やっと暑くなったので〝なんちゃって冷風機〟出動。 ま、でんいちはあんまりここ来ないけど。 未だに亡き婆にゃの縄張りなんだろうか??などと思ってたら 来ましたよ姫ちゃんず。 生まれて初めての夏だもんねぇ・・・ 熱中症にさせないように気を付けないとなー
Team WESTWIN Warriors#148
「後藤さんが乗っていたエスクード、僕がもらっちゃってもいいですか」
島雄司監督に、梅津知浩くんがそう言ったそうです。いずれそうなるだろうというビジョンは出来上がっていますが、今はまだその時ではない。彼は今、1600のエスクードを自在に操るためのステップにいますから。
ところがその梅津くん、僕にこう言うのです。
「(だから)普段使いのできる街乗り用のエスクードが欲しいんですよ」
後藤誠司くんのエスクードも梅津くんのエスクードも、ナンバーを取れる状態ではありません。梅津くんが島さんに言った言葉は、レースにおいて。僕に言った言葉は、レースに勝つために片時も離れずエスクードを走らせたいという野心、です。
「私はとても不思議な感慨に浸っていますよ。後藤君が子育てのために戦線を離れて夫婦でむつまじくやっているなか、うちの店で何が起きているかというと、TDAのことを知ってくれた若い人たちが、後藤君のエスクードを見学に来る事象が増えているんです」
TA51Wは、半ば伝説のエスクードになり始めているそうです。後藤君の走った10年近くの戦績は、伊達ではないということですが、事実上そのエンジンが休眠してしばらく経っています。にもかかわらず、見学に来る人がいるとは。
「そこへ来てチヒロの言い分が、あれで走ってみたい。ですから、あらためて後藤君の刻んだものの大きさを噛み締めますし、チヒロや見学者の感じていることも胸熱ですよ」
梅津くんは今、雑誌やインターネットを駆使して、この世代のエスクードの情報をかき集め、むさぼるように読み解いているそうです。その途上、エスクードの構造や走りに関して詳しい人と仲良くなれたというので「そりゃよかったね」と思ったら、その人ってTA01Wさんだったという「さもありなん」な逸話もついてきました。
梅津くんが後藤くんや川添哲朗くんの域にたどり着くまで、ざっくり10年と見積もったとして、それでもその頃の彼はまだ20代。これが何よりも強い武器です。エスクードなんて初代モデルは「40年前のクルマ」になってしまうのです。今の時点でだって、10代の若者が30年前の・・・51Wは20年ちょっとですけど、そんな骨董レベルのクルマに強い執念を抱いていることは、確かに感慨深いことです。
川添くん曰く
「ごっちゃんの子育てが落ち着いて、『とーちゃんの背中』を見せたくなるまで、あと2年か3年ってところじゃないでしょうか」
そのちょと先のある日、梅津くんがどれだけ力をつけて、後藤くんとマッチレースの一つも繰り広げることになれば、楽しみは前倒しです。勝敗はさておき、そうやって梅津くんがウエストウインの後押し役を背負っていく日は、いつか必ずやってくるはずです。
休暇じゃないです仕事です
再び在宅勤務態勢が敷かれたことなど全く知らず、朝から100キロの遠出仕事。往復してもどうということのない距離ですが、なにがテレワークだワーケーションだ!な日常は続くのでありました。午前中の仕事を完了させて、しかしよくよく考えてみると「いろは坂の下の日光」の街は、ほぼ通過してしまうため昼飯を食う当てがありませんでした。そんな状況で、ずっと、何の店だったかも知らなかった寺社建築の前を通りかかり、「日光食堂本店」の看板を発見。
神橋近くのこの店は、聞けば築130年を経て国の有形文化財の建物だとか。でも屋根の色合いってこんなに派手だったかなあ?と店内に入ると看板とは異なり「匠」という名の洋食屋でした。階下は土産物屋と蕎麦屋らしいけれど、表の通りも人はまばら。この連休も4日間で100人程度しか来客が無かったそうで、そりゃ経営大変だろうなあと誰もいないフロアでひっそりと昼食です。那須の若鳥(日光だけど那須なのか)のグリルは、なかなかの絶品です。
既に密「林」だったのよ
