Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

世を忍ぶ仮の姿とそれ以前の問題

4 Comments »

二階堂裕さんのブログで「新型ジムニーJB64試乗」というのがまあ失笑ものなんですが、お忍びでディーラーに出かけると、そういうことになっているのねと。知らないよなー、日本ジムニークラブの会長の顔なんか(笑)

で、こちらもJB64を試乗させてもらっていたのです。ディーラーの女性スタッフは後席、霙が助手席です。こうしてみるとボンネットラインが高いこともあり、意外と視野が狭いのです。

「シート位置はたいしたことないけど、インタークーラーバルジが無いのにボンネットが高く見えるなあ。うちのみたいなスラント角度が無いからか」

「トランスファーレバーがついてますねー。お姉ちゃんのハスラーと違って床が遮られてるけど、そんなに狭くないですね」

「だけどこれ(4AT)上品だわ。23もそうだけど、ほんとにターボ車なの?」

という会話を聞いていて、スタッフの方

「ジムニーお詳しいんですね。四駆には関心おありでしょうか」

などとおっしゃるものだから、親子して「え?」と振り返っちゃいましたよ(もちろん信号待ちのときね)。そりゃもう、JCJの会長よりも顔なんか知られてるわけないけどね。僕らが乗ってきた車がなんだかわかってなさそう・・・

クロスメンバーを増やし「筋交い」も加えて剛性を上げたとか、R06Aに換装したとかいろいろエポックがあるけれど、数キロの試乗ですからそれらの能力は十分に発揮できません。速度を上げてちょこまかとステアリング操作しても、うちのJB23のようなふらつきはない。大柄になった印象はJB23で既に感じていたので、ここまでくるとトレッド規格の縛りがもったいない気がします。が、シエラは県内で3台しか試乗車が無いというので、展示車も見ることができませんでした。

4ATはロックアップ機構でそつがない。いや無さすぎ。3名乗車ですいすい加速するのに何を言ってるんだ? なんですが、このなんとなく「おっとり感」はハスラー同様。世の中が高齢化しても、FR状態のジムニーにはオートバイのようなやんちゃさが残っても良い気がします。四駆に至っては、そういう試乗をさせてもらえないから何もわかりません。それにしてもこの外観、新車っぽさ、新型っぽさがまるで無い(笑) 明日乗り出しても10年前から乗ってるって感じだよねえ。

 

独りFレイド

独りFレイド はコメントを受け付けていません

仙台から大崎、鳴子・鬼首で山越えして秋田県横手市まで出張し、同じルートで戻ってきたところ、昨年の「日沿南下」なみに燃料消費しない。国道108号で鳴子から鬼首経由の湯沢まわりなので交通量も少なめだし、前走するトラックが上手なドライバーで、ついていくだけでも良いペースで走れました。秋田県に入ったところで下りになると、背後からやってきた仙台ナンバーのばかドライバーが煽り運転しやがったけれど、自信あるなら勝手に追い越せよで無視です。

帰路に同じ道を使ったのは失敗だったかもしれない。国道13号で新庄まで行って47号にすれば、アップダウンはもっと少なかったはずです。ただそれであとどれくらい距離を伸ばせたかといえば、劇的な変化にはならないような気がします。給油量からざっくり試算するとリッター12.6キロくらい。じっと我慢のエコランをやったわけではないですが、ここから上があっても、せいぜい13キロ台に乗せるくらいなんでしょうねえ。

2年も先の妄想と皮算用

2年も先の妄想と皮算用 はコメントを受け付けていません

本気で作ってきた割には月産生産台数が100台というジムニーシエラの購入競争率は、今後ちょっとした話題になりそうですが、発売日にいち早く試乗してきた和邇さんがどう食指を働かせるのか興味があり、また最近は1300系のジムニーを手掛けるようになったフジ・オートの渡辺代表にも新型の印象を聞きたいと考え、緊急会議を無理やり開いてきました。

が、いよいよサイドキックを手放すかと思われた和邇さんは、車検を通すために訪れておりました。

ここまで待ったのだから、出てくるものならシエラのロングを希望しているのが和邇さん。小型車とはいえジムニーのロングというのは、これまでエスクードが築いてきたエポックメーキングを奪うようで納得しかねるのが渡辺代表。しかし長年コンパクト四駆にこだわってきた初代エスクードユーザーにとっては、渡りに船の可能性ではないかと感じているのが僕。

