Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

素浪人時代

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2005-0自分にとって、スズキエスクードに乗り続けている年数だけは誰よりも長いのが取柄(そんなの自慢になるのか?)らしき話ですが、その僕も10年前の8月は、2号車のノマドはあったにせよ主力車両を持たない浪人時代でした。TD61Wを練馬に見に行く前夜の夜会で「雷蔵です。すみませんがエスクードに乗ってません」と挨拶して笑いを盗っていました。もっとも、つくばーどはエスクードに限定したイベントは開催しないので、今でも何に乗ってこようが関係なしです。

2005-1それでも、「雷蔵が次に乗るクルマがエスクード以外の何かであるはずがない」「エスクード以外だったらそこは袋叩きよね」という声は、8月いっぱい周囲で吹き荒れていて、わざわざ61Wの契約の日にそれを見届けに駆けつけてくれる仲間も出てきたという、そんなに他人事と思わないでくれていたの? と恐れ入る展開もありました。この日あの中味は錆まみれのエスクードを実際に見聞した人たちは、「こんなのに乗って大丈夫なのか?」と不安になったことでしょう。

2005-2この頃つくばーどには手芸部なる、霰、霙と遊んでくれる分科会があり、娘らのために時間と労力を費やしてくれる仲間もありました。記録を見たら新宿、練馬に続いてその翌日に基地とその近所で夜会になっていました。年末年始でもないのに3連続とはすごいことになっていた。先代のらすかるで育ってきた娘らだって、家のクルマが無くなったことには傷心でした。手芸部の面々はそんな娘らを元気付けにやって来てくれたのだと、10年して気がつく馬鹿親です。

夏 2005 

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2005早いものです。10年経ってしまいました。あの日、東京は練馬のスズキ直営中古車販売店に、まだ白かったとにいさんのTL52Wに乗せてもらって出かけて行った時、2度目の月軌道到達もその先のことも考えちゃいませんでした。この日の10日前に先代をぶつけられて全損の憂き目に遭い、目の前真っ暗な中、自分の条件に見合ったエスクードは、インターネット上に3台を見つけていましたが、そのうち1台のTD11W(青)は島根県。2台めのTD11W(緑)も愛知県でした。

2005-1唯一関東圏で見つけたのがTD61W。1オーナーもの96年式で8万キロを出していましたが、中古車なんて当節そんなものだろ、と現車を見に行きその場で現金支払いの覚悟で臨みましたが、事前に電話で問い合わせたときにお店の人は「いやしかし・・・状態は良くないんですよ」と教えてくれた通り、それはもう普通の人だったら絶対手を出さんわなという見えないところは錆まみれのエスクードでした。サイドステップなんかステップ側の取り付け部材が腐っていたしね。

2005a半分びびるお店の人を前に現金払いで契約書にハンコを押し、納車まで9日ほど時間を下さいと進言されたことには快諾して、9月5日の引き渡しを待つことになります。巷では3代目エスクードが久しぶりの好評の出足で、V6だったらTD94Wが存在していたときに、わき目も振らずに初代の後期モデルですよ。それも極上品ならいざ知らず、手負いの野良でも拾っちゃった状態。お店のせいでもなんでもありませんが、言ってみれば体よく在庫処理できた売り買いだったと思われます。

2005b現在の姿、そんな風には見えないでしょ?(ぱっと見には、ですが) 普通の人だったら満足して乗り換えるであろう22万キロまでまともに走ったし(満足しなかったからエンジン載せ替えましたよ)、月軌道2度目も果たせたし、今じゃ暫定2位ですから。あの日、9日間をかけて出来うる限りの錆落としをやってくれた練馬のお店には、今なお感謝しております。さらにはこれをコンディション維持してくれている二代目主治医と、地元のディーラー整備課にも頭の下がる思いです。

 

白狼外伝 ♯03

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ww-021人暮らしの勤め人とはいえ、車1台を所有維持するのはそこそこの経済負担となります。だから維持しやすいアイテムとして、まだ漢字を当てず、ローダと名乗っていた青年は、それまでJA71パノラミックルーフに乗っていましたが、いろいろあってこれを手放し、しかし不便にも限度が来て上司に相談のうえ、JA51の出物を見に出かけていくことになります。

ああ、前回から6年経過しております。95年夏の話です。

ジムニー1300は、青年の経済負担内でもどうにかなりそうなプライスタグがつけられていましたが、彼はその中古車店で、偶然にもエスクードと邂逅するのでした。5年落ちながらなかなかの値段であったエスクードはしかし、彼の上司が乗せてくれたカルタスコンバーチブルと同様、車体後部が幌で構成された独特の佇まい。

