キロ。でも冬に入るからここからの足はあまり伸びなくなります。
バッケンレコードに並ぶのはいつごろか、予想してください。
「Aアームでホ-シングの上下運動を補助するリアサスが面白いじゃないですか。乗用車然としたフロントの自由度の無さは諦めても、これで存分に戦えますよ」
島さんは、街乗り四駆と思われているエスクードでクロカン競技に乗り込むにあたって、あえて街乗り風に見えるよう、エスクードのシルエットはそのまま、しかし大胆に車体後部をピックアップに仕上げました。
実は当時まだ小さかったお嬢さんが、リアスペースに着座できるというギミックが仕込まれており、ピックアップボディーの高さはそれに合わせて設計されていました。派手な車体色になっても乗用なのだよという、島さんなりのいたずら心の表れ。そして白狼からE‐376へと名称変更されたこの3桁の数字にも、お嬢さんの名前があてがわれているのは、島さんの人となりの表れです。
E‐376は2001年にデビューし、クロカン競技で入賞を果たしたのち、2006年に島さん自身がドライバーを引退するまで出走、入賞、リタイアをまんべんなく実戦経験しています。
「リアサスの動きはAアームならではの旋回性能を生み出すので、ほぼそのままでダートトライアルのスピードレースに移行できたことが面白かったのです」
89年式の1型モデルですから、長持ちした方でしょう(その後別のチームが引き取って使っていたし)。何より最後のレースには、再びプロシード・レバンテ(TJ11W)に乗り換えた狼駄さんが駆けつけられたことが、両者にとって慶事だったことでしょう。そして島さんが培ったオフロードを戦うエスクードは、彼の弟子たちがあとを継いで現役を戦っています。
昨夜、マッドアーケミストのDr.ワニが収監中の城南刑務所を脱獄し逃亡。現在、小布施市内に潜伏している模様。
どうやら今朝の買い出しを妨害しようと企んでいる様子。充分注意されたし。
10日朝のこと、このような警戒警報が「本人から」寄せられました。まったくさ、自分で待ち伏せ公表してどうするんだな話ですが、はたしてその予告の通り、小布施のスーパーマーケットに赴くと・・・
「私の実験には新鮮な素材が欠かせないのですよ」
と、自称「悪魔の化学者」が買い物かごを片手ににこにことしながら待ち受けているではありませんか。
先日、やはり杉野沢に出没していた折、この抜け出しの術について
「そんな技使えるんだったら当日に使わんか! 使えんやつめっ」
と言ってやったものだから、ほんとに当日、抜け出してきてしまったようです。しかしやっぱり使えない技は使えない。夕方からの業務実験のために、買い物を終えた彼は、つくばーどの参加者が集合したところでタイムアウト。颯爽と首都圏へ引き返していくのでした。
「あっ、来月22日のつくばーどin津久井浜もぜひよろしくっ」
おお、伝えるべきことは伝えていったよ。
杉野沢林道の1区間くらいどうってことない話ではありますが、事実上のつくばーどツーリングデビュー戦ですから、
「学校と部活が終わったら、翌日の始発で妙高まで来い!」
と、父親に言われて、ちゃんとやって来るところが親ばかにも自慢です。
「まだハンドルのセンターずれが直ってない! これ気持ち悪いんだよー」
と言いながらも、まずは妙高高原駅から、みんなの待つ杉野沢までひとっ走りです。
「初めて会った頃なんてまだこーんなにちいさかったのにねえ。そのあられちゃんがエスクード運転してる姿を見る日がこようとはねえ。ひでこさんがこれを見たら号泣しちゃうねえ」(コムロさん)
初めて我が家がコムロ家と邂逅したのは1999年春のことです。そのときのウェブがないので、その年の秋のものがこれです(そりゃ当然ですが、コムロさんも若いのよ)
参加者の車両撮影の合間、BLUEらすかるの移動などを手伝ってもらいましたが、これだけでも僕が楽になります。いずれ霙も免許を取りますから、我が家のエスクード2台体制で「近場へ出かける日」は、わりと近くまで迫っているようです。
