近所の枝垂れ梅が見頃♥ 風にふるふると揺らいでるのがいいな。 これでまた週末は荒れるのかぁ・・・
Wind Songs
僕らが所帯を持ったころ、クルマのラジオからはZARDのGood-bye My Lonelinessが流れていて、表題にしている相馬裕子のデビューアルバムはまだ世に出ていませんでした。なんだそのややこしい書き出しは。と自分でも思いますが、それが1991年3月の話。31年も前のことになってしまいました。二級後輩だったはずの家内は、いつのまにかため口をききやがり、一家の大黒柱と言っても過言ではないしっかり者となりました。
ことしが31年目だから当たり前のこと、昨年は結婚30周年で、我が家にあるエスクードコンバーチブルが91年式なので「真珠婚の年回り」にも花が添えられているなあと思っていたら、その年にデビューしていた日産フィガロが年末ぎりぎりに転がり込んでくるという珍事・・・いや慶事が起こりました。
なんですかねえ。この91年エフェクト。結婚式の準備に追われ、仕事を3週間分まとめてやっつけていた当時、フィガロなんて車の登場は、春先になって以降のNHK放送のアインシュタインスペシャルに出てきたへんてこなクルマ(フィガロ)を見るまで知らなかったし、この頃乗っていたエスクードは1型ハードトップで、コンバーチブルは50歳を過ぎたら探そうなどと適当なことを言っていたのです。要するにどちらも縁遠いクルマたちでした。
エスクードのコンバーチブルは、50歳を待たずに来るべくして手元にやって来ていますが、まさかフィガロが(なんせフィガロですよ。守備範囲にもないよ)これと並ぶ風景を見ることになろうとは。
そのような雛祭りで耳の日の3月3日は、どちらかを借り受けて「Wind Songs」ではなく、ちょうど30年目にあたる相馬さん2枚目のアルバム「空と海の出会う場所」を聴きながら仕事に出かけたいのよと頼んだら、「幌車でお出かけください」と言われてしまいました。フィガロの方は、既に母娘で交渉が進んでいるようです。
私も疲れてたのかしら・・・
買い物に行ったんです。悪だくみはして・・・
午後からの仕事がRV4ワイルドグースから30キロくらいのところだったので、同店とSSC出版にお邪魔してきまして、行くとだいたいこういうことになります。
「あーそうか、俺のは5ナンバーだけど、雷蔵さんのは3ナンバーなんだね」
「エンジン以外は何から何まで一緒ですけどねえ」
などという与太話をしに行ったわけではなく、BLUEらすかるのスコップホルダーがそろそろ変え時なので、これを購入に立ち寄ったのですが、何年かするうちにスコップホルダーの構造もだいぶ変更されていて、正直言うと昔の方が良かったなーという感想。あとはお茶をいただきながら来年に向けての謀をいろいろと話してきました。5月ごろから10月あたりにかけて、ちょっと歴代モデルのユーザーさんの力をお借りすることになります。
ヤマタノオジロの襲来
キャニオンで独り、昼飯を食おうと席に座って注文をして少し後、表の国道をヤマタノオジロ(あまりに久しぶりに書くので、わかんない人多数でしょうが、霰のハスラーのことです)が華麗に素通りしていきました。
なんだ? 出張外出でもしているのか? と思っていたら、どこかでUターンして戻ってきました。
ということで、昼飯をおごってやることになるわけですが、親を前にすると遠慮がない。値段の高いBセットを頼みやがります。Aセットと何が違うかというと、エビフライが特大サイズなのです。まあいいけどさー。と、そのあと、背広姿の僕を見ながら
「そだよ。でも今日は早朝から出先取材だからもう終わりだ」
「仕事してるのがわかって安心したわー」
てめー、伝票別にするぞ
侮りがたしAセット「以外」
先日(昨年暮れ)のつくばーど®の昼飯で、参加者にキャニオンへ案内した折、Aセットのバリエーションに「なぜハンバーグ×ハンバーグが無いの」というリクエストがあり、現場でエビフライとハンバーグのトレードが行われてこれを疑似的に作り出すという試みがありました。なるほどエビフライがダメな人だって世の中にはいるものなあと、ハンバーグ2個への要望が無茶ぶりでもないとそのときは考えさせられました。
それならばですよ、スタンダードなハンバーグセットもあるのですが、ジャーマンハンバーグセットが400円(税抜き)増しであるのです。当然エビフライは失われますが、ハンバーグのボリュームは単に2個分・・・よりちょっと多めな気がします。これはもう満腹感中枢が満腹になれます。特筆すべきは付け合わせのジャガイモ。これがとても美味いのです。Aセットに留まっていると見逃してしまう美味いものが、この店にはまだまだあります。
って食レポ書こうかなと、運ばれてきたジャーマンハンバーグの写真を撮っていたら!
