去年も変な時期にバッサリと切った羽衣ジャスミン。 咲かないかなーと思ってたら写真の塊くらいのが3つ。 それでも結構な芳香爆裂してます。 どんだけクサイ匂うのよ・・・ 新月サンには 「今年は花後の剪定以外切らなくてよくない?」 と言われました。 新月サン的にはブワッっと花付けてくれないのが 寂しいらしいです
再び逢うまでの遠い約束
種山高原星座の森の「献立の少ない料理店」で厨房を切り盛りしていらした佐藤さんから、3月末に手紙をいただいていました。定年の日が来たので、2020年度いっぱいで退職するというお知らせと、沢山立ち寄っていただきありがとうございますとの御礼の言葉がしたためられていました。
いずれそうなるであろうことは、昨年お邪魔した時に聞かされてはいましたが、いざその日が来るとなると寂しい思いに駆られるのは、不謹慎を承知で言うなら親の葬儀よりも揺さぶられてしまいまして、返礼のために電話を差し上げたら(ケータイ番号を知っているところがさらに不良な俺)、変わらず元気な声でいらして談笑が叶いました。種山高原には、たぶん今後も立ち寄ることはあるだろうし、無くなっていなければ少ない献立から選ぶのはきっと「銀河鉄道の夜」でしょう。佐藤さん曰く、あれは誰でも同じ味で出せるから、とのことでしたが、一番大きなスパイスは佐藤さんご自身の人柄だったような気がします。
いま、厨房を任されている後任の人とも、同じように仲良しになれれば、ひょっとするとその大きなスパイスも継承されるのではないかと思い、いただいた手紙を執務机の引き出しにしまいかけ(彼女がなんで手紙を送れたかと言えば、東北時代に名刺をお渡ししてあったという二重三重に不良な俺)、やっぱり持って帰ろうと上着のポケットに収めておりましたが、再び逢えるまでって、どれだけ遠い約束になるのだろう・・・
食べたかったのよ~
Team WESTWIN Warriors#156
本年開幕戦になるはずだった16日のTDAは、コロナ禍の影響を受け中止となりました。
「うーん、それはそれでお知らせにはなるけれど、話題にならないですよねえ」
「そう言われると思ってました。写真を見てチヒロの01Rで笑ってやってください」
ということで送られてきたものを見たのですが、ぱっと見にはわかりにくいですので、後方からの別カットを。
・・・・ぷぷっ
これダウンフォース得る前にもげるんじゃなかろうか? でもまあ、様になっているところが笑えちゃいます。
「なにしろですねえ、川添君までが、『僕がここんとこ勝てないのは羽根がついてないからなんです。羽根は大事なんですよ』とかうそぶく始末で」
よろしいじゃないですか。ウエストウインの四駆づくりは機能性と見映えの両立ですから。ということで、このウイングの本領発揮は7月のTDAまでお楽しみになります。で、その7月11日予定のTDAのあと、梅津知浩くんはいろいろな経緯を踏まえ、筑波サーキットにやってくるそうです。
来るからには走るんだそうです。まだ現地の7月スケジュールが発表になっていません(毎月25日ごろ更新されている)が、島雄司監督から聞いたところによると7月27日だとか・・・
って平日じゃねーかっ
昔はそれでよかったんだけどさ
21年前、ポルノグラフティは「ヒトリノ夜」のなかで「♪車もしばらく空を飛ぶ予定もなさそうさ」って歌ってましたが、現実的な未来はすぐそこまで迫っていて、「空飛ぶクルマ」とやらの試験飛行が相次ぎ、日本においても再来年には運航のためのロードマップやガイドラインが出来上がり、さらに近い未来にはほんとに車が空を飛んでしまう世の中になっていく、21世紀らしくなってきた21世紀です。僕らはいくらでも「ヒーローのクルマが空を飛ぶ様」を見慣れているんだけれど、
その「空飛ぶクルマ」って表現、なんとかなんねーの?