ここで妄想するなら、30年前にエスクードが誕生し、新規マーケットを開拓しながら満を持して追加投入されたノマドが思い出されます。ノマドの登場は、最初のマイナーチェンジとともに2年後に用意されていました。これを新型ジムニーに当てはめると、奇しくも「ジムニー誕生50周年」の年回りになります。

当然、50周年記念の特別限定車などは企画されるでしょう。しかし50周年です。記念企画ものだけで済ませるのだろうか? ジムニーとはあくまで軽自動車としての存在意義が揺るがないことは承知の上ですが、ジムニーを越えるジムニーという提案を繰り出し、いっそのことシエラやジムニーの冠を外して5ドアの小型四駆を生み出してもいいのではないかと感じているのです。ノマドが出てきたあとじわじわとブレイクしていった隙間市場は、今また隙間となっています。やらない手はない。

グランドビターラ

グランドビターラ はコメントを受け付けていません

そのエンブレムを取り寄せて貼り付けたエスクードではなく、正真正銘の北米にあった二代目の初期型V6‐2500。しかし後ろ姿だと「左ハンドル」であることに気がつかなければちょっと見過ごしてしまいます。

これは2003年にトロントで撮影されたもので、提供してくださったはMaroさん。彼のお父さんが所有していた個体です。

このグランドビターラを運転したことが、彼のエスクードライフのきっかけであり、お父さんの影響であったそうですが、どうもそのあとに、どこかのエスクード馬鹿にも惑わされたらしく、トロントからの帰国後にノマドを購入し、その後どこかの馬鹿みたいな距離を出しているエスクードと同じスタイルの直四の2000に乗り換えております。誓って言いますが、そのどこぞの馬鹿は当時、そんなことはつゆ知らずに走っていました。

Maroさんは先ごろ、2台乗り継いだエスクードを退役させると決意しました。残念なことですが老朽化と故障の度合いで、それは避けられないことです。が、彼のお父さんが対極にいて、聞けば32年前のセダンをまだ所有しており、

「気に入った車は手放しちゃだめだよ。そういうことならおれはあのセダンを手入れして乗るから、今おれが乗っているTD61Wを譲ろうか」

と、粋なことをおっしゃる。

そんな対話を傍で伺っていたら、書き留めたくなるじゃないですか。というのが、今回出るスーパースージー107号の掲載記事ですが、かなりダイジェストにしてしまったので、30年企画webの方にフィーチャリングしようと思います。

 

 

で、その記事は掲載されたのですが、事実は小説より奇なりという「まじですか」な話を別所で聞かされることになろうとは・・・

まあとりあえずこれにて落着

4 Comments »

スーパースージー107号の巻頭特集は、言わなくたって解るだろうよとばかりに24ページにわたって展開する新型ジムニーと新型ジムニーシエラの紹介ですから、読み応えはたっぷりです。

そんな危険な(笑)号に連載枠も併せて5ページ分のエスクードを食いこませられたのは、くどいけれど今年が誕生30周年だったからにほかならず、その企画に協力してくださった沢山のユーザーさんあってのことでした。

カラーページのうち3ページは、5月のイベントに参加された方々の紹介欄なので、掲載された人にしか価値は無いのかもしれませんが、動かなかったら1ページの記録も残せなかったので、意味は大いにあるのです。なぜって、35周年のことをイメージすると鬼以前に自分で失笑するもの。多分「それ」は無いいぜ、と。

しかし、この日取材に来られた二階堂裕さんはその後、謎の一言をブログに書き留めています。

2018年はスズキエスクード、VITARAの30年である。そのために、最近はエスクードの原稿をジムニースーパースージーや別冊ムックの原稿を書いている。

このあたりのことは、僕の手から離れたものなので、真偽のほどはわかりません。が、我々で作った30周年企画webに、初代エスクードをデザインされた片岡祐司さんに寄稿をお願いした際、二階堂さんも依頼していることは確かですし、スーパースージーの手腕であれば現役のエスクード担当者も捕まえることができるでしょう。

ということは、まだ何かしら楽しみがあるのかもしれない。肩透かしかもしれないけど(笑)

