いえ、出窓のカーテンです・・・ 姫ちゃんずが登るわ齧るわ の、なれの果て。 1回取り換えてるとは言え、10年以上は経ってるからねぇ。 経年劣化も相まってボロボロです。 まだこの部屋に隔離してた頃に、左下の穴に首突っ込んで 首吊りしかけたはな。 良かったわよ、在宅時で。 (なのでその後すぐにハサミで切った) 通販で頼んだ新しいカーテンが来週届くんだけど。 ・・・速攻引き裂かれそうな気もする・・・
90年代、エスクードのミニカーはブラーゴしかなかった時代ですが、エンジンラジコンと電動ラジコンには人気商品がありました。エンジンラジコンはモンスターのパイクスピーク仕様がまだエスクードベースであった頃に、ボディーが同様のデザインでユーザーが塗装し組み立てるものでした。それは所有したことがないので、手ごろ価格の電動ラジコンを、ホームセンターで見かけると買い足していたという(笑)。タイヨー製サウンドブラスターはその最大手でした。
本体の電源を入れ、メインスイッチを押すと「イグニッションサウンド」が響きわたり、続いて「アイドリングサウンド」に切り替わる。プロポを操作し、前進・後退をさせるときに「アクセルサウンド」。左右にステアを切ると「スキールサウンド」が鳴り響く。どうでもいいギミックで、動かすのがちょっとこっ恥ずかしい。
ギア比が変えられ、トルクをあげられますが、たいていの場合障害物を乗り越えられないか、逆に弾き飛ばされ転倒します。
実は四駆ではなく「RR」なので、そこですべてが台無しという割には、18分の一くらいのボディは非常によく造形されています。青車体は白をベースに塗り替えたものです。白と黒はそれぞれ周波数が異なるため、同時に走らせレースも可能というところに、この手の電動ラジコンの販売戦略が見隠れしますが、そうでないと遊べないので素直に受け入れてました。ただ、一人っきりでは2個のプロポなんか同時に操作できない落とし穴もあるのです。
独り買い出しEレイド
前回、霰と中禅寺湖へ出かけた帰り道に、道の駅日光に立ち寄ってトイレ休憩していた際、霰が一つ隣の路地を散策して見つけた「菓子処本沢屋」。団子の店です。
このとき購入したあやめ団子がとても美味くて、10月末に日光市で仕事ができ(仕事を作り、の間違いじゃないのか?)、いそいそと出かけて行ったら「定休日だった」という裏話があります。
それは雪辱戦に臨まねばいかん。と、買い出しトライアルの日に、
「開店と同時に購入して高速で戻れば、集合時間に間に合う」とまで意気込んで、道の駅にしかたの最寄インターをすっ飛ばして、日光市・旧今市市街地までダッシュしてきたのです。濃厚なのにしつこさのない醤油だれと、その場で食っても半日おいても柔らかさの変わらない団子に、霰よ、よくぞ見つけた! とあらためて、あやめと餡子を買い求めました。
インターネット上では道の駅日光の裏路地、と紹介している人がいますが何言ってんだ、のロケーションで、この路地は東照宮造営の際に徳川家光が停泊した「如来寺」の表参道です。あの二宮尊徳の弔いもこの寺で行われている、ちょっとした歴史の石畳(石畳は近年のものかも?)です。本沢だんご自体は1907年創業だそうで、家光の時代とは縁はありません。でも、その創業時から変わらない味を守り続けているだけでも十分じゃありませんか。
買い出しトライアルで栃木まで。 お題は〝パン〟 最近生食パンにハマってるから食パンも買って帰ろーっと。 その前にどこのお店を引くのやら・・・ と、思っていたら神橋店。・・・混みそー(道が) とりあえずCP1へ移動して、彫刻屋台を見学。 係のおぢさまが勧めてくれたお祭りのビデオも見させてもらいました。 一回だけ見た熊谷のうちわ祭りとちょっと似てるかなぁ。 その後、神橋店に無事たどり着いてあんパンもカレーパンもget♪ 食パンと、ちょっと目についた〝ゆずメロンパン〟も買いました。 (多分新月さんは食べない(笑))
みんなで昼ご飯食べた後はCP2とゴール目指して出発。 ぽてぽてと山の中走ってると気持ちいー。 もう少し涼しいのかと思ったら、11月とは思えないくらいの 暖かさ(暑さ)でした。