長雨が続いたこともあり、放置せざるを得なかったつくばーど基地の表も裏も密林状態。裏手は雑草が背丈を伸ばし、あぜ道が獣道(実際、猪道となっている)。表は表で生い茂った木々の枝葉で太陽光が遮られ、木陰になっていいじゃんどころか雨が上がっても地面が乾かない。という惨状を開墾すべく、新月さんと風花さんが手伝いに来てくれて、クサカリバーの出動、こちらはタカエダキリ―を振るって侵食してくる枝はらいをしておりました。
折しも作戦の繰り広げられた土曜日に、関東地方も梅雨明け。さあこれから暑くなる日々だぞ。二か月もしたらまたグリーンハザードになるけれど、今回表庭だけでも軽トラ二杯分くらいの枝打ちと草刈を、新月さんはおそらく二トン車一台分くらいの草刈をこなしてくれたので、風通しは良くなりました。陽射しが入ると基地のぬかるんでいた地面がみるみる乾いていくのは圧巻です。そして週末の夜、寝こけている最中に手の指をつるわ筋肉痛で寝がえり打っては痛ててと唸ってました。
8時間耐久・・・やってないっ
マミポコさんが、撮影した写真をiPhone上で加工し、絵葉書のような雰囲気にして送ってきてくれて、これがとてもいい感じで、真似をしたらば大やけどです。右の写真がその原型。エスクード誕生30周年企画の際、土手によじ登って撮ってくれたもので、もとは2400ピクセル以上ある、壁紙にしておきたくなる写真です。BLUEらすかると同じ車体色で、これほど青が強調されているのは、写真の時点で色補正をかけているのかなあ。
でもって、今回送られてきた水彩画タッチがこちら。もうすっかり暑中見舞い用の絵葉書です。沖縄ってところはどこでどう撮っても絵になるんだよきっと。とも思ったけれど、元の撮影の際、このすれ違い不可能の道に、よりによって他車がやってきてしまったという逸話も聞いているので、よじ登って、シャッターを切ってすぐさま転がり落ちて(そこまでひどくない)と、彼女だってそれなりに苦労をしていらっしゃるのです。
いいなー。俺もやってみようっ。と、やってみたのがこれ。ななな・・・なんだこれは? まるで、あの外国で起きた名画修復をやったら余計にひどくなってしまったあれ・・・ それぞれ使用しているソフトが異なるとはいえ、パラメータの調整が全然わかっていない。車体色だけはBLUEらすかるのそれに近いのですが、同じ場所を撮影した色彩には程遠い。これは加工のあと別のソフトで色調整をやらないとだめのようですが、それやっちゃえばなんでもできるよねえ。
と、suuuさんが送ってきてくれました。
もう素晴らしい常夏の景色です。やっぱり筆のタッチよりも色彩や色調に工夫をした方がいいのですかねえ。
こうなると、「笑いを盗っているだけというわけにはいかないよな」ってことで、僕もまじめに取り組みました。
まだ「写真ぽさ」から抜けきれていませんけど、一投目よりはなんぼかましです。それにしてもコロナウイルス問題のさなか、この企画アイデアは面白い。
母性本能(ないない)
突如、新しい働き方の模索として国が後押しすると言い出しましたが、90年代に既にひな型は生まれていて、こういうのは実践できる企業やワークスタイルが限られているから、定着してこなかった・・・のではないのかと。観光産業に恨みも憎しみもありませんが、そこだけを支援する仕組みというのはどうなのよ。いやそれ以前に「ちょっと旅行に行って出先で仕事してます」って言えないなあ。
言えないなあと言いながら、僕の場合はそれに近い遠出があり、逆にこれは仕事で出ているのであって、宿泊先が観光地やその近くだったとすると、ワ~ケーションだと思われるのはいやなわけです。まず費用でないし、実際に自腹でやってますし、極力その日のうちに帰ってくるようにしているし。
だから、割と、この泊りがけで仕事に出て、仕事をしているんだけれど旅行並みの移動距離。という境遇には悶々としたものがあったのです。僕の場合ならば、ワーキングとバケーションの線引きはしようがない。否、仕事なんです、休暇取ってないんです。
でも傍から見たら、そうは見えないでしょう。
それがいやなんだよね。旅行に出るんだったら手持ちの仕事は片づけてからというメンタリティー?を、そんなに簡単には切り替えられそうにないし、職場がそれについていけないだろうなあ。