以下、明日。
ノアとニュートンの狭間で
いつ頃の太古にさかのぼるのか知りませんが「第二の月の27日目」、大洪水から逃れたノアの一族が神の宣託を受け、漂着している方舟から初めて、水の引いた大地に出られたということです。ここでノアの一族は供物を捧げ感謝祭を開き、神はそれに答えて二度と洪水を起こさぬ契約の証として、空に虹をかけたと・・・
「今日」は、そういう日らしいですがノアの話は置いときます。
虹を見つけることには吉凶双方の言い伝えがあり、民族によって分かれるようですが、その前に「虹っちゃ何色に見えるかよ?」の方が面白い。7色だろう、と、思うじゃないですか。でも雨上がりに見かける虹を眺めて、あそこが何色であのへんがこの色と、明確に識別して指をさせたこともない(あー、それって俺だけかもしれないけど)
ご存じのように、虹は太陽光が雨粒のスクリーンを透過し分光されて起きる自然現象。このことをフラスコの水などで科学的に再現した幾多の学者の中で、最も有名なのがニュートンの実験で、プリズムによる分光が7色とされたことが、戦後の日本の教育に浸透して、我々の虹が7色と結び付けられていったとのことだそうです。
ところがこの虹の色の認識は地域や民族によってまちまちで、8色から2色までさまざま。アフリカでは「薄緑」が目視されていて、日本人より得している気がします。欧米では「紫はともかく藍色は認めにくいから除外だ」という感覚により、6色の認識が多いようです。この、藍色を数えられる我々だからこそ、世界最古とも云われる青の色を再現する藍染を継承できるのかもしれないと、ノアのことなんかどこ行っちゃったんだという結論に至るのでした。
メバル、50センチ! おらんわそんなの
湾内では春を告げるメバル釣りが解禁されているはずですが、メタアルブミンを食って巨大化したなんて話は聞きませんし、廃棄物13号が潜んでいるような海面にも思えません。三番背近くの岸壁から眺める景色は、想像と違って「千葉の東京湾風景」しか見えなかった。機動警察パトレイバーの世界とは異なっています。そういえば今日は「柘植行人一味による東京テロ」の日です。先日ベイブリッジのことを書いてますが、爆破から蜂起まで5日間。
テロやらクーデターやらには速度が重要ですが、後藤隊長や松井刑事の捜査の追随速度も恐るべき素早さでした。と、パト2の話はここまで。漁から戻ってきた船の背後に横たわる陸地は、三浦半島にしては変だなーと凝視していたら「あれは袖ケ浦の辺りだ」と見知らぬ老人に教えられました。房総半島の付け根はまったくもってもの凄い湾曲を展開しています。船橋や市川の湾岸は素通りして渋滞回避していたけれど、岸壁まで近寄ると静かなものです。
しかしこの遠望では方角として富士山は見えないのねと仕事に戻ろうとしたら、目の前にうっすらといらっしゃいましたよ。
夕刻までここに粘っていたら、夕暮れ時のシルエットになってもっとはっきりと眺められたのでしょうけど、いつまでも遊んでるわけにもいかないので、いずれまた来てみよう。