90年代、カナダで二代目エスクード・グランドビターラ(V6-2500cc)に乗っていた今井勝男さん(Maroさんのお父さん)のお話を、エスクード三十周年記念企画サイトから引用し再構築してみます。当時の話を聞くと、意外なことにGМ寄りのデザインはともかく、オフロード性能を見切ってハンドリングやサスペンションを改良した二代目は、まさしくそこで不評を買っていたそうです。それはやはり、カナダという広大な国土での使い道に依るところが大きかったそうです。
「90年代といえば、北米の人々は、まあ全部が全部じゃないけど、シボレーサバーバンを好んで乗り回していたよ。あの国、というより北米大陸というお国柄だね。アクセルを踏んだら前へ出る。ハンドルを切ったらその方向に曲がる。ブレーキを踏みつけたらがっちりと止まる。その性能がしっかりとしていればいい。真冬はその限りじゃないが、ビッグトルクで家族や仲間を乗せて何百マイル走っても平気なビークルが信用されていた」
「私はそうは思わない。荒れ地を走るだけが車の仕事じゃないから。それよりもトロントからデトロイトまで快適に走って、快適に帰ってこられる方がずっと重要だった。あの車ははそれができたね。2.5リッターを積んで、ようやく大陸を走れる車に仲間入りした」
確かに、うちで乗ったものもショートとロングの違いもあったけれど、2000のV6と2500のV6はそれほど違っていました。
このTD62Wに相当するエスクード以前から、二代目は、最終的に世界累計200万台弱を販売できた初代を受けての、世界戦略的な使命を帯びていたのです。ただなんとなく、スズキというメーカーは、市場の確立されていなかった初代の幸運を除いて、歴代のエスクードを繰り出すタイミングを次々と見誤ってきたような気もしますが、それはまた別の話。二代目は不評と言われながらも、実際には初代よりもバリエーションの豊富な展開をしていました。
二代目の不評とは、丸まった車体(今だったら全然そんなことはなくなってしまった)よりも、初期の小型車シリーズにあった、まるでやる気のないグリルのデザインだったと思われます。これはマイナーチェンジによってフェイスリフトされ、初代以上に洗練されたものとなりました。足回りこそ5リンクが追加され自由度を固められましたが、今井さんの言われるように快適さの追随は邪魔にはなりません。ラダーフレームの踏襲も、骨太の四駆を継承しているのです。
第15回買い出しトライアル 開催
前回の試験的トライアルとは異なり、出題難易度が少々上がっています。それというのも目標の品物が数に限りがあったり、くじ引きで指定した店舗に出なかったりの想定外がありそうです。そこで今回はあんパン(2種類ある)、カレーパン(4種類ある)のうちいずれかを買い出すというレギュレーションとなります。
でも通りすがりにこれを見てしまったら手遅れです。さらにゴール地点は道路反対側の駐車スペースとなります。まあしかし、コロナ禍でもあり案内の閲覧数は200件を超えているのに鳴かず飛ばず。朝、スタート地点に誰もいなかったらどうしよう・・・と、どきどきしましたが、参加者が出てくれてよかったー。
今回、クロさんのエスクードが前日の最終下見の際にラジエターホースの破損で修理入庫となり、クロさんは代車のアルトでエイド役をこなしてくれました。どこかでエスクードが修理に入るとどこかに連鎖するジンクスが、ずいぶん久しぶりに発動しました。風花さんののまちゃんは修理明け、青影さんとs.Doさんは無病息災です。
暖かい陽気に晴天で紅葉もピーク。さすがに日光市内は渋滞したものの、それ以外の各所は日曜とは思えない順調な流れ。ふと気が付いたらぷらすBLUEのナビは電池切れで作動せず、なんか山の形が違うなあと思ったらどこで県道を間違えたか宇都宮に戻っているというボケをかまして、うちだけ昼飯抜き。クロさんはエイドと撮影に専念しすぎでCP2に釘付けとなり、ゴールジャッジ担当なのに一番最後にやってきました。