そんなわけで腰というより背中を痛めながらぐだぐだに進めた30周年企画も無事に落着しました。まあ歴代エスクードについての記事は既に同誌の104号で扱われているし、カラーページのユーザー欄以外の残り1ページも、当日のイベントの様子を紹介してもらっただけですけど。それから、そのイベント展開の記事については感心させられるほどうちのサイトやブログを読んでくれているなあと思いましたが、個々のユーザーさんの紹介に移ると、細かいところがちょこちょこと間違っています。そこはもう、すいませんと僕からお詫びさせていただきます。

ついでに念押ししますと、107号はいま書店に行ってもまだ並んでませんので、明日までお待ちください。

 

終わりの始まりの予感

2 Comments »

新型は前評判の頃から受けが良いようでしたが、K型からR型にエンジンを載せ替えたことと、トランスファレバーを復活させたこと、衝突安全回避装備の他には、今さら変えようがないんですというくらいDNAとやらを踏襲しています。ご意見番の言葉は「古い技術ではない。培われた良い技術は活かそう。原点に還すのだ」であったそうです。なにしろモノコックジムニーの案もあったらしいので、その白紙撤回は大命題だったのでしょう。まあ骨格やメカニズムはその方が良いこともあります。しかし・・・

それほどJBシリーズは不評だったのかと、つい二代目エスクードとオーバーラップさせるのですが、新型のデザインは温故知新というよりやけくそだと感じてなりません。JBがいかに冒険したトライアルだったか。クロカン四駆=軍用車を「すり込まれた世代のステレオタイプなロジック」から抜け出そうとしたことだと思うからです。いま、ミリタリーが好まれるなら仕方ないけれど、それに憧れた昔の人々の押しつけじゃないか。コンサルティングの言いなりのようなデザインが、戦後すら関わりの薄れた世代に向けた、メーカーからのメッセージなんて情けない。

しかし今回、1500を搭載するシエラは間違いなく注目株。あくまでもジムニーは軽自動車規格であるとしても、です。一般視線から見れば、テンロクエスクード・ショートの再来と言ってもいいからです。これに4ドア・・・じゃなくてもいいから5人乗れるロングなんか出てきちゃったら、今まで「他に乗りたいのが無い」と、ノマドシリーズに拘ってきた人々にとってはどうか。もう救いの手ですよねえ。なんだか初代絶滅の日のシナリオが見えてしまって密かに哀しい。

何が違うって、きっと「やる気」だよね

4 Comments »

マミポコさんの撮影

雷蔵の撮影

後述、車体の写り込み

 

 

 

 

 

 

一目瞭然、いかに僕がやる気のない撮り方をしているかですが、フィルターを効かせて絞り込むと、色あいだけでもずいぶん変わります。言い訳しちゃうと、あの「ぎっくり背中」の影響が無いわけでもなく、屈んで撮るのが億劫なのです(笑)

もひとつ言い訳するなら、車体色の再現は、実は何も考えていない僕のほうが正確に出ていて、このあたりの色調などはひょっとするとマミポコさんがこちらに送ってくれる過程でデジタル化粧も入っているのかもしれません。

「エンジンフードに天の川が写り込むような夜撮影をやろうと思ってます」

とはマミポコさんの夏入りの抱負です。それってどうやって撮影するのとノウハウを聞きましたが彼女は一通りの説明の最後に

「というわけで、ボンネットをつやつやに磨かなくちゃならん」

・・・やっぱりやる気だよなあ。

ようやく三十年めに入ります

2 Comments »

これはカタログ写真

まったくもって画竜点睛を欠く話、僕が最初のエスクードを手に入れたのが1989年の6月24日。乗り始めたのがこの年の5月に発売1周年記念として全国400台限定で登場したヘリーハンセン・リミテッドですから、逆立ちしても「エスクードの30年の歴史と自分のエスクード歴」が一致しないのです。

