ドラセナ・ゴッドが花咲かせてました。 よーく見たらユリみたいな形の花なのね。 意外と可愛らしいわぁ♥
犬小屋を買った
これも個性と言うべきか?
団体様がお着きになる前に
といっても団体様がお着きになる予定なんかありません。情報漏洩すると、かわねこさんもことしは帰省を控えるそうです。よって、焚火はやりますけど忘年会の形にはならないでしょう。重ねて言いますが、焚火は、やります。
前置きはさておいて、セブンイレブンものは食いそこなっていた、あの(笑)ミートボールパスタの再現のようなやつが、ローソンから発売されました。
その昔、新婚旅行でイタリアに行った妹の吹雪に聞くと「あれ、無かったんだよね」との話。ミラノにお住いの著述家、ヴァンソン・藤井由美さんとお話した際、あの料理は実際にあるのかどうかお尋ねしたらば、「見たことないんですよ」というお答え。そうか、あの場面は成しえないのかと思っていたら、パスタ・ジャパンというイタリア料理の専門とも言うべきサイトを見ると、実に詳細な解説が書きとめられていました。
こちらではポルペッティーノと称した肉団子をサルサ・ポモドーロベースでパスタにあえていますが、ローソン物はガーリックトマトソースとなっています。案外、近いですね。問題・・・いやどこが問題なのよと自分でぼけ突っ込みしてますが、ルパンたちが食っていた料理の分量。イタリアシェアサイズは2人前で300グラムだそうですが、ありゃあそんなもんじゃない。パスタ、肉団子含めて1キロはあるでしょう。団体様と戦うにはそれくらい食っておかないと(笑)
買って間もない洗濯機、早々に壊しました・・・ あ、本体じゃなくて小さな扉割っちゃったのね。 買ったお店で部品取り寄せてもらおうと思ったら 「修理対応部分なので出張修理になります。」 はぁ? とりあえず修理依頼はしたけど、釈然としないので メーカーのお客様相談センターに問い合わせましたわ。 その回答が 「修理補修用部品のため、お客様ご自身での修理は思わぬ事故に つながる可能性もあり、部品だけの提供をしておりません。」 だーかーらー パコっとはめるだけの扉にどんな危険があるって言うのよっ! と(まぁこんな書き方はしなかったけど)返信したら 今度は東日本統括サービス部から 「お問合せいただきました部品につきましては通常サービス員による 部品交換をご案内している箇所でございます。その点にご理解を頂き、 お客様の自己責任にて対応される場合はご購入いただくことが可能ですが、 取り付け手順等のお問い合わせには対応できかねます。」 「自己責任で結構でーす。送ってくださーい。」
(いーからさっさと寄越せっ!:心の声) お店で「年内は出張修理厳しいので連絡がいつになるかわからない」 って言われたのに自己責任でいいから買うってメール送ったその日に サービスセンターから電話が来ましたよ(笑) 「いつになるかわからないって言われたから相談センターに連絡して 部品購入する事になりました」 ってキャンセルしちゃいましたけど。 で、届いた扉は無事つきましたわ。 工具やのおばちゃんなめんなよー
私は余計なことをしたのかもしれない ←おいおいっ
「スズキジムニー50年の歴史」。なんて書籍を、僕が買い求めるわけないじゃないですか。という余計な一言をものともせず、SSC出版からこの真摯で剛健にまとめられた一冊が送られてきました。
「エスクードの30年史」にはスポンサー予算が下りなかったのですが、ジムニーだとこういうものかと、とりあえず地団太を踏んでやろうと読みましたよ。
読んだら誰かにあげちゃおうと思って(こらこら)表紙を開けたら、どっかーんと「嵐田さんへ 著者 二階堂裕」のサイン本でした。おのれ! こっちの目論見をちゃんと見透かしてやがるぜ(いや絶対にそんなことまで気づいてない)。50年史ですから、歴代のあらゆる車種を各章で構成しています。いちいち紹介してられませんが、JA51、SAMURAIの章には、歴史的経緯として北米でのコンシュマーズ・レポートとの争いの渦中、エスクードが投入された記述もあります。
さて何が余計なことだったのかと言うと、あとがきにおいて二階堂さんがスズキに入社し、「新型ジムニー開発会議」に組み入れられた、あの有名な逸話が書かれていて、そこでの一言が呼び水になり「エスクードが誕生することとなる」くだりが書き下ろされています。「自分の意見で新型ジムニープロジェクトをつぶしてしまった」は、まあ史実ですからいいとして、現在のエスクードはモノコックの車体となり乗用車になってしまったことを嘆いているのもまあいいのです。
が、初期の設計思想が継承されなかったことに触れ
「それを考えると、私はあのとき余計なことをしたのかもしれない」
・・・おいおいおいっ!