妙高高原と言いながら、長野の湯沢林道を走って毛無峠に登り、万座と志賀高原の紅葉を見物しながらの新潟行きでした。よって小布施で集合となったわけですが、宴会つまみの買い出しに出たら、スーパーマーケットに悪の化学者がいるではありませんか。
doctorワニはなにやら化学の実験用食材を買い求めておりましたが、待ち伏せ時間が長かったらしく、参加者がそろったところでカラータイマーが赤点滅し、撤収していきました。
湯沢林道はフラットダートで走りやすく、例によって数分インターバルで一台ずつが好きなように走るシフト。ここでも毛無峠で青影さんが待ち伏せていたようですが、気温10℃の寒さに耐えきれず途中まで降りてきたとか。ところがそのまま下山することを聞き忘れてしまい、林道後半の撮影をしていて、いつまで経ってもやってこない青影さんに、今度は僕が寒さに耐えられなくなるという間抜けな展開です。さらに峠に上がった参加者も、僕が上がってこないものだから捜索に出るかと気をもんでいたとか。
宴会においては悪魔の化学者調合による? かなり旨怪しい生酒を試しながら、新型エスクードのあんな話やこんな話題で盛り上がりましたが、詳細については酔いが回っているので書き留められません。11日は半日遊んで流れ解散となります。
今回のレポートはこちら。
どんな天変地異があろうとも、白狼ことエスクードコンバーチブルを手放すつもりはないと、狼駄さんは公衆の面前で宣言していました。若気の至りと言えばそれまでですが、九州男児の吐く言葉です。嘘ついたら針千本じゃすまされません。その彼が、20世紀の終わりに前言ひるがえしてこの車を売却することになったそれ自体が、天変地異でした。
小説家になりたかった野望をくすぶらせていた少年が若者になって、人生委ねちゃうよと一大決心をしたということです。そりゃあこんな(おいおい、失礼だろう)彼のところにお嫁さんが来て、子供が生まれるという良い意味での青天の霹靂をくらった狼駄さんですから、自分の生活環境を一新しようとするのは自然の流れ。我々、どこの馬の骨の取り巻き? と言われようとも諸手を挙げて応援したのであります。
その頃、遠く離れた九州において、クロカントライアル用の競技車両づくりを始めたチームがあり、この面々が考えていたことは
「ジープやランクルで競技に出て勝てても当たり前のようで面白くない。そんな車で走るのか? と思わせるようなベース車がいいよね」
「それじゃあ1台はハイラックスサーフに当てがあるからこれは決まり。もう1台は・・・スズキのエスクードなんかはどうだろうか」
「ああ、散々シティーユースだ軟派だって言われてる四駆だから、それ面白いじゃないか」
「実はネットオークションでオープンのエスクードを出品している人がいるんだ。この人とコンタクトをとって、ちょっと現車を見てこようと思う」
「その車ってどこにあるの?」
「東京湾の東側」
これが狼駄さんとぐらべるタロウさんことTEAMWESTWINを率いる現役ドライバー、島雄司さんとの邂逅でした。
このとき、島さんは狼駄さんが鹿児島の出身ということを知りませんでしたが、九州男児が九州男児の意志を受け継ぐという偶然の出会いに、双方大いに驚くこととなります。白狼はこうして福岡へ引き取られていき、大改修を受けるのです。
つくばーどin津久井浜のお知らせを出しております。といっても開催は来月の22日ですからまだ先のことですが。
三浦半島のみかんは美味いです。orange☆mysteryにて長々と書いちゃってるのでもうリピートしませんが、かなり美味いのです。それを取り放題食べ放題です。
が、たぶんみかんだけでは物足らないと言われるだろうから、ビーフベースのバーベキューも用意されています。これは食い放題とは参りませんが、案内にある入場料と食事代を一般価格と比較すると、モスバーガーでレギュラーのハンバーガーをポテトSセットで買えるくらいは割安なのです(スパイシーWモスバーガーが単品1個買える、と言った方が豪華だったか?)