今回の優勝は、s.Doさん。買い出しポイントは彼だけが別の場所を引き当てていましたが、後半は先頭を保持してゴール。
なんだけど、昼食後の後半はほとんど一緒にツーリングとなっていたようです。サイトレポートをまとめてあります。参加者の皆さん、お疲れさまでした。幹事はこのあと次回候補の鶏めし弁当を買い出し、帰宅しております。
そうそう、和邇さんと小林農園さんが「参加賞につかってくれぃ」と、津久井浜のミカンを送ってくれました。これに加えて青影さんからも麦チョコのパッケージ、クロさんから辛味蒟蒻を提供していただきました。ありがとうございます。これはもう、優勝賞品が霞んでしまって「しまったじゃないですか」のオチとなりました。
11月7日。年次は1997年なのでちょっと半端ですが、この日スズキエスクードは初のモデルチェンジを行い、二代目へスイッチしました。
その姿は先行してメディア漏洩していたので、まさかーっとカタログを手に入れて愕然としたのはウソではありません。どこをどう切り刻んだらこうなるのか?というほど、それは突然変異していたからです。今思えば、余計なことを言ってしまった罪悪感を残しました。
余計なことと言ったら、初代が出たときにも「なんだこのかっこ悪い四駆は」と、僕はののしっていますから、まあ僕の感覚なんてアテにはならないってことです。その初代が再評価されているのとは別に、二代目はまだまだ現役で、フレーム+ボディに副変速機という構造で、昨今のうねうねしたSUVとは一線を画した、スタイリッシュなモデルに落ち着きつつあります。大人の事情でデザインが日寄ることとなったGМが倒産・国有化と解除を経てかつての勢いでないことは皮肉です。
GМに日寄らない二代目がもしも実現していたら。というデザインワークスは、実は初代が登場した80年代に描かれています。89年の東京モーターショーに出品された「constellation」(星座、の意)は、初代をデザインした片岡祐司さんによる、次期エスクードの一つの方向性でした。想定ではV6の3リッターを積む構想でしたが、評価は低く参考出品に終わりました。現代においてこのデザインラインは古びていますが、当時で言えばどのメーカーよりもSUVの姿をまとめています。
スズキ社内で片岡さんが聞かされた話では、このショーの期間中会場を訪れたジウジアローが、このモデルの前で長い時間立ち止まって見物していたそうです。二代目のデザイナーは片岡さんではありませんが、その割にはイメージは初代に「constellation」をミックスさせたようにも思えます。いずれにしても、先へ行き過ぎた二代目構想が北米需要を基に引き戻され、ぎょっとする形にはなりましたが、それでも時代を先取りしていたことは再評価すべきときでしょう。
こっちも忘れてたわ。
映画は観なかったけど
うちの奥さんが何を思い立ったのかは知りませんが、「前田建設ファンタジー営業部」をレンタルしてきて、クスクスけらけらと観ているのです。そういう状況は同じ茶の間にいるわけですから頼まれなくても映像と音声が僕の眼にも耳にも入ってくる。
作り方へのベクトルが違うなあと感じていたので映画は観にもいかなかったのですが、こりゃなかなかひどいなあという出来栄えです。ドラマで演技とはいえ、しょっちゅう興奮して喚き散らすような社員、どこの会社にもいないよなあ。という以前に、広く浅くの範疇を超えて、広報マンが自社の技術を知らなすぎる。
若手社員ならともかく、ファンタジー営業部の部長クラスがそんなことだったら、僕なら即時更迭しちゃいますよ。少なくとも舞台や小説になる以前の、前田建設工業自身が公開していたウェブの展開は、あれはあれで読みにくくて、セリフと対話のオンパレードが鼻についたけれど、企業が何を発信したいのかは理解できました。
ただ、これを見る機会を得たことで思うのは、絵空事に一喜一憂していた架空の彼らを経て、あの動くガンダムの骨組み組み立てにプロジェクトパートナーとして参加している前田建設工業って、ちゃんと先へと進んでいるのかもしれないということです。