彼は一瞬にして「ルシア」と再会し、恋に落ちてしまったのです(たぶん)。そうして彼の描く物語は、海へ走り山へ出かけ、同じエスクードに乗る仲間とのコンタクトを通して全く異なる世界を導き出していくのです。原稿用紙に独り向かうのではなくウェブを使った能動的なコミュニケーション。「Eact」の誕生。90年代後半、エスクードを素材にしたウェブサイトがいくつか登場していく中、ツーリングやデイキャンプを企画し自ら焼き肉を振る舞うスタイルをとって、多くのエスクードユーザーをオフラインで結び付けていったのが、白いコンバーチブルと、彼です。

その動機はどこにあったのか。まだ「ルシア」の名をカミングアウトしていなかった当時の彼に聞いたことがあります。それが99年の、第1回目のつくばーどでした。残念ながらその頃すでにEXCALIBURは無く、我が家のエスクードは「らすかる」に代わっているのですが。お互いに名付けたアイテムの持つ宿縁を知りませんから、雨の日のバーベキューが淡々と続くばかりです。

「僕だってヒトの彼女と巡り合いたいんですよ」

実に率直な願望でした。いやしかし、「ルシア」の車内は西に東にデイキャンプの道具を搬送してきた反動として、油と焼き肉のにおいが染みついており、ネギまみれと呼ばれる今なお健在のあの焼肉の美味さには申し訳ないけれど、それじゃあ女の子なんか乗せられないよという残念な状態となっていました。

ww-05がしかし、2000年春に開かれたカレーコンペのつくばーど では、何気に隣にいるのです。それが「ルシア」を手に入れてから5年越しの望みの一つがかなった証。ここで初めて、女性名詞であったルシアは人知れずその名をたたみ、「白狼」へと移り変わっていったのだと思われます。こうしてみると、狼駄さんがエスクードコンバーチブルを所有していたのはわずか5年と、意外にも短い期間だったことがわかります。ただこの5年間というのはエスクードの右肩上がりの時代でもあり、ユーザーコミュニティーについても黎明期でありました。

クロカンのエキスパート、林道知識の専門家、カスタム化の先駆者と、様々なエスクードユーザーが各地で活動する中、オンラインで彼らを結び付けたユーザーとして、ノマドに乗っていたひできちさんという仲間がいました。そのオンラインのコミュニティーをアウトドアに連れ出し、その様子の語り合いをひできちさんの掲示板に戻すという双方向の窓口を立ち上げていったのが、狼駄さんと白狼だったのです。

ご存知の方は既読のコンテンツだと思われますが、この項を「外伝」とした理由は、本人による「白狼伝」が存在するからです。そしてこの正伝がまだまだ完結にはほど遠そうなので、続きを読ませてほしいからという邪な考えも手伝っています。

それからもっと重要かもしれない要望。現在の「ENCOUNTER」サイトのミーティングレポートの大半がリンク切れ。あれだってエスクードの交流の大事な記録ですから、ロートル勢の物忘れがひどくならないうちに再構築を遂げてほしいところです。

というわけでこの項完結。次は週末関東民のお話を来月から。

いま基地に来ると

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550000kmもれなくこの数字で駐車しております。

いやそれだけです。

うーん・・・なんかこう、しばらく動かしたくない。でも高崎まで出かけなくちゃならねーらしい・・・

320km往路は北関東道でひとっ走り。帰路は立ち寄り先を転々としながら、群馬と栃木の県境は林道越えもしましたが、ロングダートのあちらではなく、未舗装路0mの峠。いつの間に舗装したのよ?

というわけですでに320キロほど増えてます。

白狼外伝 ♯02

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TA01W-HH89-000fうちのヘリーハンセン購入の話を書き始めるとほんとに外伝の場外乱闘になるのでここは割愛しますが、このエスクードは狼駄さんのコンバーチブルと同じ1型で、ハードトップでした。新車、中古車押しなべても1型に乗ったことがあるのは我々二人と、コムロさん、きうさん。バンを乗り継いだKazooさんととにいさんくらいかもしれません。89年式なので、このエスクードの現物を見た人は唯一、風花さんだけでしょう。その風花さんも知らないことですが、ヘリーハンセンには独自独断で「EXCALIBUR」という呼称があてがわれていました。

アーサー王伝説に登場する聖剣エクスカリバーは、フランス語圏ではエスカリバーと呼ばれていたこともあり、この剣はもともとカリバーという名前であったものが折れちまうわけです。それを鍛え直すことでESとかEXという冠がついていくのですが、うちのエスクードもカスタム化していく過程でそうなるのよと、今ならこっ恥ずかしいネーミングをつけておりました。