まあどうだっていい話でもありますが、デビューしたエスクードを「なんだこれかっこ悪い!」と思いさえしなければ、この埋められない1年は存在しなかったかもしれません。

納車直後の吊るし状態

ヘリーハンセンの登場記事は、その頃群雄割拠していた四駆雑誌のなかで、今は無くなってしまったオフロードスピリッツが唯一カラー掲載していました。それがいわゆる空色のクルマ。ディーラーで見たカタログモデルの野暮ったい車体色(実はいまその色の幌車にも乗っているわけだが)とは裏腹の、でもこれ自分が乗っているジムニーと同じ色だよ。なにそれ、これだけのことで車のイメージがこんなに変わるのかよ。という驚きを見るのでした。

しかし今考えると、当時の土浦スズキでは割り当てが2台しかないと言われて1台は売れちゃったという状況下とはいえ、銀行の口座を解約して現金払いで買いに行くなどと良くもやったものです。

偶然出会ったもう1台

バブル景気でもあり、馬鹿ですね、「すぐ買うからとっといて」で済んだはずだもの。その後偶然にも、売れちゃったというもう1台と遭遇もするのですが、この頃もっと熱心にエスクードのコミュニティを考えていれば、日本エスクードクラブは本当に実現していたかもしれない(笑)

これが平成という時代の始まりでもありました。で、乗り換えはありましたが未だに僕は初代とその放埓な日々の中に取り残されているのです。え? いーんだよ、好きで残ってんだから。近々勝手に元号の方が変わるだけだい。

 

不自由で自由の日々(笑)

ところでここまででどれだけの日数を過ごしてきたのか勘定してもらったら、本日付で10592日だそうです。数字にしたらしたで、全然ピンとこない日数です。代車の三代目なども加えてのことですが、積算走行距離の総距離は現在のところ約150万キロで、これもまた比較対象が見つからないので意味があるようでなさそう。

ただ、僕は平成元年からのユーザーですが、エスクード自体は昭和の終わりのクルマ。その系譜が初代であるとすれば、次の元号に持って行けるというのは幸福なのだと思います。

 

なんで今なんだっ

だからさー、

このタイミングで壊れるなってのよー(泣)

Team WESTWIN Warriors#121

4 Comments »

今回のTDAでは目立たない存在でしたが、ウエストウインから白いテリオスキッドが出走していました。もちろん初参戦で転倒しレースに絡んでくるような成績も残せていないのですが、島監督が伊達と酔狂で繰り出してきた選手とは思えません。

「取引先の社員でですね、二十代のくせしおって私のことを島ちゃんとかしまっぺとか呼びやがるので、もうお仕置きしてやろうと出しました」

などと監督は冗談交じりに言いますが、この動きは後藤・川添を継ぐ第三世代の育成素材として見出しているという節もあります。

「もう第三世代という以上にジェネレーションギャップで。バケットシートを合わせるから来いといってるのに『今日はネイルサロン行くのでだめですー』とか平気で言うし、四点式シートベルトきつくていやだと言うし」

おいおいおい・・・

しかし考えてみると、四駆とはいえクリアランスの取りにくいテリオスキッドで攻めに出て、ひっくり返すまで走るのは、怖いもの知らずか知らなすぎの勝気か。良い方向に転がったら、なかなかの伸びしろを持っているそうです。

「今回の転倒で、保安部品や四点式の大事さを身に染みて知ったでしょう。しばらく鍛えていきますよ」

てなわけで、単に近所の恒星の光を受けただけの惑星で終わるか、自ら恒星になって輝き始めるか。エミリーさんの戦いが幕を切っています。

 

13年目と40年目

13年目と40年目 はコメントを受け付けていません

6月12日、BLUEらすかるの積算走行距離が690000kmに達しました。これで来月あたりにはさらに10000kmを加算できそうな道のりですが、小惑星リュウグウを目指しているはやぶさ2には、先に到達されることも確定です。さすがに27日(はやぶさ2のリュウグウ到達予定日)までにあと10000km走るのは、うちでは不可能だわ。

ここまで12年と9ヶ月。車体自身は22年走り続けていることになります。

ところでこの距離をどこで刻んだかというと、宮城県東松島市の鳴瀬川河口部にあたる、東名運河の野蒜水門。この水門は東日本大震災の津波で破損したものが復元された施設ですが、6月12日は1978年に宮城県沖地震が発生した日でした。この地震は津波というより地震そのものの被害が大きな災害だったそうです。

津波も怖いけれど、真に恐ろしいのは地震なのではないかと今は考えています。