ジムニーは特殊なクルマで、いくらいいものを作ってもアルトのようには売れない。それよりもジムニーの次に買う普通車の四輪駆動車が無いことの方が問題・・・
要約すると、それが新型ジムニーからエスクードへの呼び水となった一言なのですが、二階堂さんは車体の寸法、エンジン形式と排気量、足回りなど、新型の四駆のほとんどを基本計画として提案したのです。だからこそ「エスクードの父」と呼ばれているのに、いまさらそれはないでしょうに(泣)
今度事務所に討ち入ってこよう。あなたは決して余計なことなど言っていないのです。確かにデビュー当初のエスクードは軟派で半端と揶揄されもしましたが、SUVだのクロスオーバーだのと群雄割拠していく四輪駆動車のマーケットを切り拓いたではありませんか。
だけど新型ジムニープロジェクトが中止になった頃、ジムニーには既にSJ40があって、エスクードの開発中にはJA51があったんですけど、それらの小型車版を押しのけたという意味では後悔もあるのかなあ。
TD54Wに乗り換えてから、kawaさんが自車を弾丸あるいはν弾丸と呼んでいるかは定かでありませんが、かつてのTD11Wはそう呼ばれていました。事実、今でもさらっと遠州の向こうからやってきちゃうのだから、弾丸ぶりは健在。主治医のところのTDA4Wが諸事情から廃車となり、宙に浮いたスタッドレス組付けホイールを引き受けてくれて、昨日基地にいらっしゃいました。以前だったら忘年会の設営がある時期ですが、ウィズコロナでそういうわけにもいきません。
「昔やっていた動画配信が、通信サービスの終了になったので、今は夜通し出かけることがなくなりましたよ」
でも彼の現在の勤務先が愛知県なので、うちへやってくること自体が弾丸です。折しも今週、東海地方は平地でも雪が降るという予報だから、ちょうどよいタイミングでした。
忘れられていたらかわいそうだなあと、取り上げておきます。2000年12月12日、スズキはH20Aのボアアップ版であるH25Aをさらに拡張し、V6で最大排気量(当時)2700ccのH27Aを搭載したグランドエスクードを誕生させました。小型車版の二代目エスクードに与えられた「クロスカントリーセダン」という意味合いがずっと腑に落ちなかったのですが、グランドに用意された「クロスカントリーワゴン」が登場し、なるほどそうだったのかと膝を打ったものです。
派生モデルとしての型式はTX92W。AでもDでもなく、あえて「X」を刻ませ、後の三代目2700が受け継ぐ「9」を既に与えられています。市場の流れでは派生ですが、98年には北米でXL‐7として先行登場しており、ニーズ対応と同時に次期モデルのための開発要素も込められていたように思えます。しかしグランドエスクード最大の特徴は、5ドアタイプながら3列シートを持ち、この3列目の足元が大人でもきちんと乗れるスペースを確保していたことでしょう。
3列目シートだけを倒しても荷室の余裕は大きく、2列目まで倒してしまったらキャンプ道具満載か、ゆとりの車中泊空間が出現する。足回りや駆動系は二代目を踏襲し、大幅に上がった車重に対応した補強も施されました。基本的には車体後方への延長が行われたわけですが、これは二代目エスクードもラダーフレーム方式を継承したからこその簡易な、それでいて非常にまじめに作り込んだ成果だと言えます。グランドには1型が無く、4型まで二度のマイナーチェンジが行われました。
途中、モーターショー参考出品で3列目シートを持たない5人乗り仕様や、キャビンを大胆にカットしたピックアップトラック仕様も登場しました。故山本寛斎氏によるコーディネートや、ヘリーハンセン、FISリミテッドなどの特別仕様や限定車もリリースされました。さすがにピックアップタイプの市場投入は実現しませんでしたが、販売期間わずか5年程度の間に、なかなか盛りだくさんの企画を立案しています。それでも大人数乗車ではミニバンに市場を譲ることになります。
2人の子育てをやっていた頃は「親子三代全員乗れるのはいいなあ」と思いはしたものの、手に入れそびれているうちに20年が経ってしまいました。フジ・オートの渡辺代表によれば「中古車ニーズは高く、乗り続けているユーザーの愛着も深い」ということで、一時期これに乗っていた人々も思い思いにカスタム化に余念がなかった。グランドエスクード自体のアフターマーケットは決して幅広くなかったので、皆さん実に熱のこもった専用車いじりに励んでいました。