で、この話は10年以上埋もれていき知られざる封印となっていきます。ところがこの時代、鹿児島県のとある町の1人の高校生が、

「俺、将来はゲームシナリオライターか小説家になって一旗揚げるんだ」

という野心に悶々としながら、EXCALIBURという題名のヒロイックファンタジーを書きなぐっていたのであります。RPG世代ですね。しかしながら内容までは知りませんけど、オリジナルを創造しようという作品に対して、使い古されている古典的アイテムを題名にしている時点でそりゃだめだろうと、今だから言っちゃう不安材料満載の作品と思われます。

ww-01その物語に登場するヒロインの名がLucia(ルシア)と名付けられていたそうです。ラテン語の「光」に由来する名前です。この少年が大人になり、光のイメージを投げかけてくる白い車体と出会い、少年時代のヒロインと重ねあうまで、その日から6年ほどの歳月が流れることになります。参考までに、この物語の主人公の名前が、Loard。

おいっ、白狼とか言ってた割にはずいぶんと可愛らしい名前を隠し持っていたじゃねーか!

白狼外伝 #01

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白井農場2001実は15年前の夏、いや1999年の夏だったか。僕はほんの数日間だけ、エスクードコンバーチブルに乗っていました。え? そんな経歴があって、なぜつくばーど採用歴代エスクード史に組み込まれていないのだ?(そんなマニアックなこと言う人いないよ)ということになるのですけど、そのコンバーチブルは狼駄さんのTA01Rだったからです。彼が夏帰省する際、「こいつを長期間放置するのは初めてなので、車上荒らしが心配なんです」と僕に預けてくれた、貴重な体験でした。

それより遡ることさらに11年(ここは元号で書くけど、昭和63年だよ)、そこがエスクードコンバーチブルとのファーストコンタクトで、その個体は東京の神保町に近い辻沿いにあったカレーハウスの店員の女性が乗っていた、やはり白い01R。その車体色に対して黒い幌の色は野暮だなあと思いながらも、エスクード自体をかっこ悪いと思っていた僕に、あれ? でもこの車、幌を取ったら全然シルエットが違ってしまうんだ。と、少しだけ興味を引くことになったのです。

「屋根ですか? 開けたらかっこいいと思うけど、排気ガスとか埃だとかが入り込むのでまったく開けたことありません。あれを買うならハードトップの方が良いですよ」

029カレーハウスのお姉さんの感想に、そりゃそういうもんだろうなと思いながら、その頃まだJA71に執心していた自分にとって、街角の店舗脇に停めてあるクローズドコンバーチブルの車体は、不思議に何かを訴えてくるものがあったのです。

翌年、エスクードが誕生1周年を迎え、記念限定車としてヘリーハンセン・リミテッドが登場し、後頭部をぶん殴られたような「なにこれ全然違うじゃねーか!」という衝撃的なかっこよさにやられた話は、もうあちこちで語りつくしました。

しかし、全国限定400台だったこのエスクードは、欲しいって買えるほど甘くはなく、この頃の地元のメインディーラーであった土浦スズキ曰く「うちにコンバーチブルの割り当ては無くて、ハードトップが2台だけ。片方はもう売れました」とつれない返事。かくして残った1台を巡っていくつかの引き合いと攻防を展開する羽目になり、コンバーチブルという選択肢も関心も、どうでもよくなっていったのです。

・・・だめだ、これしばらく白狼の外伝にたどり着かないわ。

続きに関心のある方がいたら書きます。コメントが入ったら続行決定。

つくばーど in 妙高高原ⅩⅡのお知らせ

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笹ヶ峰掲示板ではすでに告知しましたが、反応薄のどよーんとした予感で気が重い準備期間に入りました。

つくばーど in 妙高高原ⅩⅡのお知らせ

準備情報はこちら

 

橋とトンネル見たい人

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okiraiまたもや来られるものなら来てみやがれな話ですが、岩手県大船渡市の広報紙(web版、ただしpdfのダウンロード)によると、25日の土曜日に「吉浜道路見学会」というのが開かれます。これは見学会主催の国土交通省が整備している復興道路で、来年3月頃にこの道路が開通することから、道路上で遊べるうちにプレイベントで楽しんでもらおうという趣向のようです。

橋の高さが地上90m。その先に1600mのトンネルが貫通しており、トンネルの向こう側にも橋が続いています。25日はどうやら、ここを当日限りの遊園地にしてしまえというアイデアらしく、橋の上を持参の自転車で走れる(開通すると自動車専用道路だから自転車は通行できない)とか、人力車で走れるとか(正確には乗れる、ですね)、橋の上から紙飛行機を飛ばすとか。でもってトンネル内ではプラネタリウムやらお化け屋敷やら「えっ、トンネル内でそれはできないと思った」行事やらが催されるそうです。