せっかくのみかん狩りなので、取り放題とは別に「規定重量を競う」方式の買い出しトライアルも開催します。上位3位まで賞品が出るそうです。が、幹事の和邇さんによると
「当然ですが最下位には身の毛もよだつ罰ゲームを進呈します」
ということなので、たった1個のみかんが明暗を分けそうです。
参加者募集は今月いっぱい雷蔵が受け付けておりますので、どしどしご連絡ください。
なすがまま海鼠がパパの御大尽、これで今年の参加者をお気楽極楽の再起不能にしてくれるわ!この天才化学者Dr.ワニの電子辞書は“ふかのう”という文字を変換…できない! 見ておれ参加者ども。敢えて防水ではないマダガスカル携帯を三日三晩漬け込み、スーパームーンの十六夜お月さんの光をウルトラプリズム装置で一万倍に増幅照射して完成させた秘薬《ヤンキーかぐや姫ⅩⅡ》の威力、思い知るがよい! すでにペンションの従業員も洗脳して全員私の忠実な僮。お前たちは何も知らぬ間に驚天動地阿鼻叫喚、交通安全酒池肉林の世界へと旅立つのだ! そして世界は現代のシバイタロカ博士こと、このDr.ワニの足下にひれ伏すことになろう。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ(爆)
さてと3時から打ち合わせだ戻らねば。それでは諸君、サラバだ!酔い儚を見るがいい』
編集部注 (CV:青野 武さん) ↑の脳内朗読に際して。
・・・という内容の連絡が、2日の午前9時に入ってきたということは、空飛ブウサギの玄関をノックしたのは・・・
国道2号線はろくに広島湾の景色を眺める間もなしに山間部へ分け入る。山陽道は意外なほど山裾に沿って伸びており、海沿いに走れるのは厳島を望む廿日から和木あたりにかけて。それは逆方向だ。だが広島県内にはもう1か所、ほんのわずかに海岸線を進めるところがある。もっともそんなことを考えなくても、ちょっと山道を登れば瀬戸内の海原は手に取るように眺望できるのだけど、今日は海沿いを走りたい。この車で森の中へ分け入るのは、まだイマジネーションだけにしておこう。
運よく退勤時間帯の東広島をスムーズに抜けて、三原市に入る。時々、信号待ちのゴーストップを余儀なくされるけれど、イージーに操作すれば2速からでも楽に発進できる5速ミッションには慣れるのも早かった。四隅に張り出したブリスターフェンダーはどこか欧州車っぽいよなと感じさせ、四駆と言えばジープ、アメリカンスタイルといった既成概念を打ち消してくれる。なによりルームミラーに映る景色が夕暮れ近くだというのに明るい。だけど背中に何もないということは後続車からは丸見えの室内。信号待ちだからと言って振り返ったりするのも気恥ずかしいかもだ。
何しろ僕は仕事帰りのまま、スーツ姿で四駆を運転している。クラッチを切る革靴の爪先はちょっとばかり動かしづらいし、指先が痛い。ステアリングを握る両腕の袖先から見え隠れするカフスボタンは、絶対にミスマッチだ。だけど、こんなスタイルがこれから、案外普通になっていくのかもしれないぞ?
1時間ちょっとのドライブで、目的地の福山まで30キロに迫ってくる。糸碕神社の看板と、不思議な形の洋館がトラックマークのように現れ、2号線は緩やかなうねりを伴い坂を上り、そして緩やかなうねりとともに下っていく。
この瞬間を待っていた。
今まで広島、福山の約100キロの道のりは、GSX‐R400やCBR250で行き来するか、親父に借りたギャランシグマで走っていた。セダンに乗っていても、フルフェイスのヘルメット越しにも、三原市のはずれから尾道の町に向かっていくわずか10キロ程度の区間は、小佐木島や佐木島、岩子島、向島を見渡す瀬戸内の水路が右手に広がる。延々と山間部を走り続けてくると、丘を越えながら現れる海岸線の景色は、いつだってときめくのだ。
草の香りよりも排気ガスのすすけたにおいがついて回った道のりが、不意に磯の香りを拾っていく。バイクで走っているとき、風は大気の壁になっていて、そこに切り込んでいくようにスロットルを開けていた。今日、初めて、その景色を目にしたところでアクセルを緩めた。
あ、これが大人の愉快というやつか。
僕がパジェロやロッキーのカタログとエスクードを見比べ、これだなと感じたインスピレーションは、そのときのカタログに掲載されていたオパールブルーメタリックの水色が、この瞬間に見える海と空の、空の雰囲気に似ていたからかもしれない。奇しくも対極を行くような赤い車体になってしまったけれど、これはこれでかっこいいぞと、つい顔がほころんでいくのがわかる。
とはいえ、松永湾に至る海岸線の道は混雑していてもあっという間に駆け抜けてしまい、2号線は再び内陸へ針路を変えるし、水色の空も大分前から暮れなずんでいる。
「あいつ、どんな顔をするだろう」
片道100キロを遠距離恋愛と呼ぶかどうかは微妙なところだけれど、僕は先を急ぐ。慌てず、焦らず。
この項、完結。
1992年当時、「彼」がどんなルートで福山へ走ったかは想像であることと、直帰退勤という展開はまったくのフィクションです。