なんかこう、昔はそれでよかったんですよ。たいていのヒーローのマシンは、自動車そのものに翼や噴射口がせり出して飛んでたので。だけどリアルな現代の技術と工業デザインとの組み合わせで登場しているそれらは、どこをどう切ってもマルチコプターやオートジャイロの延長上のようなカタチが主流のようで、オランダで有名なPAL‐Vなんか、後ろ姿がかっこいいんだけどどう見たって回転翼機に自動車が部分融合したデザインで、回転翼を屋根にたたんだ前方からの姿なんて、全然スマートじゃない。
マルチコプターをドローンと呼び始めちゃって、それが一般化してしまったように、空飛ぶクルマもこのまま一般名詞として定着してしまうのはいやだなあと感じます。厳密に言うと、国土交通省や経済産業省では「電動垂直離着陸型航空機」と呼称しており、クルマでも何でもないのに。そんなことより、自分が子供の頃は当たり前だったはずのこの言葉が、現実味を帯びてくるとこれほどダサいものに聞こえるとは思いもしなかった。スマートな名前って出てこないものかねえ。
妻の母親が昨年の大晦日に亡くなり、僕ら夫婦にとって「母の日」は霰や霙が妻に対して、という構図に世代交代しました。僕のお袋は2014年に鬼籍入りしましたから、3月に野辺送りした親父、十三回忌も済んだ妻の父も含め、夫婦ともに両親のいなくなった親を敬う日になります。どれもこれも孝行したいとき親は無しというようなことはしてこなかったつもりなので、何も悔やむ話はありませんけど、親父は看取りましたが単身赴任の頃でお袋の死に目に逢えていないのが不公平。
お袋と写っている最後の写真が、奇しくも彼女が亡くなる一か月前の、母の日のものです。霰は新潟大在学で帰省しておらず、妻も仕事で不在、当時の親父は何処をほっつき歩いているのか不明で、霙と、僕の妹の吹雪とでお祝い食事に出かけたときに撮っていました。この日、彼女に軽い認知症が出ていることを気づかされたのはショックでしたが、先のことを考えているうちにさらに先に行かれてしまいました。
妻の両親とも、実家の仏壇に飾られている遺影は偶然にも僕が撮影した家族行事のときのもので、僕の両親も僕の撮った日常の写真から起こしました。はてさていずれの僕らの分は、今のうちに用意しといたほうがいいのかなあ。妻の写真ならいくらでもあるけれど、僕が写っているやつって無いんですよねえ。それはまだ気が早いとして、7年前の母の日に吹雪がこの写真を撮ってくれていたのは、今となってはありがたくも貴重なカットになっています。
家庭の味
行ったらやってないというランチ難民を幾度か経験して、出かけようと思ったお店がいつ休業日なのかを事前に調べる習慣ができました。もう一つは、混雑すること請け合いの昼時は、開店と同時にお邪魔するようになりました。以前は昼のラストオーダー前が多かったのですが、昼飯時間が早まっております。ときには、ランチごときでそれやるのかよとも思いますが、テーブルの予約をお願いするという手法も、受けてくれるところでは活用するようになりました。
先日お邪魔したのは、もうほとんど「お前、それ店名で決めただろう?」と言われそうなところですが、まさしくその通りで、学園都市のちょっと郊外に店を構える「だだ商店 だだ食堂」。誤解の無いよう記しておくと、以前は国土地理院の近くにあった「da DADA」の移転による新規店名で、この「だだ」は三面怪人のあれとか、芸術思想・活動のそれとかとは異なっていて、オーナーさんの家庭内での呼ばれ方(とーちゃん、ダディの変形と思われます。でもつい、挿絵にはあれを使いたくなる)です。
夜時間は現在、早い者勝ち公募で月に一度しか開店していないため競争率が高すぎで、ランチ時間でハードルを下げてのトライアルです。定食はすでに献立が日ごとに決まっていて、現地で決めるのは添えられる飲み物だけ。献立は健康趣向の主菜副菜と肉ものなどで、原典は家庭料理のそれです。実際、厨房では料理長が手腕を振るいますが、商店の方ではオーナーの奥方の冠が付いた惣菜としても販売されています。定食ながらなかなかの値段ですが、案外、若いカップルがデートがてらやってきています。
極端なことを言えば、「器と盛り付けに気を配れば、うちでもできなくはないなあ」と妻はつぶやきます。まあまあそれは言いっこなしで美味しくいただくことにするわけですが、店員さんが親切に説明してくださる食材の仕入れ先のいくつかは良く知っているところだったり、そこまで足を伸ばさなくてももっと近くにいいのがあるなと思ったりの印象は出るのです。でも、惣菜もいくつか買い求め、夕食でかっこよく盛り付けるとかの楽しみも持ち帰れました。