見に来いって言われちゃったので、当日僕も午前中くらいは現地におりますが、高規格道路で自転車走らせたい人とか、大船渡の湾の景色を眺めたい人とか、トンネル内を歩きたい人がいたら、案内します。どれくらいのお客さんがやってくるのか見当もつかないので、駐車場に早めに乗り入れたい人は朝から同行していただければ確実です。

朝からかよ。ですが、そこはマジです。イベントは10時開幕なので、9時にはゲートが開きますから、僕はおそらく朝8時には「道の駅さんりく」に到着しています。8時30分までに集合していただいて、午前中見学して駐車場に再集合ののち、種山レストハウスにギリで駆け込み昼食、林道の様子をみて行けそうなら西側だけ走って解散を予定しております。

まあ要するに、誰も来なくても25日はそうやって移動しているのよ。

 

Give peace a chance tonight

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カプチーノ屋根の開く車のミーティングについて書いたところ、そこそこのリアクションをコメントでいただけましたが

「カプチーノを買いまして。つくばーどとのコンタクトも、いつもこういう偶然がきっかけのことが多くて、偶然の織り成す不思議を感じています」

という恐るべしなメールが入ってきました。

それがどなたであるかは、当日まで伏せておくとして・・・

って、当日っていつだよ? やるのかよ実際に。とビビりましたが、これはもう実現させるしかないね。

オープンチンク和邇さんにビターラV3の復調を急いでもらい、どうにかして週末に休みを獲得してもらい、あとはTA01Rのユーザーさんを泣き落とし(なさけねー)、それ以外にも屋根の開く車にお乗りの方々を口説き倒して。

遠足シーズンまでになんとかしますか。

津軽路を往く ~こし亀さんのSS梯子レイド~

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kk1つくばーどのSレイドとSSレイドには、「一気に廻らないと後々コンプリートがめんどくさい」というハシゴレイド企画がいくつかあります。相当な乗り気でないとやらない(やってもらえない)困った企画を立てたものですが、最初のSレイドを立てた頃にはこういう遊びは他になかった。今だとオンラインでその場投稿できたり近くにいる誰かを探し出せたりするゲームがいくらでもあるため、うちのやつみたいなアナログな趣向は飽きられて久しい感があります。

津軽編というのも、ハシゴレイドのひとつでした。SからSSに移行して一年めになるということで、2009年の秋ごろに仕込んだものですが、場所が場所だけに誰も行かない(笑) まあこれなんかこし亀さんが持ち込んでくれた白い犬と、白神爺。さんがいくつか提供してくれた課題地を検証しながら、残りのポイントを22時間で撮影・設定してきた馬鹿みたいな労作でした(まだ仙台転勤前のことだよ)けど、鳴かず飛ばずでした。

自分自身でも当時の記憶が風化していた最近、こし亀さんから「コンプリートしてました」の津軽編投稿がありました。撮影日付を見たら2010年10月(おいおい)。なんと、津軽編設営からそれほど間を置かずに出かけていてくれたのです。この頃から、こし亀さんは転勤と引越しがあったり、その後の震災と復旧、さらに転勤と多忙を極めていた数年だったはずなので、その他のSS課題地も含めて都度投稿などはできなかったのです。

普通だったら、まあいいかで、投稿自体をあきらめてしまうところを、トライアルのミッシングリンクを埋めたいという意志表示で、各地の課題地を巡った記録を最近になって出してくれています。ありがたいことです。しかし2010年と11年の記録がこのところの投稿だから、まだストックがあるんだろうなあ。

「新たな課題はネタ的に苦しいのを差し置いても既出課題群への反応の希薄さを見ていますと、サイトの参加者層が変化してきてるのでしょうか…?」

と、こし亀さんにはかなり痛いところを批評されて頭を抱えているのですが、言われるまでもなくSSなどは先週、青影さんが003に出かけてくれて、サイトの方は2ページ目に拡張。こういうのも確かに初期の出題だけです。

「勃興時の風車群って、風車の存在感、ロケーション、足元の砂丘の価値、参加のワクワク感と馬鹿馬鹿しさ(すなわち自身へのツッコミ)加減のバランス、それらの組み合わせが絶妙だったなー、と思います」(こし亀さんの評)

まあそういう時代もあったということで、それもいつかは斜陽落陽するもの。SSも出題し未攻略のものも含めてあと10で終わりです。

「最も車種ボーダーレス、最も日程制約が無い、専門知識無くたって楽しくて仕方なく、目標設定までが自由度が高いという素晴らしい企画として存分に楽しませていただいてるわけなのですが」

こし亀さんからのメッセージを(勝手に)使わせていただきましたが、そんな風に楽しんでいただける企画を生み出せただけでも良かった・・・